公衆浴場の視察
ホウキに取り付けられるサイドカーのようなものを作ってもらい二人乗りでリュンヌと共に元奴隷たちの住むエリアへと飛んでいく。
生活の様子は報告されているがやはり直接見ておきたいし、気になる。
「これ便利やわー」
「少しの移動なら馬車に乗るのも馬鹿馬鹿しいしお前が居れば護衛も必要ないからな」
「いや、言うてもお前魔法使えるし護衛も要らんと思うけどな」
「まだあの事を持ち出すのかしつこいな」
「俺が負けたんやぞ?ひょろひょろのお前に根に持つに決まってるやろ」
リュンヌが言っているのは先日の魔法の試しでの話だ。相手に傷をつけずに無力化する方法を考えていた。一瞬、酸素を取り込めないと人間は瞬時に気絶するという話を思い出し頑丈なリュンヌなら大丈夫だろうと実験をしてみた。
風を操る魔法でリュンヌの周りだけ空気を無くして見たらウッという声にならない声で大柄なリュンヌがバタンと倒れてしまった。しばらくしたら起き上がったが、流石にヒヤッとしたので緊急時以外は使用出来ないのでお蔵入りだ。
しかし本人は納得がいかないのかその事を一々持ち出して攻略するために勝負しようとしてくる。正直面倒くさい。
「一瞬息を止めたら勝てるはずや」
「まあ、その一瞬はこちらが決めるので予測するのはまず不可能だ。最初から息を止めておくしかないな」
「普通のやつやったら無理やろうけど息止めてる間にお前倒すことくらい出来るやろうな」
「そうだな、お前の勝ちだ」
「あっ!お前勝負せんつもりやろ!」
「お前が勝つのは分かっている。それで十分じゃないか」
「全然十分ちゃうわ!」
「今度やってやるから分かったって、もうつくぞ街へはお忍びだから静かにしていろ」
「ったく!」
本来の姿を見るために今回はお忍びだ。平民の服をまとい金持ち風を装っている。まあ、顔を知っているやつは一発でバレてしまうが街の生の声が聞きたいという貴族の戯れに付き合ってほしい。
元奴隷たちの住むエリアから少し離れたところでホウキをおろして様子を見に徒歩でいく。
広場から人の声が聞こえてきた、子供が走り回ってはしゃいでいる声、女性たちが立ち話をしている声、男たちの働く声、どれも希望に満ちた活気のある声だ。
「おー結構賑わってるやん」
「そのようだな、良い事だ」
「あっあなたは……!?」
隅のベンチに座って日向ぼっこをしていた老人がこちらに気付いて驚いている。
ヨボヨボしながら跪こうとするのですぐやめさせる。
「よい、今日はお忍びで来た。領主と気付かれたくないので座っていろ」
「で、ですが……」
「代わりにここの様子を教えてくれ」
「か、かしこまりました……」
動揺した老人も次第に落ち着きを取り戻し始めてポツリポツリと語りだした。
「ここの者は皆ロウゼ様に感謝しています……私たちにあらゆる自由を与えてくれました。与えられた自由を皆噛み締めて毎日を過ごしております」
「そうか、生活で困っていることはあるか?」
「私どもは奴隷の身でした。ですので学がないので買い物をするにしても本来より高い値段で買わされたり、仕事でも指示の意味が分からずに大変だという話を聞いております」
「勉強ならば私が主導で教育出来る機会を与えるつもりだ、やる気のある者はそこで学ぶと良いと伝えておけ。将来的には私の下で働いてもらうことになるがな」
「おお、なんと慈悲深い」
「これは慈悲ではない。投資だ。まあ、それは良い他に困った点はあるか?」
「家族の問題でしょうか……」
「家族?」
「私どもは子供を産むことなどは制限されており家族を持つものが少ないのです。捨てられた孤児だったり、戦争で親を亡くしたものだったり、売られたものそういう孤独な集まりなのです。本来親が子に教えるような基本的な生活の知恵を持たないものが多く、今は互いに助け合うことが重要ですが、家族ほどには互いに信用も出来ません、だから皆普通の生活をするのに精一杯です。私のような老人が家族を持たない子供の世話をして、若い者が働くという仮の家族を作っていますがやはりぎこちないです」
「そうか……家族か、やはり孤児院を作り孤児は集めて育てないと親子関係が無くては難しいか。養子というのも今の生活ではまだまだ厳しいだろうな」
「そう……ですね、誰しもが私のように子供が好きで面倒を見たがる訳ではありませんので」
「考えておこう、このままではまた孤児や奴隷を生む種になりかねんからな」
「ロウゼ様は奴隷がお嫌いのようですね」
「貴族なのに、か?奴隷は経済的に正しいとは言えないそして……気持ち良くないからな」
「気持ち良くない……?」
老人は何を言っているんだという顔でこちらを見つめる。
「ああ、それだけの話だ」
「ハハハ、変わったお方だこんな方が国中に入れば奴隷は無くなるかも知れませんのお」
「ああ、そのつもりだ」
「へ?」
老人は冗談で言ったことが冗談じゃなくなった時の謎のやらかした感を覚えたのか間抜けな顔をしている。
「本気だ」
「そ、そうですか……」
「話を続けようか」
「そうですね後はやはり他の平民からの嫌がらせ……ですかね」
「おらぁ!どこ見てんだこの奴隷がぁ!」
広場向かい側で男が怒鳴る声が聞こえた、どうやら子供に絡んでいるようだ。
「ああ!あれはドヌーブか!」
「知っているのか」
「あの子供は私が育てておる子供で……あのように奴隷と蔑まれて要らぬ面倒ごとに巻き込まれるのです……ドヌーブ!」
老人は子供に駆け寄り庇うように男の前に立った。
「どけジジイ!このガキがぶつかって来たのが悪いんだろうが!」
「……全く、ここまで小物だと呆れるな、リュンヌ助けてこい」
「うい〜」
リュンヌは仕方ないなと早足で向こう側に行った。
「おい、ガキと年寄りいじめて楽しいか」
「な、なんだお前は」
「リュンヌや」
「何者だ!」
「だからリュンヌやって」
「違う!どこに所属しているか聞いているのだ!」
「所属?知らん、屋敷か?」
「屋敷だと、ふんどっかの貴族の下働きか知らんが俺に楯突かん方が身の為だぞ、俺はあのクシー卿の元で用心棒をしていたのだからな?」
「あ?クシーって捕まったやつやろ?それなら今は用心棒ちゃうやんけ」
「馬鹿が!それだけの腕だと言うことだ」
「あっそ、そんなら俺はロウゼの用心棒じゃ!」
「誰か知らんが調子に乗るなよ!」
男がリュンヌに拳を振り上げた。振り上げた瞬間に彼の後ろに回り込んだリュンヌは頭を指でバチンと弾いた。
「痛っ!?こいつふざけやがって!」
「お前なあ、ロウゼ知らんってヤバイやろ。ロウゼ・テルノアール。領主やで?」
「何っ!?領主の用心棒だと!?」
「ホンマは護衛騎士って言うらしいけど」
リュンヌは男を持ち上げ投げ飛ばした。相変わらずの馬鹿力だ。
「ひぃ、悪かった命だけは!」
「もうここの奴らにちょっかい出すなやアホが」
「分かった、分かったから!」
「早よ行け」
男は泣き出しそうな顔で一目散に去っていった。
「助かりました……ほれ、ドヌーブもお礼を言いなさい!」
老人はドヌーブの頭を押さえつけてお礼をさせる。
しかしドヌーブはリュンヌの方をジッと見つめて動こうとしない。
「なんや、お前」
「俺を弟子にしてくれ!」
「は?」
ドヌーブはどうやらリュンヌに弟子入りしたいようだ。
「さっきみたいに俺たちに嫌なことしてくるやつがいっぱいいる。ここにいる皆を守れるようになりたい!」
「ほーん、面白いやんけええよな、ロウゼ?」
「馬鹿っ、でかい声を出すな」
「ロウゼ……?」
「今ロウゼって……」
広場にいた人たちがこちらに気付いてしまった。
「はあ、場所を変えるぞ」
老人の住む家に避難して話の続きをする。
「それで、本気で俺の弟子にして欲しいんか」
「ああ!俺は本気だ!じいちゃんは俺を奴隷の頃から面倒見てくれた!今度は俺が助けたい」
「俺はええけど、ロウゼどうする?」
「平民向けの学校は元々開くつもりだったので通わせれば良かろう。将来的には私の部下として働いてもらうことになるが、まあ兵士希望ならそれで良いのではないか?」
「やとよ、どうする?」
「強くなったら兵士になって皆守れるのか?」
「それはお前次第だドヌーブ」
「やる……俺兵士になる!」
「では屋敷に通え、学校はまだ用意出来ていないがリュンヌが稽古をつけてくれるだろう」
「おう!」
ドヌーブはやる気に満ちた返事をした。
「こ、これドヌーブロウゼ様にそんな口の利き方をしてはいかんぞ」
「礼儀もこちらで教育するので問題ない」
「しかし私どもは払うお金など……」
「金は要らん、その代わりこちらの仕事をしてもらうからそのつもりでな」
「は、はいありがとうございます!」
「そろそろ行くぞリュンヌ」
「おう」
住宅地を抜けて次は公衆浴場に向かった。公衆浴場は既にオープンしていて中々良い調子らしい。物珍しさに入ってみて風呂の気持ち良さに目覚めてリピートする客が多く富裕層の商人は毎日通っているものもいると言う。
受付で金を払おうとしたら当然気付かれた。
「しっ!声を上げるな視察で来たから普段通りにせよ今日はただの1人の客だ。特別扱いはしなくていい」
「しかし……」
「構わん、別に責めに来たわけではない。問題があれば改善してより良い場所にしたいだけだ」
「わ、分かりました……」
受け付けの男は呆然としていたが貴族として自分が来たらこの場にいる者全員を追い出して貸切にしなくてはならない。それは損失が出るし良くない。回り回って自分の損失でもあるのだからそんな事は望んでいない。
江戸時代の浴場は混浴だったらしいが分けておいた方が無難だろうということでここでは男女別だ。
男子風呂に入ると脱衣所がある。カゴの中に服を入れる。カゴにはそれぞれ番号が振ってあり、その番号が書かれた木札を持って入浴する。見張りの者がいるので盗まれる心配はない。
「へーそんな仕組みなんか、俺は1が良い!」
子供かお前は。
「なんでも良いから」
「あっ!1取られてる!」
「お前だけの番号じゃないからな」
「くそーじゃあ2や!2はあるわ」
「あー、そうか、良かったな」
服を脱いで受付で渡された手ぬぐいを持って浴場へと向かう。作る際に布を扱う店に大量に発注をかけたのでありがたがられた。身体を綺麗にするという用途で使うことはあまり無かったらしい。
リュンヌの肉体は彫刻みたいに、バキバキに筋肉が盛り上がって割れてを繰り返してるから裸体は凄い。自分は隣にいたら貧相だな。定期的に訓練に混ざって鍛えているとはいえ、デスクワークが多いので運動不足気味だ。
ディパッシ族特有の刺青も目立つ。日本みたいに刺青が入っている人は入れないというルールはない。無駄な差別や偏見を生むだけだからだ。ルールさえ守れば誰でも入っていいのがこの浴場の良いところだ。
「おー広いなー」
「結構人がいるな、良かった良かった」
「で、何するんや俺ら」
「まずは身体の汚れを落とそう」
ゲオルグが開発した身体に刺激の少ない石鹸を使い泡だてて手ぬぐいで身体を綺麗にしていく。
「えー!どうやってんねやそれ!」
手ぬぐいで作った泡に興味津々で聞いてくる。
「手ぬぐいに石鹸をつけてこうすれば……」
「おー、なるほど。おりゃあああ!」
高速で手ぬぐいを動かし泡だて始めると明らかにやり過ぎというくらい泡が立ちだした。
「やり過ぎだろ。ほら、これでこうやって身体を洗うんだよ」
「へー、ん?背中はどうやるんや?」
「それはこうだ」
片手は肩の上、片手は脇の下で斜めのラインを作り背中に橋を渡すようにして洗ってみせた。
「おーなるほど。でもいつも人にやってもらってるお前にしては詳しいな」
「まあな、それくらいは考えたら分かる」
身体を洗い汚れを落として一番大きな風呂に入る。湯加減はやや熱めで丁度いい。
「これめっちゃ気持ち良いやんけハマったかも知れんわ」
「そうか、良かったな次は自分で金払って来いよ」
「えー、一緒に行こうや」
「俺に金払って欲しいだけだろ」
「そうや。お前が一番お金持ちやからな」
「全く、要らぬ知恵ばかりつけやがって」
「なんか他にもあるみたいやけど何か違うんか?」
リュンヌは他の風呂の存在に気付いたらしく向こう側を指差している。
「ああ、あれは薬湯だ」
「薬湯?」
「ゲオルグが調合した薬が入っていて身体に良い。あっちは水風呂、冷たい風呂だ」
「は?冷たい風呂なんか気持ち良く無いやろ」
「と、思うだろついて来い」
風呂を出て向かったのはサウナだ。木で出来た小屋に入ると熱気がむわっと襲いかかる。
「あつ!あつ!なんやここ!」
「サウナだ、ここに入って汗を流し血行を良くする。そして身体が十分に温まったところで水風呂に入ったら冷えて気持ちが良いのだ」
「はー良くもまあそんなこと思いつくわ」
サウナの中には人が10人ほどいて雑談しているようだ、良い機会だ利用者の生の声を聞いておこう。
「おや、見ない顔だな」
早速おっさんが話しかけてきた。
「初めて来たので。良く来るんですか?」
「ああ、ここにいるやつらは全員ほぼ毎日来てるか顔馴染みでな」
「毎日、それは凄いですね。商人の方ですか?」
「そうそう、最近は景気良いからな、懐もあったかいってもんだ、領主様のおかげだよ」
「全く、次から次へと変わっていくもんな」
その場に居た他の人も会話に混ざってくる。商人はやはり利益を上げているようだ、ここに来て経済を回してくれるのはありがたいからどんどん利用して欲しい。
後ろでリュンヌが今話してるのがその領主だって言いたげに笑いをこらえているが無視だ。
「なんでももう少ししたらダンジョンってのが解禁されるらしいからダンジョン街の方でも人がたくさん来るらしいな」
「うちも出店したくて申請したが人気らしくて入れるかどうか」
「皆一枚噛みたいからな、領主様のやることに乗っかってりゃ勝手に儲かるってもんだ」
「ははは、違いねえ!」
まあ、友好的と捉えていいのだろうか、敵意がないのは助かる。皆協力的で色々早く進んでいるしな。メリットがあると思わせることには成功しているようだ。
「そういや兄さん後ろにいるのディパッシ族だろ?」
「あ、ああそうなんです」
「兄さんさては……」
まずい、領主と勘付かれたか。
「ボンボンだな!護衛してもらってんだろ!」
「じ、実はそうなんです。父が心配性で……」
「まあ、この街も随分治安は良くなったがそれでも厄介なやつらは見えないところで悪さしようとするからな、街に慣れてなければ雇った方が賢いわな」
「ええ、実はこの街には来たばかりで噂の公衆浴場に来てみたという訳です」
「昔は酷かったんだがそこに新しい領主様がディパッシ族を連れてきた時にはどうなるかと思ったがディパッシ族のおかげで悪さするやつが減って助かったディパッシ族には感謝してるんだ」
「お、おう……」
リュンヌは照れ臭そうに鼻をポリポリと掻いた。心無いこともいっぱい言われてるからこそ好意的な意見には慣れていないのだろう。
「そうだ、ここ上がったらフルーツ牛乳っての絶対に飲みな兄さん!冷たくて美味いぞー!」
「ほお、そんなものがあるんですね」
「領主様の冷たい部屋を作る魔法で冷やされた飲み物なんだがこれが風呂上がりで火照った身体に染みるんだよ」
「それは楽しみですね」
適当な相槌とかではなく自分が飲みたいから作らせたのがフルーツ牛乳だ。この視察は最後にフルーツ牛乳で締める為だけに来たと言っても過言ではない。
「街に行ったらポップコーンとポテトチップとアイスクリームもおススメだ」
「あれは街で一番の名物になってるからなーロウゼ商会にはやられたと思ったよな」
「ああ、あんな美味いものをあんな値段で出されたら溜まったもんじゃないわな、飯屋系の商人じゃなくて命拾いだな」
「確かに!」
ここにいる人たちは全員食料を扱う商人ではないようで気の毒だと笑っていた。
その後は領主様のおかけでここが変わったとか街の良いところとかを色々紹介してくれた。自分の話をされるのはなんだかむずがゆいが大変参考になったので良かった。やはり生活してる生の声は重要だ。
「ふーあつい、俺そろそろ出たいんやけど?」
「そうだな良い頃合いだろう」
おっさんは何故かサウナ耐性が強く長い間居られるようだが自分もそろそろ茹で上がってきた。
「俺先に出るわ、ロウゼ」
そう言ってサウナを出て行った。あの馬鹿。
くるりと振り返ると商人たちはサウナの中で顔を青ざめて冷や汗を流していた。
ハッとしてサウナの中で跪こうとしたのを制止した。
「よい、今日はお忍びで来ただけだ。街の生きた声が聞けて参考になった。先ほどの態度については咎めるつもりは一切ないので安心せよ。良い時間だった……この事は他言無用だ」
そう言ってすぐにサウナを立ち去った。これ以上居たらあちらも生きた心地がしないだろう。
水風呂につかり熱気を奪われていく心地に浸り浴場を出てリュンヌとフルーツ牛乳を飲み、その旨さに感激するリュンヌを適当にあしらいながら屋敷へと帰った。