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アップルタルト

作者: 自然人

「先生、本当にありがとうございました。」

「うちの主人が助かったのも先生のお陰です」


「そんなことはありませんよ。患者さんや奥様の頑張りがあったからです。」


そう答えると涼子は足早に病室を後にした。

今回のオペはかなり難しい部類に入った。

正直、成功するかしないかは五分五分のオペで、内心はひやひやものだった。


肩凝りと頭痛が酷い。

今になって緊張の糸が切れ、疲れが出てきたようだ。

正確には、疲れを意識するような状態に戻ったということか。


仕事を成し遂げた達成感と疲れの入り混じる感覚。

この状態が嫌いではなかった。


一息ついて珈琲を飲み、自分のデスクで少し仮眠をした。


目を覚まし窓の外を見ると、空は僅かに橙色に染まっていた。

冬の間の短い夕暮れだ。

病院の花壇も春の訪れをじっと待っているようだった。


しばらくして、患者の様子を見に病室を訪れたがとても順調で安心した。

腫瘍も予定通り全て切除されたようだ。


涼子はバリバリの外科医だった。

この病院のエースと言っても過言ではない。


オペをした患者の山本は今年で60歳。

夫婦で喫茶店を経営しているようだ。


若い頃、脱サラをして始めたみせのようで、30年以上続いているらしい。

安くてほっと出来て、その上なかなか美味しいと地元では評判という話だ。

なにやら話題の名物もあるという。

この様子であれば店に復帰出来る日もそう遠くはないだろう。


こんな時ふと最近、喫茶店でホッと出来る機会なんてないなぁなんて思ったりする。

周りに気を取られている暇が全くないくらい忙しいのかもしれない。


意識すると、病院内の喧騒が気になり出す。


看護師のバタバタとした足音や、老人の大きな声、

病院ってこんなにうるさかったんだと実感する。


毎日これが気にならない程、せわしなく駆け抜けてきた。


ともかく今週の一番の山場はなんとか乗り越えた。



「問題は次か…」

涼子は憂鬱そうな表情を浮かべると、今週の第二の山場に向けての対策を考え始めていた。


スケジュール帳を確認する。

「もっとやっかいなのはこっちの方かもしれないな…」

そう独り言をつぶやく。


「私ももう35歳か。」


涼子は医師としてこの病院に来てもう少しで10年。

優秀な成績でT大学を卒業し、脳外科として最先端のこの病院を選んだ。


当時、同期に宮本真紀子という医師がいた。

エース級だった涼子に対して真紀子もなかなかのもので

考え方に切れ味があり、一目置かれる存在だった。


しかし、真紀子は30歳になると結婚するからと、突然この病院をきっぱり辞めてしまったのだ。

現在は3歳になる娘を持ち専業主婦をしているという。


人生というのはわからないものだ。


そんな真紀子から数年ぶりに連絡があった。


久し振りに会いたいので家に来て欲しいという。

都内のタワーマンションらしい。


旦那は月末まで出張中なので、娘と2人だが真紀子が手料理を振る舞うという。


「こんな挑戦状渡されて受けて立つしかないじゃない」

涼子は激務続きの中なんとか調整をつけて真紀子との再会を表向きは?快く承諾した。


「楽しみにしているわ。」

鼻息も荒い。


現在の私は…仕事続きで結婚どころか付き合っている男もいない。


前の男と別れて何年経ったか…。最近ではあまり考えないようにしていた。


このまま医師として一生を捧げるのか。

それともまた別の人生の選択肢もあるのか。

正直どうしていこうという結論は出ていなかった。


しかし、女の幸せを手に入れた真紀子に対して、後ろめたさを感じずにはいられなかった。

当然、幸せを見せつけてくる元同期に対しての対抗心もある。


ふと、後ろに気配を感じた。

「先生!この前言っていた元同僚さんとの土曜日のお食事会はどうするんですか~。」

「受けて立つことにしたんですか~??」


看護師の村上だ。

いつも甘ったるい感じで話しかけて来る若手だ。


「もちろん行くに決まってるじゃない」

「断ったら負けを認めたようなものでしょ~。」


「さすが先生ですね!その幸せ一杯の元同僚さんに、

結婚だけが人生じゃないぞってところをガツンと教えてあげてくださいね!!」


「言われなくてもそのつもりよ。」

腕まくりしながら応える。


村上は涼子のデスクに置いてあるパンフレットを手に取った。

「あ、ビィクトワール!。」

「ここのアップルタルト有名ですよねぇ。高くて。」


「あ、もしかしてこれを手土産に…」


「もちろんじゃない。一万円のを持っていくつもりだけど。」


「一万円!??たっか!!」


「高いことに意味があるんだから。ケチったらその時点で負けよ。」


「さすがですね!」


「何年か前に一度食べたことがあるけど、私はそこまでとは思わなかったですけどねぇ」

村上は口をとんがらかしながらそう言う。


「何言ってるのよ。意味があるのは値段とブランドよ!それで勝ち負けが決まるのよ」


「そんなもんですかねぇ」


村上は苦笑いしていた。



そして、運命の土曜日が訪れた。


服はさりげな~く、高いブランド物でバッチリ決めて

小物にもかなり気合を入れた。


冬物のコートも靴も先週買った新品のブランド品。


化粧もバッチリ決めて…

「これで良しっと。」

「いざ決戦ね。」


約束の時間までにはまだ時間はあったが、早めに家を出ることにした。

外は冬空で、高いコートを身にまとっていても寒さを感じた。


真紀子とは仕事上でも何度か同じグループになったことがある。

いつも目立つ涼子とは違い、真紀子は普段はあまり出しゃばる方ではないのだが、

ふとした一言がとても的を得ていたり要点をいつも外さないといったそんなタイプだ。

周りからの評判も高く、かなり良い医師になるのではと期待も大きかった。


真紀子の家はとある有名な住宅街にある高層マンションの30階だった。

街並みは綺麗で緑もありのんびりとした雰囲気だった。

一軒家も多く、どの家も高い塀で囲われ

高級車が2台3台と止められている家も珍しくはなかった。


この立地ならかなりいい値段しそうね。


ドアの前に辿り付き意を決してインターフォンに手を伸ばす。

深呼吸をして…。


「よし!」


ピンポーン


「はーい」

中から真紀子の声が聞こえて来た。

ドタバタと駆け寄る足音が聞こえる。

「いらっしゃーい。今日は来てくれてありがとう。」


ドアから出てきた真紀子は意外にも化粧っ気のない顔をしていた。

服装もジーンズで普段着のような恰好だ。

涼子は一瞬、真紀子のあまりの飾りっ気のなさにたじろいだ。


一緒に働いていた頃の真紀子は陰では男性陣からクールビューティーと呼ばれ、

院内でもかなり人気があった。

美しさは保っているが、

数年見ないうちにすっかり印象が変わった様に感じた。


「あがってあがって」

「ほんとに懐かしいわね。お邪魔します。」


ドアの向こうに小さいな女の子が恥ずかしそうに立っている。


「こちらが娘です~。」

「ほら、こんにちはして」

「や~だ~」

ドタバタと隣の部屋へ逃げ込んで行く。

「こら~だめでしょ~。」

「ごめんねぇ、躾がなってなくって。」


「いえ、娘さんかわいいわね。3歳だっけ。」


「そうなの。まだまだ手が掛かって…。」

真紀子はため息を付くと疲れた表情を見せた。


「簡単だけど食事用意したから食べていってね。」


「ありがとう。これ、少しだけどお土産。」

ニッコリ笑ってヴィクトワールの紙袋を差し出す。


「これ有名なヴィクトワールのアップルタルトじゃん。高かったでしょ~」

「最近じゃ外でゆっくり食事も出来ないからさぁ、本当嬉しい、ありがとう~」

真紀子は心から喜んでいるように見えた。

涼子も笑顔を返した。


上がってみると、マンション自体は立派だが、小さい子供がいるためか

所々散らかっているところが目立った。


肝心の料理だが、出てきたのはごくごく普通な家庭料理だった。

どこかのお料理教室で習ったような

フランス料理などを披露されるのかと想像していたのだが。


「大したもの用意出来ずにごめんね~」

「いいえ、そんなこと…。」

しかし食べてみるとどれも薄味だけど美味しくて身体にも良さそうだった。


しばらく話し込んでいると真紀子が意外なことを口にした。


「私の人生これで良かったのかなぁって、今でも時々思うんだ…」


「どういうこと。」


「毎日毎日子育てに追われて…主人の帰りはいつも遅いし…出張も多いし。」

「私って社会の一員なのかなぁって思うことが凄く多くてさ。」

「涼子みたいに今でも第一線でバリバリ働いてて…ほんと凄いと思う。」


一瞬迷った。

これは嫌味か。


涼子は反撃に出た。

「もったいなかったわね。あなた優秀だったのに。」

嫌味たっぷりに言ってあげた。


真紀子は少し涙ぐんでしまった。


しまった。言い過ぎたか…。


スマートフォンのアラームが鳴った。

今日も夕方には病院に顔を出さなければならなかった。

来週の緊急オペに関するミーティングがあるのだ。


「あ、私そろそろ失礼するわね。」


「えぇ、まだいいじゃない。せっかくなんだし」


「来週緊急のオペが入って…今日はそのミーティング」

「また今度ゆっくり来るわ」


「そうなの、残念」


涼子は足早に真紀子のマンションを出ると病院へ向かった。

自分の想像とのギャップに少し戸惑いを感じていた。



それから3週間ほど経ったある日、突然真紀子から電話が掛かってきた。

時間は夜の10時。

涼子は仕事を終え、ちょうど自宅のドアを開けたところだった。


「もしもし、この間はありがとう」

受話器越しの雰囲気が重たい。


「なにかあった?」


「涼子…今から行ってもいいかな?」


「娘さんは?ご主人となにかあったの??」


「娘は主人と家にいる。私は実はもう涼子のマンションのすぐ近くまで来てるんだ。」

「行ってもいいかな」


涼子は真紀子を招き入れることを了承した。


10分後にはマンションのインターフォンが鳴った。

本当に近くまで来ていたらしい。


「どうしたの?顔色真っ青よ。」


「もう限界…」


話を聞くとここ数日寝不足と体調不良の中、一人で子育てを行っていたという。

旦那は仕事だの一点張りで全く協力的ではない。


限界が来て、仕事から帰ってきた旦那と口論になり2人を置いて出てきたという。


「明日は主人も休みだし、今日は泊まってもいい?」


「それは構わないけど、ご主人にはちゃんと連絡しておいた方がいいよ。」


電話で連絡をしたところ、旦那も日頃、子育てを真紀子一人に押し付けていたことを謝罪してくれたらしい。

娘も先ほど寝付いて、結局今日はここに泊まり久しぶりに友人と羽を伸ばしたらどうかという話になったようだ。


シャワーを貸して、せっかくなので久しぶりに2人で一杯やることにした。


さっぱりしてソファで寛ぐと真紀子の顔色もだいぶ良くなって来たようだ。

相当に思い詰めていたらしい。


ワイングラスを片手に真紀子がポツリと語り始めた。


「私ねぇ、この前涼子が言ってくれたこと、本当に嬉しかったの。」


「え?なに?」


「優秀だったのにもったいないって言ってくれたじゃない。」


「あぁ、あれね。」

涼子は少し気まずかった。


確かに優秀だとは思っているが、嫌みのつもりでいった言葉だ。


「娘が好き嫌いが激しくて…毎日3歳児相手に悪戦苦闘。」

「自信もなくなって、この子を保育園に預けて、再就職するのも怖くなってて…」


「実は、それでね、若かったけどがむしゃらに働いていたあの頃が懐かしくなって、あなたに連絡したの。」


「でも、涼子程の人があぁ言うんだから間違いないよね。」

「なんだか少し、外に出る自信が戻ってきた気がして。」


「も、もちろんよ。私が言うんだから確かよ。」

「あなたはとても優秀よ。」


グラス一杯が空になる頃には真紀子はよほど疲れていたのか眠ってしまった。


そして翌朝目を覚ますと、涼子に繰り返し礼を言い足早に自宅に戻っていった。

なんだかんだ言っても家庭が心配なのだろう。



それからしばらく経ったある日、

以前手術をした山本夫妻が病院を訪れた。


無事に回復して今では喫茶店を再開しているという。


「先生!!」


振り返ると涼子は山本の姿を確認した。

訪れた山本は表情も明るく、血色も良かった。


「山本さん!すっかりお元気になられたみたいで」


「先生のお陰です。本当に感謝してもしきれません。」


「いいえ、そんなことはありません。頑張ったのは山本さんと奥様です。」


山本の妻が言った。


「またお店の方も再開出来て、本当に夢のようです。」

「今日は先生にと思って…」


山本は紙袋を差し出した。


「うちのお店で一番好評なアップルタルトなんです。是非召し上がって下さい。」


「ありがとうございます!いただきます」



その日の夕方、村上ら看護士たちとそのアップルタルトを頂くことにした。


「先生!このアップルタルト本当に美味しいですよ!!」

村上が叫んだ。


涼子も食べてみたが本当に美味しかった。


派手さはないが柔らかく、2人の人柄を感じさせる心が温かくなるような味だった。


「HPで調べたら値段も安い!1000円だって。」

村上が早速チェックしている。



電話が鳴った。

真紀子からだった。


「もしもし」


「涼子、この前は本当にありがとう。」

「娘の保育園も決まって私、働きに出ることにした。」

「週3回、アルバイトで近所のショッピングモールだけどね。」


真紀子の声は明るかった。一時期の気持ちが吹っ切れたようだ。

一歩前にも踏み出せたようだった。


「本当におめでとう!声も元気そうでなんか安心した。」

「あ、そうだ、今度お祝いやろうか。再就職祝い。」


「とっても美味しいアップルタルトのお店見つけたんだ。買って持っていくね。」


窓の外を見ると、病院の花壇にはいつの間にかライラックの花が咲き始めていた。





END

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