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歴史小説シリーズ

沈む

作者: 一齣其日

夕日が沈む。我らも沈む。ここが我らが墓場か。


船から乗り出して遠方を見る。散り散りとなった赤旗が海の藻屑と成り果てるのを見ていた。兵士達も命乞いをするか、その場で海に身を投げるかしかない。諦め悪く戦う者もいるが、やがては刀折れて力つきる。

「……もはや、これまでなのですな」

後ろで女どものすすり泣く声が聞こえる。

「間も無く、東国武士の晴れ姿をご覧になれましょう」

粋がって言うが、もはやこれまでというのはかの男、平知盛も同じだった。かつての平家の勇姿はもう見られない。この戦いで生き残っていた猛将どもも、早くに海の中へと消えていった。このまま源氏の前に身を散らすほかないのかと、半ば悟った面持ちにもなる。だが、まだ自分にはやるべきことが残っている。それは……。

「知盛や」

そこに幼き帝を連れた知盛の母、二位の尼が船の中から現れた。

「母上! ここは危のうございます!」

「いえ! もうよいのです、知盛」

知盛を制止して二位の尼は突き進む。続いて女達もぞろぞろと出てくる。改めて見る戦場は、既に平家の敗色が濃いものだった。

「やはり、先の棟梁が死んだ時にこうなることは決まっていたのかもしれませんね」

知盛は何も言えなかった。何より自分も同じことを思っていたからだ。

「しかし、まだ負けていません……!」

「もう、負けるのでしょう?」

その言葉が彼の手を止める。そして何も言えずに、生みの親から目を逸らした。

「いいのです、知盛」

そんな彼に母は優しく言い説いた。

「ここで死ぬのが我ら、平家一門の運命なのです。けれどもせめて源氏の欲している帝と、この三種の神器は我らが手で三途の川までお持ちいたしましょう。それがせめてもの報いです」

その言葉に涙が溢れる。せめて母と帝は最期まで守り通したかった知盛は、自分の力無さについには涙を流す。

帝を連れた二位の尼は、とうとう船の船頭へと出た。

「これからどこへ私を連れて行くのか?」

不安に暮れる帝に、二位の尼は優しい声色で言う。

「海の中の都でございます」

「……そうか」

帝は何かを悟ったのか、ぎゅっと祖母の着物を強く握ってしがみつく。震える幼い体を祖母は強く抱きしめた。そして二人は海の向こうへと消えた。そして次から次へと女達は身を投げる。水がはねる音が聞こえ、ついにはそこにいるのは知盛と彼の乳兄弟である平家長、そして彼らの部下しかいなくなった。

涙に暮れ、その場に立ち尽くす知盛。しかし全てはもう終焉へと近づいている。後戻りはできなかった。その涙を拭き流し、太刀を抜く。そしてもう一度、海上の戦場を眺め見る。白旗一色。もはや平家の居場所はどこにもなかった。

「……知盛殿」

家長が言おうとした言葉を知盛はその手で止めた。向き直った彼は、覚悟を決めた顔であった。

「一ノ谷、屋島、そしてこの壇ノ浦で延々と戦ってきたが、これが最期になった。私にはもう守る家も、人もいない。さればこの終わりを見届けて、向こうにいる父上に報告するのが私の最期の使命だと私は思う。だから鎧をもう一着、そして碇を持ってきてくれ」

「知盛殿……」

知盛はもう一度、戦場の方へと向き直る。瞬き一つせず、自ら守るはずのものの最期を見届ける一心だった。橙の空に映える白旗が続々と浮かび上がる。対して自らの旗色は、血と混じって海に見える。平家の最期は沈む夕日と同じ様だった。

家長は、知盛に言われた通りに鎧を一着、そして碇を持ってきた。

「……どうぞ」

その顔には涙しかなかった。手に持った鎧を持った鎧を知盛に差し出すと家長は声を上げて泣いた。

「……泣くな家長。私たちは泣いてはならぬ」

鎧の上に家長が持ってきた鎧をさらに着て、最後に碇を背負い船頭に乗り出した。

「すまぬ皆よ。我に武運がないばかりに平家を滅ぼすことを」

彼は沈む夕日を見つめ、源氏の武士どもを見下ろし、最後の轟を放つ。

「聞けい源氏のものよ! 我こそは平新中納言知盛! 見るべき程の事は見つ! 今はただ自害せん!」


夕日が沈む、我らも沈む。ここが我らが墓場よ。最期に見たのは母が言っていた都だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 平家物語の名場面ですね。 情景が目に浮かぶようで、とても素敵でした。 他の作品もこれから読ませて頂きます。
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