息子
気がつけば異世界メディア論も100話に到達しました。記念すべき100話はめでたい話です。
マリアノアが産気づいた報せが入り、屋敷の中は慌ただしくなった。彼女の側にいて手を握り応援することしか出来ないと思っていたのだが、部屋は男子禁制で何もさせてもらえなかった。
部屋の前をただすることもなくウロウロとしていると、従者たちから自分に合わせて行動しないといけないので迷惑だと遠巻きに避難された。
初めの子供なんだから仕方ないだろうと思ったが、そんな暇があるなら領主として旦那としてやることをやってくださいと書類を押し付けられ処理をしていくうちに平静を取り戻しつつあった。
ある程度まとまった量を処理しチラリと外を見るといつの間にか夜もすっかりふけ、朝日が窓から差し込んできた。
そしてエマが入室し、マリアノアが出産を無事終えたとの報告があった。その報告の途中で書斎を飛び出して部屋に雪崩れ込むように入る。
「産まれたか!」
「ロウゼ様……」
「マリー……!」
彼女は額を汗で濡らし疲れた様子だった。
出産は命懸けだ。医療の発展していないこの世界では治癒の魔術が使える貴族を除いて平民は簡単に子供が死ぬ。栄養不足であったり、感染症であったり、アレルギーであったり様々だ。
そして胎児の様子を調べることも出来ないので死産や難産となり母体の危険もある。
いくら魔術に頼っても死ぬ時は死ぬ。それくらい命の綱渡りをしている危険なものなのだ。
「この子を抱いてあげてください」
彼女が胸に抱える清潔な布に包まれた本当に小さな命を少し前に出す。
緊張しながら慎重にとてもゆっくりと抱きかかえた。
重い。
こんな小さいのに赤子はしっかりと重い。生きている。これが新たな生命の誕生なのか。
そこにはなんとも言えない感情が渦巻き、感動が込み上げてくる。
そしていつの間にか涙が頬を伝っていた。
赤子はすやすやと眠っていた。そして息子であることが告げられる。
この世界に来て数年、どこか自分はこの世界で生きているということが現実ではないような気が漠然としていた。客観的に見て、ここに転生した意味のようなものを見出す為、やりたいこと、やるべきと思ったことなんでもやっていた。
つい先程まで、ギーズから聞かされたこの世界の裏側やこれから起こるであろう戦争についてどうしたら良いかなどを考えていたが、全て吹き飛んだ。
ただ、生きているだけで十分なのだ。生きる意味など必要なくこの世界に生きるというだけで祝福されるべきことなのだと感じた。
そして、やっとこの世界で自分も生きているのだと理解出来た。
「ありがとう……ありがとう……」
感謝。
感謝しか出てこない。ただ、この世界に、妻に、息子に全てにありがとうという気持ちでいっぱいになる。
「普通は良くやった!とかこれで跡継ぎの心配はないとか言うものですよ、本当に変わった人ですね」
マリアノアはそんな自分を笑っている。
「いいんだ、ありがとうなんだ。それで十分だ」
「それで、この子の名前はなんですか?早く名前で呼んであげたいのです」
「そ、そうか名前だ!え、えーと……」
しまった、あれだけ色々と考えていた名前のリストが飛んでしまった。顔を見て一番しっくり来た名前をつけてやろうとあらゆるパターンを想定して男女ともに考えていたのに。
思い出せ!と念じ何かキッカケを掴む為に意味もなく辺りを見回した。
そして部屋に差し込む朝日が目に入る。
「リュミエール……この子はリュミエールだ」
スッと口をついて出てしまった。光を意味する言葉、リュミエール。この世界を照らし希望となって欲しいと直感的に名付けた。
「リュミエール……いい名前ですね、気に入りました」
「そうか、良かった!」
咄嗟の思いつきだったが悪くない。シネマトグラフという映像装置を発明し映画の父となった兄弟が偶然にもリュミエール兄弟なのだ。
メディア論を専攻していた自分としてもそう悪くない名付けだと思う。いや、ピッタリだ。
ああ、こんなことならさっさとシネマトグラフをこちらで作ってこの瞬間を録画していれば良かった。一生の不覚だ!
まずい、息子が産まれてハイになってる。今はそんな事を考えている場合ではないのに。
「旦那様、産湯につけますのでそろそろ……」
「あ、ああ!そうだなマリー体調は問題ないか?」
「大丈夫ですよ、産婆によると珍しいほど安産だったようで」
「いやしかし心配だ、治癒させてくれそうでないと落ち着かん」
「もう、大丈夫だと言ってるでしょう……?はあ……そんな顔をするもんじゃありません、好きにしてくださいな」
「分かった!」
マリアノアにありったけの治癒の術をかけて部屋を出る。
領主として屋敷の主人として父親としてやらなくてはならないことをする為だ。
「産まれたぞおおおおお!男の子だ!」
我が息子の誕生を皆に知らせる。今まで出したことのない声量が出た。
そして屋敷中でワッと歓声が上がり拍手が起きる。
「おめでとうございます……私も歳ですな、涙腺が緩くなっております。ロウゼ様がお産まれになったあの日がつい先日のように思い出されます……先代様もお喜びになることでしょう」
鼻水を垂らして泣いているロランにギョッとした。そして自分が産まれた時のことを長々と話し出したのだが一切記憶がないので反応しようがない。珍しく冷静さを欠いた姿にちょっと面倒くささを感じつつもありがとうと声をかける。
「ロウゼ!良くやった!」
「リュンヌありがとう。だが産んだのは俺じゃないし、それは俺がマリーにかけるべか言葉だ」
息子が産まれてもリュンヌは相変わらずだ。息子の方が賢くなるのも時間の問題だろう。
「いやーめでたいなー」
「おめでとうございますロウゼ様」
「おめでと、ございます」
コンテヌ、マノン、テルツァも嬉しそうに祝福をくれた。
やはり、この世界において貴族の跡継ぎの誕生というのは大きな意味を持つのだと改めて感じさせられる。
それだけ重要な存在なのだとこの祝福の嵐から教えられる。
「よーし今日はドンチャン騒ぎやで!」
コンテヌはいつの間にか酒を飲み始めている。
「そうや、祭りやロウゼ!飯に酒!」
「いつもなら馬鹿者!と叱っていることだが……今日騒がずしていつ騒ぐ祭りだ!宴だ!この街は今日は全ての仕事を停止し我が息子の誕生を祝して宴だ!費用は俺の自腹だ!」
「いよっ!太っ腹!」
「何考えてるんですか!そんなことしたら皆困るでしょう!」
「良いじゃないかトゥルーネ今日くらいは良いだろう?」
「だ、だめですよ!それぞれが重要な仕事があるんですよ!」
「それもそうだな……」
「ロウゼまさかこいつの言うこと聞くんじゃ……」
「今日休めるものもいないだろうしシフト制にして一ヶ月は宴だ!」
「ヒューヒュー!」「流石ロウゼ様や!」
「ダメに決まってるでしょうが!!!」
その後、なんとか宴は一週間に縮小することでトゥルーネに許可されて街全体でリュミエール生誕祭の準備が粛々と行われ始めた。
ディパッシ族は屋敷を飛び出し、領主の息子が産まれたことを街中に喧伝してまわりだした。
おい、朝なんだから寝てる人もいるし流石にそれは迷惑だろと思っていたが、この世界の住人は早起きだ。日が昇っている頃には皆仕事の準備をしているのだからまあ、セーフか。というか今日くらいは領主のわがままを許してくれ。
「いや、あなたはかなり日常的にわがままで皆を働かせてまくってますが?」
トゥルーネのツッコミは聞こえないふりだ。
何より、領主が誰よりも働いているので誰も文句が言えないのが尚のことタチが悪いらしい。
そんなこと知らん!息子が幸せに暮らせる世界を作る為にもっと働いちゃうもんね。