【第2章】15話「獅子対菊池」
「…ッ、ぐうううぅ……」
渋谷。菊池はミラのパンチをもろに喰らい呻いていた。女の子は無事だ。だがこの状態では動くこともままならない。このままサンドバッグになるのは御免である。その時、巨大な何かが降ってきたかと思えばミラに絡みついた。巨大な蛇の胴、柏木である。
「大尉殿!」
さらに応援として大島軍曹も現れた。
「菊池、この子は俺が保護する。だからアンタはあのバケモノライオンをなんとかしてくれ」
「すまん、助かる」
大島は子供を抱えて結界の外へと走る。菊池はゆっくりと起き上がる。しかし身体にはダメージがだいぶ蓄積されているのか、ゆったりとした動きになってしまう。そこに、ミラのパンチが再び襲う。今度は腹。
「がふぅっ!」
堪らず再び倒れる菊池。倒れた先は規制線の目と鼻の先。野次馬市民が驚いたように僅かに後退る。先ほど大島に助けられたばかりの女の子もいる。女の子は規制線ギリギリまで前に出てくると心配そうに菊池を覗き込む。
「ねこちゃん、大丈夫…?」
「…クーン」
ねこちゃんではないが取り敢えず鳴いてみる菊池。少女は叫んだ。
「ねこちゃん、頑張れ…!」
(ふふ、私としたことが。小さな女の子に応援されるとはな)
菊池は起き上がる。再びミラのパンチが腹めがけて繰り出される。が。
「うおお!なんだあ!?」
その拳は菊池の胸元から腹あたりにあるもう一つの口が咥え込んでいた。そして、そのまま拳ごと食いちぎる。
「ぎゃあ!いたあ!」
隙のできたミラに総攻撃を仕掛ける。柏木は暴れるミラの身体に絡みつき、締め上げながら拘束する。身動きが取れないミラに菊池の拳や尻尾による攻撃が次々と行われる。
「こんのお…!」
ミラがさらに大きく暴れ、柏木の拘束が緩み投げ出される。しかし攻撃は収まらない。駆け寄ってきた大島が自分よりも遥かに大きい獅子の足を掴むと、そのまま持ち上げぐるんぐるんと回し、手を離す。遠心力の力で凄まじい音と共にミラは建物に突っ込んだ。大島の額には、いつの間にか一本の角が生えている。それこそが大島の異能であった。『鬼化』。妖力量と身体能力がぐーんと上がり、ツノが生える。単純だが、かなり強い異能である。
「…大島ぁ。建物壊しまくってんじゃないよ」
「仕方ないだろ、ちょっとくらい大丈夫だって」
「怒られるの私なんですけど…」
菊池は立ち上がるミラに対峙する。
「大島軍曹。あとは私だけで事足りる。貴様は市民の近くにいろ」
「ハッ」
大島が規制線の方に行ったのを確認し、ミラを睨みつける。ふたりはしばし睨み合っていたが、すぐに攻撃が再開される。獣2体による、殴り合い。
顔を殴り殴られ、爪を使い、尻尾を大きくスイングさせて。互いに吠え合いながら戦うその様は野生動物の喧嘩のようであった。
「ねこちゃん、頑張れー!」
少女が叫ぶ。その声に釣られるように、スマホを掲げるだけであった他の野次馬たちも声を張り上げ始める。
「頑張れ陸軍の幻獣ー!」
「負けるなーワン公!ライオンの顎狙え!」
「いけー!ライオン倒しちまえゴジラー!」
全部違うんですけどー!と叫びたい菊池であったが、それでもみるみる力が湧いてくる。そのまま菊池は獅子の背の翼を食い千切る。
神の、力の源のひとつは信仰。拝まれ、畏れられ、祀られ、その信仰が大きければ大きいほど神の力も強くなる。それは祟り神とて同じ。数多の応援――人間のその感情によって、菊池の力は強くなっていた。
「再生がうまくいかない…?な、なんだ…急にこいつ、強くなって――」
言い終わらぬうちに菊池の背から翼が飛び出し、前足と後ろ足の間にある一対の腕も翼と化し、二対の翼が現れる。ミラの上首を咥え、大空へ舞う菊池。そのままぽーん、とさらに上空へミラを放り投げた。そして――
「死ね!」
落ちてきたミラめがけ、空中で身をひねらせた菊池はその獅子の体に勢いよく装甲で覆われた尻尾を腹にぶつけ、地面に叩きつける。
「ぐごぁっ…」
短い悲鳴がミラの口から漏れ、その勢いを殺しきれぬまま地面に激突。ぐしゃあっ、と嫌な音と共に道路は陥没し、血溜まりの中で獅子は動かなくなった。ふわりと舞い降りた菊池は大きく空に向かって勝利の咆哮を上げる。野次馬たちも、その咆哮に沸き立ち、歓声を上げていた。
*
医務室。医務室には基本的に2人の軍医がいる。そのうちの1人、神埼はチュッパチャプスを咥えたまま気だるそうにスマホをいじっている。もう1人、藤井は机に突っ伏すようにして仮眠をとっている。
「…………」
神埼がスマホを置くと同時に、藤井もゆっくりと顔を上げる。
「どうやら、招かれざるお客さんが来たようだ。」
医務室の扉が開く。
「ここは、魔術師養成学校…及び兵隊さんの医務室で間違いないかな?」
「ああ、間違ってないぜ」
黒い装束に身を包み、派手な青髪を肩のあたりで切り揃えた男が神埼に問いかける。その背には、黒い翼。背後には部下とおぼしき堕天使やら悪魔やらがいる。
「帰ってくれないか?ここは医務室だ。戦場ではない」
「そんなことは我々にとってどうでもいい。……ここの軍医は相当腕が立つと聞いています。そんな軍医さえ消えてしまえば、兵隊さんにとってダメージになる、そう思いませんか?」
ぞろぞろと堕天使たちが入ってくる。ギラギラとした目で神埼と藤井を見る。神埼が心底怠そうに言う。
「帰れ、つってんの。俺たちは前線に出るタイプじゃねえ」
「だからこそ、来たのですよ」
青髪が笑う。神埼はため息をつき、咥えていたチュッパチャプスを噛み砕いた。
「抵抗をしないと言うのなら安らかな死を与えてあげましょう。そうでないと言うのなら――」
「ああーいい、いい。そういうの要らねえから」
首を傾げる青髪の堕天使をしっかりと見据え、神埼と藤井は笑みを浮かべた。神埼が立ち上がり、挑発するような笑みを浮かべた。
「おし。全員かかってこいや」




