【第2章】10話「獅子の悪魔」
ある大きな和風屋敷内の広間。宴会場、と言っても良いだろう。その広間に、堕天使達は集っていた。襖がすうっと開き、1人の男が入ってくる。その瞬間に堕天使達は一斉に頭を垂れる。男――ベルは片手にシャルルの首を抱えたまま堕天使達の平伏に意を介する様子もなく、ステージに置いてある座布団に座った。堕天使達は面を上げる。
「ベル様。お帰りなさいませ」
「ああ」
ベルの横にすうっとやって来た女性の堕天使、ルルに応えるベル。ルルは無造作に置かれたシャルルの首を見る。
「シャルル…ベル様に油断するなと言われていたというのに、この体たらくですか」
「う、うるさいわい!ずっと屋内に引きこもっているウヌらとは違うわ!」
「あら。私がいろいろ裏工作したからあなたは高校に潜入できていたというのに、その言い草は気に入らないわね」
「……お前達」
ベルの諌めるような声に2人は慌てて押し黙る。ベルはひとつため息をつくと立ち上がった。
「さて。諸君。新顔を紹介したい」
周りがざわめく。ベルは懐からビー玉のようなものを取り出し、ぽい、と投げた。ビー玉が着地した瞬間、ぶわっと煙のようなものが現れる。そこから現れたのは、胴体から下を失った悪魔、角獅子。
「う、うおおっ。なんだここは」
「ミラよ。ここは我々のアジト…呪い師共には決して気取られん安息の地だ。諸君!これから我々と共に歩む者、ミラだ。良くしてやるように」
堕天使達は一斉に頷く。ミラは苦しげにベルを見上げる。
「な、なあ。取り敢えず俺を治してくれないか。痛くて痛くてしょうがない」
「……その前に。お前にはまだ我々の目的を話していなかったな、その後だ」
文句ありげな様子のミラだが、下手に反抗するのは悪手と踏んだのか、黙って従う意思を示す。
「我々の目的は…我らが主人、大魔王ベルフェゴール様の現世顕現だ。我らを天から投げ落としたことを、主に後悔させる。ベルフェゴール様の御力で、この現世を我らが主人の物にするのだ……障壁は多いが、協力者もいる」
「そうよ。私たちのことも忘れないでいただきたいわね」
そう言って現れたのは、赤いワンピースドレスに狐面の女――白の教団“鏡鳴教”が幹部長、「ハートの女王」七隈。
「この世界をベルフェゴール様のものにする、と言ったって折半よ?約束したでしょう。ベルフェゴール様の次は私たちの“鏡の悪魔”の番。その時はあなた方にもしっかり協力してもらうわよ」
「無論だ、七隈。我らと貴君らが協力すれば怖い物など何もない。都合のいいことに現世を統治するルシファー様はご隠居なされている。この世界を堕とすなど容易いこと」
「……もういいか?お前らの目的は分かったからよお…」
「ついでに…妾も…」
「ああ、そうだったな」
ベルは七隈の横から離れ、無造作に置かれたままのシャルルの首を持ち上げる。そして、そのまま角獅子の方へ歩みを進める。
「あ、あの…?ベル様?」
「シャルル。警告はしたぞ、油断するなと。それなのにベルフェゴール様の肉体とする少女たちを全員取り逃すなど。言語道断」
ベルは空いている片手で角獅子をも掴み上げる。
「べ、ベル様……ど、どうかお許しを――」
シャルルが言葉を紡ぎ終える前に、ベルはシャルルとミラの頭を勢いよくぶつける。ゴシャァッ、と頭が砕け、血飛沫が舞う。勢いよく衝突した二つの頭は潰れ合いひとつになっている。そして、融合し始めた。グチャ、ゴシャ、と嫌な音を響かせながら――
そして、約1分。ふたりは、ひとつになった。獅子の獣人のような姿。己の両手を見つめ、わなわなと震えている。
「こ、これは…!凄いぞ、力が漲ってくる…!」
「――自我はミラの方が勝ったか。ならお前のことはミラと引き続き呼ぼう」
「ベル様、感謝致す…!」
ベルは満足そうに頷くと、一同に目を向ける。
「さあ。これから作戦を話す。この世界を、堕とす為の作戦。手始めに、この島国からだ。よく聞くがいい」
*
「うし。こんなもんかな。痛いところはないか」
「はい…ありがとうございます」
熊田に連れられ、医務室に訪れていた百合。神埼の治癒能力により、体力はごっそり削られたものの怪我ひとつない体となった。
「百合。今日は医務室で休んでけ。おそらく歩けんだろう」
「それがいいぜ。百合、無理せず今はゆっくり休むんだ」
「……わかりました。では、ご厚意に甘えて…」
熊田は医務室を後にし、神埼も個室から出て行った。百合は天井を見上げたまま、大きなため息をついた。――自分のせいで、危うくやられるところだった。あそこでもし御船の応援が無ければ…
(もっと、強くならなきゃ)
百合は心の中で呟き、襲いくる睡魔に素直に身を委ね、瞼を閉じた。
*
(姉ちゃん…全然起きなかったな…)
日も暮れて、医務室を後にする椿。百合が負傷し神埼の治療を受けたと知り、お見舞いに行ったものの神埼の治癒効果の代償として体力を使い果たした百合はベッドで泥のように眠っており、起きる気配が微塵もなかったため、取り敢えず神埼に礼だけ伝えて寮に戻ることにしていた。
少し歩き、寮も目前、というところで見覚えのある3つの影を見つけた。菊池、富田、そして内海。話の輪に入ろうか迷ったが、表情的に何やら重そうな雰囲気である。話し声が少し聞こえる。
「……やっぱ堕天使の野郎共、絶対組んでるぜ。バックにもなんかデケェのがいそうだ」
「同感だ。協力者は確実だな。今最も考えられるのは…」
「教団の奴らでしょうね。表が駄目なら裏から、といった心意気なんでしょうか。厄介極まりない」
「教団以外にもなんかいそうだがな。まあこちらで調査は進めるぜ……お?そこにいんのは椿か?」
富田の発言に菊池と内海の2人が振り返る。
「椿!お姉ちゃんのお見舞いだっけ?早いね?メッシュもいつの間に入れたの?似合ってるじゃん」
「あざす!お見舞い行ったけど、寝てたので帰って来ました」
そうか、と頷く菊池。
「じゃ、アタシ、戻ります」
「気をつけてな!…私らも場所変えるか」
「ああ。いつものバーでいいな?」
椿は寮へともどり、3人もまた一旦別れたのであった。
*
寮に戻る道のりの最中。椿はあるものを見つけた。
(あそこ…誰か立ってる…師匠?)
椿の視線の先には、すらりとした高身長の軍服の男。俯いているのと、日も暮れかけ所謂“黄昏時”であるのもあり、菊池?のその顔は影に塗りつぶされ見えない。
「師匠〜〜!」
椿は菊池の元へ駆け寄る。
「さっきまで内海達と一緒にいたのに…何か忘れ物?」
「……」
菊池は答えない。顔の向き的に椿のことを見ているのはかろうじて分かるが、表情はやはり見えない。その時。
(椿様!!この男は危険です、今すぐ離れてくださいな!)
(ハチ…?何言ってるの?師匠だよ、いつも会ってるじゃん)
(その男は、菊池孝太郎殿では…あるのですが…いや、違う……?と、とにかく危険です!)
どういう意味か分からず内心首を傾げていると菊池の手がするりと椿の輪郭をなぞる。長い指に、骨張った、いつもの菊池の手。そこで椿は何やら違和感を覚えた。全く言葉を発しないこともだが…
(この匂い…血……?)
「師匠、どっか怪我して――」
その時、椿は菊池の頬が何やら濡れているのが光の反射で見えた。
「ねえ…師匠?泣いてるの?何かあったの?」
椿が菊池の涙を拭おうと頬を拭う。しかし、それはやけにぬるっとしていて、若干のべとつきがあって…
椿がいよいよ困惑したその時。敷地内の街灯が点き、明るくなる。そして、目の前にいる菊池の表情が露わになる。
「――ヒッ⁉︎」
菊池がその目から流していたのは涙ではなかった。血。それも目からだけではない。頭から、鼻から、そして、口からも…軍服にも、あちらこちらに血痕があり、右目は前髪で隠れている。その貌に表情は無く、焦点の合わぬ左目でこちらを見据えている。師匠じゃない。椿は恐怖で固まって動けなくなった。ハチが何やら叫んでいる気がするがうまく聞き取れない。
『椿…………』
聞くだけで恐怖に竦み上がる、地の底を這うような低い声。だが、その声は菊池のもので間違いなかった。菊池の姿をしたソレは再び椿の顔に手を伸ばす。あと数ミリで手が顔に届く、その時。
「椿ーー!いたーー!」
金縛りから解け、ハッと声の方を向けばそこには美幸が走って来ていた。
「遅いから心配したよ〜!あれ!髪染めてる!ってか、お見舞い、お姉ちゃんには会えた?」
「あ、ああ、ええと寝てて会えなかったや」
そっか〜と言う美幸をよそに、菊池の姿をした怪異がいた方に慌てて目線を向けるが、そこには誰も立っていなかった。
「…椿?どうしたの?」
「ねえ、ここに師匠立ってなかった?」
「菊池先生?いや?椿1人だったよ」
そうか、と息をつく椿。きっと自分は任務続きであったし、疲れていたのだ。あれはきっと幻…そう思おうとした時。
「椿!その手どうしたの⁉︎怪我⁉︎」
「うあっ!?」
菊池の頬を拭った時に付いた血がべっとりと椿の手についていた。あれは夢幻でも何でもない。その血痕が、そう物語っていた。




