外務省の失態
外務省の失態は多いので、まずは外務省の黄金期を紹介しましょう。
外務省の黄金期は、陸奥宗光や小村寿太郎らが外務大臣として活躍した時代でもあります。
この頃の外務省は列強各国と対等に渡り合う為に情報収集に余念がなく、不平等条約の解消など多くの困難な案件を解決して来ました。
ところが、最初の失態として「独ソ不可侵条約」の締結を見抜けず、ナチスドイツと同盟してしまったことです。
外務大臣は有田八郎、松岡洋右の頃です。
特に松岡洋右は優秀な外交官の多くを罷免し、軍人や著名人などを外交官に据え、外務官僚も辞職に追い込まれた人々が多く出ました。
この後の外交がグチャグチャになる素地を作ったと言って過言ではないでしょう。
対米最後通牒の手交に遅滞したことは、我が国では痛恨の失態でしたが、アメリカ政府は気にしていません。
その証拠に、在米公使は戦後の極東国際軍事裁判に出廷もせず、むしろ昭和天皇の侍従になっているぐらいです。
仮にアメリカ政府が真珠湾攻撃を卑劣な奇襲攻撃と思っているなら、その原因となった人物を断罪して絞首台に送っているでしょう。
戦後の外務省失態で最大の事柄は「慰安婦問題」です。
この慰安婦問題で我が国に泥を被せたのは小和田恆という外務事務次官で、河野談話を書き上げながら発表の三日前に退官した卑怯者です。
更に国際連合で問題視された時に外務省が反論文書を作成していたのに、恫喝して撤回させたのが元の外務事務次官で当時の国連大使である小和田恆です。
この小和田恆は「ハンディキャップ国家論」を振りかざして、我が国を卑下し、尖閣諸島への侵攻素地を形成するなど失態の大元のような人物です。
この血筋は一滴たりとも後世に残してはならないほど、我々日本人にとって不倶戴天の国賊と言って良いでしょう。
陸奥宗光や小村寿太郎時代のような、国益重視の外交政策を打ち出さない限り、外務省は未来永劫に亘って無能集団の誹りは免れません。
茂木外務大臣も、おかしな言説で我が国に不利益を呼び込もうとしているので要注意人物です。