開戦記念日
昭和十六年十二月八日未明、現地時間では十二月七日午前に、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島の真珠湾に停泊中の太平洋艦隊を狙っての攻撃を、我が帝國海軍が敢行しました。
様々な史料が明らかになるに連れて、この攻撃はアメリカ合衆国政府が事前に察知していた可能性が高く、欧州戦線に本格参戦したいアメリカ側の誘いとする説もあります。
戦争とは騙し合いの繰り返しですから、何が真実か見えなくても当然です。我々にできるのは事実の積み重ねだけです。
真珠湾攻撃が「卑劣な奇襲攻撃」なのか、検証しましょう。
この時、重要なことは当時の価値観で物事を考察することです。現代の価値観では悪い行為も、当時は許される風潮である行為もあります。常識や正義は変わります。現代の価値観は二次大戦が終了してから形成された価値観ですので、戦前の価値観は大航海時代以来続く、帝国主義、植民地主義を基礎とする価値観でした。
さて奇襲攻撃が悪いことなのか、真珠湾攻撃以前の開戦経緯を調べてみました。
「米西戦争」が明治三十一年に勃発しています。この戦争はキューバやフィリピン、グァムなどをアメリカがスペインから奪う戦争なのですが、開戦に至る経緯は酷いものです。
二月十五日、キューバのハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦「メイン」が爆発して沈没し、多くの将兵が亡くなりました。後の調査では偶発的な事故とされたこの事件を、当時の新聞は「Remember the Maine, to Hell with Spain!(メインを思い出せ!くたばれスペイン!)」と書き立て、アメリカ国民の憎悪を煽りました。
当初は開戦を避けようとしていたアメリカ政府も四月二十五日には「四月二十一日以来、戦争状態にある」と議会で決議し、アメリカとスペインは宣戦布告のないまま、戦争に突入しました。
アメリカは五月一日、フィリピンに攻撃を開始します。一回の海戦で雌雄は決し、スペイン艦隊は全滅、地上戦へ移行します。
六月二十日にはグァム島を攻撃するアメリカですが、スペイン側の司令官は戦争が始まっていたことすら知らず、すぐに降伏してしまいました。
このように、奇襲攻撃は卑劣でも何でもありません。
これに先立つ明治二十七年の日清戦争でも、清国艦隊の先制奇襲攻撃から戦端を開き、その後で宣戦布告を宣言しています。宣戦布告を開戦前に行うという価値観はごく新しい考え方と言えます。
真珠湾攻撃に先立つ昭和十五年頃からアメリカでは、対日戦争を目的として義勇兵の募集が行われていました。
これらの義勇兵は中華民国を援助する為に結成され、航空部隊「飛虎」として昭和十六年十一月に正式に発足し作戦行動を開始しています。
この「飛虎」こそ明確な国際法違反ですが、実際の戦闘行為が日米開戦後でしたので有耶無耶にされています。
勝てば官軍とは、よくぞ言ったものです。
我々日本人は戦後教育の中で真珠湾攻撃を殊更に悪いことと教え込まれて来ましたが、当時の価値観や国際慣習に従えば、別に糾弾される行為ではありません。
むしろ糾弾されなければならないのは、宣戦布告を含む最後通牒の手交を遅滞させる失態を演じた外務省です。
我々日本人に汚名を着せた外務省は万死に値します。今でも外務省は万死に値する失態を演じ続けているぐらいに低質な組織ですが、その萌芽は戦前にありました。
外務省の失態はいづれ別稿にて。