【第2章】20話「始まりの悪魔」
早苗の身体から禍々しい光が溢れ出し、陣からも光が溢れる。その光の中で、早苗は形を変える。フードのついたマントを羽織った人物の姿。目元を隠しているがどこか剣呑とした目つきがちらりと見える。――ベルフェゴールだ。ベルは膝をつく。
「ベルフェゴール様、でいらっしゃいますね」
「ああ」
召喚されてしまった。偉大なる七悪魔の一柱にして“怠惰”を司る魔王、ベルフェゴール。椿らは唖然と召喚を見守ることしかできなかった。あと少し早く着いていれば、早苗を助けることができたかもしれないのに――
しかし、絶望に染まる椿らをよそに、菊池、富田、そして内海の表情には絶望の色はおろか、焦りすら浮かんでいない。何も、問題など発生していないとでも言いたげな、普段通りの表情。そのことにベルも気が付いたのか、怪訝な表情を浮かべる。内海がため息をついた。
「久方ぶりですね、ベルフェゴール」
「なっ、き、貴様、ベルフェゴール様を呼び捨てにするなど――」
「喧しい。お前には話しかけていない」
内海はベルをバッサリと斬ると再びベルフェゴールに目を向ける。ベルフェゴールもそれに応える。
「……久しいですね、ルシファー殿」
「……え?」
誰が発したのかは分からないが、素っ頓狂な声が響く。椿らも同じ心境であった。内海が、ルシファー?あの、始まりの悪魔にして最初の堕天使。しかしそれを裏付けるようにしてベルフェゴールはどこか居心地が悪そうに内海から目を逸らしている。
「る、ルシファー、だと?お前が……い、いえ貴方様が――」
目を見開くベルをよそに内海、ルシファーはベルフェゴールに語りかける。
「全く。自称お前の部下に振り回されて散々な目に遭っていましてね。監督不行き届けですよ」
「そのようだな、申し訳ない。此奴の処遇は――」
「私らに任せていただけると」
「では、ルシファー殿の望むように。この少女はお返しいたそう。迷惑をかけてすまなかった。では」
迷惑事に巻き込まれたくない、早く帰らせてくれと言わんばかりの態度のベルフェゴールはその姿を消すと光が消え、早苗の身体はゆっくりと地に降りる。魔王の復活ともあり、緊張のボルテージは最高潮に達していた椿たちはあまりにも呆気ない幕引きにぽかんと口を開けている。しかしハッとしたように美幸が飛び出し早苗の脈を測る。
「大丈夫。呼吸も脈拍も安定してるよ」
一同がほっと息をつく。椿が内海に近寄る。
「ちょ、内海!内海がルシファーって本当なの?」
「ええ、本当ですよ。言ってませんでしたっけ」
「言ってない!」
「そうでしたか。ふふふ、聞かれなかったもので」
そこで椿は思い出す。七悪魔について教えてもらった時、こいつはやたらルシファーのことだけ褒め称えてたなということを……
反応的に、富田や菊池らは知っているようだ。大刀洗は知らなかったようで、事態を飲み込めないのか椿らと同じく呆けた顔。ムラサメは全く興味がなさそうに大きな欠伸をしている。
「そんな、ベルフェゴール様…なぜ、なぜなのです!?どうして、ルシファー様がここに……」
先程とは形勢逆転。今度はベルが絶望する番である。
「さて。あなた方には早速ですが後始末をお願いします。学生の皆さんは外で待機している憲兵や菊池隊の皆さんの指示に従うように。わたしはコイツの後始末をします。では、解散」
それぞれが動き出す。後始末を任された富田らはため息をつきながら引き上げていった。そして、内海とベル2人きりとなる。内海が暗い瞳でベルを見下ろす。
「さて。現世を統治するのは私、ルシファーの役目であることは堕天使のお前でも知っていますね?ベルフェゴールの加護を失い、この私に逆らった愚かな堕天使はどうなると思いますか?」
「……」
顔色を悪くしたベルは髪を振り乱し、突如内海に飛び掛かる。しかし内海も瞬時に反応し、攻撃を防ぐ。
「はっ!はあっ!うおあああ!」
半ば自棄になっているのか、それまでの冷静さをかなぐり捨てたベルが内海に炎を纏わせた拳で猛攻撃する。しかし内海は全ての攻撃を受け止め、流していく。思うようにいかないベルが咆哮する。
「何故だあ!何故!何故当たらない!」
「貴方が遅すぎるだけですよ」
次の瞬間、内海の繰り出した左ストレートがベルの顎下にクリーンヒットする。右ストレートも見事にヒットし、快音――とはにわかに言い難いが――を響かせる。さらに高速連打が腹に叩き込まれ、ベルは吹き飛ばされる。
「ぐぼぉッ…」
「ふふ、不思議そうな顔ですね。悪魔とは本来魔法や術式を繰る種族。当然攻撃の場でも術式ばかりを使いがちですが…私は肉弾戦が大好きでしてね」
余裕そうに後ろに手を組み、楽しそうに笑いながらベルを見下ろす内海。しかしその目は一切笑っていない。真紅の、永久の闇。
「さて……そろそろ終わりにしようか」
瞬間、ベルは踵を返し一気に駆け出す。逃げる気なのだろう。しかし。
「おや、どこへ行こうというのですか。…逃しませんよ」
不気味な笑みを浮かべたルシファーの背から闇が広がる。そして、そのままベルを飲み込んだ。
*
「な、何だ、ここは…!」
ルシファーの背から放たれた闇に呑み込まれたかと思えば、いつの間にか知らない場所に立っている。
――ここは、駅…それも地下鉄の、ホーム?
ベルは驚愕と困惑の入り混じったまま周りを見渡す。ホームには人っこ1人としていない。その時、アナウンスが流れ出す。
『まもなく、1番線乗り場に、電車が参ります。ホームドアから離れてお待ちください』
無機質なアナウンスの数秒後。闇の中に電車のライトが見え、ホームに滑り込むようにしてその全容を顕にする。見たことのない、黒塗りの電車。行き先を表示するはずの電子版は、文字化けしていて判読不可である。
(ルシファー様の権能なのか…?)
目の前で起こる出来事をただ眺めることしかできないベル。電子音と共にホームドアが開き、電車のドアも開く。無論、ベルは入らない。さあ入ってくださいとでも言いたげな電車をベルは睨む。乗るわけがない、罠に決まっている。しかし、そんなベルの思いに反しベルの体は電車の車内へと向かう。
「な、何だこれは!体が、勝手に……⁉︎」
ベルは必死に抗うも、奮闘虚しく、ベルは見えない手に掴まれたかのように車内へと引き摺り込まれた。勢い余って反対側の電車のドアに激突するベル。
「くそ…一体何…なん、だ…………」
起き上がり、辺りを見渡そうとしたベル。その目がとらえたのは、数多の目玉。皆こちらを凝視している。さらに物音が聞こえ、ハッと振り返れば口をあんぐりと開けた恐ろしい見た目の怪物や触手らが隣の連結車両から這って来ていた。後方からも、前方からも。
咄嗟に開いていたドアから脱出すべく走ったが、ドアはベルの鼻先で大きな音を立てて閉まってしまう。
「くそ!出してくれ!出してくれ!」
バンバンとドアを叩き、ドアをこじ開けようとするもびくりとも動かない。その間にも怪物たちはやってきた餌を求めて迫ってくる。
(くそ、くそ、何でだ。何故力が使えない!?)
『それはここが私の作り出した亜空間だからですよ』
顔を上げると、ホームドアの向こうに立っている内海が薄っぺらい笑みを顔に貼り付けて立っていた。その服装は先ほどのような喪服のようなスーツではなく、車掌服に制帽を被った姿で立っていた。
「る、ルシファー様!お願いします、ここから出してください…!二度と貴方様には逆らわぬと誓います、軍門に降れというのなら従います、どうか」
『もう、結構。貴方との会話も、戦闘も飽きてしまいました。全く面白味がないのでね…』
貴方を仲間にするメリットなんて、ひとつもありませんし、と突き放され、言葉に詰まるベル。ルシファーは笑みを浮かべたまま鼻を鳴らした。
『間もなく電車が発車します。ご注意ください――』
『貴方とはここでお別れです。二度とその面、見せるなよ』
「待っ――」
電車がゆっくりと進み出す。はじめはゆったりとした動きからどんどん加速してゆく。怪物たちは既に目と鼻の先――
「う、ああああああああああっ!?」
電車と共にその悲鳴も遠ざかってゆく。そして、黒塗りの電車は闇の中へと消えていった。それを見送り、制帽を取って一礼する内海。
「……それではお客様。良い旅を。ふっ、ふふふふふふ」
誰もいないホーム。内海の笑い声だけがこだましていた。




