【第1章】11話「突入」
「…ハァ、ハアッ…畜生…あのクソ女め…」
椿は身体中を鞭に打たれ、あちこちにミミズ腫れができていた。椿は未だ椅子に拘束されたままであり、薄暗い地下室から身動きできないでいた。その時、部屋の扉が開く音がした。
「よお椿ちゃん。元気か?」
「元気そうに見えんの?」
「ハハ、そう睨むなよ、可愛い顔が台無しだぜ。ホラ、水」
そう言って差し出したのは、ご丁寧にもストローが差し込んであるペットボトルの水。口に近づけられると、椿は一気に水を補給した。
「ハア、七隈の奴。嫉妬しているからってこんなあちこちに鞭を振るいやがって…首にも顔にも跡ができてるじゃねえか…俺なら絶対こんなことはしないのにな?」
「何が言いたいんだよ」
椿は怪訝そうに東を見やる。東は帽子をかぶり直しながら言う。
「あいつ…七隈はな、お前に嫉妬してんだ。鏡の悪魔に寵愛されるのはこの世にただ一人だけ。それ以外の人間に悪魔は興味を示さねえだろうからな…特にあいつは鏡の悪魔のことを崇拝している。それなのに七隈はアリスに選ばれなかった…代わりに選ばれたのはいかにも世間知らずで態度の悪いガキときた。そりゃあ嫉妬の炎メラメラだろうよ」
「知るか。こっちだっていい迷惑だよ」
そっぽを向く椿を笑みを浮かべながら眺めていた東は再び椿に近寄った。
「…!?」
突然、東は椿の顎を掴み、ぐいと自らの方に顔を向けさせる。
「フフ…なかなか可愛い反応するじゃないか。顔もそれなりに良い。俺のタイプだ」
そう言って東は椿の太ももを撫でながら身体中をじっくりと観察し始めた。椿は身震いして思わず体が硬直する。御舟にじろじろと眺められたあの時を思い出す。
――怖い。
椿がそう思ったとき、再び扉の開く音がした。七隈である。
「東。貴方、いったい何をしているの?」
「チッ、いいとこだったのによ…水を飲ませてたんだよ。脱水症になられると厄介だからな」
「フウン、あ、そう。…さて椿さん。考えを改めてくれたかしら?選ばれし者として、鏡の悪魔を共に崇拝し、顕現を手伝ってくれる?」
鞭をしならせながら言う目の前の狐面の女に、椿は一切怖じけずに言う。
「絶対に嫌だ。アタシは呪い師だ。あんたらや鏡の悪魔…人に仇なすのかは知らねえけど…とにかく怪異を倒すのがアタシたちの使命だ。人に、社会に悪さするやつは全員やっつけんだよ!誰がこんなカルト宗教なんかに協力するか!」
一気に言い終えた椿を狐面越しに見ていた七隈は冷たいオーラを醸し出しながらため息をついた。
「東、そこをどきなさい。…まったくこんなに頭が悪い子だなんて…YESが聞けるまでやめないわよ。鞭に飽きたら、他の方法で貴女を責めてあげるから安心してね」
また鞭の暴虐に襲われる。椿はぎゅっと目を閉じ、体を硬直させた。
「師匠…姉ちゃん……助けて……!」
椿が小さな声で呟いたその時。
バゴオオオォッ!
凄まじい音を立てて広間の天井の一角が崩れた。そしてそこに現れたのは…
「し、師匠……!」
「呼んでくれて助かった。おかげでどこにいるかすぐに分かった」
すらりとした長身にカーキの軍服に身を包み右耳に勾玉のようなピアスを付けている男…菊池だった。菊池だけではない。菊池の部下や、憲兵、近衛騎兵の真田達もいる。清口が前に躍り出、紙片――式神を放った。その式神たちは紙片から海蛇に形を変え、東と七隈に襲いかかる。その隙に菊池が椿のもとに駆け寄った。
「椿。遅くなってすまない…ああ、こんなに腫れて…」
「師匠…アタシは大丈夫だよ…この枷外せますか?アタシには無理みたいで…」
椿がそう問うと菊池はきょとんとした顔になった。
「え?確かにそれは特殊な枷だが…君のいつもの怪力でどうにかなる代物だと思うのだが」
「……あっ!」
そう。椿の人間離れした身体能力とその怪力は、椿姫と契約する前からある。最近はハチの力を使っていたせいで、すっかり忘れていた。椿はまず両腕に力を入れ、手を拘束していた枷を破壊する。手が空けばそこからは簡単。胴と足を封じている枷も破壊し、自由の身となる。
その様子を海蛇を相手にしながら見ていた七隈が叫ぶ。
「まずいわ…アリスに逃げられる!」
「チッ…こうなったら…来い、監獄竜!」
東の叫び声に応えて2匹の監獄竜が現れる。菊池は椿を抱えると部下の元へそのまま猛スピードで駆け出した。
「椿!菊池さん!」
「この子を頼む。竜は私が相手する」
「私も行かせていただきます!」
椿を部下の元へ預けると菊池と百合は共に駆け出す。
「私は左を相手する。百合は右を頼む。…危険を感じたらすぐ退くんだぞ」
「はいっ!」
「くそ…どいつもこいつも…鏡よ鏡!この侵入者どもを全員とっちめておしまい!」
七隈が叫ぶ。すると広間からたくさんの鏡が現れる。そしてその鏡から数多の鏡獣達が呼び出された。
「僕はあの幹部2人をやる。…古賀一等兵殿。共闘願えますか?」
「無論だとも」
清口に応えた古賀は、その頭に獣――オオカミの耳がついていた。
――…オオオオオォゥーン……
古賀が遠吠えをすると、古賀の体は狼の毛に覆われ、狼人間のような姿を形取る。そのまま海蛇をようやく倒し終わった2人に猛突進していく。しかし、大量の鏡獣に阻まれる。その時、鏡獣の群れは突然炎に包まれた。
「佐々木少尉殿!」
「俺も助太刀させてもらうぜ」
佐々木はそう叫びながら口から火を吹く。鏡獣達の数があっという間に減っていく。古賀は炎を恐れもせずに前進する。そうして、ようやく東の目前まで迫る古賀。
「くそっ、このオオカミしつけえな…!七隈!援助するから術を――」
東は言葉を失った。そこにいた筈の七隈がいない。あるのは割れた鏡だけ。
(くそ!逃げやがった!転移の鏡はもう完成していたのか!?)
「よそ見してていいのか?」
古賀の言葉にハッとなるも、爪による攻撃を避けきれず顔に大きな傷を負う。
「ガアアアッ!」
余りの激痛に東は顔を抑え、血飛沫を上げながらふらつく。そこに清口の海蛇型の式神が東の首に絡みつき、意識を失わせる。古賀は東の両手に持っていた手錠をかける。
「帽子屋を確保した。…鏡獣どもの殲滅に移るぞ!」