閑話 レティシアの住む離宮に差す光明
ロウゼの母、レティシア視点の閑話です
ここは王都の離宮。色とりどりの植物に囲まれた白亜を金や彫刻で飾った豪華絢爛な建物。
そこに住み、贅沢な暮らしをして、その家は見た目は豪華で優美そのものですが、その実、私はここに閉じ込められている。
俗に言う、幽閉状態にあるというのが正しい認識でしょう。
20数年程前に一人の下級貴族と王族が許されぬ恋に落ちた結果の有様。愛すべき人は遠い領地の領主になり、可愛い息子は乳離れも出来ぬ歳のまま、連れて行かれてしまいました。
もう、生きる希望はなくいっそのことこの命を自らの手で断とうと何度思ったことでしょう。
鬱屈とした目的のない毎日は生き地獄そのもの。ただ漠然と時間だけが過ぎていくだけの生活。
そんな時に愛していた男が死に、その息子が領主を引き継ぎ、領地をどんどんと大きくしているという話を耳にしました。その話を聞いて灰色だった私の世界は急に色づき始めたかのように感じました。
私の可愛い息子、ロウゼが領主となって、素晴らしい活躍をしているのです。なんとかしてあの子に会いたい、母親として何か支えられることはないかとそればかりを考えるようになりました。
それから来るべき時に支えられるように私はとにかく動きました。といっても全ては離宮の中で口と手を動かして、人に指示を与えることしか出来ませんが。
そして着々と貴族間への影響力を高めていきました。
父へ、王への良くない気持ちがあるものはいくらでもいますし、この生まれながらにして神に選ばれたかのような美貌、そして得意の社交と手回し。
瞬く間に勢力は拡大していき、支持者は増えていきました。
これでロウゼに何かあった時に手助けが出来る。後はその時を待つだけ。
テュロルド王国の王、ユニフィケス10世の娘レティシアは身分を超えた恋愛とその恋の先に生まれた息子の存在によって、王の怒りを買い半ば犯罪者のようにして離宮に押し込められていた。明確な犯罪行為ではないが、不文律として許されない行為であったのは間違いなかった。
しかし、彼女自身は全く以って、それを悪いことだとは思わなかった。思えなかった。
そもそもこの世界においての女性というのは、男性を中心とした社会の政治的な利害関係の道具として結婚する必要があるという仕組み自体が間違っていると考える。
親や親族の意向によって婚姻の相手を決めるということはロウゼ・テルノアールが転生する前の世界においても比較的最近まで行われ、現在においてもある話だ。
生まれ持っての生物学的な役割の違いがあるので、発展が不十分な社会においてはそれもある程度仕方のないことだと割り切ることが出来るほどの冷静さもあった。
だが、それが自由と愛する男と息子を奪われるほどの大罪であるかという一点については甚だ疑問である。
そんな境遇に置かれて20年程が経ち、日に日に父である王の考えに対して怒りのような不満のような何とも言えないモヤモヤとした感情が積もっていった。
そんな折に、レティシアにとって都合の良い話が二つも飛び込んできた。
一つはロウゼ・テルノアールがセンタクルにて通常では考えられないほどの魔力を使い絶大な効果を持つ魔法を行使して国を救ったこと。
もう一つは王の体調が年々悪くなっているということだ。
その情報を持ってきたのはこの国に唯一存在する宗教の大司教であり、彼はこの離宮に訪れて例年通りの儀式を行った日のことだった。離宮に幽閉されている以上、教会に行くことも許されず貴族として必要な行事は全て大司教が訪れて執り行うことになっている。
「それで、ロウゼのことについてもっと教えてくださいませ?」
「いえいえ、私も地方の司祭から聞いただけの話でありますので詳しいことや真偽については保証しかねます。レティシア様にそのような不確定な話など出来ませぬ」
「良いのですよ、どんな話を聞いたのかが知りたいのです。その情報の裏はもちろん自分で取りますので……」
「そうですか……では、聞いた通りの話を。センタクルにイェルマ王国が侵攻し、城門は後一歩というところで落ちるところでした。そこへ丁度テルノアールのディパッシ族が戦場に突如現れて多くの敵を倒しました。敵は慌てて撤退し城は守られました。しかし、敵は森に火をつけて、その火はどんどんと大きくなり水の魔法程度ではどうにもならない程の規模になりました。このままでは煙と火で多くのセンタクルの民が死んでしまうところにテルノアール卿が現れて見たこともない魔法を使ったのです」
「それでその魔法というのは?」
目を輝かせながら、少しだけ前のめりになっても王族としての気品の高さは損なわれず美しい顔が大司教を眺めていた。
恋愛とは無縁の神職につく大司教であっても思わず紅顔してしまう。
「ええ。大雨を降らせる魔法です。あっと言う間に黒雲が辺りに広がり、大粒の雨が滝のように絶え間無く半日ほど降り続いたと言います」
「雨を降らせる魔法……?」
「私は貴族ではありませんので、魔法のことについては詳しくありませんが、過去の情報から考えてもあり得ないことでしょう。一個人が天気を魔法で操作するというのは……大司教が言うことではありませんが神がかった所業です」
「そうですね……百人の貴族がいてもそれほどの規模の魔法を使えるとは思えません」
紅茶を一口飲んで、興奮のあまり乾いた口を潤して落ち着きを取り戻したところでレティシアはティーカップを置いた。
「ところで……」
大司教は目で合図をする。これは人払いをして内密に話をしたいという意味だ。
レティシアは部屋を出るように指示を出した。
「レティシア様は我々の考える王の『資格』とは何かご存知でしょうか?」
「教会の考える王の資格?王に認められた王族、ではないのでしょう?」
「はい。それは貴族間の一般的な認識です。不敬と思われても仕方がないのですが、我々とは異なります。そもそも、魔法とは何かという話になります」
「貴族だけが持つ魔力とその運用の知識、貴族が貴族である所以でしょう」
「いえ、魔法とは神が与えし恩寵であり、魔力量とは神の祝福の度合いです。つまり教会としては王とは、最も魔力量が高く神へ祝福された神の使いなのです。だからこそ我々は王族、王を敬うのです。それが教会の教えとなります」
「それは今の王が教会としては相応しくないと仰りたいのでしょうか?」
「いえ、そういう意味ではありません。ただ……現在の王よりも優れた魔力量を持つ者がいるのであれば後継するべきはその者だと言うことです」
「そういうことですか……」
この時、レティシアの内心は穏やかではなかった。暗い闇の中を目的もなく歩く長年の途中で領主となったロウゼが頭角を現し、闇の中に光が射した。そしてその光の方へと歩み続けてはいたが一向に出口は見えない。
しかし、たった今、出口が見えてその出口と自分との距離感をようやく把握出来た実感があった。
大司教のもたらした情報によって全てのピースが埋まっていくのを感じる。
ロウゼ、王の体調、教会、教え、魔力量これらのピースから導き出される光景はただ一つ。
息子、ロウゼ・テルノアールを次期国王にすること。それが彼女の使命だと分かった。
自分の息子なので、勿論王族の血は引いている。王族の血を引いている以上、最低限の条件は既にクリアしていることになる。
そして、貴族として文句のつけようがない圧倒的なまでの魔力量と領主として領地を繁栄させられるだけの手腕。
足りないのは外部からの後ろ盾のみだ。逆に言ってしまえば、多くの支持と大義名分と後ろ盾さえあれば、状況的にはロウゼ・テルノアールは王になれる。
それに気が付いた時、レティシアは雷が落ちたような衝撃が脳に走った。
「私も、その考えは正しいと思います。王に相応しい、なるべき者が王になる。当たり前のことが今は出来ていません。私はそれを実現させたいと思います」
「おお……まさか王族のお方に分かって頂けるとは思いませんでした」
「その話、私は出来る限りお手伝いさせていただきたいと思います。まずは教会の発言力を今以上に高める為に布教活動に力を入れましょう。勿論資金援助……いえ、お布施もさせて頂きます」
「では、共に神に選ばれたこの国の繁栄と未来の王の為に尽力してくださるというのですね!?」
「ええ、もちろんです。これからは定期的にこちらにいらしてくださいますか?」
「もちろんです。もちろんですとも……そろそろ良い時間です。今日はこの辺りで失礼させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「はい、またのお越しをお待ちしておりますので」
大司教が部屋を出てから使用人たちがまた戻ってきて給仕を再開する。入れ直してもらった紅茶の匂いは生まれきて最も新鮮に感じられるほど香りが鼻腔を刺激した。
桃色のような淡いピンクの唇をカップにつけてゆっくりと上品に飲む姿を画家が見れば何枚も何枚も絵を描くだろうというほどの神々しい美しさで輝く彼女は、常に世話をしている使用人たちでさえも思わず作業も止めて見入ってしまうほどに尊いものだったと後に語られる。
こうして、レティシアと教会が結託し次期国王への継承権を巡っての活動が始まったのだった。
一方、当の本人であるロウゼ自身はまだこのことを知らない。そして知った時には当然喜びなどはせず、心底迷惑そうな顔をしてウンザリとするのだった。