【第1章】17話「カラスの大群」
一行は分かれて怪物の逃げ場のないように包囲する形で追う。
「ハチ!行くよ!」
「はい!」
椿はそう言い駆け出す。雑木林が奥まり、足元が悪くなるのも構わず怪物を追う。しかし次の瞬間、椿は何者かに思い切りタックルされ、さらに雑木林の奥の人目が付きづらい場所まで吹っ飛ばされてしまう。
「ぐあ…いってえ…」
「……よお、久しぶりだな、椿」
その声にびくりと固まる椿。この声は…
「東…」
「覚えてくれてたか、嬉しいぜ」
帽子屋…東は慌てて起き上がろうとする椿の肩を掴み、そのまま押し倒す。額の傷跡といい、東の格好はボロボロであった。
「…お前のせいで教団からも警察や軍からも狙われる始末さ…こんの糞餓鬼め」
「知らねえよ…!手ぇ離せ…!」
「こうなったらヤケだ。殺すか迷ったが…その前に、一生忘れられない傷をつけてやる」
いつの間にか椿の両手は上に縛られてしまい、体を東に押さえつけられているせいで身動きができない。東の手が椿の太ももを伝う。…犯される。恐怖で声が出ない。東は下卑た笑みを浮かべ、手を太ももからスカートの中に入れんとした、その時。
ごとん。
「……え?」
あまりに突然の出来事に椿は素っ頓狂な声を出す。…東の首だけがきれいに落ちたのである。まるで、椿の花が落ちるように…
「何だ…う、うおっ」
首を失った東の体が倒れ込んでくる。慌てて這い出して両手以外は自由の身となる。不意に気配を感じハッと振り返ると、そこには椿姫が静かに立っていた。
「…助けてくれたんだね」
「ええ…でも本当は、こんな力、椿様の前では使いとうございませんでした。…椿の精の代表たる力がこの‘花落としの術’なのです」
「花落とし…」
「自分よりも妖力量が少ない相手ならこの力は使えるのです。…これが椿の精が恐れられる最たる理由です」
そこに足音がしたかと思うと菊池が現れた。
「嫌な気配がしたと思ったが…もう終わったあとか」
「椿様…わたくしのこと、怖いとお思いになるのでしたら…」
「思わないよ。こうやって助けてくれて。嬉しいよ、ありがとう」
椿姫は感激したように顔を覆い、照れ隠しかそのまま猫の姿になり椿の影に戻ってしまった。
「椿姫の力の一端とはいえ、すごいな…ほぼ抵抗できないからな、あれは…」
そう言いながら無様に転がった東の首を眺める菊池。
「殺しちゃったから…もう話やらが聞けないんすかね…」
「いや、そんなことはないぞ。寧ろ綺麗に残ってくれて嬉しいくらいだな。…死体の脳から生前の様子や記憶を見ることができる奴らがいるからな」
「怖…って、アイツ…モズ野郎はどうなりましたか!?」
椿はあっと思い出したように菊池に問う。
「見失った…が、おそらくもう心配はいらん。一人強力な応援が入ってな。そいつが恐らくなんとかしてくれる」
「そうですか、よかったです」
「立てるか」
「はい」
菊池は椿の手首を縛っている布を解き、そのまま抱きしめる。
「大丈夫だ。…お前のことは、責任を持って預かっている。何があろうと守ってみせるさ」
椿は菊池の温もりを感じながら、腕の中で頷いた。
*
「はあっ、ハァ、ハァ…なんとか撒ききったみてえだな…だがここはもうだめだ…巣を変えねえと…ン?」
百舌鳥の怪がそうつぶやいていると、カラスがこちらに向かって飛んできている。一羽二羽ではない。大群だ。やがて大群の中から、一人の男が現れた。喪服のような黒いスーツに身を包んだ長身の男。その腰には刀が下げられている。
バゴォッ!
怪物はその男をすぐに敵と判定し、翼によるパンチを叩き込んだ…はずだったが。
「グアっ!?」
いつの間に動いたのか。男の刀によって怪物の翼もろとも両腕が切断される。全く見えなかった。百舌鳥の怪物は震え上がった。
「頼む、頼む、見逃してくれ…もう人は襲わないと約束する…約束するから…妻が…子供が、いるんだ…」
「へぇ、お前みたいなやつに命乞いするだけの知性があるとはね」
男は冷ややかに言い放ち、ゆっくりと倒れている怪物に近づく。そしてその顔を覗き込み、嗤った。
「安心しろ。奥さんも雛も先に逝ってるぜ。お前を待ってるところだろうよ」
「――ッ!」
声を上げる間もなく、男は怪物の首を一刀両断した。百舌鳥の怪物は塵となって消えていく。
「さあて…俺も戻るかね。久々に内海と菊池とでも飲むか」
そうつぶやき、楽しそうに深い海のような色の目を細めた。
――第1章 騒乱の陸軍編 終わり