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第3話

 香港。

 ネオンひしめく観光地から、それほど離れていない場所。何もかもがごった返す、どこか煙たくほの暗い街の一角で。

 1階に寂れた食堂を持つ、薄汚れたビルの2.5階。


 そこに、小さな占い屋があった。


「あっつーい、いっくんあつーい。溶けちゃうー」


 髪をひとつにお団子にして真珠の髪飾りをつけ、臙脂色のレトロ風ワンピースを着たユキが机に突っ伏しながら不満を言った。


「停電中だ、仕方ない」


 団扇を持ってやってきた、ノースリーブの黒いチャイナ服姿の樹。季節は夏になり、3日ほど前から樹の着るチャイナ服の袖は無くなっていた。それでも、黒縁メガネと長い前髪は変わらない。本当のところ、樹は視力が悪い訳では無いのだが、絶対にメガネを外さないのだった。


「オシャレは我慢なんだろう」


「これオシャレとかじゃないじゃーん! 暑いよおー」


 樹に団扇であおがれて、ユキはふっと表情を緩めた。そして、のろのろと目線をあげる。


「いっくんは暑くないの?」


「暑い」


 樹の腕には汗が浮かんでいるし、こめかみを数滴の汗が滑り落ちた。それでも、樹は無表情でユキに向かって団扇をあおぐ。

 それを見たユキは、慌てて自分の扇子を取り出し樹をあおいだ。


「いっくんそんな汗ダラダラで死んじゃうよ! さっきまで料理なんかしてたから!」


「冷蔵庫のもやしが腐る前に炒めておきたかったんだ」


「もおー! 停電でも主夫力高いー!」


 お互い風を送りあっていると、深い紅色の扉が、開けられた。


「わお。お客さん」


「どうぞ」


「お、お届け物です! そこで会った、金髪の子から!」


 よれたシャツを着た子供が、何やら小さな小包を樹に渡した。


「確かに受け取った。報酬だ」


「.......ありがと!」


 樹が渡したそれなりのお札を、子供はひったくるようにして受け取り店を出て行った。


「.......アタシのお店、占い屋なのにだぁれも占いにこないじゃーん」


「主人、この荷物はなんだ。またネットで何か買ったのか」


「えー、ゴスロリで懲りたから最近は買ってないよー。差出人は?」


 暑さで気だるげなユキの横に立った樹が、荷物に貼られた差出人を読み上げる。


「.......德国的老师(ドゥーグオダラオシー)?」


「!」


 ユキは弾かれたように顔を上げ、樹から小包を奪い取った。めったに見せないユキの焦った表情に、樹は少し落ち着かなかった。

 しかし、ユキには樹の知らないおかしな知り合いが沢山いることは知っていたので、どうせまたその1人だろうと思っていた。


「なんで急に.......! まさか中国に来てるの!? やば、やばやばやば! やばたにえんなんだけど!」


「主人、中身はなんだ?」


「えっと.......人間の親知らずと、西のドラゴンの血だ。親知らずはどうでもいいけど、ドラゴンの血なんて猛毒じゃーん、こわー!」


 そう言いつつ小瓶2つを机の引き出しにしまったユキは、はあ、とため息をついた。

 この荷物の送り主は、この古い魔女を振り回すことができる数少ない人物だった。

 樹はここで、初めてドラゴンの存在を信じることにした。


「.......いっくーん、金髪の女には気をつけなーね。アタシみたいに黒髪の清純派がいいよ」


「主人は清純派ではない」


「ひっどーい! 明日は清楚な白いワンピース着るんだから!」


 樹は、そういう事じゃない、と心の中でだけ言って、空になったダンボールを潰しほかのダンボールとまとめて縛った。樹はこの部屋で、料理、洗濯、掃除、全ての家事をこなしていた。


「ごめんくださいネ」


 また、深い紅色の扉が開いた。


「わお。お客さん! しかも常連さん!」


「久しぶりネー。占ってヨー!」


 訛りのひどい糸目の男は、臙脂色のチャイナ服を着ていた。ユキの言うように、この男はこの店の常連だった。


「お代はワタシの会社が前払いしてるからネー」


「わかってるよー! 300年前からどうもご贔屓に!」


 客の男が所属する会社、もとい組織は、古くから樹には見えないモノを相手取る人間の集団だった。そして、ユキとは古い付き合いなのだ。

 ユキは机の上に沢山の道具を出して、ふと動きを止めた。そして、なにやら金属製の器を取り出した。


「いっくん、これに水入れてきて」


「わかった」


 樹が器にたっぷり水を入れて持ってくると、ユキはその器を机の上に置いて、水面が静まるのを待った。


「ジンちゃーん、何を教えて欲しいのー? 恋愛?」


「来月の運勢見て欲しいヨー。それ次第で会社がくれる仕事決まるネ」


「なーる」


 ユキが、そっと水の入った器の縁を指でなぞった。

 そうすると、張られた水の表面が不自然に揺れ始める。様々な形に変化する水面の模様を、樹だけが驚いて見ていた。

 ユキと客の男は、穏やかな表情で水面を見つめる。


「あちゃちゃー。ジンちゃんこれ危ないよ、下手な仕事受けたら死んじゃうよ」


「会社に有給申請してくるネー」


「そうしなそうしな。あとね、もう一個おまけで教えてあげる」


「嬉しいネー」


「女に気をつけて、ジンちゃん。色恋とかじゃなくて、命の方でね」


「わかったヨ。今日は謝謝ネ」


 樹が開けた扉を、男は軽やかに通り抜けて店を出た。樹が初めて見る、この店を普通に出て行った人間だった。常連客というのも、初めて見た。

 樹がこの店に来て5年以上が経つが、いつもユキは客の大事なモノを奪っていた。よく分からない言葉のお代が目玉だったり心臓だったり、血だったりするのはどうかと常々思っていたのだ。それが、今日初めてまともな占い屋のようなことをしていた。


「主人、今の占いはなんだ」


「涼しげだからやってみたけど、大して涼しくなかったー! いっくーん、アイス食べたーい」


「店のアイスも溶けてるぞ、停電中だからな」


「やーん! 暑いよおー!」



 ◆◇◆◇



 停電も復旧し冷房の効いた部屋で、今日のユキは白いワンピースを着て、化粧を薄くし髪を下ろしていた。


「ねね、いっくんどーお? 清純派?」


「清純派に謝れ」


「ひっどー!」


 深い紅色の扉が、開いた。


「わお。お客さん」


 いつも通りのユキの言葉より早く、樹が扉の前に飛び出した。そのまま強く右足を踏み込み、腰を落としたまま掌底を扉の向こうにいる人物の顎に当てる直前でびたりと止めた。

 それに一拍遅れて向けられた5つの銃口に見向きもせず、樹は目の前のスーツの男だけを見ていた。


「いっくん、ダメでしょお客さんにそんなことしちゃ!」


「.......主人。コイツ、香港マフィアのボスです」


 低く唸るような樹の言葉に、ユキは目を見開く。

 そして、樹に殺さんばかりの視線を向けられた男は、余裕を持って笑った。


「占いに来たぞ、魔女。お代は6年前に払ったからな」


「はいはい。わかったからむさくるしい人達は帰ってねー。ここ狭いし暑いから、占う人1人で入ってー」


 余裕を湛えたマフィアのボスは、樹に目もくれず部屋の中に入った。

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