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禁断の神薬

 料理と酒を膳の上に置いた凛と弥平次は、襖の方に下がると、神坂と蓮十郎のやり取りを見つめた。


「この村には、朝廷の人間にしか使用を許されていない禁断の秘薬、魔招散(ましょうさん)と言う薬がございます。魔招散は元は神招水(しんしょうすい)と言い、平安の世にこの村の者が作り出した、どんな疲労でも一度で回復し、また軽い病や怪我であればすぐに治してしまうと言う万能の神薬でございます。その評判を聞き付けた朝廷が私どもの祖先に献上させたところ、効果てきめんとして大いに気に入られ、都の人間の間で大流行いたしました」


「へえ、初めて聞いたぜ。そんな薬があったのか」


 蓮十郎が興味をそそられた顔になると、神坂は屋敷の者に言って、小さな桐箱を持って来させた。

 開けると、中には薄い褐色をした、粉末を固めて棒状にした物が入っていた。それが魔招散であった。


「ですが、大流行したのはその治癒力だけが原因ではないのです。神招水は、その神の如き治癒力のあまり、健康で頑強な肉体の持ち主がそれを飲めば、、薬が作用する一時の間だけ、飲んだ者の身体能力を何倍にも増幅させ、常人の域を超えた天下無双の力を得られると言う効能まであったのです。」

「何、本当かよ?」


 蓮十郎が片眉を動かした。


「はい。しかしそれだけではございませぬ。一度その神招水を飲んでしまうと、もう神招水を飲んでその力を得る事しか考えられなくなる依存性まであり、しかも、肉体に強く作用する薬の為に、飲み続ければ身体に負担がかかりすぎて、そのうちに身体がまともに動かなくなると言う恐ろしい副作用までありました。ですが、時は武士が台頭する前夜、誰よりも強い力を身につけたいと願う武士達は、皆その薬に夢中になった。その結果、神招水は簡単には手に入らないような値段にまで高騰しました。しかし、強い依存性の為に、人々はどうしても神招水を手に入れようと躍起になり、ついには神招水を巡ってあちこちで殺し合いが起きたのです。いつしか、神招水は魔性を招く薬、魔招散と呼ばれるようになりました」


「なるほど、そうなるだろうな」


「そして、事態が深刻と見た朝廷は、神招水、今の魔招散を、天下に大乱を招く魔薬として使用を禁じました。だが、少し飲むだけで高い疲労回復を得られ、軽い病や怪我までも治してしまう本来の効能は捨て難く、帝と朝廷の一部の者達だけが使用を許される門外不出の禁断の秘薬として、この村だけで代々密かに製造されて来たのです」


「それを八木沢党が知り、狙っているというわけか」


「その通りでございます。八木沢党が、先月から度々魔招散を狙って襲って来ているのです。本来であれば、朝廷が魔招散を守る為に動くのですが、幕府ですら力の無いこの戦国の世、朝廷にはとても兵を派遣する力はございません。そこで、我ら自身で武装し、撃退して来たのですが、流石にもう限界なのです」

「じゃあ、ここら辺を治めてる領主に言ったらいいじゃねえか」


「無論、訴え出ました。しかし、この辺りは最近織田領になったばかりで、色々と忙しいのでそこまで手が回らぬと無碍に断られてしまいました」


 それを聞くと、蓮十郎は茶碗を口に運ぶ手を止めた。


「何? ここはもうすでに織田領なのか?」

「はい。先月、浅井方との間で戦があり、織田方が勝利、ここら一帯は織田家の支配となりました」


 蓮十郎は茶碗を置いて深刻そうな表情となった。


「そうか……最近の織田の侵攻の速さは尋常じゃねえな。なら俺もさっさとこの村から出ないとな。しかし、織田信長ならこういう悪事は許さないはずだがな。実際に治めている領主は誰だ?」

「浦野久行様でございます」


 その名を聞くと、蓮十郎は目の色を一変させた。


「浦野? 本当か?」

「はい」

「そうか……光之助か」


 蓮十郎は目を光らせ、意味深に呟いた。


「ご存知ですか?」

「まあな。同じ馬廻り衆の仲間だったんだよ」

「そうでしたか」


 そして一時の沈黙の後、神坂は一つ咳払いをした。


「事情はこの通りでございます。綾川殿、どうか我らの願いを聞き届け、我らと共に八木沢党を退治してもらえませぬか? ご領主の浦野様に助けていただけない今、我らには他に頼れる方がございませぬ。ですが、綾川殿の武勇であれば、きっと八木沢党を退治し、魔招散を守る事ができまする」


 神坂は、両手を畳につき、頭を下げて頼み込んだ。

 だが蓮十郎は、腕組みをしてじっと何か考え込んだ後、きっぱりと言った。


「悪いがお断りする」


 神坂はもちろん、凛と弥平次も驚いた。

 むしのいい頼みではあるが、蓮十郎の鮮やかに賊を追い払った強さから、何となく正義の侍と言う印象を抱いていたからである。

 思わず進み出たのは凛であった。


「どうして? あなたの腕ならきっと八木沢党なんか敵じゃないわ」


 しかし蓮十郎はじろりと横目で一瞥すると、


「悪いな。俺はもう二度と他人の為に剣を使いたくねえんだよ」

「他人の為に?」

「ああ……」


 蓮十郎は少し暗くなった顔を背けて、庭に目をやった。


「でも……」

「これ、お凛、やめなさい」


 神坂は、尚も言葉を続けようとする凛をたしなめた。蓮十郎の言葉に、何らかの複雑な事情があると読み取った。だが、それでももう一度頼んでみた。


「大したものもないこの村でございますが、礼ならいくらでも弾みまする。それでも駄目でございましょうか?」

「ああ、断る」


 蓮十郎の返答は変わらない。ぴしゃりとはねのけるように言った。


「どうしても……でございますか?」

「ああ……実はな、俺は命を狙われて追われてる身なんだ。ここにのんびりと止まっている暇はねえんだよ」

「お命を? 追われている……とは誰に?」

「織田信長にだ」

「ええっ?」


 皆、驚いた。

 蓮十郎は元々信長の馬廻り衆で、金ヶ崎の退き口で活躍し、織田軍の窮地を救った男である。それが何故信長に追われているのか。


「あなたは金ヶ崎の英雄でしょう? 何で?」


 凛がまた一歩進み出て聞いた。


「まあ、色々あってな」

「色々って……何?」


 何か、ひどく蓮十郎の癇に障ったらしい。


「別にどうだっていいだろう? あんたはさっきからうるせえな! 人の事をあれこれ聞くんじゃねえよ」


 蓮十郎は急に声を荒げて凛を睨んだ。

 凛は思わず身体を竦ませたが、蓮十郎が声を荒げたのはこれで二回目である。流石に腹が立って言い返した。


「そんな言い方しなくたっていいじゃない! 興味があるから聞いただけでしょ!」

「それが鬱陶しいって言ってるんだよ」

「ちょっと教えてくれたっていいでしょ!」

「言いたくねえんだよ、ほっとけよ!」


 蓮十郎と凛、互いに掴みかからんがばかりの剣幕となった。

 神坂は慌てて割って入った。


「まあまあ。お凛、やめなさい。人には他人はわからぬ事情があると言うものだ。綾川殿、ご無礼お許しください」


 神坂は、凛に代わって蓮十郎に謝った。


(何て酷い男なの……一瞬でも義人だと思ったのが馬鹿みたい)


 凛は、怒って顔を赤くした。


「事情はわかりました。そう言うことなら、恐らく何を言っても無駄でしょうな。元より図々しい願い。先程我らに加勢してくださっただけでも有難いと思って諦めます」

「すまねえな。だからここがすでに織田領だとわかった今、早々に出て行かないといけないんだ」


 すると、弥平次が進み出て、両手両膝をついた。


「では、少しでもいいんで俺に剣術を教えてくれませんか? 俺が綾川様ぐらいに強くなれば、俺がこの村を守れる」


 その言葉を聞いて、蓮十郎はふっと微笑んだ。それまで、どこか刺々しく冷たかったのが、初めて、少し優しげな表情を見せた。

 だが、すぐに険しい顔になると、


「駄目だ。俺の神想慈円流の剣は、一朝一夕に教えられるものじゃねえ。悪いな」

「そうですか……」


 弥平次はがっかりしてうなだれた。

 すると蓮十郎は少し申し訳なさそうな顔となった。


「まあ、そうがっかりするな。俺が見たところ、お前からは天稟が感じられる。毎日稽古に励めば、すぐに俺より強くなれるぜ」

「本当?」


 弥平次が顔を輝かせた。


「ああ、本当だ。だからしっかり励め」


 蓮十郎はそう言って笑った。

 その笑顔に、凛は思わず目を奪われてしまった。


 斬り合いで見せた修羅のような顔や、先程までのぶっきらぼうで冷たい態度とは大違いの、とても穏やかな笑みであったからだ。だがそれでいて、どこか寂しそうな影がある。


 神坂もまた、そんな蓮十郎の顔をじっと見つめていたが、膝を進めて言った。


「綾川殿、どうでしょうな? 織田の追手がすぐにあなたを捕まえに来るとは考えにくい。今日一晩ぐらいはこの村に泊まって行ってもよろしいでしょう。私どもへの加勢は諦めますが、せめてそこの弥平次を初め、我ら村の男どもに剣術などの武技の指導をしてもらえませんかな?」


 その言葉に蓮十郎は振り返ると、怪訝そうな顔をした。


「武技の指導? 俺なんかいらねえだろ。知ってるぜ。この村にはあの伝説的な剣豪、桐谷三太夫が隠棲して住んでいるだろう? 三太夫に指導してもらえばいいだろ。そもそも、三太夫一人いれば八木沢党の連中もどうにかできると思うんだけどな」


 蓮十郎の口から出た桐谷三太夫と言う名を聞くと、神坂、凛、弥平次の三人の顔色が変わった。


「桐谷三太夫殿……この村にいることをよくご存知で」

「ああ、色々と尋ねて回って、最近ようやくこの村に隠れ住んでいることを知ったんだ。実は俺は、その三太夫に会いたくてこの村に来たんだよ。ちょうどいいから、三太夫のところまで案内してくれねえかな?」


 蓮十郎が言うと、神坂たちは皆黙りこくった。


「何だよ? あんたらに加勢しないなら駄目ってことか?」

「いえ、そういうことでは……」


 神坂が言いかけると、凛が進み出て言った。


「桐谷三太夫は私の父です」


 凛と弥平次は、村の南西に位置する小山に蓮十郎を連れて行った。しばらく林道を登り、落ちかかっている西陽が綺麗に見える台地に着いた。

 その台地の端に、まだ新しい小さな墓石がぽつんと立っていた。

 愕然とする蓮十郎に、凛は言った。


「父です」

「…………」


 蓮十郎は言葉無く墓石を見つめた。

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