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血と涙の朝

 約束の三日間が終わり、蓮十郎が美原村を出て行く朝となった。


 村長の神坂を始め、伝之助や弥平次、他の村人たちが、村の外れまで見送りに来ていた。凛は、ちょうど神坂の手紙を持って隣の栗山村へ協力を求めに行くことになっていたので、蓮十郎と一緒に村を出ようとしていた。


「綾川殿、ご自身も大変な時だと言うのに、此度の事、誠に感謝いたします」


 神坂が、村を代表して礼を言った。


「何、大したことじゃねえよ。それより、加勢してやれなくてすまねえな」


 三日間、共に過ごしているうちにこの奇妙な男にも情と言うものが湧いたのか、蓮十郎は少し申し訳なさそうな顔をしていた。


「俺が教えた通りの動き、作戦で行けば、次に八木沢党が襲って来ても撃退できるはずだ。頑張ってくれ」


 蓮十郎は村人達を見回して言った。村人達は、答えて口々に感謝の言葉を述べた。


「蓮さん、もっといて欲しいなぁ」


 弥平次が進み出て言った。


「悪いがそうもいかねえんだよ。でも、俺が教えた通りに稽古をしていれば、いつかお前も俺みたいに……いや、俺より強くなれるぜ。だから、励めよ」


 蓮十郎は、笑って弥平次の頭を撫でた。弥平次は嬉しそうに頷いた。

 他の小さな子供達にも声をかけ、互いに笑い合った。そして、最後に手を振り合い、蓮十郎は凛と一緒に美原村を出て行った。

 凛の向かう栗山村へは、途中まで道が一緒である。二人は、水田の畦道を通り抜け、原野に出ると、街道に入って共に歩いて行った。


 あまりにも速く異変が起きたのは、それから半刻ほど後のことだった。一人の村の男が、転がるように駆けて来てその急を告げた。


「た、大変だ。八木沢党の連中が来た!」


 ちょうど、用事があって村人達が神坂の屋敷前に集まっていた。その知らせを聞くと、皆、一様に顔色を変えた。


「何? 蓮十郎殿が出て行った途端にか。何て運が悪い」


 一人が悔しそうに言ったが、


「落ち着くのだ。早ければ綾川殿の教えもまだ新鮮じゃ。綾川殿の言った通りに戦うのだ」


 村長の神坂が白い顎髭を撫でながら冷静に皆に言い渡した。


「よし、それぞれ、持ち場に着け! 落ち着いて戦うんだ!」


 伝之助が大声を出して立ち上がった。

 村人たちは、それぞれ事前の作戦通りに、自分の持ち場につくべく散って行った。その中には、不安そうだが闘志に燃えている弥平次の姿もある。


 そして、村人全員、迎撃の準備が整い、息を潜めて八木沢党の襲来を待った。

 やがて、村の外れの原野の彼方より、武装した八木沢党の野武士たちが群れをなして現れた。村人たちは皆、一様に緊張して身構える。

 だが、徐々に大きく見えてくる敵勢の姿をはっきり見ると、村人たちは皆、驚いて愕然とした。


「え? これって……」

「ど、どういうことだ?」

「この前の倍の数はいるぞ」


 信じられない現実に、村人達は理解が追いつかない。だがすぐに、容赦の無い現実が彼らを襲った。蓮十郎の武技の指導も、授けた戦術も、何もかも役に立たなかった絶望と言う現実。


 それを告げる数発の銃声が悲しく轟いた。


 街道は、春らしい気持ち良い陽気に包まれていた。蓮十郎と凛は、他愛も無い話をしながら歩いていた。

 そして半刻ほども歩いた時、


「ねえ、これからどこへ行くの?」

「そうだな。北へでも行ってみようかと思ってる。とりあえず織田領以外の場所ならどこでもいいんだ。当分は仕官をするつもりも無いので、旅をしながら腕を磨くつもりだ。本当は尾張へ行きたいんだけどな」

「尾張?」

「ああ、ちょっと会わなきゃならない、と言うか会いたい人がいる」


 少し俯いて言った蓮十郎の顔に、再び寂しい影が走った。


「だけど今の俺の身じゃ、尾張なんかとても行けねえ」


 織田家は尾張より興っている。今でこそ信長の本拠は美濃の岐阜城だが、それでもほとんど織田信長の御膝元のような地である。


「そう、いつか行けるといいわね」


 凛は切なそうな目をした。


「ああ」

「じゃあ、北ならこっちね。私はこっちだから」


 凛が脚を止めた。道は、そこから二股に分かれていた。


「ああ。力になってやれないのに、何だか世話になりすぎちまったな。礼を言う」

「そんな……世話になったのはこっちの方よ。ありがとう」

「そうか」

「うん。最初は何て嫌な奴なの、って思ったけど、今でも結構思ってるけど……でも、あなたは本当は優しくて、嘘をつかない人で……、あれ、私、何言ってるんだろう?」


 凛は自分でも混乱し始めた。蓮十郎は苦笑する。


「でもとにかく、あなたに会えて良かった。とても感謝しています」

「よせ。感謝してる暇があったら少しでも修行を積め。きっと八木沢党に勝てよ」

「うん。きっと」


 凛は眩い笑顔を見せた。

 蓮十郎も、応えて微笑した。


「……じゃあな。機会があればまた会おう」

「うん」


 そして、二人は手を振って別れた。蓮十郎は北へ向かう道へ。凛はこのまま真っ直ぐ栗山村へ。

 凛は、名残惜しそうに、遠ざかる蓮十郎の赤い背中を見送った。その目が、うっすらと潤む。だが、すぐに踵を返して歩き始めた。


 そして蓮十郎。歩き始めてすぐだった。


「うん……?」


 何かを感じ取った。凛の方を振り返る。姿勢よく歩いて行く凛の後姿が、少しずつ小さくなって行く。


「違う……何だ?」


 蓮十郎は、隙の無い鋭い目つきで四方を見回した。彼の鋭い感覚が、何かを感じ取ったのだ。だが、それが一体何なのか、それ以上感じ取ることができなかった。


「まあいいか……」


 仕方なく、蓮十郎は胸のざわつきを抱えたまま、また歩き始めた。


 凛は栗山村へ着くと、そこの長に神坂の手紙を渡し、協力を仰いだ。美原村は栗山村とは仲が良い。栗山村の長は、同じように織田領に入ったばかりの慌ただしさ故に、今すぐには返事はできないが、落ち着いたらできるだけ早く協力するとの言葉をくれた。

 凛は喜んで美原村への帰途についた。

 だが、歩いていて、はたと気付く。


(でも栗山村が落ち着いた時には、もう流石にご城主様も動いてくれるわよね)


 凛は苦笑いした。


(早く動いてくれればそれで全て解決するのになぁ……)


 などと、色々考えを巡らせながら、凛は美原村に帰りついた。

 だが、村に一歩踏み入った瞬間、凛の顔色が真っ青になった。


「え……?」


 凛は愕然として言葉を失った。


「何よこれ……」


 凛の眼前に広がっていたのは、凄惨と言う言葉では足りないぐらいの光景であった。一面、血の海とそれに浮かぶ村人達の死体であった。


「まさか、私がいない間に八木沢党の連中が……?」


 凛は、震える脚のまま、もつれそうになりながら自分の家へ走った。

 すると、家のすぐ近くの辻で、夥しい血を流して倒れている弥平次の姿が目に入った。


「や……弥平次!」


 凛は絶叫して駆け寄った。

 弥平次は、胸を斜めに大きく斬られていた。凛は震える手で弥平次の顔を触った。温もりはすでに無かった。


「弥平次……! 何で……どうして!」


 凛は半狂乱で弥平次の冷たい身体を抱き起した。


「弥平次……」


 凛は弥平次の小さな身体を抱きしめながら号泣した。

 父、桐谷三太夫が世を去ってから唯一の肉親である。涙が止まらなかった。

 ひとしきり泣くと、放心した表情で弥平次の顔をずっと見つめていたが、やがてよろよろと立ち上がった。

 そして村長の神坂の屋敷へ走った。入ってすぐ、庭先で倒れている神坂の姿が目に入った。


「神坂さん!」


 凛は神坂に駆け寄って抱き起した。

 神坂も血塗れであった。だが身体はまだ温かい。命の火がわずかにまだ残っていた。


「神坂さん、凛です!」


 凛が呼びかけると、神坂はうっすらと目を開けた。


「お……お凛」

「八木沢党ね?」


 神坂はゆっくりと頷いた。


「魔招散……奪われ……た……」

「そんな……」

「お凛……村を……魔招散を……頼む」


 それだけ言うと、神坂の瞼が再び落ちた。同時に、身体から力が抜けて重くなった。


「神坂さん……」


 凛の両目から涙が零れ、神坂の皺の多い顔に落ちて行った。

 凛はしばらく泣いていたが、やがて力強く立ち上がると、八木沢党の根城がある方の空を見上げた。

 目の色が変わっていた。


「弥平次……神坂さん、皆……仇は必ず私が……!」


 凛は刀の鯉口を握って駆け出した。

 目指すは八木沢党の根城がある鉢久保山――

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