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 蓮十郎が美原村で武技と戦術の指導をして三日目。

 短期間の集中特訓であったが、蓮十郎の厳しい指導と、それに応える村人達の熱心な稽古の甲斐があり、村人たちは初日と比べると目覚ましい進歩を遂げていた。


 そしてついに――


「や……やった……! 当てたぞ……!」


 一人の男が、信じられないと言った面持ちで木剣の先を見つめた。今、彼の木剣が、初めて蓮十郎の胴を軽く掠ったのであった。

 蓮十郎は、今日は胴当てを身に着けていた。掠められた部分を触って、にやりと笑った。


「やったじゃねえか。多少は成果が出て来たか」


 男は、驚きと喜びに小躍りした。


「すげえ……!」


 周りの者たちも興奮している。


「よし、次だ」


 そして次の男も、蓮十郎の籠手を打つことに成功した。また次の男も、蓮十郎の胴に打ち込んだ。


「おお、すげえすげえ!」


 男たちは皆、驚喜した。蓮十郎自身も驚きを隠せない。


「皆凄えじゃねえか。この進歩は俺の予想以上だぜ」


 そして蓮十郎は木の枝を放り投げると、


「よし、じゃあちょっと休憩だ。その後、また続けるぞ」

「はい! ありがとうございます!」


 蓮十郎は、少し離れた木陰に移動した。

 だが、村の男たちは、休もうとしなかった。今、蓮十郎に一本当てられた興奮から、やる気がますます湧いて来ているのか、互いに「もっとこうすればいい」「あそこを直せばいい」などと言い合った末、自分たちで練習を始めた。


 木陰に座った蓮十郎は、竹筒の水を飲みながら、その様子をじっと見つめていた。

 そこへ、先程から見ていた凛が歩いて来た。


「ちょっと信じられないわ。あなたに打ち込めるようになるなんて。皆凄い上達したもね。……いや、あなたの教えが凄いのね」


 凛もまた、興奮したような口ぶりであった。だが、その言葉を聞くと、蓮十郎はにやにやと笑った。


「何よ?」

「わざと打たせたに決まってるだろ」

「ええ?」

「並の男じゃ五年十年修行しても俺にはかなわねえだろう。それが、あいつらがたった三日間の特訓で俺に打ち込めるわけねえだろ。俺はわざと打たれてやったんだよ」


 蓮十郎はおかしそうに笑った。

 凛は驚いて、


「何でそんなことするの?」


 すると、蓮十郎はにやけ顔から一転、真面目な顔になった。


「自信をつけさせる為だ。実戦では、練習した技の他に、自信が何よりも重要になる。自分なら勝てると言う自信、それが真剣の斬り合いの時の恐怖と委縮を和らげ、尚且つ落ち着いて動けるようになるんだ。この俺に一本でも打ち込めれば、それは何よりの自信になるだろう。それに、剣術が好きになる。見ろよ、あいつらを」


 蓮十郎が指差す方を見ると、男たちは、生き生きとした顔で木剣を振っている。


「自分でも上達が実感できれば、剣術をより好きになる。好きになれば、熱心に稽古をするようになる。そうすれば、ますます上達する」

「そこまで考えてたの……」


 凛は驚嘆した。


「はは……後でもっと打たれてやるつもりだ。だから今日はわざわざ胴当てと籠手を着けたんだ」

「そうだったの……それにしても、あなたはやっぱりすごい人なのね。ちょっと見直したわ」

「惚れたか?」


 蓮十郎はにやりと笑う。


「そんなわけないでしょ! もう……今の言葉は取り消し!」


 凛は頬を膨らませて横を向いた。

 だが、すぐに顔を暗くすると、


「でも、明日でこの村を出るんでしょう? 心配だなぁ。この三日間、結局八木沢党は襲って来なかった。あなたがいなくなった後、あいつらが襲って来たら……」

「大丈夫だ。今日はわざと打たさせたが、それでも皆格段に上達しているのは事実だ。後は、俺が教えた作戦通りに戦えばまず負けねえよ」

「…………」


 凛は、下を向いて沈黙した後、蓮十郎を見て言った。


「ねえ、明日には本当に行っちゃうの? 残って、八木沢党を倒しに行ってくれる気はやっぱりないの?」

「無いね」


 蓮十郎のきっぱりとした即答は変わらない。


「三日間の指導、その間に八木沢党が襲って来たらその時だけ加勢してやるって、最初から約束しただろう」

「そうだけど……やっぱりあなたがいなくなっちゃったら不安」

「何だ、やっぱり俺に惚れてるのか」


 蓮十郎がからかうようににやにや笑う。


「だから、そんなわけないでしょ。よくそんな風に考えられるものね……」


 凛は呆れた後、また暗い顔となり、


「あなたは口も性格も最悪だけど、武芸の腕だけは信用できるから……いれば心強いの」


 蓮十郎は困ったように笑って、


「悪いな……本当はすぐにでも出て行きたいぐらいなんだよ。この三日間、びしびしと気配を感じているからな」

「え?」

「噂をすれば、だ……」


 蓮十郎は、原野に沿って走っている街道の向こうを見つめた。そこから、一人の侍が歩いて来る。侍の影は、みるみるうちに大きくなり、やがて蓮十郎の前まで来た。


「久しぶりだな、修太郎。一年ぶりか」


 蓮十郎は薄く笑った。

 その侍は、かつては蓮十郎と同じ馬廻りの仲間であり、今は大倉城で浦野光之助の下にいる、小野原修太郎であった。

 修太郎は紺の小袖に黒の袴、腰には大小を差していた。


「蓮さん、お久しぶりです」


 修太郎は軽く頭を下げた。


「この三日間、俺を張ってたのは織田家だったか。だがその割にはこの俺をたった一人で捕えに来るとはいい度胸だぜ」


 蓮十郎は、左手を動かし鯉口を切った。修太郎は慌てて手を振る。


「違います、蓮さん。俺が一人で蓮さんを捕えられるわけないでしょう」

「じゃあ何しに来た?」

「ここには俺一人、極秘で来たんです。ここじゃ何ですから、どこかで……」


 二人は、桐谷家の屋敷に移動した。

 庭に面した座敷で、蓮十郎と修太郎が向かい合った。

 凛が出した茶を啜って、修太郎が言った。


「蓮さん、こんなところで何をしているんですか?」

「まあ、ちょっと成り行きでな。剣や槍の稽古をつけて、戦術を教えてやってる」


 蓮十郎は喉が渇いていたのか、茶を一気に飲み干した。


「この村は今、魔招散を狙って八木沢党と言う賊に襲われていると聞きます。その為ですか?」

「まあ、そんなところだ」

「らしくないですね」

「俺もそう思う」


 蓮十郎は苦笑した。


「でも、てめえらが何もしてやらねえからだぜ? それでも城主か。何とかしてやれよ」

「したいのはやまやまなのですが……我らもこの辺りに来たばかりでそこまで手が回らず……」


 修太郎は言いにくそうに言葉を濁した。


「情けねえな、それでも織田家の武士か」

「…………」


 修太郎は下を向く。


「で、何しに来たんだよ?」

「蓮さんはすでに気配を感じ取っているようですね。光之助さんが、蓮さんがここにいる事を知り、捕えようと策を練っています」

「だろうな。大体わかってるぜ」

「早めに逃げてください。実は明日にはもう光之助さんは兵を動かすつもりでいます」

「そうか……」


 蓮十郎は厳しい顔になり、


「まあ、元々三日間だけのつもりだ。明日の朝にはここを出る」

「そうですか。なら良かったです」

「お前、光之助の下にいるんだろう? 何で俺を捕えようとせず、そんな情報を俺に教える?」


 すると修太郎は一時黙って何か考えた後、


「俺は蓮さんを尊敬してましたから……それに、蓮さんが宗助を斬ったってのがいまいち信じられなくて」

「…………」

「明日、命令が下れば俺も捕縛の隊に加わらなければいけません。明日は、鉄砲隊を含む百人近くもの兵で動く気でいます。それは流石の蓮さんでもかなわないでしょう。だから、その前に蓮さんに逃げて欲しくて……」

「てめえは真面目な堅物だが、時々そう言うことをやるよな。ありがとうよ。忠告には素直に従っておくぜ」


 蓮十郎は笑った後、怒りを孕んだ冷やかな顔となった。


「しかし、忙しくて八木沢党討伐ができないって言ってるくせに、この俺たった一人を捕らえるのには兵を出すのかよ。おかしくねえか?」

「そう……ですね……」


 修太郎は言いにくそうにして俯いた。


「まあ、それ程光之助にとっては俺が生きているのは都合が悪いってことなんだろうけどよ」


 蓮十郎が薄笑いで言うと、修太郎は顔を上げた。


「ずっと逃げてたから初めてこの事を織田家の人間に言うが、俺が宗助を斬ったのは、光之助に謀られたんだよ」

「やっぱりそう言うことですか……」

「何?」

「嫉妬に狂って宗助を斬ったと言われていますが、蓮さんはそんなことをする人じゃない。そもそも、あなたは嫉妬しない人だ。きっと、蓮さんは誰かに陥れられたんじゃないかと思っていました。それがまさか光之助さんだとは思いませんでしたが」


 修太郎は、詳しい理由も聞かずに、蓮十郎が謀られたことに納得した。それ程、蓮十郎と言う人物をよく知っていた。


「馬廻りの中でも、半分近くの人間がそう思っていますよ」

「そうなのか……」


 蓮十郎には意外なことであった。


「だが、証拠がありません。そして、殿が最も寵愛していた宗助を、蓮さんが斬ったと言うのは事実です。だから、誰も殿にその事を言えないのです。殿は、証拠も無いことを言えば激怒なさりますから」

「そうだな」


 蓮十郎は、少し暗い視線を庭に投げた。


「それ故に、命令が下ってしまえば蓮さんを捕えるしかありません。だから、逃げてください」

「わかった」


 蓮十郎が頷くと、修太郎は立ち上がった。


「では、そろそろ行きます」

「おう、わざわざすまねえな」


 蓮十郎も見送ろうと立ち上がった。凛が襖の脇に下がり、軽く頭を下げた。

 それを見止めた修太郎は、目を見張って言った。


「これはお美しい娘さんですね。この家の方ですか?」


 凛は照れて頬を赤らめた。


「桐谷凛と言います」

「驚くぜ。あの、桐谷三太夫の娘だぜ」


 蓮十郎が横から言った。


「え? あの伝説の……」


 修太郎は驚き、まじまじと凛の顔を見つめた。


「そして、俺に惚れている」


 蓮十郎がにやりとして言った。

 すると、凛はすぐに目をキッと怒らせて、蓮十郎の頬を叩いた。


「誰がよ! またいい加減なことを言わないでよ!」


 それを見て、修太郎はおかしそうに笑った。


「ははは……蓮さんは変わらないですね」

「まあな」


 蓮十郎は叩かれた頬をさすって苦笑いをした。

 そして修太郎が門のところまで行き、蓮十郎と凛の見送りで門を出ようとした時だった。

 修太郎が振り返った。


「そうだ、蓮さん」

「何だ?」


 修太郎は深刻そうな顔をしていた。


「明日、ちゃんとこの村を出て逃げてくださいね」

「何言ってるんだ? さっき、明日の朝には出るって言ったばかりだろ」


 蓮十郎は訝しむ。


「ああ、そうでしたね」


 修太郎は気まずそうに苦笑いをした。


「変な奴だな」

「はは、すみません……では、もう行きます」

「おう、元気でな」


 そして互いに手を振り合った後、修太郎は桐谷家の屋敷を後にした。

 蓮十郎は、遠ざかる修太郎の背中をじっと見つめていた。


 そして翌日、約束の三日間が終わり、運命の日がやって来た。

 その長い一日は、これから起こる事に似つかわしくないほどの爽やかな朝から始まった。

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