パンジーの花言葉(三十と一夜の短篇第21回)
入園式。
小綺麗に着飾る幼児たちの中で、スミレの園服は真新しいのに汚れていた。
母親の目を盗んで芝生に寝転んだものだから、めかし込んだ頭も台無し。買ってもらったばかりの髪かざりばかりがぴかぴかで、ちぐはぐな感じだ。
付き合わされた俺は、写真では見えないけれどズボンの尻を汚して叱られた。
クリスマス。
下手くそな字でせっせと欲しいものを書く俺の横で、スミレは真っ白い紙を枕にうたた寝をしていた。
それぞれの家のツリーに吊るした次の朝、俺は欲しかったゲーム機の色違いをもらい、スミレはそのころ女子の間で流行っていた人形をもらっていた。
喜びのあまりスミレの家まで行って飛び跳ねる俺が、欲しいものを書いた紙を吊るすのは違う行事だと知るのはまだ先のこと。
文化祭。
くじ引きで決めた劇の役で、スミレは女子に一番人気のお姫さまを引き当てた。王子役はクラスで人気の男子。
代わってほしいという女子たちに、スミレはいいよと返事した。
いっしょに舞台の背景を作りながら、ドレス着なくて良かったのかと聞いてみたら、見たいの? って聞き返されて。別に、って俺が答えて、それで終わった。
いつだってそうだった。
俺たちが物心ついてお互いを認識したときから、スミレはなんにも興味を持たないし、何かに固執することもない。
いまだって他の女子のように制服をいじることもなく、化粧っ気のない眠たげな顔でひざ下丈のスカートを揺らしている。
流行とは無縁のざっくりと切られた髪の下、のぞくうなじが寒そうで、俺はため息をつく代わりに鞄から取り出したマフラーをその首に巻きつける。
「ほら、ボタンも留めろよ。寒いぞ」
マフラーを巻かれながらも足を止めない相手に、俺は声をかける。
「んー」
返ってきたのは生返事だけ。眠たげな半目でのろのろ歩くこいつは、寒さで赤くなった指先を動かすことすらしない。
けれどそんな反応はわかりきっていたから、俺は並んで歩きながらコートのボタンを留めてやる。
仲の良い友だちなんかは呆れたように器用だなあと言うけれど、俺にとってはいつものことだから、慣れたものだ。
放っておけば平気で遅刻するスミレの袖を引いて、そのまま学校に連れて行くのもいつものことだ。
昼休み。
クラスメイトたちが思い思いの席に移動して弁当を広げる中、スミレは開いたままの教科書に突っ伏してうとうとしている。
自身の空腹にも頓着しないから、放っておけばこのまま休み時間の終わりまで寝続けるだろう。
それがわかっているので、俺は持ってきたふたつの弁当箱を持ってスミレの机に向かう。弁当をごつごつと頭にぶつければ、スミレはしぶしぶ机の上を片付けて昼飯が始まる。
俺とスミレ、それから俺の友人たちが近場の机に集まっていつものように弁当を腹におさめていると、誰かがそばにやってきた。
「ねえ、ちょっといいかな」
声をかけられ、顔を上げるとそこに居たのはクラスの女子。きれいに化粧していて、スカートも階段の上り下りをするときにどきりとさせてくれる長さ。男子の会話ではけっこう可愛いに分類される女子だ。
彼女は誰にでも声をかける気さくなタイプだけれど、改まって何の用だろうか。
「明日、みんなで遊びに行こうって話しててさ」
言いながら、彼女は背後に視線をやる。そこには似たり寄ったりな格好をした女子の集団がいて、こちらを見ている。みんなというのは、彼女らのことだろう。
「それで、せっかくだから男子も誘おうって話になったのよ」
どう? と首をかしげる彼女に、俺の周囲の友人たちはそろって良い子の返事をする。おまえら、ちょろすぎだろ。
俺は黙って、目の前で興味なさげに米つぶをつまみ上げているスミレをちらりと見た。
すると彼女はにこりと笑って、スミレに顔を近づける。
「もちろん、みんなには三色さんも入ってるから、来てもいいのよ」
やけに区切りながら話す彼女に、スミレはゆっくりと瞬きをするだけでなにも言わない。
というか、スミレが返事をする間も無く、彼女が口を開いた。
「でも、無理はしないでね? 三色さんはあんまりにぎやかなのが好きじゃないみたいだし、気が乗らないならまた今度でも、ね?」
なぜか彼女は俺に同意を求めてくる。その顔がやけに近い。俺と彼女は特別親しいわけでもない、ただのクラスメイトなのに。彼女はパーソナルスペースが狭いのか?
彼女の意図がつかめず疑問符を浮かべていた俺は、不意にぐいっと腕を引かれて机に顔をぶつけそうになる。
犯人は、スミレだ。
なんだよ、と聞く間もなく、スミレが声をあげた。自分から話しだすなんて、珍しい。
「行くよ」
その返事は、もっと珍しい。
何事にも乗り気でないスミレが、誰に言われるでもなく集まりに参加するという。
驚く俺とクラスメイトの女子の後ろで、なぜだか俺の友人たちが口笛を吹いたり、拳をぶつけ合っている。なんなんだ、いったい。
帰り道。
なぜか囃し立てる友人たちに背を押され、俺とスミレは並んで帰る。まあ、ふたりで帰るのはいつものことだからいいのだけれど。
「そういや、珍しいな。おまえがああいう集まりに参加するのって」
となりを歩くスミレに言うと、きょとりとした顔でこちらに目を向ける。これは、なにが? という顔だ。
「いつも何にも興味なさそうだからさ。俺、おまえのこと心配してたんだよ。今日みたいな積極性、もっと発揮してったらいいと思うよ」
俺がそう言うと、スミレはぴたりと足を止めた。そうして、並んで止まった俺としっかり目を合わせてからこう口にした。
「何にも興味がないんじゃない。いちばん欲しいものがもう決まってるだけ。あなたはもっと、わたしを心配していればいい」
そうしてスタスタと歩いていくスミレの背を、俺は慌てて追いかける。
どういう意味だ、なんて聞くほど、俺は間抜けではない。だけど、でも、なんだこれ。勝手に熱くなる顔をどうしたらいいのだろう。
どこかで、友人たちが口笛を高く鳴らしているような気がした。