ゼウス、雷霆ケラウノスと共に人間界へ降り立つ
ーー15年前、神々の天界。
「なぁ、本当に行くのか?」
「あぁ、行くよ俺は。神に二言はないぞ、ケラウノスちゃん」
果てのない白に包まれた静寂の場に凛とした声が響いた。
冴えない顔の男、そして男に似つかわしくない美しく長い金髪を携えた美幼女が一人。
二人が腰掛けている気品溢れるシックなデザインの洋風椅子、洗練された白の円卓。
卓上の選び抜かれた豆を挽いた、芳醇な香り漂う珈琲とその一式以外には何も存在していない。
真剣な眼差しを向けて意を決した美幼女は、男の返答に理解が及ばなかった。
はぁと溜息をついた後、更に質問する。
「ちゃん付けはやめい。にしてもなぁ、神が人間界に降り立つなんて前代未聞じゃ。二度と天界には戻れぬのだぞ?」
「いいのよ、俺は罪滅ぼしがしたいのさ。ケラウノスちゃん、お前も知ってのとおり俺はとんでもない女泣かせだった。人々が信仰する全知全能の神としてあまりにも不適合だった。そんな自分に嫌気がさして、神でありながら人に身を窶し、なけなしの善行を積み重ねて終わりなく贖罪を繰り返す。なんとも泣かせる話だろ?」
ケラウノスと呼ばれた美幼女は男を説得するも、男はまともに取り合う様子はなかった。
しかし彼女は男の言葉に興味を惹かれた。
彼女は自身の華奢で可愛らしい脚をパタパタと交互に動かしながら身を乗り出して、揶揄うように更に言葉をつなげてゆく。
「これは驚いたな。全知全能の神であるお前が、なんとも人間臭い善悪の判断を下すのだな。力のある神が多くの子孫を残すこと、何よりも優先されるべき事項であり、そのためにはどのような手段も許される。天界の常識であろう? 何よりお前の妻や愛人は一人残らず、お前と関係を持つことを拒んでおらんかったじゃないか。何を気に病む必要がある?」
ケラウノスは言い終えると、糖分のカケラもない黒の液体を上品にすっと口に運ぶ。
「だが同時に一人残らず悲しませてしまった。俺も最初は天界の掟を忠実に守っていた。それが神として生を受けた己の使命であると信じ切っていた」
ケラウノスの仕草に呼応するように、男は自身のカップに口を付けて更に言葉を続ける。
「だがある日からふと疑問に感じ始めた。本当にこれで良いのかと、俺の行動理念は本当に正しいのかと。愛する者を犠牲にしてまで子孫繁栄は優先されるのかと。何度も何度も繰り返し自問自答したさ。挙句の果てには罪の意識に苛まれ、自己嫌悪で頭がどうにかなってしまいそうだった。勿論全知全能の神である俺がこんなことを言うのがどれほど滑稽であるかも十分に自覚しているつもりだ」
「わかった、わかった。お前の奇特な美徳意識に対してもう儂からは何も言わぬよ。……だがこれだけは聴かせてくれ」
男の真剣な眼差しと口調に、ケラウノスは呆れ返りながら笑って言葉を続ける。
「どうしてそのような悪人面の人間に化ける? しかもなんか……こう……そこはかとなく弱そうじゃし……」
「この面ならば万が一にも人間に俺の正体がバレる恐れはないからだ」
ケラウノスの指摘に対して、男は自信あり気にそう答えた。
彼女の指摘ももっともだった。
なぜなら彼女からしてみれば、普段の男の面影が微かに残っているとはいえ、あまりにも小悪党のような面構え、いかにもやられ役の悪人面だと称せる程には品のない顔立ちに化けていたからだ。
「確かに……とてもではないが地球の如きちっぽけな星どころか、全宇宙をゆうに焼き尽くす程の力を持っているとは思えんな」
だからこそ、彼女が男の本来の力を知っていながらこう返答するのも無理はなかったのだがーー
「だろう? そして極めつけはな、この面で自称天才を貫き通すのよ」
「あー、なんかこう……いるのう、そういう人間……」
大言壮語も甚だしい振舞いもこれに加えるというのだからタチが悪かった。
そしてケラウノスが、確かにこういう人間もいるかと考え始めたその瞬間ーー
「俺とお前では生まれ持った才が違うのよ〜、クハハハハ!!!」
「ぬあはははははっ! はっ、はぁっ、ちょっ、やめんかバカタレっ!!! 儂を笑い殺す気かっ! ぬはっ、はぁっ!! あはははは!!!」
男は突然甲高い声で妙なアクセントをつけながら、美幼女を指差して、自信満々のキメ顔で腰を左右に振った。
「こんないかにもな道化に徹したやられ役がいるか!」とつい疑問を呈したくなる程の見事な小物っぷりだったが、彼女からしてみれば男の絶対に見られないような一面に、ケラケラと笑いを抑えられないでいた。
そう、普段は堅物の人間が突然に道化を演じるときのギャップというのは計り知れないパワーがあるのだ。
「この顔と格好のつかない決めポーズ、更には大言壮語も甚だしい振舞い、万が一にもモテることなんてないだろ? つまりな、人間界で俺が女泣かせになることなどあり得ないというわけだ」
ケラウノスの反応に至極満足した様子で、男は自信満々に言い放った。
「ぶはっ、はぁっ、はぁっ……! まぁ……そうなんじゃないかのう……」
もはやなんでもいいかと、ひとしきり大笑いし尽くしたケラウノスは呼吸を整えながらそう答えた。
「生まれはそうだな……没落子爵家あたりにしておくか。どうだ? 家柄でもモテる要素が一切ないな。さぁ行くぞ、善は急げだ」
--しかし。
男の目論見が完全に外れることになろうとは、当然ながら神すらも予想できなかったのである。
何故なら男は知らなかったからだ。
男が多くの女性にモテた理由は、自身の力のおかげでもましてや容姿のためでもなく、男の底抜けに優しい見事な心持ち、何者にも代わることのない度量の大きさのためであったことを。
そして幾ら道化を演じて身を窶していようが、気付く人間には簡単に気付かれてしまうことなどはーー
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