【第2章】12話「祟り神」
体調不良により更新が滞ってしまい申し訳ありません。停止していたお話文は更新しておりますので、これからも『朱月のアリス』をよろしくお願いします。
「――ッ!」
きた。金縛り。あいつが此方に近づいてきているのだ。
「いよいよお目見えだねぇ。うふふふ」
緊張感のかけらもない高鍋に、僅かに強張った椿の心が少しほぐれる。この男は信用できる。椿はそう強く思っていた。人の善悪を見分けることは悪魔と天使の血が入っている椿にとって得意な方であった。
「……来たよ」
高鍋の言葉に一気に現実に引き戻される。足音が大きくなってくる。
ザリ、ザリ、ザリ。コツ、コツ、コツ。
砂利を踏む音から、コンクリートの上を歩く音に変わる。いよいよだ。……そして、彼の片足が椿達のいる部屋の入り口を踏む。
バチッ!
電気が放電するような音。大きな音に驚いたのか、彼の足音が一瞬止まる。だが、何事もなかったかのように再び部屋に入ってくる。その途端、あちこちに置いてあった盛り塩からぶすぶす、と音がしたかと思うと黒いどろどろとした液体となって溶ける。
『僕に、盛り塩なんか効かないよ』
地の底を這うような低い声で嗤う彼。しかし大人の男性のような声にも、子供のような声にも聞こえる、不思議で不気味な脳に響くような声。
「うーん、やっぱ簡易結界と盛り塩じゃダメかあ」
高鍋が髪をいじりながら呟く。横になったまま金縛りで動けない椿の前に通せんぼする形で高鍋が彼の前に立つ。
『…退いて?』
「やだ」
両者とも顔には笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。しばし睨み合いが続く。
「椿ちゃんのこと好きなんだ」
『うん』
「どういうとこが?」
『椿、優しい。すき』
無邪気な回答に高鍋は苦笑いを浮かべて頭を掻く。やはりこのレベルの祟り神だと会話が成り立つものの話が通じない。高鍋は深呼吸をする。
「申し訳ないけど、椿ちゃんは渡さないよ」
『……』
「禍山兵叢雨明神。ここは君の居ていい場所ではないよ。元いた場所にお帰り」
『嫌だ!あそこは、暗くて、寒くて、ひとりぼっち。ひとりは嫌、嫌、嫌……帰るものか!』
突然大声で叫ぶ菊池の怪異――禍山兵叢雨明神。椿はかろうじて首を動かして、彼の方を見やる。建物がガタガタと震え、置いている荷物も大きな音を立てて振動し、残っていた窓にヒビが入る。ポルターガイストと呼ばれる現象である。
「ハア、子供相手にこんなことしたくないんだけど。我儘言うならしょうがないよね。力づくでも、帰ってもらうよ」
高鍋は静かな口調でそう言うと影から巨大な黒塗りの大鎌を取り出す。祟り神が嗤う。
『ハハハハ!その武器がいくら凄まじいものであろうと、貴様自身が強かろうと関係ない。私は祟り神だ、それもこの国の最上位のな!貴様が悪神とはいえ、この私にとっては取るにも足らんよ』
子供のような口調から一変、軍人の口調になる祟り神。このままでは両者が激突してしまう。
「〜〜っ待って!」
突然椿が叫び、両者とも動きが止まり、椿に視線が注がれる。椿は全身に力を入れ、よろよろと起き上がった。
『…何と。私の金縛りにかくも抗うとは…すごい、すごいねえ、椿!』
何故か嬉しそうに叫ぶ祟り神を椿は見据える。
「アタシ…あんたのこと何も知らないけど、辛い思いしてるんだよね」
「椿ちゃん!?ダメだよ、この祟り神に甘えさせちゃ――」
『…部外者は黙っているといい』
祟り神が右手を振るうと高鍋が後方に吹っ飛んだ。意識はギリギリ保っているようだが、口を開くことができないのか口あたりを掻きむしっている。
『続き。聞かせて?』
「あんたは、子供なんだってね。あんたの目的は、アタシ?」
『そうだよ。ずうっと一緒がいいの。僕と結婚しよう?』
後ろで抗議するようにバタバタと暴れる高鍋。祟り神は苛立ちを隠そうともせずに再び右腕を振る。高鍋はさらに後方に吹っ飛ばされ、意識を失った。
「結婚、ね。神様って本当に気に入った相手にはすぐ求婚するんだね。アタシ今まで彼氏とかいたことないからなあ」
『僕は強いよ。どんな強敵でも、君を守り抜いてみせるさ』
「そりゃあ魅力的だな。でも…」
『でも?』
椿は深呼吸をし、高鍋の方をチラリと見る。そして祟り神の血の涙を流している左目を見た。
「アタシの仲間に、大切な人に、危害を加える奴は嫌いなんだよね」
『…分かった。なら、君の大切な人は害さないと誓おう』
「あと、寝るの邪魔すんのやめて。あんたのせいで何回も死にかけたんだからな」
『分かった。睡眠の邪魔はもうしないよ』
「おし!じゃあ指切りげんまんしよ」
2人が互いの小指を絡め合い、約束のおまじないをする。
ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます、ゆびきった!
『…なあ、求婚の返事を聞いていないが――』
「おりゃーーーーーー!!!!!」
祟り神が言い終わらぬうちにいつの間に意識を取り戻したのか、高鍋が祟り神に突進してきたのである。しかし、上手く躱されたものの、何やら祟り神の首に高鍋が何かをくくりつけた。避けられた高鍋はズサー、と倒れ込む。
『チッ、縛しの勾玉か。厄介な、私の力をもってして解けぬとは…とはいえ、私の封印には失敗したようだな?』
倒れ込んだ高鍋の片手には、朱い勾玉が握られていた。封じの勾玉である。古来より悪神や悪霊などを勾玉の中に封じ込めてしまう呪具である。祟り神が人差し指をクイ、と動かすと朱い勾玉は粉々に砕け散った。
「あーーっ!封じの勾玉が…これ超高価なのに…」
グッタリとする高鍋を尻目に祟り神は再び椿を見据える。
「あ、えと、アタシは謀ってないからね!?」
『安心しろ、それぐらいのことは私にも分かる』
祟り神はそう言うと椿の横を通り過ぎ、窓に足を掛けた。
『今日のところはここまでとしよう。バカ神のせいで些か計画は狂ったが。椿。何かあったら私の名を呼ぶといい。助力に向かおう』
「…ありがとう。約束は守れよ」
『無論だとも。……それから、私のことは名前で呼んでくれないか』
「ええっ、ちょっと長いから…叢雨でいい?かっこいいところもじってさ」
『叢雨、か。いいね、すごくいい。……あ、これ。あげる』
そう言って禍山兵叢雨明神――ムラサメが椿に手渡してきたものは、一枚の朱く、立派な鳥の羽根。
「……?ありがと」
首を傾げつつそれを受け取る椿。そんな椿を見てにっこりとムラサメは満足そうに笑った。
『じゃあ、また会いにくるね。バイバイ、椿!』
菊池の姿をした祟り神は、窓から飛び降り、闇の中に姿をくらました。
「これで…良かったのかなあ?」
高鍋がぽつりと呟いたが、椿は肩をすくめた。だが、これからは睡眠の邪魔が入ることはなさそうだ。床に倒れ伏したままの高鍋を光が照らし始めた。いつの間にか、夜は明けたようだった。




