センタクル戦その5
「あれか……」
ホウキに乗って高速でセンタクルに向かっている先に、大きな黒煙が上がっているのが目に入った。
火事の場合、白い煙なら既に鎮火している。黒ならまだ燃えているということが分かる。
つまり森は依然として燃えており、現在進行形で、センタクルの領地が破壊され続けていることを意味していた。
それから数十分して現場にようやくたどり着いた。途中休憩を挟んで出来る限り飛ばして1日半が既に経過していた。
「おっと……?ロウゼ様、随分速かったですね、一体どうやってここまで?」
「高速で移動可能な魔法を使った」
オーガにはホウキのことに関して教えたくない。どうせ空から攻撃が可能になれば戦争が有利になるので欲しいと言い出すに決まってるからだ。それにあらゆる領地を検問なしで来ているというのを都合が悪い。
「それは……今度私にも教えてください」
「テルノアールの魔法を教えろだと?」
家に伝わる独自の魔法というのはどこにでもあり、それを他人に教えることはしない。基本的には秘密主義な世界だ。
「おっと、それは失礼しました。あまりにも便利だと思ったので」
家の秘密を教えろと言ってることに気付き、オーガは全然申し訳なさそうに感じない形だけの謝罪をする。
「その話は今必要か?それよりも現在の状況を報告せよ」
「はい、事前に頂いた指示の通りに基本的には火事については何も手を出させておりません。住民は出来るだけ後退させています。それに濡れた布を口に当て、出来るだけ煙は吸わないようにもさせております」
「よし、怪我人の方はどうだ?」
「少々消火活動中に火傷を負ったものがいますが、殆どは治癒の魔法でどうにかなる範囲です」
「ということは重度のものもいるのだな?」
「はい、しかしながら戦争で随分と全体的に魔力が枯渇して治癒を出来るものが疲弊しておりまして、なかなか厳しい状況です」
この世界の治癒魔法は万能じゃない。ゲームに出てくるような腕が映える魔法やポーションは存在していない。
精々が止血、回復速度を速める程度だ。基本的には体の治癒力を促進させて傷の治りを早くするくらいで、失った組織を再生するには相当の魔力量を要求される。
そして、火傷の場合は感染症に対する備えがこの時代はほとんどない。ラップで行う湿潤療法はもちろんラップがないし、抗生物質となるペニシリンは存在していない。
そもそも注射、点滴という概念すらない。
よって、重度の火傷は貴族の中でもトップレベルの魔力量を持ち、水属性の魔法が使える魔法使いが三人いてやっと治せるくらいの深刻さだ。
それならば、治せる程度の怪我人を多く治す方が理にかなっているので、重症のものは苦しみ死を待つしかない絶望的な状況だ。
「では、私自ら治癒を行う。重症のテントに案内せよ」
「ロウゼ様お一人でですか?いくらなんでもそれは無茶だと思うのですが」
「私は人より魔力量が多い。大丈夫だ」
「……ではこちらへ」
オーガ、それに連れている他の貴族の騎士たちも何を馬鹿なことをと思いながらも領主の指示に逆らう訳にもいかず、テントへと案内していく。
「うう……」
「誰か治療してくれ……」
テントに入るとうめき声がそこらから聞こえる。多くは避難誘導と、なんとか火を止めようと魔法を使い火傷を負ったものだ。
「カズキュール、全員の治療に何分かかる?」
「そうだな、半刻もかからないだろう」
「火の進行速度に対しては余裕があるか?」
「ギリギリと言ったところか。遅くなれば煙がこちらまできて全員死ぬ」
「分かった急いでやるぞ……今から私が治療を行う!全てのベッドでいつでも可能なように準備しておけ!」
既に煙対策で、口元を布で覆っているので詠唱を盗み見られる心配もない。無茶なという声が聞こえているが一々反応している余裕もない。
「……シェルシテイション……」
傷に対して手をかざし魔法を実行する。
すると、焼けただれた皮膚が倍速再生された動画を見ているように見る見るうちに回復していく。焼けた肺も治療していく。
なるほど、このくらいで精神負荷が随分大きい。そりゃ普通に体内の魔力を使ってたのではすぐに枯渇するだろう。
魔力を体内から使う肉体の疲労感こそはないが、魔法は使う分、脳内の容量を削っているようなイメージで処理が遅くなっていく感じがあるのだ。
普段使うような魔法に対して、一人分の火傷を完治させるのにかなり精神力を使う感覚があった。
これは……ちょっと思ってたよりキツイかも知れない。高速でホウキをずっと飛ばしていたのもあり、万全の状態とは言えない。
しかし、彼らは移動することも出来ない重症なので、このまま火が進めば更に苦しんで死ぬだろう。
「次!」
「……!?治ってる!え?元気だ俺!?」
最初に治療された男が目を開けて起き上がり、体中を触り信じられないという声を上げる。
それを見ていた者たちも驚いている。
「あれほどの怪我を魔石の補充もなしにたった一人で、そして一瞬だと……」
先程まで無茶だと小声で言っていた騎士は愕然としていた。
次々に回復させていき、25分ほど経ったところで全員の治療が終わった。
「体内の治癒力を一気に高めて使った。そのうち反動が来るだろうから安静にさせて移動させてやれ。私はこれから火を止める」
「ロウゼ様、火を止めるとは……?何かとっておきの魔道具でもお持ちなのでしょうか?」
「いや?大雨を降らせて消火する」
「雨を降らせる……そんな魔法聞いたことありませんが?」
「当たり前だ、そんなものない」
「は?」
「時間がない、黙って見てろ」
足早に奇跡の復活を果たして賑わうテントを出て、森の近くに向かった。
「カズ、必要な範囲と量の調節の計算は任せる」
「私以外に任せられるものなど居ないだろう」
「だからそう頼んでるだろ」
そして大量の水分を魔力から還元して生み出していく。量が量なので、消耗感が尋常ではない。しかし、後ろには配下や多くの住民がいる。この領地の大切な自然が失われ、人の命も消える。そんなことに比べたら些細な問題としか思えない。
こういう時の為の貴族の特権なのだ。今義務を果たさずして、いつ果たす?
「まだか!?」
「まだだ、これでは足りない」
「頭がボーッとしてきた」
「しっかりしろ!お前にしか出来んのやろ!?」
「いってぇ!」
朦朧としてきた意識の中リュンヌが背中をバシッと叩いてくれたお陰で意識が戻ってきた。ディパッシ族のパワーで背中を叩くな。背骨が折れたらどうするんだ。
「よし、良いだろう。後は君の理屈通りなら雲が発達して雨が降ってくるはずだ」
「なあ、水をブワーって出してかけたら速いんちゃうの?」
「馬鹿言うな、森が大き過ぎる。俺が耐えられん。それに森の木ごと飲み込まれて全部倒れるし無駄が多い。自然の力を利用して一番楽な方法を使わないのは効率が悪い。いくら魔力が無尽蔵にあっても魔法が無限に使えるわけじゃないんだ」
「くっそー良い案やと思ったんやが」
「お前が思いつく程度のこと、思いつかない訳ないだろう」
「それもそうか」
「降るぞ……」
温度調節をしながら話しているうちに雲はどんどん大きくなり、辺りは暗くなっていた。
ポツリと鼻先に雨が落ちたのを感じた。するとそれを機に一気に雨が降り始めた。
「雨だ!?」
「おおお奇跡だ!」
「これで森の火が消えるぞ!」
城内からは僥倖とも言える奇跡の降雨に活気立ち、歓声がどっと湧いた。
直接雨雲を生み出すのを見ていない城内の住民たちは奇跡の雨が降って神が味方したのだと大騒ぎしているが、実際は一人の貴族が行った必然だと言っても誰も信じてくれないかも知れない。
だが、それで構わない。変に担ぎ上げられても迷惑だし、自分の実力を知る人間は少ないに越したことはない。
そんなことを考えているうちにどんどんと意識が遠くなっていく……。
「ロウゼ!おい!」
「気絶しているな、無理もない魔法の使い過ぎだ」
糸の切れた人形のように力が抜けたロウゼをリュンヌが抱えて声をかけている。
一方で、オーガを含む少数の貴族は静かだった。ロウゼの雨を降らせる規格外の魔法を目撃したのだ。彼らの目には雨雲を生み出したように見えていた。そんな魔法は今まで見たことも聞いたこともない。
大勢の魔法使いを使って大規模な広域の魔法で水攻めを行うということは稀にあっても、水そのものを生み出している。水を降らせる雨を生む魔法など存在していない。出来るのは神くらいだ。それが貴族の一般的な認識。
しかも、先程までトップレベルの治癒魔法に長けた人間が何人も必要な大火傷の治療を行っていたのだ。
特大の高品質魔石を利用していないと説明がつかない。勿論、そんなものは持っていなかった。服の中に隠せるレベルの大きさではないからだ。
じゃあ、あれは一体なんなのか?どれだけ頭をひねっても納得のいく答えは出ない。
だが、テルノアールが急激に発展し、富んだのはつまりこういうことなのだと理解は出来た。このクラスの怪物がいるからこそあの急成長があるのだと。インチキやハッタリ、オルレアン、ギーズとのコネで上手くいった訳ではなく、ただの実力なのだと。それだけは間違いなく分かった。
「休める場所、用意してくれ」
「あ、ああ……ロウゼ様にベッドの用意を!」
呆気に取られていたオーガたちはリュンヌの言葉によって我に返り、慌てて手配をする。
ロウゼが寝たテントではリュンヌ他ディパッシ族とオーガの兵による厳重な警備で極めて静かだったが、城内では敵が完全に撤退し、もう間に合わないと思われた火傷を負った者の奇跡的な回復、森の大火事も雨によって消え、祝勝会が行われお祭り騒ぎとなった。
「……なんだ、随分と騒がしいな」
「ロウゼ!起きたか、心配したで」
「すまんな、張り切り過ぎた」
リュンヌは子犬のような目で心配そうに見つめる。
「もう大丈夫なのか?」
カズキュールもこちらの顔を眺めている。
「お前ら……顔近いって!」
「まだ距離感が分からん」
「お前……数字というのに人間の距離感分からないってどうなの」
「適切な距離を数字で定義してくれれば良いのだ」
「そんなものはない」
「では不可能だ」
「本当に融通が利かんやつだ」
「で、外の騒ぎはなんだ?」
「戦いが終わって皆喜んで飲んで食ってはしゃいどるんや」
「そうか……火は無事に消えたのだな」
「ああ、懸念していた土砂崩れや川の氾濫も無かった。まあ私が計算していたのだから当然だが」
「良かった……」
「じゃあお前も皆に顔見せに行け。心配しとるやつもお礼言いたいってやつもいっぱいおるんや」
「面倒だが仕方ない、これも貴族の務めか……肩を貸してくれ」
「何が貴族の務めや。なんか助けてくれたらお礼が言いたい。普通のことやろ」
「……お前には勝てんな」
「へへ」
テントを出て賑わっているところに顔を出すと割れんばかりの声援と拍手が迎え入れてくれた。その後は並んで挨拶をしにくる者を捌くのに大変だった。
ディパッシ族の演武やスモウ大会などで彼らもいつのまにか馴染んで楽しくやっている姿が見れて安心した。そこには侮蔑や畏敬などなく、純粋な感謝と尊敬があるだけだった。
「これは大司教にご報告せねばいかぬ。分かっておるな。あのような強大な力を持った貴族が生まれていたとは……」
「はっ、勿論でございます」
白い法衣を着た二人の男性がその賑わいを見てヒソヒソと話しているのは誰の目にも入っていなかった。