婚約の打診
「テルノアール卿、私の娘と結婚せんか」
「け、結婚ですか……」
遡ること1週間前屋敷に一通の手紙が届いたことが始まりだった。
「ロウゼ様、お手紙が届いております」
「誰からだ?」
「隣領のフィッツ様からです」
「フィッツ卿?交友などあったか?」
「お父上が少し……しかしあまり仲が良かったと言える程度の交友関係では無かったはずですが……」
「新しくなったという機に友好な関係を結ぼうとしていると言ったところか」
手紙を開封すると1週間後にフィッツ領に遊びに来ないかという内容が記された紙が入っていた。
うーん、正直この忙しい中わざわざ大して仲良くもない領主とお喋りする余裕などないので行きたくないのだが。
「これは、行かねばならんだろうな」
「上位の方のお誘いですから、よっぽどの理由がない限りは断れないでしょうね」
「はあ……仕方がないな。ロラン返事の用意を」
「はい」
返事には、招待して頂きありがとうございます、とても嬉しいです。是非行かせてくださいと、思ってもいないことを貴族的な言い回しで、ダラダラと長い文章として書いていく。
しかし何故今頃なんだ? 喪が明けたからそのタイミングで招待した?
「ロラン、フィッツ卿について知っていることはあるか」
「非常に押しの強い方ですね、お父上も何かと無理を言われて頭を悩ませていました」
「典型的な貴族タイプか……下には強いと」
「そう……ですね、ある意味貴族らしい方と言えるでしょう」
「となると、俺も無理難題を押し付けられる可能性があると言うことか」
「あり得ますね」
「厄介だな、いや、今まで直接干渉してくる貴族が居なかったのが幸運なくらいか」
「干渉するほどの影響力がうちにはありませんでしたので」
「それもそうか、となるとうちが力を持ち始めたから目をつけたとも考えられるな」
「ディパッシ族は軍事上の脅威ですからその牽制もあるのやも知れませんね」
「ああ、なるほどな」
確かに武闘会であれほどの実力を見せたのなら隣の領地は警戒するのは当たり前だろう。この国には領地間の争いを裁く法は無い。領主とは領地を守る存在。攻められて守れないならばそいつが悪いという考え方だ。王に背く行為さえしなければ、税を納めていれば罰されることはない。法律も領地間でそれぞれ定めており、全ての領地が治外法権だ。犯罪はその土地の領主が裁く。
領地間の争いも珍しいものではないのが現状だ。今の王が外国との戦争を平定したら次は内側での争いが始まった。自分たちの利益のために争うのはどの世界でも同じのようだ。
「しかしそれならばリュンヌたちを連れて行くとなると余計に刺激するか?」
「かも知れませんが、舐められてはいけませんしリュンヌ以上の護衛もいませんから……」
「だろうな、行儀よくしてくれたら良いのだが」
「それは……保証出来ませんな」
「そこが怖いのだ」
「行儀作法も多少は身についてきましたが、根本となる考え方、常識が違い過ぎて亜人や兵士とは違って馴染めていませんね」
「それは多少は仕方ないだろうな。我々がディパッシ族の常識と社会の中でやっていけと言われても難しいだろうしな」
「そう……ですね、考えただけで頭が痛くなる生活になりそうです」
「ロランが暴れて怒鳴ったりしているのは想像出来ないな」
「若い頃はともかく、流石にこの歳ではそんな体力もございませんよ」
「ん?若い頃は暴れていたのか?」
「いえ、そんなことはありませんよ」
ロランはニッコリと笑いお茶を注ぐ。笑顔で誤魔化しているような気がしてならない。本当はワルだったのだろうか? いや、イメージが出来ないが。
そんなわけで、手紙を返信して1週間後にフィッツ領に赴いた。テルノアールの何倍も土地があり格としては中領地のフィッツ領は人口も多く街の規模も多い。道中見かけた農作物や土地は痩せていてあまり元気な領地とは言えない様子だった。
どこも同じような状況なのだろうが、作物が育たないと食べていけないので、その土地だけでなく住人までもが元気がない。
テルノアール領は目に見えるほどに土地が豊かになりだしポムドテルは豊作でそれを食べて栄養をつけた住人が少しずつ元気になり始め良い調子だ。ようやくもう少しで紙の製造も始められそうだ。
街も衛生指導をしたおかけで綺麗になったし病人も減ったという。テルノアールは少しずつではあるが確実に良くなってきている。他所の領地の糞尿の散らばった平民街を見て改めてそう実感する。
昔のテルノアール領の大きいバージョンというだけでここは取り立てて珍しいものもなく、だからこそ生活は厳しいのだと思う。天然資源などが豊富か食料庫としてやっていけるほどの収穫がない限りはどこの領地も経営は厳しいものだ。結局、貧しさに限界が来て豊富な土地を求めて戦争が起こるということだ。
戦争による略奪に頼らない領地運営をしていきたいものだ。人を死なせて手に入れるって割に合っていない気がする。
フィッツ卿の屋敷に到着した。屋敷はうちよりも全然大きくて立派なものだった。うちは屋敷だが、ここは小さな城と言った方が正しい。王都はもう城が街1つほどある馬鹿みたいにデカイ城だが、ここはそれに比べると幾分小さい。それでもテルノアールの屋敷に比べてたら十分過ぎるほどに大きく迫力ある建築だ。
随分昔から存在していたのであろう石造りの城は堅牢な雰囲気を放ち、攻略は難しいであろう山の中だ。逆に少し高い丘に立っているうちの屋敷はまるで戦闘を想定していないのではないだろうか、攻め入られたら簡単に攻略されてしまいそうで少し怖いな。
「ようこそ、おいでくださいましたテルノアール卿。私は執事のエリックです。親方様がお待ちですのでどうぞ、こちらへ」
「リュンヌ、ここからは余計なことはするな。俺が許可するまでは基本的に口は閉じて大人しくする、いいな?」
「分かってるって、お前の身に危険がある時だけやろ、うるさいな」
「本当に分かってくれてたらいいのだが」
案内されて応接室と思われる場所に入ると芸術品と思われる壺や絵画が掛けられ、床には贅沢な柄の絨毯が敷かれていた。自分はあまり気にしないのだが、貴族としてはこういう『見栄』も必要なのだろう。財力があるとアピールも大事だ。
「おお、よく来てくれたなテルノアール卿。私が領主のクリストフ・フィッツだ」
「本日はお招きありがとうございます、フィッツ卿。ロウゼ・テルノアールです、よろしくお願いします」
「まあまあ、かけてくれ」
フィッツ卿は中年オヤジという感じで愛想よく出迎えてくれた。
「フィッツ卿、こちらはお土産で我が領で流行っている甘くない菓子です。お口に合えば良いのですが……」
「おー、ポップコーンか! これはかたじけないな。実は噂は聞いていて一度食べてみたいと思っていたのだ。おい、エリックこれを食器にうつして茶を用意せよ」
「はい、ただいま」
エリックがお茶を入れてくれて、ホストであるフィッツ卿が一口飲んだ後に続いて飲む。うちでは飲んでいないお茶で、なんだか不思議な味だ。悪くはない。
ポップコーンを食べて味を褒めて頂いたところで雑談に入る。
「どうだね、領主は中々大変だろう」
「はい、慣れない事が多く未熟さを思い知らされる毎日で」
「私も若い頃は苦労したよ」
ああ、若い頃の苦労話とかいう超どうでもいい話が始まるのか最悪だ。とは思っていないような顔をして愛想よく相づちを打つ。
「ところで、最近テルノアールは結構儲かっているらしいではないか」
「いえいえ、そんな儲かるというほどでは」
「ジュアンドルが売れているのであろう?他の貴族の中でも評判が良いではないか、私も試したがあれは薬にしては安いし効果もしっかりとある素晴らしい品だ」
「それは……ありがとうございます」
「あれはどんな薬草を使っているんだ?噂ではテルノアールにしかない貴重な薬草が群生していると聞いたが……」
「それに関しては……」
「おっと、商売の大事な情報だそう簡単に言えるものでは無かったなこれは失敬」
ハハと笑いながら質問を辞めたが、その目は本気な気がした。あわよくば聞き出そうという目だ。
それを察知したので、濁しながら断らず、答えずでしのいだ。
「フィッツ卿、それで本日お招きされた理由とは何なのでしょうか?」
「あ、ああそうだなそろそろ本題に入ろう」
ティーカップを机に置いて、少しの間の後にフィッツ卿は口を開いた。
「テルノアール卿、私の娘と結婚せんか」
「け、結婚ですか……」
結婚とは予想外だった。会ったこともない男の娘と結婚の打診をされるとは。
「自分で言うのもなんだがテルノアール卿と年も近く器量も良い。聞けば恋人もおらぬそうではないか、互いの領地も友好な関係を結べるだろうし其方にも悪い話ではあるまい?」
ああ、政治的な結婚が目的か。いつの時代を有権者の娘と有権者とを結び、地位を安定させる政治的な役割を持つので子供には自分の結婚相手を決める権利がないというのは珍しくない話だ。
「そ、それは……あまりに急な話ですので何とも言えませんね」」
「そうだな、話す機会がないと始まらんからの」
「私は今のところは結婚は考えられる状況ではありません。領地も貧しく、引き継ぎが出来ておらず領主の仕事を知らないことも多いのでとてもそれどころでは……妻を放っておいて悲しませても悪いので」
「では、しばらく娘をそちらに預けよう。気に入ればそのまま結婚すれば良い」
「え……?」
「私がわざわざ娘を紹介しているのに無下に断るということもあるまい」
クソッ、こいつ最初からこれが狙いか!? 上位の貴族の頼みというか半分命令、脅しみたいなもんだが断る理由もなく断れないのが厳しいな。
スパイをつけられたようなものだ領地の機密を知られるのはマズイ。何とかせねば……
「機密などもありますので、自由にさせることは難しくあまり良い環境でお迎え出来ないというのが心苦しくあり、ご息女のことを考えるのであれば、考えなおしをして頂きたく……」
「それは分かっておる、屋敷の一室に住まわせて話をする事が出来ればそれで良い」
「本人はどう言っているのですか?私のことは知らないでしょう」
「いや、私が良いと言っているのだから良いのだ、あいつの意見など一々聞かなくても良い」
「そうですか……では」
その後娘のレモンドと挨拶をして数日後にテルノアールに来ることになった。フィッツ卿、ここまで強引なのは貴族の普通なのか?それとも本人の性格か?
面倒なことになった。まあ、逆に懐柔してフィッツ領の機密を聞き出してやるさ。後悔しろ、ハゲおやじめ。