薬師ゲオルグ
ゲオルグに課題を申し付けた手紙を送ってから3週間ほど経ったある日、一通の手紙が屋敷に届いた。課題となる薬品を完成させたので見て欲しい。その質が条件に満たされていればお抱え薬師にして欲しいと書かれていた。
出来たと言っているのだから期待してもいいのだろうか?この時代の人間の価値基準ではなく、より文明が進んだ世界で生きてきた人間の基準をあまり甘く見ない方が良いぞ?と思うのだが、まずは見てみないことには始まらない。
翌日、ゲオルグは荷車を引いて荷物を沢山乗せて屋敷にやって来た。まさか、もう住み込む気なのか?
荷物を運ばせ、屋敷の中に案内する。
「どうもどうも、初めまして領主様。私はゲオルグと申します、よろしくお願いします」
「ああ、ロウゼ・テルノアールだ」
暗い茶髪と緑の瞳をした20代前半の見た目のゲオルグは胡散臭い笑顔を貼り付けて貴族である自分に一切の恐れを感じない態度で挨拶をしてきた。
その態度には面食らったがそれよりも気になることがあった。あまりにも身綺麗なのだ。
普通平民は汚い。風呂にも入らないし、服も汚れている。髪はベタつき、顔は垢でやや黒い。
それが平民の普通なのだが、ゲオルグにはそれが全く感じられない。別に豪華な服を着ているというわけではないのだが、綺麗だ。
「其方、平民にしては随分と身なりがいいな」
「いえいえ、貴族の方に会うのに汚い格好は出来ませんし、要らぬ病気を招きます。私は出来るだけ長く研究したいので不健康は敵なのです」
こいつ、この時代の人間にしては衛生観念が高いな。不衛生が病を生むことを理解しているのか。薬師だからか? いや、王都にいたのはもっと汚かったはずだ。特別なのか?
「それで、用件は聞いているが出来たのか?」
「勿論です、大変面白い注文でした」
「では、早速成果を見てせもらおうか」
箱の中からいくつかの瓶を取り出し机の上に並べた。
「まずは、髪を綺麗にする薬品です。髪には臭いや油が付着しておりそれを落とすことが肝心とのこと。ですので、石鹸を元に改良し固形のものではなく液体の石鹸とでも言いましょうか?を作ってまいりました」
「ほう、液体か。面白い」
正直、固形の石鹸だろうなとタカをくくっていたのだが、本当にシャンプーに近いものを開発してくるとは予想外だった。
肝心なのは見た目ではなく効果だが。
「汚れを落とすだけでなく香りをつけてみましたので一度お確認を」
「いいだろう」
ゲオルグから瓶を差し出されたので手に取り栓を抜いて鼻に近付ける。
「良い香りがするな」
「それはハーブを混ぜているのです、どうですか?」「香りはあまり強過ぎず丁度良いだろう。良く思いついたな」
「ありがとうございます、こちらは花の香りのするものなのですが、女性向けならばこちらの方が良いかもしれません」
「……香りの種類まであるのか」
「はい、作り方は同じですので最適素材を試している間に生まれました」
「なるほどな」
ちょっと待て、こいつ異世界人とかじゃないだろうな?あまりにも話が早い。商人でもないのに客のターゲット層を想定して薬を作るだと?普通じゃないぞ。
「そちらにあるものは?」
他に並んだ瓶を見る。
「こちらは歯を綺麗にする薬品です。髪とは違う材質なのですが、考え方は基本的に同じですので比較的楽に出来ました」
「楽にか……」
どうぞ、とゲオルグは瓶を手渡す。
液体ではないのだが、今度はねっとりとしたペースト状だ。
こいつ、完成品を知っていてそれを再現しているとしか思えんがまさか本当に……だとすると野放しにしてはおけんな。囲っておいた方が良いかもしれない。
仮に違ったとしても発想力が飛び抜けて柔軟だ。的確に欲しいものを作ってくる。
「これは粘土のようだが」
「はい、その通りです。粘土です」
「何故粘土を?」
「ものを磨く際に、粒の細かい粘土で研磨することで綺麗になります。歯もそれと同じことかと思ったので目の細かい粘土を使いました。それに塩と薬草を混ぜて使い終わりにサッパリとした心地を出しました」
完全に匂いは歯磨き粉だ。色はグレーなのだが、質感が歯磨き粉そのものだ。
「柔軟な発想力を素直に褒めよう。どれも未だに無いものだ。固定観念に囚われずここまで新しいものを作ってくるとは」
「いえ、これまでに無いものなので固定観念も何もありませんでした。最適な形を考えて作ったまでです」
「最適なものか……」
「それで評価の方は……」
「見た目や工夫は素晴らしいが見た目だけでは意味がないからな、実際に試してみて効果があるかを確認したい。私は一度失礼してこれを試してくる。食事でもとって待っていてくれ。ロラン、彼に食事を」
一度部屋を出て、シャンプーと歯磨き粉を試しにいく。
実は、この間個室に風呂を作った。浴槽と水桶しかないが水など魔法で簡単に沸かすことが出来るので特に設備は必要ない。水が貯めれればそれで良い。温度の加減が分からず熱湯になっており熱湯風呂に落とされた芸人のような動きを一回してしまったが。
さて、まずは髪を湯で流す。ロウゼとして生まれ変わった瞬間髪の長さに驚いた。貴族は髪を長くすることで手入れが出来るというのがステータスとなるので皆大体髪が長い。余計にシャンプーが必要な社会だと思う。
水で油を出来るだけ流してゲオルグのシャンプーを髪に塗りつける。泡はそこまで立たないか……やっぱり泡立ちが洗ってる感があるんだよな。
別に泡立ちが重要でそれによって洗えてる度合いが高いってことはないらしいが。
水を魔法で操作して滝のように頭上から水を落としてシャンプーを洗い流す。
手触りを確認するべく、髪に手を通す。ギシっ! という感触がして手が髪を引っ張る。
「痛っ!」
汚れは確かに落とせた。しかし髪がパサパサするのは治らなかった。まあ、コンディショナーを注文しているわけではないので注文通りと言えば注文通りだ。
次はコンディショナーを開発してもらわんとな。
風呂を上がり髪を乾かす。これも温風を魔法で出して乾かす。現代的な生活をしようとしたら魔法に頼りまくってしまう。
髪を乾かした後は歯を磨いてみる。粘土を口に入れるのには抵抗があったのだがハーブの香りが強く味はしないか少し辛みがあるくらいでそこまで気にならなかった。
磨き終わった後、水で口の中をゆすぎ、吐き出すと口の中爽快感があった。
これだよこれ、歯を磨いた後に感じるこのスッキリした感じ、これが欲しかった。
うん、ゲオルグは合格だな。
そう考えながら着替えて再びゲオルグのいる部屋に戻るとゲオルグは難しい顔をしながら食事をどんどん口に運んでいた。
「あっ! ロウゼ様! おかえりなさい!」
「食べ物を飲み込んでから喋れ」
「失礼しました」
モグモグ、ゴクンと喉を鳴らし嚥下する。
「で、どうでした?」
「ああ、合格だ。これからここで働いてもらう」
「やったあ! じゃあジュアンドルを開発してる人と一緒に研究出来るんですよね!?」
「は? 何の話だ」
「え、ジュアンドルほど凄い薬品なのですからとても優秀な薬師がいるんじゃないんですか、僕はその人と一緒に研究出来ると思って売り込みに来たんですけど」
「そんなものはいないが?」
「えっ!? じゃあどうやってジュアンドルを……」
「はあ……お前はこれから研究に関わるから言っておくがあれはディパッシ族が作ってるものだ。それに研究の価値があるような大した加工もしてない」
「ディ、ディパッシ族がですか?」
「そうだ。伝統的なものを我々が買い取って売っている」
「し、しかしあれは薬効を考えてもとても複雑な調合が」
「一種類の薬草のみだ」
「ディパッシ族は随分希少な植物を育てているのですね、せめてその種を分けて研究させて頂きたい……」
「ハッハッハッハッ!あかん耐えられへんわ」
護衛をしていたリュンヌは静かにしていたのだが先ほどから肩をブルブル震わせて笑いをこらえていたがついに決壊して大笑いを始めた。
まあ、希少な植物って言っても雑草だからな。普通の人からしたら。
「お前! 何が面白いんだ! 希少な植物を育てたいと思って何が悪い!」
リュンヌに対して臆することなく噛みつく。
「ヒィーッヒッヒッヒ! 希少な! 植物!」
「リュンヌ静かにしろ」
「ゴホッゴホッ! あかん面白過ぎる!」
笑い過ぎてリュンヌはむせ返る。気を鎮めるためかジュアンドルを取り出して一服する。
「あー! ジュアンドルを!」
貴重な薬をなんでそう易々と吸えるのだと言いたげに悲鳴のような声を上げる。
「ゲオルグ落ち着け、ジュアンドルは……まあ、言ってしまえば雑草が原料だ。安価に作れて高値で売れるのが強みなのだ。だから他言するなよ」
「雑草……? 馬鹿な……」
まあ、馬鹿なと言いたくなる気持ちも分かる。
「それで、ここで働くのでいいのだな?」
「は、はい……」
呆然としながら答える。その後ハッとしたように我に帰る。
「出された料理は見たこともないしものでしたし味も変わったものでした! 研究の価値があります、ここには色々と面白いものがありそうですので是非」
「そう言うのであれば雇おう。それにもっと作ってもらいたいものが色々とあるのだ。早速注文をつけよう」
「はい! 頑張ります!」
ゲオルグはその後屋敷近くの小さな家を研究室として与えられ、研究に精を出すこととなった。研究による異臭が近くに漂い苦情が殺到したので少し離れた所に移動することになったのはすぐの話だった。