12 黒い化け物2
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何とも言えない塊のようだった姿から、下の方に無数の蜘蛛のような足が現れる。持ち上がった胴体からは一対の大きなカマキリの鎌のような物が現れ、ゆっくりと周囲を見渡すように、体全体に大小さまざまな人の目が開いた。
しとしとと雨が降っている。小さな崖や山が多い見通しの悪い雑木林の中で、いつもの格好の上にレインコートのような物を着たコガネ達の前に久しぶりの化け物が姿を現した。
「……帰らせる気はないみたいだね」
先日大樹内で購入した、笛による帰還時間の目安を示す道具。新たに開発されたその道具は、詳細の精度はそこそこでしかないらしいが、初め30秒程度だった表示が徐々に増え、今は4分台から最高値の“5分以上”という数字を行ったり来たりしている。
「化け物達は大樹の力も妨害できるからな……」
「準備は出来てる。私達だけでもやってやるよ!」
「大樹に頼っていては今回戦う意味もないしな」
化け物までの距離は大体30m程度。ゆっくりと動く化け物はまだこちらに気付いていないように見える。
「やい化け物!」
鋭いアカネの声に化け物の目の多くが一斉にこちらを見る。バラバラに瞬きをする目が常にアカネを見つめるさまは酷く不気味だ。しかし、沢山の目のうちのいくつかはいまだ周囲を警戒している。アカネは思わず後ずさりしそうになる足を踏ん張って、更にスキルによる大きな音を立てれば全ての目がアカネの方を向いた。
「来い!」
『ァア!』
無理やり注意を惹き付けられた化け物は一直線にこちらに向かってくる。アカネまであと少しの所に迫った瞬間、その横っ腹に大きく鋭い針が突き刺さった。
「エグジストニードル!」
隙だらけの横っ腹に専用の魔法の針が突き刺さった化け物は激しくのたうつ。鎌は大きく振り回され、アカネが飛びのいた後には大きく地面が抉られていた。
「これじゃ近づけないなー……あっ!」
アカネに集中していたはずの目が半分近く横を向いてしまっている。もはや挑発の効果が無くなっている事を示しており、化け物がアカネ以外の方向へ走り出すのを止める事は出来ないだろう。
「どんだけ専用の効果大きいの!? っていうか、どれだけ通常の効果薄いのよ!?」
横へ向きを変えた化け物の狙いを定めた鎌が振り下ろされるが、茂みの奥でコガネを乗せていたアスターが飛び上がり、後ろの細い木は根元から断ち切られてあっという間に他の木々の間に倒れた。
「……」
『……』
上空へ飛んだコガネ達と化け物の睨み合いが続く。アスターは遠距離技に備えて身構えていたが、化け物はふと目線を下へ戻した。
「こっちへ来る?」
コガネを諦めた化け物はじりじりとアカネに近付いて行く。その時、後ろからガサリと言う音が響いて化け物は後ろを振り返るが、その時にはもう細い剣が首筋らしき場所に突き刺さっていた。
『ゥアウ!』
「っち!」
刺した剣を抜く暇も無く、クロは舌打ちをして後ろへ走り出す。
「おりゃあ!」
鎌を受け止めるのは、黒く小さな味気ないデザインの盾。クロと化け物の間にアカネが割って入った。
『ッウゥ!』
化け物は慌てて鎌をひっこめる。触れた先が画像がぶれるように消えていた。
『……』
盾を構えるアカネに隙は無い。針や剣による継続ダメージで刺さった部分がボロボロになりつつあるが、いずれは緩んで抜けてしまうだろう。攻撃技能に乏しいアカネや武器を失ったクロに出来る事も無いが、見える範囲で化け物が狙える敵はアカネに守られたクロだけだ。ゆっくりと動きながらも睨み合い、戦闘は膠着状態となる。
「……」
数秒か、数十秒か。動きが無くとも化け物に焦れる様子はない。
「二手に分かれるぞ」
「分かった」
戦況を動かすため、クロがアカネの後ろを外れて走り出す。アカネも渋々と言った口調ではあったものの、間を開けずにクロと逆の方向へ走り出した。
『アァウァ!』
化け物は迷わずクロの後を追いかける。起伏が激しく足場の悪い道を物ともせず走る二人だったが、クロに徐々に疲れが見え始める。初めはクロの走りに余裕があったものの、少しずつ間が狭まっていっていた。
声も無く追いかけ続ける化け物。走り続けるうちに雑木林を抜け、背の低い草に覆われたなだらかな草原に出る。
途端に左に大きく進路を変えたクロに、化け物は体勢を崩しかけるが、クロを逃すまいと突き立てた鎌によってクロの動きも一瞬止まる。もう一方の鎌を振り上げるその目には笑みが浮かんでいるような気がした。
「仕方ないからこれを使ってやるよ」
『ァア――!』
至近距離で爆発が起こる。これまでにないダメージを受けた化け物は声にならない声を上げて砕け、風に吹き飛ばされる塵のように消え去った。
「結局バズーカ使っちゃったかー」
後から剣を持ったアカネが顔を出す。金銭で買える装備の一つであるこのバズーカは、帰還時間測定器や黒い盾と同じく、最近大樹直轄の道具屋で売られるようになった専用アイテムの一つだ。これらは全般に値段こそ安いものの、その使用には何かしらのステータスが一定以上なければほとんど使い物にならないようなデメリットがある。
「支える力が無いと命中率ゴミとか書いてあったけど、近距離なら割とどうにかなるもんだな」
「コガ兄ですら微妙に力足りてないんだっけ? でも、デメリットはともかく、結局自分で戦ってる感じがしないからあんまり使いたくなかったんだよなー」
「これだけ戦えれば充分なんじゃないか? 持ち運ぶのが面倒だから早いところちょうどいいスキルに手が届くといいんだけど」
「もうちょっと余裕だと思ったんだけどねー」
「俺は結構疲れたけどな」
「ん?」
ふと見やった化け物の跡。何もないと思った茂みの中にまだ何かがあるような気がした。
「どうしたの?」
「まだ何か落ちてないか?」
白っぽい肌色の腕。輝く細い銀の糸。肌色の体を覆う薄い白の衣。その間接には人形じみた丸いパーツが埋まっている。
「人形……?」
小柄ではあるものの、ほぼ等身大の少女の人形。唐突に現れた事に驚いて一拍遅れたが、その美しさは見惚れるようだった。けれど、その造形に最初に感じたのは妙な違和感だった。