【第1章】10話「勇者の伝説」
「ん、んんぅ…」
いつの間にか眠りについていた椿はゆっくりと意識を浮上させた。そして体に違和感を感じ目を開ける。椿は椅子に拘束されていた。手首と足首、そして胴を椅子の枷に拘束されているという具合だった。何があったのか椿は痛む頭でできる限り思い出そうとする。…確か自分は…腹に監獄を持つ竜に捕まって…それから…
「ようやくお目覚めのようね。その椅子は座り心地がいいでしょう」
聞こえてきた女の声に椿はハッとして顔を上げる。そこには自分を攫った帽子屋と、狐面に赤いワンピースドレスを着た女。
「まずは自己紹介ね。私は七隈 冬。この教団では“ハートの女王”なんて呼ばれてたりするわ。こっちが東 圭一。見ての通り“帽子屋”よ」
「ちょっとちょっと、なぁんで俺の名前も言っちゃうかなあ…出さないでおこうと思ったのに…」
「あら、そうなの?でも言ってなかった貴方が悪いわよ。…さて、そこの貴女…椿、といったかしら」
「…ンだよ、これ外せ」
「まあ、全くもって言葉遣いがよろしくないわね。初対面の相手には普通挨拶でしょう?」
「ふざけんな。何が挨拶だよ。人のこと攫っておいて」
「そうね、確かに多少強引だったわね…非礼はお詫びするわ…でも怪我は治してあげたのだからそこは感謝してもらいたいわね」
狐面を着けているせいで女…七隈の表情は読めない。その時椿はハッとしたように心の中に問いかける。
(ハチ…ハチ!おい、聞こえてないのか!?返事してくれ!ハチ!)
「もしかして椿の精霊…“椿姫”をお呼びになってるのかしら?」
見透かしたように言う七隈を椿が見つめる。
「その椅子、精霊や悪魔を調伏するための椅子なの。だからその椅子に囚われている間は力は使えないわ、なんたって封じの枷なのだから」
椿は舌打ちした。椿が強いのは椿姫――ハチの力を借りているからなのであって、それ以外は身体能力抜群というだけの一般人にすぎない。
「なあ、何のためにアタシを攫ったわけ?ハチ…椿姫の力が欲しいのか?」
そう問う椿に、七隈はわずかに考えるような仕草をしたあと、逆に椿に問いかけた。
「貴女、私たち鏡鳴教の一番の目的はご存じかしら?」
「そりゃあ…えっと…鏡の悪魔の召喚」
「ええ、その通り。貴女は鏡の悪魔を喚び出すための重要な鍵なの」
「…鍵……?」
「白ウサギ…八木と彼の鏡獣と戦ったことは覚えているわね?あの時、鏡獣は貴女のことを攻撃できなかったでしょう」
八木との交戦はまだ記憶に新しい。…確かにあの時、今思い返せば不自然なくらい鏡獣たちは寄ってこなかった。そして、大刀洗の突然の停止。
「貴女方は鏡獣の支配に対抗した元の体の持ち主の自我による妨害…とでも考えたかもしれないけれど、実際は鏡獣は榊原椿を襲えないということの証明よ」
「違う。アレは大刀洗さんの抵抗だ」
「…まあ、どちらでもいいわ。それで、どうして鏡獣たちは貴女を襲えないと思う?」
全く身に覚えもないしピンともこない。そんな椿を見てか帽子屋――東がくつくつと笑った。
「お前もしや、鏡の悪魔の伝説を知らないな?」
「伝説…?」
「知らねえんだろ。んじゃ俺が教えてやるよ」
帽子屋はそう言うと、その伝説を語り始めた。
*
今から数千年前。ひとりの少女がこの世界に落ちてきた。彼女の名は愛莉珠。そんな彼女を最初に見つけ、共に行動する仲になったのが鏡の悪魔だった。少女はこの世界を「不思議の国のよう」と言った。鏡の悪魔と協力し元の世界へと帰る方法を探しながら、アリスは海渡り(世界と世界を跨ぐこと)で手に入れた力で各地の人に害なす怪異を祓って回った。強力な呪い師となった彼女は、「勇者」と呼ばれるようになった。
しかし、そんなアリスを危険視する勢力が現れ、彼女を暗殺する計画が練られた。それをいち早く察知した鏡の悪魔は、大切な友であるアリスを守るため、弱い自分の力を鏡で反射させ大きな力を得ようとするも体が保たず失敗、暴走した。勇者アリスはそんな鏡の悪魔を止めるため対峙、相討ちという形になる。死の直前、彼女らは誓う。生まれ変わったら、次こそはずっと一緒にいようと。
*
「……というのが鏡の悪魔、そして勇者アリスの伝説だ。これで分かったか?鏡獣たちは鏡の悪魔の眷属。主人の大切な人は襲えない。つまりお前はアリスなんだよ」
「ちげえよ、榊原椿だよ」
帽子屋は深々とため息をついた。その代わりに七隈が口を開く。
「人の魂は輪廻する。アリスの生まれ変わり、もしくはアリスの魂の器になりうる人物。それが貴女。人間の輪廻転生は記憶も人格も変わってしまうけれど、悪魔は違うわ。まったくもって同じ状態で、寧ろ強くなって生まれ変わるの。…鏡の悪魔を呼び寄せるにはアリスは必要不可欠。だから貴女にはここに来てもらったの。帰すわけには行かないわ」
きっぱりと言い切った七隈を椿が睨みつける。
「帰すわけにはいかないって…全部そっちの都合じゃねえかよ!鏡の悪魔を召喚して、鏡の世界とこっちの世界つなげて何するんだよ」
「鏡の世界とこの世界。交わればきっと素敵な世界になるわ。伝説では鏡の悪魔の体は大きな力に耐えきれなかったけれど、今は違うわ。力に順応した体を手に入れている。鏡の悪魔は今や神をも超える全知全能なの。彼女ほど世界の長にふさわしい人物はいないわ。
…だから安心して。鏡の悪魔はきっと貴女を大切にする。私たちも貴女を殺したりはしないわ。それに、貴女がここに留まってくれると誓ってくれたなら、貴女の仲間達…民間人には手を出さないって約束してもいいわ。どう?」
鏡の悪魔について興奮したように話す七隈。椿はここがカルト宗教であることを思い出す。そして、七隈の提案の答えだが――
「いいや、絶対に誓わない。アタシらの目的はお前らをぶっ潰すことなんだよ。鏡の悪魔なんざ絶対に顕現させない」
「……」
「ハッハッハ、ガキのくせになかなか言うなあ」
七隈は黙り、東は笑う。七隈は何処からか鞭を取り出した。
「そう…話したら分かるようないい子だと思っていたのだけれど…私が思っていたより頭の悪い子みたいね」
鞭をしならせながら近づいてくる七隈。椿は体を仰け反らそうとするも、拘束椅子のせいで身動きできない。
「おい…アタシに手出さないんじゃなかったのかよ」
「手を出さないとは言っていないわ。殺さないって言ったの。それに傷ならつけても癒せばいいだけのこと。…それに、これは教育の範疇よ。鏡の悪魔を悪く言うことは許さないわ」
そうして、七隈は鞭を振り上げた。東は相変わらず暇そうに欠伸をしていた。鞭が、振り下ろされる。