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結婚するまでは童貞でいなさい!

作者: 鈴木美脳

 婚前交渉をしてはならないと、父は繰り返し、私に言い聞かせた。

 なお、私は男だ。

 友人らにそれとなく相談すると、皆、私の父が変なのだろうと言った。あまり気にしないほうがいい、と言った。

 『童貞厨な父親』とでも言うべきだろうか。

 かなり珍しいのではなかろうか。

 しかし、父なりの理屈はあるようなのだ。

 もしか父が死んでしまった時のために、記念にメモしておこう。


 婚前交渉をしてはならない。

 なぜなら、肉体的な誠実こそが、男性が女性にプレゼントできる最高のものである。

 肉体的に裏切っておいて、いくら心は彼女だけを愛していると言ってみせても、その言葉を本当に信じるには値しない。

 一方で、婚前交渉さえしなければ、ただその一事によって、愛情が忠実であることが証明される。

 婚前交渉は、過去における浮気だ。

 婚前交渉を許容して見せることは、浮気して弁明するのと変わらない。

 肉体的に裏切ったならば、いくら金銭を持ち帰ったところで、真に愛しているとは言い張れない。

 浮気という一事によって、夫としての価値はゼロになるのだ。

 ゆえに、あなたの貞操が、あなたの価値の全てであるとすら言える。

 婚前交渉を行うことは、価値ある人間としてのあなたが、自殺をすることだ。

 ゆえに、婚前交渉をしてはならない。


 夫が浮気したとしても、離縁まで求めない妻は多い。

 それは単に、経済的にあまりにも依存しているからだ。

 想像してごらんよ。肉体的に裏切られつつ、経済的な依存からは逃れられない屈辱を。

 世間において、男性の不倫が死罪にまで値しないのは、女性がそれを憎んでいないからではない。

 単に、男尊女卑が既得権益と化しているからである。

 男性に裏切られた女性の多くは、実際には、気が狂うほど心傷つけられて苦しむ。

 男女関係の歴史とは、心身における虐待の歴史なのだ。

 あなたが婚前交渉を行ったり、結婚後に不倫を行うことは、どこまでもたやすいだろう。

 男性が女性を裏切ることはたやすいのであって、しかも普通、誰もそれを叱ってはくれない。

 しかしそうだからこそ、男性が自らを律することは、女性への愛情を甚だしく証明する。

 人々が低俗にある中にあってこそ、自分のみ高級に振る舞って、特別な価値を証明しなさい。

 真の男性として、生存しなさい。


 ほとんど全ての女性が、全くの童貞厨だよ。

 いや実際、そんなことはないのだが、それは、現代の文明の段階において、未だ女性が奴隷の地位にあるからだ。

 いつの時代も、奴隷は奴隷であることを肯定し、体制に抗うよりも与するものだ。

 女性の本来的な本心は、非童貞を不潔なものとして許容しない。彼女達はただ、時代に順応しているのだ。


 男性の欲求が肉体的であるのに対して、女性の欲求は精神的である。

 それはなぜなら、男性の欲求が刹那的であるのに対して、女性の欲求は持続的なのだ。

 つまり言わば、男性は多産であることに限界がないのに対して、女性は多産であることに限界があるからね。

 全ての感情は、遺伝子を繁栄させようという本能がもたらしている。

 女性はもちろん、自らの遺伝子を守るために、産んだ子を愛する。

 男性においても、女性に子を産ませただけでは、子の生存はさほど確かではないから、子を愛し、妻子を守ろうとする。

 親にとって子は唯一ではないから、その愛情には限界があるとはいえ、繁殖の本能は多大な愛情をもたらす。

 だから、男性にとっても女性にとっても、家庭には大きな価値がある。

 ただ、無闇に種をまくことが、プラスにこそなれマイナスにはならない意味で、男性は家庭に淡白である。

 それこそ、避妊や中絶も行われない時代には、女性の肉体にばかり、行為の責任は生じたと言える。

 男性は、行為に応じる女性を求めるが、女性は、自らを愛する男性を求める。

 ゆえに肉体の設計においても、男性は行為自体に深い喜びを感じ、女性は、行為自体についてはさほどの喜びがない。

 女性にも男性のように性欲があるが、その性質は大きく異なる。

 肉体的な喜びが瑣末であって、精神的な喜びこそを熱望する女性が本能において、夫に貞操を望むことは、全く自然だ。


 そもそも多くの女性には、婚前交渉をしたいという欲求がない。

 婚前交渉に関する価値や興味は、男性が主催する商業的なマスメディアが作り上げたものにすぎない。

 婚前交渉へのいくらかの興味があったとしても、結婚までの貞操が示す一途な感情の価値に比べれば、女性にとって、その価値の差は比較にならない。

 言ってみれば、感情における男女関係として、男性の童貞性こそが女性の性欲を刺激するのだ。


 女性が婚前交渉をする最大の理由は、男性の要求に応じなければ、自分は捨てられて他の女性が選ばれるだろうと危惧するからだ。

 つまり、自分自身の欲求ではない。

 他の店が安く売っているのを見て、自分も安く売るのだ。

 そして、一種の安売り競争が起こる。

 しかしそれを行えば、女性は、自らの肉体の尊厳を軽視することによって、女性としての自らの尊厳をも失っていくことになる。

 男性の立場からすれば、女性に婚前交渉を求めることによって、自らの将来の妻から、精神的な誇り高さを削り取っているのだ。

 そんなことが、合理的だと思えるかね?

 プライドの無い女性が、自分の子供達は高級に育成できるなど、ありえるだろうか?

 捨てられることを恐れて自分の求めに応じる女性を見て、あなたはそんな関係を許容できるか?

 そんな関係は、愛ではない。

 愛情の欠落した関係によっては、むしろ相手のエゴイズムを成長させるだけだ。

 行為に応じずとも決して捨てられはしないと確信しつつ、行為を許容した時にのみ、それが愛情に沿った行為であったと言い張れる。

 ゆえに、彼女を選択した後になって行為を求める以外に、道はない。

 早く行為したければ、さっさと選択すればよいことだ。

 喜びを得て、責任は支払わずにいて、何の問題も生じないなどという、虫のいい話はこの世にありえない。


 人類社会の男尊女卑は、実に甚だしい。男女では、置かれた立場が全く異なる。

 婚前交渉を女性に求めて応じさせることは、上に説明したように、一種の強姦である。

 そして、それに連続する結婚関係は、長期的な売買春行為にすぎない。

 そのような時代にあっては、強姦を行わないことによって、女性への愛情を証明できる。

 婚前交渉を行わないことによって、違法な人間ではないことを証明できる。

 結婚前に婚前交渉を行わなかったという事実によって、その結婚関係が愛情に立脚するものであると言える。

 ゆえに、婚前交渉をしてはならない。


 「私は婚前交渉をしない」と愛する女性に伝えることは、奴隷の女性に対して、「私だけは強姦はしない」と教えるに等しい。

 それほど、今の時代は狂っている。

 そんな奴隷関係が客観的に見えないほどに、現代の女性は狂った時代に順応している。

 女性が真に自我を持つ時代は、今後百年は訪れないだろう。

 しかしそうであっても、あなただけは、正しいことを今、行いなさい。

 なぜなら、男女は愛し合うべきものとして、神様が作ったのだから。


 婚前交渉をしないことの価値は、大いに軽視されている。

 世間では、童貞や処女の価値は言われず、非童貞や非処女への蔑みも公言されない。

 童貞であることは、名誉であるよりも恥とされる。

 女性に処女性を求めることは、女性への愛情であるよりも、敗者の変態性であるとされる。

 ここまで善悪が逆転した時代は、過去にも将来にも、二度とありえないだろう。


 童貞であることは、しばしば蔑まれ、あるいは嘲笑される。

 その理由づけは、童貞が、異性と関係する機会を得られなかったことによって童貞であるということである。

 であるならば、行為できる機会があれば、それを行うのが男性の普遍的な振る舞いであるとまで言うのだろうか?

 不倫をしない夫は、不倫する機会を得られない非モテ負け組であって、不倫する夫のほうが尊いと言うことと、どう異なるだろうか?


 男性が処女厨であることは、しばしば蔑まれ、あるいは嘲笑される。

 その理由づけは、童貞キモオタだけが処女厨であって、イケメンは決して非処女を蔑まない、ということである。

 あるいはまた、マトモな女性であれば、結婚適齢期までには男女関係を経験する人がほとんどであるから、処女である人はむしろ何らかの短所を抱えた人であって、非処女を否定することは病的な振る舞いだとされる。

 しかし、マトモな男女は、婚前交渉を行わないから、男性は童貞であって処女厨であるし、女性は処女であって童貞厨である。婚前交渉を否定すれば必然的に、博愛主義者ではないのだ。

 非童貞な処女厨や非処女な童貞厨は非難の対象とするが、しかし童貞な処女厨や処女な童貞厨は許容する、という立場もある。しかしそもそも、そう言う者が非童貞や非処女であるならば、童貞や処女を許容するどころか、童貞や処女と同じ高さに立つことも許されないのだ。

 非童貞や非処女が差別されない世の中を求めることは、近代の間違った民主主義が倫理主義的貴賎を滅ぼしたように、狂った平等主義の有害な演繹の一例であるにすぎない。


 現代では、露悪的な大衆が権力を握り、自らに権威を与えて、尊い人々の尊厳を打ち払った。

 童貞や処女であることが恥とまでされて、「バージンだと病気だと思われるよ」などと言われてその放棄を迫られた。

 しかし、そんな世論に負けてはならない。

 ドロドロに醜い世間に、あなた一人は汚されてはならない。

 あなたの肉体が汚れればあなたの心も汚れるが、あなたの肉体を汚さなければ、あなたの心は汚れない。

 あなたには、あなた自身を汚す権利はない。

 なぜなら、あなたの心身は、あなたの妻の所有物だからだ。

 ただし、妻になる人が許しても、よほど硬く婚約して、違約によって自決するくらいでなければ、婚前交渉に応じてはならないよ。なぜなら、既存社会は男尊女卑であって、約束の裏切りなんて、日々行われているのだから。


 しかし、童貞や処女でいることは、大きなリスクかもしれない。

 童貞でいて非処女と結婚したり、処女でいて非童貞と結婚したならば、それは全くの大損だ。

 完全な相愛を願望していたのに、欠陥品のそれしか手に入らなかったならば、あなたは一種の絶望とともに残りの人生を生きることになるかもしれない。

 現実は確率論だから、そこはあなたが自分で考えて判断すべきことだ。

 ただ私が言えるのは、マスメディアや世論に流されるべきではないし、それらは実に、嘘ばかりだということだ。


 もしいつか、あなたの前に理想の女性が現れて、彼女が婚前交渉を当然のように蔑み、モテたとしても処女を守ってくれていたとして、その時あなたが、世俗の喜びのためにすでに童貞を失い、非童貞となっていたなら、彼女があなたを特別に愛しつつもその短所に落胆を覚えるのを見て、あなたの心はどれほど深く絶望するだろうか?

 あなたはきっと、気づくだろう。自分にはすでに、彼女を愛する資格が無いことに。

 あなたはきっと、気づくだろう。罪を償うために、自ら命を断つ責任に。


 一方では一般に、すでに汚れてしまった人々は、そんな自分達を許容して、それを否定する価値観を排除する。

 非童貞は非童貞を肯定してしか生きられないし、非処女は非処女を肯定してしか生きられない。

 理想的なものを愛する資格を失い、理想的なものを愛することをしなくなる。

 つまりは、真理について思考できない脳になる。


 もしいつか、あなたの前に理想の女性が現れて、彼女が婚前交渉を当然のように蔑み、モテたとしても処女を守ってくれていたとして、その時あなたが、世俗の喜びに打ち勝って童貞を保ち、童貞であるままに彼女の前に立ったならば、彼女があなたを特別に愛しつつその完全な長所を喜ぶのを見て、あなたの心はどれほど深く満足するだろうか?

 あなたはきっと、気づくだろう。何よりも深い罪を免れたことに。

 あなたはきっと、気づくだろう。自分こそが疑いもなく、彼女に愛されるに値することに。


 そんな女性が、もし出会う前日に死んでしまったら、あなたは自分が童貞を保ったことを、失敗だったと後悔するかね?

 あなたがその日まで童貞を守って生きてきたことは、昨日まで彼女が処女を守って生きてきたことの、正当な対価だとは思わないかね?

 ゆえに世界に、一人でも純良な女性が潜在していれば、あなたが生涯何ら報われなかったとしても、婚前交渉を否定する価値が損なわれることはないのだ。

 何しろ、優れた美しい人々から淘汰されていく時代だからね。


 だから、婚前交渉を行うことほど、運命の人を裏切る行為はない。

 だから、婚前交渉を行わないことほどの、運命の人への愛情表現はない。

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