閑話 天秤と宰相
宰相視点の閑話です
私はバリス・バルセロナ。テュロルド王国内のバランスを取り持つ調整役の中立領地を統べる、バルセロナ家の人間だ。
王と他の貴族とをとり結ぶパイプの役割となる宰相を代々任されるのがバルセロナ家だ。立場の性質上、貴族間に格の上下関係に影響されずに発言出来る権利があるが、その反面決定権は持たない。
王にとって、国にとっての最善の道を助言するという影に徹する裏方だ。そしてそれがバルセロナ家において何よりの誇りであり、守るべきものである。
常に揺れ動く天秤、上皿の錘も流動的であり、耐えず両方の錘の質量を均等に保ち続けるような繊細で地道な作業が要求される職だ。
王へ寄り過ぎれば、国は傾き、国に寄り過ぎれば、王の威厳がなくなり、国の統制が効かなくなる。毎日が綱渡りであり、どんな些細な風や不純物も見逃すことは許されまい。
数年前まで、貧富や身分の差はそれなりにあれどこの国はバランスを保つことが出来ていた。一部がどれだけバランスに欠けようと国と王という大きな錘のバランスが取れることが最優先であり、その為にはどんな犠牲も厭わなかった。
最初はやはり、自分の発言次第で決定した王命で多くの命が消えていく様を見て気分が悪くなった。しかしそれを一々気にしていられるほど暇ではなく『個』を殺し、天秤に錘の載せるもの、そして自らが国と王の為の天秤であることに徹するしかなかった。
そんな生活に変化が現れ始めた。天秤の調整がいきなり難しくなる異常事態が起こっているのだ。
ロウゼ・テルノアール。突如現れた質量を計りかねるイレギュラーな錘。
この錘の扱いに心底迷惑を被っていた。
その生まれ、生い立ちの複雑な事情も関係しているが、何より彼自身が若手の領主とは思えぬほど優秀だったのだ。
多くの領主が彼を厄介者のように疎んでいるが、まるで本質が見えていない。
まず外見だが、そこからして他の貴族と一線を画しているだろう。髪は絹のように滑らかで一切の乱れを感じさせない夜のような美しさ。服は奇抜なデザインながらも繊細な繕いによって仕立てられた上品な黒衣。一般的に領地の色を服の一部に入れることは珍しくないが彼は全身が黒服で、誰が見てもテルノアールだと分かる。
新参ということで顔を売る宣伝効果を狙っているのだろう。実際その効果はてきめんであり、黒イコールテルノアールという印象が少しずつ定着し始め、彼の服の様式を真似した服が一部で流行の兆しを見せていると聞く。
そして母親譲りの美貌。女性と見紛うような整った美しい顔をしている。しかしその一方で領主に必要な威厳も持っておりあの屈強なディパッシ族を上手く従えている。
次々と新たな製品の開発、魔道具の研究、美味な料理の調理法、ダンジョンから取れる魔石、ここ数年の活動を挙げればキリがない。
目立っているものこの辺りだが、私個人としては役職柄注目している部分は他にもある。
彼はかなり『情報』というものの価値を重視し、情報を集める、保存する、伝達するということに大金をつぎ込んでいる。そしてその方法の一つ一つが聞いたこともない画期的な方法であり、全てが合理的なのだ。
そして恐るべきはそれで商売をして利益を上げているのだ。些細な情報でも国に大きく関係することは珍しくなく、各地に伝令係を送り情報収集をしている私と同じように、情報を集め有力な貴族と関係を築いている。
オルレアン、ギーズという二大領地と深い親交にあり、王女のソレイユ様とも仲が良い。そしてその全員と商売をしている。後数年もすれば序列三位に上がってくることは揺るぎようのない事実。
それが見えず妬みで敵対的な態度を取る貴族を見ていて哀れとしか言えない。
彼はそう言った感情も予測し、上手く立ち回れるように情報を集めている。ロウゼ・テルノアールをロクに調べもせず、知ろうともしない感情的な貴族では相手にはならない次元の違う相手ということがまるで理解出来ていない。
どれだけ合理的な答えがあろうと、人間というのは感情を優先する。利害など関係なしに矛盾した行動を行う愚かな一面を持つ。理屈で考える私も若い頃は何度も痛い目にあってきた。こうすれば良いのに、と思うことでもその通りに人は簡単に動かない。
彼はそれを若くして理解し、その人間の愚かさまで計算に入れて立ち回っていることがよく分かる。
そして、王も出来るだけ抑えてはいるがかなり気に入っている。基本的に公平で平等な方だが、血縁関係上は孫ということもあり、やはり特別に見えるのだろう。レティシア様とアッシュ・テルノアールの件で多少の確執があるとは言え孫は孫。あれほどに飛び抜けて優秀であれば誇らしい気持ちであっても何ら不思議な話ではない。
私も王も、彼を如何に上手く扱うか。それが今後の国の発展に大きく繋がってくるということは十分認識している。扱いを間違えれば、彼を敵に回せばたとえ今は新参の領主とは言え、多大な損害が出るだろう。それが可能な程の実力も財力も持ちつつある。
王族の血を引いているにしても格別の魔力量はセンタクルの報告を聞いても国内で最高レベルと言っても過言ではない。そして未知の魔法を所有していることは間違いない。他にも魔法や魔道具を隠し持っているはずで、侮ることは出来ない。
何より、恐ろしいことが危険と判断した場合に取る通常の対処、暗殺が現実的に考えて不可能なことだ。止めようと思っても止めることが出来ない存在というのは危険である。正面から魔法で戦っても対処されてしまうだろう。それに常に護衛として近くにいるディパッシ族のリュンヌは国中の優秀な騎士が集う武闘会で圧勝したのだ。
魔法でも物理でも暗殺することが不可能となれば、残りは毒殺だが、その点に関しても彼は非常に慎重だった。有能な薬師から毒物に関する指導を受け、多くの解毒薬を持ち歩いており、個別に運ばれる料理には口をつけようともしない。食器類も持参し、全て銀である。
つまるところ、殺し方が見つからない。そこが調整役として均衡を保たせるのに都合が悪いのだ。
正直、ここまで厄介な錘は扱ったことがなく、その扱い方と質量を計り続けている毎日ではあるが、その質量も体積も日毎に膨張していると思われる。
そう言ったことから、統一会議が始まる前に策を講じた。ロウゼ・テルノアールに唯一存在すると言っても良い明確な入り込む『隙』。それは彼が独身ということだ。
そのことについてはどの貴族にも周知の事実であり、利に聡い者であれば、身内の者と婚姻させて権力の増加に努めようとする。
予想通り、会議が始まってからは多くの貴族から婚姻の打診が多くあった。領主からも声がかかっているのを目撃している。
だが、彼本人は関心がないように見えた。領主としての仕事が忙しくそれどころの余裕ではないと言うようにその話題を捌いている。特段女性に興味を持たず、下卑た目で若い女子を見るようなこともせず分け隔てなく話し、かと言って男色の気がある訳でもない。
究極的な言い方をしてしまえば誰にも興味がないと思われる。
私は誰よりもその機微にいち早く気付いていた。それでもなお、領主として妻を持つというのは興味がない、忙しいと言って避けられるものではない。最終的には絶対に必要なものなのだ。
そこで、私の姪に婚姻の打診をさせるように取り計らった。
彼自身、他領地とのバランスを考えてオルレアンやギーズに近いものの婚姻は避けたいようで、どの派閥にも属さない貴族女性が適していた。
そこでバルセロナ家の出番だ。家の役割としても、代々婚姻によるバランスを取る為に婚姻を結ばせることが多い。
そして調査した結果、ロウゼ・テルノアールにとって一番興味を示す可能性があると思われたのが姪だった。
マリアノア・バルセロナ。マリアノア……マリーは他の若い貴族女性にしては珍しく、色恋沙汰などに殆ど興味がなく、理性的で合理的な判断と周囲との調和を取りなすバロセロナ家の人間として必要な素質と思考を持つ者だ。ロウゼ・テルノアールが領主の妻として欲しい能力や気質も持つ彼女と婚姻に成功すれば彼の動向をより詳しく知ることが出来、国とのバランスを保ちやすくなるはずだ。
「ということだマリー」
「叔父様の立場上そうする必要があるのであれば、バルセロナ家の者として務めを全うします」
政治的な理由での婚姻はやはり気持ち的には拒絶感があることは分かる。特に知りもしない相手と結婚し、子を成すということを考えれば無理もない。
マリーは恋愛などに興味が薄い分、好きでもない相手と特別に仲良くするということはそれなりに苦痛だろう。周囲との人間とそこそこの関係を築き、それを円滑に回すことが得意な分、一人に集中して密接な関係を築くことは大変だ。
だが、それでも自身の役割を理解し、役目を果たす必要があると考え、異論を唱えることはない。
「まあ、すぐに婚姻が決まるわけじゃない。何度か見合いをしてお互いを知ることからだ。恐らく他の候補者もいるだろう。だが、彼は特殊な相手だ。通常の貴族男性と話す心づもりではダメだ。主観的な感想などは要らぬ。客観的な利益や不利益、全ての理由を説明出来るほど合理的で意味のある受け答えが求められるだろう」
「随分と変わった方ですね」
「変わっているが、理不尽な男ではないだろう。お前が普段通りに……というより、本来の性格で世辞や共感しているフリなど無しで自然体で話せば良いはずだ」
「そんな領主が本当にいるんでしょうか?にわかには信じられませんね」
「ふ……彼と会えば分かる。もしかしたら好きになるかも知れんな」
「この私がですか?ご冗談を。家族以外の誰かを好きになるというのは想像が出来ませんね……」
「今までに居なかった貴族の男だからあるいはと思っただけだ。気にしなくて良い」
「それでは、お見合いの席にて出来るだけ良い印象を抱いてもらうよう準備をする必要がありますね。叔父様、失礼します」
「ああ、バルセロナ家の者として恥のないようにしっかりな」
「はい」
その後、ロウゼ・テルノアールは数人の女性との見合いの予定を入れ、数ヶ月かけて王都を行き来していた。そしてその結果、針の穴に糸を通すような私の企みを見事成功し、マリアノア・バルセロナは正式にロウゼ・テルノアールの妻として婚姻の準備を進める運びとなったのだ。
やっと彼のことについて詳しく知るチャンスが出来たと少し安心したのだが、極秘事項として先のセンタクルの戦いにて密偵が集めた情報によりイェルマ王国の機密事項に関する資料が大量に届けられ、どれも丁寧に精査されたものと確認出来た時には目眩がした。
……ロウゼ・テルノアール、このままでは天秤が壊れる!