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練習1

作者: 世識
掲載日:2023/04/15

俺の朝は早い。早朝四時にはもう起床の為のアラームが響いてくる。もしもアラームの音でお嬢様が起きてしまわぬよう、昨晩もしっかりと無音の振動のみの設定にしていたおかげで今日の朝も静かなものだ。

 まず最初に取りかかる仕事はお嬢様の健康第一、一日のやる気第二の朝食作りの下ごしらえです。昨晩に全て終わらせられたらそれが一番なのですが、生憎とそんな生半可な料理ではお嬢様の肥えてしまった舌を満足することは出来ないのです。ああ、面倒なことだ。

 おっと

 おかげで俺の料理の腕が日々上達するという喜ばしいことだ。うん。おかげで十年前では包丁さえ満足に振るうことができない情けなさだったが、今では数十種の包丁を使い分けるまでに成長することができた。片付けが面倒、

 いけない、いけない

 サクッと最低限の朝食の準備が終わると、次に俺の身支度が始まる。といってもそこまで入念なことをする訳では無い。所詮俺は使用人の立場の人間。お嬢様のような外界で活躍するような生き方はしていないので、香水やスキンケアなどおしゃれに気を遣う必要もない。しかし最低限、清潔に見えるようにはしなければいけない。 

 時間にして十分。俺の準備なんてものはその程度だ。その程度で充分なのだ。

 次にお嬢様の今日の一日分の準備。本人の下ごしらえは後々として、お嬢様のお仕事に必要なものは数多くある。いわゆる探偵七つ道具というのだろう。明らかに七つどころか百を超える数の道具をトランクに詰め込む。難しいのは、屋敷に保存している合計二千個以上ある道具の中から選ばなければいけないと言うことだ。その中にはお嬢様ご自身で買われたり作られたりしたものから、先祖代々受け継いできた道具まで様々だ。

 本当、迷惑極まりない家族

 失礼。しかしこればかりは文句を言ってもいい気がするが、まさかお嬢様に面と向かって「不必要な道具が多すぎます。今すぐ2993個の忌々しい呪いの道具を廃棄しましょう」と言える訳がない。逆に俺がその一個の忌々しい口うるさい道具として廃棄されてしまう。 なので先祖の墓に対してひっそりと文句を言うだけに留めておくこと。これ、夜死家のルールなり。俺が勝手に作ったんだけど。

 正直、この探偵七つ道具を選ぶ為だけにこんな朝早くに起きている(起こされている)といっても過言ではない。この作業でゆうに二時間も時間を費やすこととなる。

 しかしいつまでもグチグチと心の中で小言をいうのも疲れるものだ。俺のこの早朝の作業のおかげで、間接的に救われる人がいると思えば、いくらか晴れやかな気分になるというものだ。もっぱら、罪人の罪の告白として救われるのだが。

 人の集中力を超える時間を費やし、お嬢様の大事な道具の準備が終わると、いよいよ朝食の準備に本格的に取りかかる。

 問題は?

 特になし。もう慣れた。今なら音楽を聴きながら上の空でも出来上がるほどだ。……いつか失敗してしいうそうだが、そうなったらそうなった時に対策すれば良いだけの話。

 朝食が冷めようが気にせずに(もとより冷めてしまうような時間設定をしていない)皿に盛り付ける。そして最後にお嬢様専用の箸を漆喰の箸置きの上に置く。お嬢様は生粋の日本人の誇りを大事にしているので、箸という存在は食事の際には必要不可欠なのだ。

 ギシッと床が軋む音が出ないようにそっと階段を上り、お嬢様が寝ている部屋へと向かう。いい加減、緩衝材として絨毯の一つでも敷くことができれば御の字なのだが、なぜかお嬢様はあのふわふわな絨毯が嫌いなのが。ちなみに、俺も掃除がしにくいので嫌いだ。相思相愛と言うのだろう。言うのだろうか?

 腕を持ち上げ、扉にノックをしようと構えたまま、暫くの間、中の様子を音だけで観察する。俺の体から発せられる音を極力消し、聴覚を最大限まで研ぎ澄ます。

「……………………………………………………よし、……お嬢様」

 意を決するように(この場に第三者がいればまさにそんな感じの俺だっただろう。いつもそうだ)俺は扉の上にくっ付いている『キレン』と丸文字で書かれた看板の下を叩く。「お嬢様!朝になりましたよ!」

 ………………………………

 当然だ。問題ない。これこそ毎日の出来事だ。お嬢様は世界有数の低血圧所持者かと思うほど朝が弱い生物なのだ。最初の世話においては、このお嬢様特有とも言える性質に悪戦苦闘させられたが、今ではもう慣れたものだ。一日の七つ道具選びの次に困難かつ簡単な作業だ。

 俺は、また昨晩新しい錠前を買ってきたのであろうソレを見つめ、

「はぁ、オッケー。ま、いつものこと。少々厄介そうなだけだ」

 と言いながら、ポケットから俺自慢の解錠道具を取り出し(これは正真正銘俺の七つ道具である。七つ道具と言いながらこの一つしか所持していないので、一つ道具か?)四重にもロックが掛かった扉を開ける。

 今の俺はまさしく軟禁状態になることができた御姫さまを誘拐する勇者の気分だ。実に甘美といえるだろう。

「お嬢様!毎度の事ですが、お仕事に遅れてしまいますよ。さあ、起きて」

 と言ってはみたものの、しかしこれもいつもの風景と誰かが言わんばかりに、我が愛しの(恐怖の)お嬢様は、まるで自分の恋人を絞め殺すほどに離したくないというようにして布団を抱いたまま、横顔に涎の跡を残しながら寝ている。その顔は、猫を愛でているような気にさせるほど幸せそうな顔をしているが、その実、その布団を洗う人間には、またか、という倦怠感を感じさせる。(ああ、勿論その表情から幾ばくかの偽りの幸福も分けて貰っている)

「さ…て、やるか」

 俺は十本ある手の指の内、一番マシな指(傷が浅いとも言う)を選び、その指に巻き付いている包帯を取る。その指は若干治りかけな状態になっており、しかしハッキリと、その皮膚の下にある組織が見える程度削り取られている。

 俺は他の指を巻き込まないようにしながら、右手の人差し指をお嬢様の小さく可愛い(と世間では評されている。俺はそうは思わないが)口の中に無理矢理入れる。

 最初に感じるのは、生暖かく柔らかい感触。お嬢様の舌が俺の人差し指を舐るようにしてまとわりつく。それはまるでこれから味わおうとしている食材の味見をしているかのようにして。

 まるで、というのはオカシな言い回しだ。今から俺のこの指は食されるといっても過言では無いのだから。

 散々お嬢様の舌が俺の人差し指の味を堪能した跡、次に感じたのは鋭い痛みと、(たぶん、カルシウム同士が擦れる音)

「………………」

 俺は口を固く閉じ、その痛みに耐える。人差し指以外の指が痛みで震えているが、今ではもう見慣れた光景になってしまっているので笑える光景と言えるだろう(そう思わないとやってられない)

 散々、散々、散々、俺の指を噛み絞ったあと、遂に我が主であるお嬢様は

「ぶへぇっ!…………うぇ……血の味」

「そりゃあ、血、ですから。おはようございますお嬢様。さ、とっとと起きて仕度して下さい。お仕事まで残り二時間しかありませんよ」

「二時間もあると余裕だと思うけど」

「その時間で朝の仕度朝食準備通勤をすると、今から急がないと後々後悔しますよ。と、いつも言っているのですが、今日も俺の指を堪能したようで」

「うん、とっても、苦かった」

「絶対、お嬢様は…………」

 将来カニバリズム趣味になりますよ。

「何?言いたいことがあるなら遠慮なく言ってよ。と、いつも言っているよね?」

 そうですね。

「そうですね。さ、着替えぐらい自分でして下さいよ。俺がお嬢様の裸を見るのはドレスを着る時ぐらいで充分ですから」 

 と言いながら、俺は布団が赤く染まっている原因を包帯でぐるぐる巻きにする。応急処置とも言えないが、これ以上床を汚すことになったらそれこそ面倒ごとが

 ……なんでもありません。そう、これ以上お嬢様のお部屋を汚すのは使用人として防ぐのは当然なのだ。

 適度に溢れ出る血が止まったのを確認すると、俺はそそくさとお嬢様の甘ったるく純白の部屋から出る。

 後ろから「鉄分の臭いだぁ。……眠くなりそう」と言っているが、

「寝ないで下さいね。今丁度、冷凍庫に豚の血液が保存してあるので、今度寝たらその沸騰させた血を飲ませますからね」

 と、一応保険の言葉を投げておく。多分、大丈夫だろう。(この多分の勝率は八割ぐらいだ)

 お嬢様の部屋を後にし、俺はいそいそと甲斐甲斐しく朝食の最終準備に取りかかる。

 数分ほどたった後、お嬢様は千鳥足で階段を降りる。俺はその様子を階段の下で見上げる形で覗いていたが、なんとも危なっかしいものだった。昨晩は酒など飲んでいなかった筈だが。

「お嬢様気をつけて下さいね。俺、そこまで運動神経よくありませんから、お嬢様が落ちてきても受け止められませんよ」

「うん、……うん、、、、うん」

 俺の話を聞いているのか聞いていないのか分からない様子で、一歩一歩と、危なっかしい様子ではあるが着実に階段を降りていく。

 まあ大丈夫だろうと見切りをつけ、お嬢様専用の椅子を退いておこうと視線を横にずらした瞬間、やはりというかそうなるべきか、お嬢様は位置の違う、二段先の段を踏むように、空中に存在するガラスの板を踏むように、大きく踏み出したその右足が空を切る。

「やっば」

 俺は四段先も飛び越え、お嬢様の落下地点で腕を大きく広げ、そのまま重力に抗おうとしていないお嬢様を迎え入れる。俺とお嬢様、二人分の体重を支える俺の左足はその慣性に負け、後ろへと踏み外すが、それを俺の右足がまるで「あとは任せときな」と言うようにして体重を支える。

「………………だから言ったじゃ無いですか。気をつけて下さいって」

「でも依衛、嘘ついた」

「嘘?まさか、俺がお嬢様に泥棒の始まりである嘘などと。そのようなことがあろう筈がありません」

「反射神経、あるじゃない。じゃ、このまま連れて行ってね」

 そしてお嬢様はそのまま、俺の腕の中で眠るように目をつむった。

 いや、あの、このままの態勢で連れて行くってのは、なかなかにどうして難しい注文をしますね。反射神経じゃなくて器用さが必要ですよ。

 しかし俺にはそんなものは無いため、そのまま、お嬢様と向き合ったままの状態で、お嬢様と正面から抱き合ったままの状態でホカホカと湯気を立てているであろうダイニングへと連れて行った。



 慌ただしい朝が終わり、なんとかお嬢様を仕事へと誘ったあと(アレでいてお嬢様はゴールドクラスの安全運転が出来るのだ。普段の生活から安全運転をして欲しいものだが)俺は静かになった屋敷の掃除に取りかかる。まずは朝食の食器洗いから始まり、お嬢様の部屋以外の掃除まで。お嬢様の部屋には、必要不可欠な用事以外では立ち入り禁止を受けている。俺としては掃除はその必要不可欠な行為だと再三言っているのだが、お嬢様はそれを頑固として容認しない。

 以前黙ってお嬢様の部屋に入ったら、お嬢様がまるでどこかの神になろうとした高校生バリな小細工で俺の侵入を看破したことがあった。

 掃除が終わり、俺は集まったゴミかすを持ちながら階段に座り込む。ここまでくればあとは別段、急ぐ必要のある用事、仕事は無いため一段落できる。

「…………はぁ………………」

「何世界中の気苦労をその身に集約したみたいなため息してんのよ。そんなんじゃいい美男子が台無しよ?」

「いつものことだけど、どっから入ってきてんの?今朝も一通り施錠は確認したんだけどなぁ。いい加減もっと複雑な南京錠でも取り付けないといけないか?」

 俺の背後、俺の座っている数段上に彼女はいつものようにして、自分の愛玩具を持ち歩くようにして黒箱を側に置いて座っている。その、俺を見下したような視線が気に食わないようで、でもなぜか安心感があるその眼差しは眺めていて気分がいい。

「多分お金と苦労の無駄よ。まあ、それ以上の無駄があなたにはそうそう無いでしょうけれど」

 といって彼女、看葉は俺の右手を顎で指す。正確には、俺の右手の血に染まったままの人差し指を。

 俺は黙ったままに、頭上を越えるようにしてこの指を看葉に見せる。彼女は慣れた手つきで俺が無造作に巻き付けた包帯を解く。

「うわっ、これはまたひどいもんだねぇ。アンタんとこのペット、猛獣、ちゃんと餌やってる?いくら飼い主でも飢餓状態にまで追い込んだら動物愛研究部門のあたしが許さないよ?」

「餌って。ちゃんとご飯は栄養エネルギー全てにおいて完璧と言えるものだ。まあ俺がお嬢様に持たせた弁当をちゃんと食べていてくれたらな」

「完璧ねぇ。完璧って結構危うい言葉だと思わない?何をもってして完璧と言えるのか。自分からみたら完全無欠の完璧ちゃんなのかもしれないけれど、他の第三者第四者からみたら完璧からはほど遠いものと認識されたり。私たちの意思がコンピューターで統合でもされない限り、思想が合同にでも鳴らない限り完璧なんてものは存在しないんじゃないかって思うのよね、あたしは。でも、あたしから見たら、あんたは完璧にしている感じじゃない?」

「俺は完璧じゃないよ。いくらお世辞でもそこまでの人間じゃないって」

「そうじゃなくって、関係のこと」

 俺は、黙ったままで看葉の治療を受ける。右手を挙げたままなのは正直だるい

 よろしくないな。そう、筋肉の消費が激しいが、看葉はありきたりにいうと腕の良い医者なので(本人としては医者という認識ではないのだろうが、俺からしたらそれこそ、彼女は世界で唯一の完璧な医者だ)疲れたと思った時にはもう直っているのが常だ。

「楽しみね、あんたのお嬢様。三日後、十三日の金曜だっけ。結婚式。最高の日付よねぇ」

「日付なんて意味の無いものだ。誰かが言ってたけれど、十三日の金曜ってのは結局、その次の日の土曜が十四日という意味でしかないんだよ」

「でも、そこに意味を求めるのは人間らしいじゃない」

「なら看葉は人間じゃないってことだな。なるほどだからここまで拒否しているのに我が家に侵入してくるのな」

「ごめんなさいね。あなたたちの愛の巣を荒らしちゃって」

「ホントに」

 本当に。でもこうしてお嬢様が屋敷を出るまで待っていてくれているのはある意味彼女なりの良心、気遣いなのかもしれないが、俺としては正面きって、玄関から入ってきてくれると嬉しいのだが。油断ならない。

 結婚式。看葉の言葉が俺の頭の中で反芻する。

「結婚式、か」

「良かったじゃない。これで晴れて長年のあんたの夢が叶うのよ?努力が報われるってのは本当のようね。今まで影でひっそりと彼女の姿や考えを妄想して自慰する必要もなくなるってことね。だって結婚式と言えば素晴らしいって皆思っているけれど、実際は他人に二人の愛情を示すと同時に牽制しているってことよね。夫にしろ嫁にしろ、手を出すなって警告が結婚式の本分じゃない。今まで甲斐甲斐しく世話をしてきたあなたにもいい加減巣立ちの時期、もとい独り立ちの瞬間が前の前ってことね。新しい女の尻を追いかける言い訳が出来たってことね」

「うるせぇよ」

 見えない後ろの彼女に向かって裏拳を放つが、俺の拳は空を切る。見ると、彼女の姿は既になく、そして俺の右手にはキスマークのはいった包帯が丁寧に巻かれていた。

 俺はその跡が残っている部分の包帯だけ切り取り、乱雑に締め直す。

「本当、人間じゃねぇのかもな。…………結婚式、か」

 俺は一体、その言葉にどんな感想や意味を付けているのだろうか。

 看葉の言うとおり、夫婦の牽制とみているのか、自身の独立とみているのか。それともそれ以外か。

「なんにせよ、意味の無いことだよなぁ。あーあ。探偵どおしの結婚式か。牢屋ん中にいる罪人達には恨めしい夫婦になるだろうな。ま、俺には関係ない事だけど」

 俺は床に置いていたゴミ袋を持ち上げ、この後どのようにして過ごすかを考えた。

 一応、考えた。多分それは意味のない、周囲の自然の流れでかき消されてしまうようなものにしかならないが、でも一応考えた。この先の、不確定な未来を。

 俺の、お嬢様との十三年続いた生活の終止符の到達点を。



 日陰者の二日前。

「まあ、別に期待なんかしていなかったけれどさ。この後俺の悠々自適なお嬢様ご帰還までの自堕落生活なんか、全然全くこれっぽっちも想像していなかったけれどさ。でも、こんな時期まで俺んところに来なくてもいいだろうが」

「そう言わずに!頼むよ!この通りだお代官様!」

 今朝の作業があらかた終わり、その作業の終わりを告げるかのようにして屋敷に響いたチャイムによって出迎えてみると、そこには太陽の日の下で土下座している男がいた。その短髪の手前には高級菓子が置いてあった。俺は神かなんかなのだろうか。

「頼む!俺には頼れるのがお前くらいしかいないんだ!」

 と言いながら、まるで教科書にでも載っているかのように綺麗な土下座を続ける男。正直そのフォームだけなら拍手喝采を送りたい所だが、生憎とこんな周囲の面前を集めるような光景は俺の望む所ではない。これもこいつの悪知恵だと思うとますます屋敷の中へと招き入れるのを拒否したくなる。

 俺はこの地に伏せた男を無視し、そっと静かに地面に置いてある菓子の箱を開ける。中にはケーキの大御所、有名店の烙印入りのチョコがケーキの上に堂々と乗っかっていた。こいつ、俺が食べ物を大事にする、もとい、ケーキの生クリームが溶けるのが我慢ならないということを知ってこれを準備してきたのか?そうだとするならますます、ますます

 ……………………

「まあ、中入れよ。これは今晩のお嬢様のおやつにするとして、消費期限の切れたクッキーぐらいあるだろうし」

「よし、んじゃまお邪魔しまーす」

 と、さっきまでの誠意はどこへやら、青年はすぐに立ち上がり、さらにはおでこをさすりながら「砂利付いちまった」とかほざきながら堂々と、俺の横を押しのけるようにして屋敷へと入っていく。

「やっぱりあいつは入れるべきじゃなかったか。ま、あと三日と思えば多少は許せる、か?」

「なぁ、今日はホットな紅茶を頼むぜ!」

 と奥から(既にいつもの定位置であるソファに足を組んで座っているのだろう)声が聞こえる。

 やはり仲歳は現段階でもブラックリストに入れるべき人物かもしれない。喜べ、この屋敷発のブラックリストの作成理由がお前の侵入を拒む為だ。看葉でも今まで作ろうとも思わなかったほどなのに、よほど俺の怒りを買ったようだな。たとえお嬢様が許しても、俺はお前の脚を鉈で切り取ってでも入れさせないだろう。今日限りの厚い歓迎を楽しむんだな。

 と思いながら、俺はケーキを冷蔵庫にしまってから、仲歳の要望どおりにホットで火傷ものな紅茶を用意してから(当然、屋敷にある一番安物の紅茶を。今まで存在自体を忘れていたほど)俺は仲歳の向かいに座る。

「依衛はいらねぇのか?」

「そもそもお前がそんな態度でいるのは不合理だからな。お前のつまらない話に付き合ってやろうとしているのに、どうしてそこまで不遜に構えることが出来るのか。俺には皆目見当がつかないな」

「はっ、不合理?そんな言葉は俺には通用しないなぁ。というか世界そのものに対して不合理というのは不適切な言葉だ。というか不合理という言葉自体、存在しているのがおかしいぜ。というか、世界で起こる全ての事象は不合理と言える。合理的な物事が果たしてあるのかって話だぜ」

「前置きはいい。いつものつまらん概念的な話は拒否。で、今度は何だよ。また奥さんに殺されそうになったのか?前回は誘拐されたんだっけ?」

「あの時の話はするな。俺にとってはアレは暗黒時代ものな話だ」

 と言いながら仲歳は俺の入れた紅茶をイッキに飲み干す。せめての意趣返しとして熱々で出したのに、俺の抵抗虚しく、仲歳は何ら問題なくそれを飲んだ。テーブルの上に吐かれても困るが、せめて苦悶の表情でもしてくれれば多少は俺の溜飲も下がっただろうに。「じゃあ、今度はなんだよ」

「実は、憐がが浮気しているんじゃないかって思うんだ」

「ほう、浮気な。良かったな良い代で。今では適当にネットの探偵が浮気調査をしてくれるそうだ。さらにはその調査している探偵が調査対象を寝取るまでのオプション付きだ。俺が適当に紹介してやろうか?」

「いらん。というか、そんな簡単な話なら俺が気付く筈だ。なあ、お前も憐の事は知っているだろう?お前から見て、憐は浮気していると思うか?」

「正直……知らん。俺に他人の家庭状況を知るほどの余裕があると思うか?さらに近頃の日程に大事な用事があるというのに。本人に聞けよ」

「聞けるかよ」

「聞け」

「聞けん。と言うわけで、お前に調査をお願いしたい」

 何がという訳でだ。一体仲歳は俺の事をどう思っているのだろうか。何でも屋とでも考えている訳じゃあるまいに。

「言っておくが、というかお前も知っての通り、俺はこの屋敷からは一歩も出ない。だから探偵よろしく尾行なんてものは出来ないし、そもそも憐に会うこともしない」

「出ないじゃなくて、出られない、だろ?全く、お前んところのみやびで優雅なお嬢様も相当な独占姫だよなぁ。もう十年以上もこの屋敷から一歩もお前を出させないくせに、自分は勝手に自由に気楽に外で男どもと一緒になって話したり食べたり飲んだりしてんだもんなぁ」

「黙れ」

 俺はテーブルをしたから突き上げるようにして蹴り上がるが、仲歳はソレをひょいと立ち上がりながら躱す。さらにはその横になったテーブルの上に座り、俺のいらだちをかき立てるような挑発をする。

「なんだよ、俺と喧嘩しようってのか?俺はそれでも結構だけど、後で血まみれになったお前が掃除すんのが大変だろうぜ」

「ほざくな。そこまで強くないだろうが」

「そういうお前こそ、ずっと引きこもって世界の強さを知らないくせに、よく言うよ。……ま、はいはい、悪かった悪かったよ。別にお前との力強さを証明しに来たんじゃないんだしさ。どうどう、はい、深呼吸」

 仲歳はそう言いながら足を床から離し、バランスを取りながらテーブルの上であぐらを組む。そういうのが周囲を挑発するっていうんだよ、バカ。

 ……深呼吸がいるようだ。仲歳の良いなりになるのは良い気分ではないが、確かに暴れるのはよろしくない(というかその後の掃除片付けするのが億劫だ。こいつは絶対に手伝わないだろうし)。

「……で、お前が憐を浮気していると思った根拠は」

「おっ、やっと聞く気になってくれたか。全く、安楽椅子探偵様のご機嫌を取るのも大変だぜ。というか軟禁探偵か?というかさっさとお代わりの紅茶、くれないか?」

「ずうずうしい。なんだよ、安楽椅子探偵って。探偵は俺じゃ無くて、むしろお嬢様の法だ。本業だし」

「俺に言わせれば、お前の方がよっぽど探偵向きだと思うけどなぁ。こんな狭苦しい…おと、立派で豪華で住み心地の良い場所にいても何でも解決するんだから」

 俺が足を軽く上げ、無言の脅しをかけると仲歳は言葉を訂正した。しかしその探偵という部分は訂正しないらしい。全く、そんな仰々しいものじゃないんだがなぁ、俺は。

「何でも解決はできない。俺は全知全能なんかじゃ無いんだから。それはむしろお嬢様の方だ」

「なんだよ、お前のお嬢様は全知全能で安楽椅子の探偵ってか?つまらんな」

「いいから、さっさと話せ。この後にも用事があるんだ」

 こいつと話していると、まともに話が進まず、結局ただ無駄話をして帰っていく事に鳴ってしまう。俺の貴重な時間をその程度に使ってなるものか。

「無いくせに。いいぜ、えっと、浮気の根拠だっけか?根拠って言うほどじゃないんだけどさ、最近、憐、甘いんだよ。苛烈なほど甘くて、でもそうかと思うと時には悪食で、そんな感じ」

 全く分からん。

「全く分からん。甘くて苛烈で悪食で?さすがのお嬢様の推理でも、最近暴飲暴食の中年太りでもされているんですかという推理ぐらいしか出来ないぞ?」

「あー、まあぶっちゃけて言うと」

 と仲歳は今まで座っていたテーブルを、器用に座ったまま元の位置に戻しその上に座り直すという曲芸師さながらな芸を披露して(そしてソファに座っていたときよりも俺の眼前に迫り)、少し維持の悪い、今から悪戯でも実行しようとしている少年のような顔をしながら

「昨晩だと…俺が憐のやや大きめの膨らみを押し上げながら…片方の手で憐の頭の固定してじっくりと愛撫していると…いつもなら憐は俺のなすがままに身をよじりながら俺の耳にまとわりつくような声を出すのに…昨晩はあろうことか俺の耳を舐るように卑猥に…その潤んだ唇をそっと近づけて…」

「あ、いや、いい。結構」

「なんだよ、まだ全然話していないぞ?まさか恥ずかしさのあまり聞きたく無くなった、とか?」

 ちげぇよ。

「人の口から話されても、正直面白くないな、と。やっぱそういうのは小説で読むのがいいわ。単刀直入にいうと、聞いていてつまらない。あれだろ?夜の発情した憐がいつもと違うと」

「お前、他人の妻のことをよくそんな風に言えるなぁ。まあそうなんだけど」

 色々と言いたい所はある。そんな夜の情事のことを話されても、普段の様子も知らないのにどうやって俺に浮気の判断をしろというのか。

 俺はこんなしょうも無い話に二十分も既に費やしてしまったのかと思うと、なんだか無性に周りのものを壊したくなる欲求にかき立てられる。

「はいはい、分かりましたよ。じゃあ俺に出来る程度のことで、憐が浮気をしているかどうかを調べればいいんだろ?」

「そうそう、そうやって大人しく言うことを聞いておけばいいんだよ」

 ……いつか仲歳の顔面に冷凍生クリームをぶつけてやろう。特製コショウ辛子キムチいり。

「一応言っておくが、お前の立場は客観的に誰かが見ても俺よりも低いはずだからな?俺に頼みごとをしている人間なんだよな?そうなんだよな?俺を頼ってんだよな?」

「なんだよ、どこぞの束縛恋愛人間みたいなことを言うなぁ。そうそう、この通りだ」

 と言いながら頭を下げる仲歳。ただ、テーブルの上で外の砂利が付いたその靴を履かなければ、さらに言うなら、その人を小馬鹿にしたような表情で無ければ納得しただろう。俺の他人に対して気の良い人格は、とりあえずの形でも請け負っただろう。まあ

「いいけど、さ」

「ひゅうー!さすが暇人」

 絶対憐の浮気の証拠を掴んでやる。そんでもってこいつがいかに大事にされていないか、必要とされていないか。精神的にも肉体的にもボロボロの状態で言ってやろう。

 ほら、お前の愛なんてこの程度の、お前達の間にあった絆なんてその程度のものだったんだよ、と。

 うん、その時の俺には至福と歓喜と他人を無下にする快感に溺れているだろう。

「じゃ、用事はそれで終わりだな?なら屋敷から出て行け。俺は忙しいのだ」

「はいはい。じゃ、憐のこと、頼むな。言っとくけど、手を出したら殺すから。言い訳を聞く前に、憐に触れた皮膚をもぎ取ってからその部分を火炎放射機で焼いてから殺すから。注意な」

 火炎放射なんてものをもっているのか?という疑問が真っ先に思いついたあたり、俺にも何かしらの共感するところがあるというのだろうか。それはなんとも俺の痛いところを突くような拷問だ。

 仲歳はテーブルから飛び降り(というか側に置いていた布巾でその砂利を拭き取るぐらいして欲しかった)、そのままの足で迷わず屋敷の玄関へと向かう。まるで己の知った庭の用に歩くその様子は忠犬を思い浮かべたが、忠犬というより達の悪い野犬なので悪い気分になった。

 仲歳は玄関の扉を開け、一歩だけ外に出たかと思うと、

「なあ、そういや結婚式、明日だっけ?」

「三日後だ。もし明日ならお前なんぞ屋敷に入れる余裕もないわ」

「依衛なら楽勝だろう。珍しいよなぁ。探偵なんて職業自体珍しいってのに、というか実在すんのって話なのに。というかお相手も探偵とか、なんの小説って話だ。というか極めつけは王子兼探偵って所だよな。絶滅危惧種認定される生物だよ。誉れある結婚、か?」

「そうだな。これでお嬢様との生活もいよいよ終わりとなると思うと、気楽だよ」

「ああん?てっきりお前は彼女の付き添いでいそいそと王宮についていくんだとばかり思ってたんだけど?そんでこの屋敷は俺のものになる筈だよな?」

 筈ではない。一体いつそんな約束をしたというのだろうか。この屋敷の所有は建設された始めから、崩壊する終わりまで夜死家の所有に決まっているだろうが。

「お前は行かないのか?あの女の尻を追っかけなくていいのか?」

「尻尻尻尻。そんなに俺は女性の尻を追っかける人間に見えるのか?」

「だって間違ってねぇもん。でも、まぁ、お前の大事な大事なお嬢様のあのお美しいお尻しか、興味ないんだろうけれどな。なら、お前はどうするんだよ?その後?俺と一緒にすむか?」

「夜中に憐との情事が聞こえないならな。……いや、たとえ聞こえなくても遠慮しておく。そうだな、ま、一人になったら考えるよ」

「三日後だろうが。もう考えとけよ。ずっと屋敷に引きこもっていたから社会の厳しさを知らねぇな、こいつ。ま、おめでとさんって伝えといてくれ」

「ああ、伝えといてやる」

 お嬢様、なんと本日お嬢様の結婚祝いとしてケーキを持参してきてくれた健気な野犬が屋敷を訪れたんですよってな。

「じゃ、調査よろしく探偵さん」 

 と仲歳は俺を見ずに手を振りながら屋敷を出て行ってしまう。

 はあ、やっと一人になれた。本当に、気楽で自由で、そして勝手気ままに動き回るやつだ。そんな仲歳が、少しだけ、本当に少しだけ羨ましく、思った。

「………………」

 俺は何を思ったのか、ゆっくりと、まるで子猫を驚かせないような緩慢な動きで右足を屋敷の外に出す。

 つま先が扉を超す。足裏が空を蹴り、そして踵が慎重に地面と接する。

「……くっ!」

 束縛、それは一種の感情でもあり行為でもありそしてなによりも呪いだ。

 王子兼探偵が絶滅危惧種だって?そうだな。そんなの絶滅以前に、最初で最後の生態系だろう。しかしそれと同等、またはそれ以上に世界は異常を愛している。異常を歓迎している。

「本当、何してんだか。俺にはマゾの趣味はねぇっての」

 足を屋敷の中へと戻すと、先ほどまで締め付けられた首の締め付けが、すぅっと消失する。

 世は静かにざわめいていた。

 王子の結婚というだけでも人々は騒ぎ立てるというのに、その結婚相手が殊更それをかき立てていた。

 王子と魔女との結婚。

 俺は、魔女の探偵に、呪われている。

 


 仲歳が騒々しく屋敷を出たと、俺は今晩の献立を一体どうするかを今月の献立表と一緒になって悩んでいると、本日二度目のチャイムが鳴った。そろそろ今日の食料調達係が来たかと思い、冷凍食品があるなら早めに出ないとなぁとか思いながら玄関を開けると、そこには地面に平伏し、その頭の上には白い紙箱を置いている女性がいた。なにげに腰まである髪が丁寧に整っているのを見ると、相当ゆっくりとこの態勢になったのだと予想できる。

「すっげぇデジャブ」

「依衛様。どうかこの下賤な私めにその優秀な頭脳を頼らせて下さい」

「ならまずは頼る前に自身で解決しようとして下さいな。あんたら夫婦は俺に頼りすぎ。全く、どいつもこいつも」

 俺は地面に置いてある(奇しくも仲歳と同じ場所に置いてあり、同じ場所で土下座していた)ケーキの箱を持ち、玄関を半開きにして屋敷の中へと戻る。

「……入れよ」

「んじゃ、お邪魔しまーっす」

「少しは遠慮をしろって、だから。まあ、もういいけれど」

 今更いった所で、こいつら夫婦には効果のない文句だ。やはり俺から見るとお互いお似合いという言葉がよく合う。

 本当、悪い意味でお似合いだよ。全く、似ている。少しは差別化というのをしろよと言ってやりたいが、たとえ言ったところで何かが変わるという訳でもない。

 彼女、憐は屋敷に入ると真っ先に屋敷のキッチンに備わっている冷蔵庫の扉を開ける。その様子はまるで自分の家に帰ってからお茶を取り出すようなスムーズな動きだった。無遠慮とも言う。」

「おっ、なんだぁ、もう同じ店のケーキあんじゃん。ならもう私の持ってきたケーキいらないよね?なら一緒に食べよう、依衛?紅茶入れてあげるからさ」

「あげるってな。お前にこの屋敷での振る舞いの自由権利があると思うのか?黙ってそこのソファにでも座ってろよ」

「ふっふーん」

 と、俺の話も聞かずに憐は戸棚に収納してあった紅茶(よりにもよって我が屋敷の中にある最高級の品を一発で発見しやがった)を取り出し、これまた勝手知ったる我が家と言わんばかりにポットのお湯を使い、紅茶を煎れる。

「あのな、人にお願いしにきた人間の行動じゃないからな」

「まあまあ。私、結構腕いいんだよ?黙ってそこのソファにでも座ってろよ」

 この艶やかな髪を思いっきり引っ張ってやりたい衝動に駆られたが、それを拳の圧力を高めることで我慢し、俺は憐の言葉のまま、黙ってソファに座ることにした。

 憐は器用に右腕では二人分の紅茶を、左手では四つのケーキ(憐が持ってきたケーキの全て。なにげに仲歳よりは品選びのセンスは良い)をトレイに乗せて俺の向かいに座る。「で、何?」

 やや呆れた声で聞く。ついでに憐の入れた紅茶も一口だけ飲む。地味に俺よりうまいかもしれないと感じ、いらだちゲージが上昇する。畜生、どうしてただの社会の社畜に使用人で日々鍛えている俺の腕が負けているのか。納得できない。才能なんてドブへと消えろ。

「結婚式、明後日だっけ?おめでとさん!」

「三日後」

「そうだっけ?まあ他人の結婚式なんてどうでもいいけれど。どうせ社交的な挨拶だし」

「ならその常套句を全部ひっさげて、本分だけ話してくれ。今俺は結構気が立っているんだ。主にあんたら夫婦にな」

「なんで仲歳まで関係してくるのよ。……あっ、もしかして嫉妬?しっとしちゃってる?ははーん、ついに依衛も大事で可愛いお嬢様がいなくなると思って人肌恋しくなっちゃったか。お姉さんがその冷たくなった肌も心も温めてあげようか?」

 と言いながら憐は服の襟をそっと広げる。そこからは白い肌とやや紅くなった跡が見える。

「いや、遠慮しておく」

「いや、遠慮しておく。なーにクールに決めちゃってんだか。男は皆獣にならなくっちゃ。こういうときは襲っちゃえばいいのよ。獰猛に苛烈に、ね」

「もし今ここで憐を押し倒したら、一秒もしないうちに仲歳がやってきて、獰猛に苛烈に悲惨に俺が殴り殺される」

「いや、多分公開処刑と言ってあそこお広場で貼り付けにして串刺しの刑、だろうね」

「なら誘うなよな」

「だって寂しいんだもん」

 と言いながら憐はケーキの半分を一口で食べる。寂しがっている人間のする食べ方ではない。というかよくあの量を口の中で噛めるなと感心してしまう。……まさかそのまま飲んでいるのか?

「寂しい?冗談。あんたら夫婦の間で寂しさなんてものが発生した日には、世界中の夫婦が寂しさを覚えているだろうぜ」

「だって、仲歳のやつ、多分浮気している、から」

 …………はぁ、頭の血流が下がっていく感覚がする。これはあれだ、面倒ごとを押しつけられた感覚だ。

 いや、まあ同じ日に二人が土下座してきた時点でなんとなく、勘が働いたが、しかしこうして自覚してみると、確信してしまうとどうにも俺が利用されているのが腹立たしくて仕方が

……深呼吸だ。すぅー……はぁ……

「大丈夫?」

「ああ、全く問題ない。……で、一応聞いておくけれど、どうしてそう思ったんだ?」

「およ?一応聞いておくけれど、なんて普段の依衛からそんな素直に聞いてくれるなんて、ああ、私嬉しいなぁ!」

「いいから話してくれ。今日はまだ全然仕事に手が付けられていないんだ。結構忙しいんだぜ」

「大丈夫、依衛ならもうあらかたの仕事は済んでいる仕事人間だと、私知っているから。えっと、まあ、」

 と仲歳と同じような顔をしながら(こういう所がお似合いなんだよなぁ)憐は話し始める。

「」



「うん、もういいよ」

「えっ、そう?これからが良いところなのに。あっ、もしかして照れちゃった?興奮した?」

「まあ、正直に感想を言うなら、アレよりはデキが良かった。聞いていられるものだった。変な雑誌の記者なんかやめて、小説家にでもなったら?多分偏狭的なストーカーファンが生まれると思うよ」

「アレよりって、どれと比べているのかしらないけれど、そう、ありがとう。で、そういうことなんだけれど」

「はいはい、仲歳が普段と違うんだろう?いつもの情事とは違っていたと」

「そうそう。よく言えました。撫で撫でして欲しい?」

 そんな猫なで声で言われても。目の前の女性は猫の皮を被った調教師と知っているので(仲歳から普段聞いている話からの推測、ではあるが。まあ当たっているだろう)警戒心しか生まれてこない。その甘い声につられるのはそこらの阿呆と仲歳しかいない。つまり仲歳は阿呆ということなのだろうか。もしそれを憐に言ったら、愛の鞭ではなく教鞭を執るだろう。仲歳が世界で最高頭脳を持っていると洗脳されてしまう。

「いらん」

「いらん。……ああ、依衛が欲しいのはお嬢様のお仕置きかぁ。なるほどねぇ」

「なるほどじゃねぇよ。俺はマゾの素質はないぞ」

「ええー、どうだかぁ?私の見識では結構素質、あると思うけどな」

 俺は立ち上がり、やや仰仰しく、わざとらしく右手を玄関の方へと向け

「では、お客様のお帰りはあちらから。本日は結構なお話を聞けて大変嬉しゅうございました。それではご機嫌よう。またいつの日か会うことを望みません」

「いつの日か会うことを望みません。別に私はそれでもいいんだけれど、で、調査してくれるの?」

 本当に、こいつら夫婦は俺を何でも屋と勘違いしているんじゃないだろうか。俺は所詮お嬢様の、この屋敷の使用人でしかないのだ。それ以上でもそれ以下でもそれ以外でもない人間だ。あまり過度の期待をしないで欲しい。

「はいはい、俺に分かる範囲で調べておくよ。それでいいだろ?」

 しかしこの場は、一旦、本当に渋々ではあるが俺が折れるしかない。そうしなければ憐はいつまでもこの屋敷に留まり知った顔でくつろぐだろう。それはよろしくない。本格的に。お嬢様と鉢合わせする訳にはいかない。

「そうそう。最初から私の言うとおりに従っておけばいいのよ。全く手間の掛かる子猫ちゃんだこと」

 確信的に言えることは、人に頼る人間の口から出てはいけない台詞だということだ。

「俺は人間をやめたつもりはないからな。あと、その言葉は仲歳のやつに言ってやれ。あいつなら喜んで四つん這いになって小さく鳴くだろうぜ」

「どうせなら泣いて欲しいけれどね。じゃ、よろしく!」

 と言いながら、憐は手を使わずに足で玄関の扉を開け、そのまま出ていってしまった。

 他人の家を、もっと大事に扱ってほしい。

 俺は屋敷の奥から雑巾を持ってきて、憐が蹴り飛ばした場所を丁寧に拭く。幸い、今日の天気が雨ではなかったので、砂埃程度の汚れですんだ。

「…………化粧、変わっていたな」

 いつもの憐なら、今まで俺の知っている憐の化粧ならあそこまで厚くはしなかった筈だ。半分以下の、自分のそのままの肌を見せる程度だったのに、今日のそれとは違った。

 さらに、香りだ。他人の香りを嗅いでいるなんてことを知ったら、多分看葉あたりが面白がってそこら中に吹聴しそうな話ではあるが、今日の憐からはウッディ系の香りがした。 香りとは移っていくものだ。

 今日会った仲歳からはその香りは全くしなかった。ということは、今日は二人一緒じゃなかったということか?それとも、仲歳が家を出てから憐が隠れて使った、か?

 まあ材料にはなり得るものだが、焦る必要もない話だろう。なんせ、たとえお嬢様が結婚し、俺を廃棄処分と判断したとしても、それはまだ三日先の話だ。それだけの時間があれば充分、というものだ。

 切り替えていこう。というか、元に戻ろう。

 期せずして、こうして面倒ごと

 訂正、人から頼りにされたおかげで、あのケーキ店の新商品が手に入ったのだ。お嬢様が帰られるまでの時間はたっぷりあるとはいえ、別の見方をすればもう三時間もない。余裕を持っての時間ではあるが。さて、今日は何時に帰られるのか。もう慣れたが。

 俺は冷蔵庫に入っているケーキ箱の中から一番複雑そうな品を選び(ちなみに、憐が持ってきたケーキは全て彼女自身が食べきった。結局、俺は一口しか食べていないことになる。太ってしまえ)、それを形が崩れないようにしてワークトップの上に置く。

 そして戸棚から俺愛用の器具(特注で創らせたケーキ解体器具)を取り出し、一旦洗ってからケーキを分解し始める。

「ふむ、今回はミニロールが層を作っているのか。ここまで細かいロールケーキを組み込むなんて、さすがだなぁ。こだわりの逸品とはまさにこのことだな。まあ、真似するには問題は、無いな」

 全く問題ない。一応、忘れてしまった時の保険として、バラバラに分解されたケーキ風景を写真の中に記録した時、本日三度目のチャイムが鳴った。

 またかと一瞬思ったが、時計を見ると別段異常なことではないと分かった。三度目といっても、今回はもう通例のようなものだ。むしろそれに備えて出迎えていなかった俺自身の愚かさを情けなく思う。

 一旦、大変興味深い糖分の塊達は置いておいて、俺は急いで手を洗い、玄関、にではなく屋敷の裏口へと向かう。

 やや複雑な位置に裏口が取り付けられているのがお嬢様の先祖に文句を言いたいところなのではあるが、しかし見方によっては利用出来なくもないので(過去に何度か裏口という存在に救われたなんて逸話は、まあ忘れてしまおう)、一応感謝を述べるのが筋というものか。

 基本、彼女しか毎日裏口には来ないのだが、一応、というかほとんど形骸化してはいるのだが、俺はノックを軽く三度すると、向こうから返事としてノックが一回だけ返ってくる。俺は裏口の計六十キロもある鋼鉄の扉を、ズズズと地面を響かせながら開ける。

「よっ、こんちわー。毎度おなじみ繊獏でーす。本日分の食料、お届けに来ましたー」

「どうも。いつもお世話になっております。じゃ、いつもの内容確認させてもらうから」

「ほいほーい」

 といって彼女は二つある内の、俺が蓋をまだ開けていない方のプラスチックの箱の上に座る。自分が持ってきた商品の上に、お客である俺の目の前で座るなんてどうなんだと最初は思ったが、大事なのは、俺に必要なのはその箱の中身なので、今ではもう何も思わなくなった。

 彼女、繊獏はこの屋敷における重要人物である。

 つまり、毎日お嬢様と俺の胃の中に入るものは彼女がいつも調達してくる。別の言い方をすると食品お届け屋と言えるだろう。

 俺がこの屋敷でお嬢様に仕え始めたときには既に彼女はこの屋敷の食料を調達していた。それも毎日。その顔を見ない日は、ないと言えるほどだ。たまにお嬢様が屋敷に帰られない日があり、食べ物が余った時には翌日の分を断ることがあるが、基本毎日顔を会わせる数少ない常連になるだろう。

「ふぅ。今日の分は少しだけ重かったよ。まったく、こんなか弱い女性に重荷を運ばせるなんてけしからんよねー」

「前に聞いた時は自分から率先してやってるって話だったと思うけれど」

「あれ?そんなこと言ったっけー?まっ、どうでもいいけれどー」

 と繊獏は頭を掻く。その時に一緒に腕から伸びている鎖もジャラジャラと音を立てる。 繊獏は、両腕を体の前で拘束している女性だ。

 他に言いようがない。まるで囚人の様にして両手首に、厚さ四センチもあるだろう手錠がまとわりついており、そこから伸びている鎖は先ほど俺が蓋を開けた箱と今彼女が座っている箱に繋がっている。

 彼女曰く、これは信頼の証なのだという。

 俺には全く意味が分からないが。分かりたくないが。まあそうなんだろうなと思う程度にしておくのが繊獏との上手い付き合い方だ。結局大事なのは彼女との関係ではなく、彼女が持ってくる食材の方なのだから。雲泥の差というやつだ。人より物。大事さの比重は分け隔て無いのだ。分け隔て無く、人も物も大して変わらない。一部を除いて、だが。

「……………………うん、オッケー。確認終わった。じゃ、少し待ってて」

 俺は箱と鎖の連結部分を外し、彼女には手錠と二メートルもある鎖だけが残った。

「うん、ありがとー。じゃ、こっちも連絡済ましちゃうから、待っててねー」 

 繊獏は器用にポケットの中に入っているスマホを取り出し、その数少ない電話連絡相手の中から迷わず『哉従』を選ぶ。

「あっ、哉従?うんそう私だよ!愛しい愛しい繊獏だよ!待たせてゴメンね。今終わったところだから、今から帰るよ。…………うん、うん、大丈夫だって。……うん、でね、一個聞きたい事があるんだけどさ、……哉従の二メートル先にいる奴、誰?女だよね?ねえ、そいつ、誰?」

 電話の途中から、繊獏の雰囲気ががらりと変わる。俺は未来予測の結果、繊獏から少し離れることにした。というか電話越しでよくもまあ分かるもんだ。そういう機能でも備えているのか?お嬢様が知ったらほしがるだろうなぁ。でも俺はいらないな。必要ないし。

「ねえ、どうして黙ったままなのさ?えっ?客?ふふっ、あっそう。なら今からすぐに帰るから、そのお客さん捕まえといてね。……えっ?だって、殺さないと、ね?哉従ー」

 と、繊獏は電話を切ると同時に、腕から伸びている鎖を鞭を扱うようにして床に叩き付ける。ビギャン!と、普通なら聞かないような破裂音が屋敷中に響く。本当に、今お嬢様がいなくてよかったと思った。もしいたら一体どうなったか分からなかっただろう。

「あっ、依衛。ごめん、今すぐ帰らないといけなくなっちったー」

「それはいいけれど、明日、弁償してくれよな」

 と、鋼の床が深く削り取られた部分を示す。繊獏は「ご安心おー」と言いながら裏口から姿を消す。

 ……はぁ。これ、どうしようかな。まあ普通ならお嬢様がこんな所には来ないから、しばらくはバレないだろうけれど、でもいつかは発見されてしまうだろう。

「あっ、そういや、結婚すればもうお嬢様もいなくなる、か」

 寂しいのだろうか?それとも、見捨てられる不安か?そんなものが俺の中に渦巻いていると言うのだろうか。

 俺は繊獏が持ってきた箱を二段にし、それを持ってキッチンへと持って行く。

 いや、そんなことはない。俺の中には寂しいなどという情けない感情など存在しない。してはいけないのだ。むしろここは祝福であるべきだ。

 お嬢様がこの屋敷から出て行く。お嬢様が俺の側から離れていく。ということはついに俺に自由という不安定さをもたらすということになるだろう。不安定さゆえの気まぐれ。そんな甘美なものつ、ついに十年越しに味わえることが出来るということだ。うん、素晴らしいじゃないか。

 万が一、お嬢様が屋敷を出て行った後、俺の存在を忘れたまま、この俺の体の中に埋め込んだ呪いを解呪しないまま、結婚相手のところに言ってしまったとしても、最悪、なんとかなる。そう、なんとかなるのだ。いや、今までなんとか解決できるものをわざとしなかったという言い訳になるのだろう。

 俺は繊獏から受け取った食材を、それぞれ適切に保存できる場所にしまう。特に生ものは急いで冷蔵しなければ、その鮮度は三十分もしないうちに消えてしまうだろう。

「きっと俺は、この屋敷から出て行こうという気持ちが、鮮度をなくしたように、カラッカラに乾いたように蒸発して消えてしまったんだろうな。……それも、俺の望み、か」

 …………いや、そんな訳はない。忘れるな、俺。今更、十年以上も、どうしてこの屋敷に住み着いたのか。お嬢様のそばにずっと付き添ってきたのかを。

「……側、ね。でも、思ったより、俺はお嬢様の側にいないよな。いるといってもお嬢様が屋敷にいる間の話だし。……」

 今更心配しても仕方がないことだ。

 この呪いが解かれることに?いや、きっといよいよお嬢様の結婚式が間近に迫っているせいで、周りが普段と違いざわついているせいで、俺にもその影響が少しばかり出てしまっているだけだ。そう、なんの問題もない。今までの長い時間と同じようにして、

 なんの問題も、ないのだ。そう、このままで、このままの流れでいいんだ。

 いいんだ。

 と、まるで何かに取り憑かれたようにして、俺は仕事の最中、ずっとそんなことを考えていたが、それらの思考は全て無意味なものになってしまった。少なくとも、お嬢様がこのまま結婚式を終えても、この屋敷を出られない呪いを解かないのではないかという不安に関しては、悩む必要がなかった。それが分かったのは、お嬢様がいつもより早いご帰宅(三時過ぎの置き時計が鳴った直後のことだ)で俺に向かって言った第一声だった。

「依衛!明日、王宮に行くわよ。そう、いわゆる親への顔合わせという奴ね。ああ、そんな顔をしなくっても大丈夫よ。私が依衛にかけた呪いのことなんて忘れているはずないじゃない。そろそろおやつでもしようとハロウィンの呪文を見たときに、ついでに思い出したとかじゃないから、安心して、明日、一緒に、私と行きましょう!さ、依衛。今日の晩餐は一体どんなものかしら?」

 


 お嬢様に対する世間からの噂は絶えることがないと言われている。言われているという曖昧な表現なのは、俺がこの屋敷を出て他人様にお嬢様のことを聞くことができないからだ。俺に入る情報はネットか、またはこの不気味な屋敷に遊びに来る何人かからの情報しかない。あまりにも、俺はお嬢様のことを知らなすぎる。そして、まさか俺が毎日丁寧に、それはもう世界遺産でもあるかのようにして掃除し整え毎日同じ状態にして保存しているというのに、周囲からは不気味という評価をされているらしい。不気味というか、恐れられているというか。まあ、そうらしい。としか俺からは言えない。

 しかし、いくら屋敷そのものが不気味であろうが無気味で奇々怪々であろうが、所詮屋敷は屋敷。人の住まいか野生動物の住処でしかない(蜘蛛やネズミでも侵入しようものなら、俺の完璧なる掃討作戦の前に全滅させるが)。

 屋敷に付随しているそのあたりの評価は、お嬢様を筆頭としてくっついてきたものだろう。お嬢様であり、お嬢様の先祖、夜死家がコツコツ地道にその不名誉を築き上げてきた賜物だろう。しかしそんな夜死家においても、現当主であるお嬢様は最上級の一品であるのだろう。と、俺は思っている。そう、感じている。

「依衛。もっと力を入れてくれない?そんな弱い力加減だと、痒くて仕方がないわ」

「すみません。しかしながら、これ以上力を入れるとお嬢様の肌に跡がついてしまいます。そんなことをすれば先代の長から叱咤が飛び込んで来ますので」

「もうあいつはいないからいいじゃない。それに、どうせ服で隠れてしまうのよ。構わずにやってちょうだい」

 お嬢様本人の希望なら致し方がないというもの。俺は、念のため、今使っているスポンジよりも肌に優しい物を選び、それに洗剤を含ませる。

「でも、あの人ならたとえ地球の裏側にいたとしても、きっと四肢がもぎ取られながらでも来るでしょうね」

「だから追い出したのよ。もう、あいつの顔を思い出すだけで、あの五月蠅い小言、というか大言がひっきりなしについでとばかりに思い出してしまったわ。……そういえば、今日はとっても興味深くない話を聞いたのだけれども」

「はぁ。興味深くない話ですか?よくそんな話をお嬢様が覚えていましたね」

「そう、そこは私も驚きなんだけれど。というか、今さっき思い出したのだけれどもね。ねえ、依衛は女性の裸を見ても興奮するの?」

「……どうでしょうか。ここ暫くは女性の素肌を見たことがないもので分かりませんね。お嬢様を例えに出すのはとても恐れ多いことではありますが、現在、お嬢様の裸を見ていても全く興奮していない自分がいます」

「そうよね。普通、そうよね」


 お嬢様は屋敷に帰り、第一声を俺に向けて叫んだかと思うと、すぐさまに第二声を俺にではなく、風呂場に向かって叫んだ。

「今日はベルガモットの気分よ!」

 そのままお嬢様は廊下に外用の荷物と服を脱ぎ散らかしながら風呂場に向かった。俺もそんなお嬢様の行動には慣れているので、いそいそとベルガモットの香りと保湿効果のある入浴剤を持参し、お嬢様の後に続く。

 お嬢様は典型的な低血圧の人間だ。と、そういえば周りの人間が「ああ、なるほどね」と納得してくれるので俺はそう言っているが(仲歳などはそれで納得し、事済んだ)、実際のお嬢様は低血圧などではなく、いたって正常の血圧だ。俺が正常になるように食事、睡眠などを管理している。それこそ、先代の使用人から徹底的に教わったことでもある。なんでも

「使用人たるもの、人それぞれ違いがありますというのは、言い訳以上の情けなく無様で愚かな逃げ口上とその胸に焼き付けなさい。さあ、この焼印を使いなさい!」

 とのことだ。ちなみに、あの時に渡された焼印はありがたく返却した。

 そもそも、低血圧であろうとなかろうと、それがどうして朝の起床に影響があろうというのだろうか。世間の間違った常識というモノの片鱗だ。

 そんなお嬢様は、有り体に言えば、朝と夕方では様変わりする。猫から虎へと早変わりする。今も、朝の布団の中にいたお嬢様と、風呂場へと向かっているお嬢様は別人といってもいい。


「という訳で、とりゃっ」

 お嬢様は、まだ全身に洗剤がついているというのに、そのまま俺を抱きしめる。その細長い両手を俺の背中と頭の後ろに回し、柔らかい胸部を惜しげもなく俺に押し当てる。

「あの、服が汚れてしまうのですが」

「私が汚れている人間ってこと?それに汚れてもいいじゃない。風呂とはその汚れを落とす所よ。今日の私が外から集めてきたもの依衛にもあげているのよ。一日、ずっと引きこもっている依衛にも分けてあげているのよ」

 反論が二つ。一つ、お嬢様は汚れている人間ではないということ。二つ、風呂は清潔さを保つための場所。汚れを落とすのではなく、病原菌やその身にふさわしくない匂いを洗い流す場所。

「その貴重な外から手に入れたものはお嬢様が大切に保管して下さい。また俺に野良猫の世話をさせるつもりですか?勘弁です」

「どうしよっかなー?……で、どう?」

 どうとは一体何がどうなのでしょうか?もっと主語と述語を入れて話してほしいです。

「興奮、する?」

「いえ、全く」

 即答する俺。

「うーん……絶対依衛には将来彼女は出来なさそうよね」

「もっと俺に未来を下さい。これでも一生を添い遂げる人が欲しいという些細な願望くらい、あるんですから」

「そうなの?てっきり私は仕事が俺の恋人だ!なんて言うと思っていたのだけれど。……そう、なら、このまま依衛を食べちゃっても、全然いいよね?」

 何がどうなったらそんな話になるのか、俺には全く分からないが、そんなお嬢様の淫猥なお誘いに俺は

「よくありません。このままではいつまで経っても食事の準備ができませんので。早くお嬢様の気まぐれの長風呂を済ませてしまいたいのです」

「もう準備できてるわよ」

「では明日が楽しみですね。きっと王子様も喜ばれると思いますよ、そんなにお嬢様が用意周到な方で。では洗い流しますね」 

 と俺はシャワーでお嬢様の全身を隅々まで洗い流す。その際に、俺の体も服も一緒に濡れてしまったが、お嬢様が抱きついてきた時点で着替えることが決まっているので構わずに流す。お嬢様は未だに俺から離れようとはしない。

「…………さ、ご要望通り、ベルガモットの良い香りがしますね。早く入って下さい」

「私が結婚したら、その後どうするの?」

 ………………さて、どう答えるか。

「そうですね。その後、自分に何が残るかによりますが、まずは自分の墓でも作りますかね。いつ死ぬか分からないのが人生ですし、せめて自分の墓ぐらいは生前には建てて起きたいので」

「悲観的だなぁ。もっと楽しく生きればいいのに」

「いえいえ、今は充分楽しく過ごしていますよ」

「そう、ならいつまでも私に抱きついていないで、早く今日の晩餐を準備してきなさい!私はもう空腹で飢餓よ!」

 お嬢様が抱きついていたのでは、という反論をさせてくれないほど、お嬢様の足は速かった。今まできつく固定していた両腕を離したかと思うと、そのできた隙間に足を入れ、俺の腹を蹴り飛ばした。痛いです。体も心も痛いですお嬢様。

 …………だから虎なんだって。

 今まで何度もお嬢様に蹴られてきたこの体を奮い立たせ(これぞ愛の体罰というのだろうか)俺は廊下に散らばっている服を集めた後、この濡れた服と一緒に洗濯する。当然、別々に。

 その後、お嬢様が真っ裸でご登場するといった楽しいイベントなど起きるはずも無く、粛々と二人だけの、いや、お嬢様だけの晩餐の時間がやってきた。

「とまあ、仲歳夫婦の関係になにやら楽しい、失礼、不穏な状況がまとわりついているようです」

「なにそれ、楽しそうなことになってるわね。……ふぅん。で、依衛はどう考えているの?二人、どっちかが、それとも両者無罪か」

「どちらもギルティですね。遠慮無く衆合地獄の鬼に連れ去られてもおかしくありません」

「そう。理由は?」

 フォークに刺した肉片を俺に向ける。まるで今この場で俺の実力を試している親のように。お嬢様は幼い頃から質の良い教育をさせられていたはずなのだが、今となってはそれもどこへやら。まあ忘れているということはないだろうけれど、いくら二人しかいないとしても自己尊厳を俺の前でも保って欲しいものだ。叶わぬ願いだろうけれど。

「まず仲歳の浮気の判断ですが、憐が浮気しているかもと思った時点でそれはアウトです。断言します。あいつは陰でやっていますね」

「女の勘は鋭いってやつ?でも駄目ね」

 だろうな。こんな論理の欠片もない推理はお嬢様が好むやり方ではない。けど、結構当たるんだけどなぁ。経験則だけど。無下に出来ない第六感というものだ。

「では、まあ、無回答ということで」

「何それ?分かりませんってこと?」

「有り体にいえば、そうなりますね。」

 ひゅんっ、と左耳のすぐ横を何かが通った音がした。後ろ、では無く音の発生原因であるお嬢様を見ると、先ほどまで左手に持っていたナイフが無くなっていた。あれ、結構高級品なんだけれどなぁ。毎日丁寧に磨いております。

「さて、できの悪い子には罰を与えよという言葉があるとおり、依衛、そのまま自慢げに情けなく自分の要領の悪さを発揮したままいるつもり?人に推理を聞かせておいて、結局分かりませんとか。これじゃあ静粛に聞いていた傍観者は納得出来ないわよ。答えが出ないのならそれなりの対応があるんじゃないの?」

 俺は後ろの海外製の絵画にまっすぐ刺さっているナイフを引き抜き、それをテーブルの上、お嬢様の手の届かない場所に置くと

「閣下!」

「依衛はプライドがないねぇ」」

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