追憶と閉じ込めと、それでも潜る
時間が飛んですみません。なので昔のことを思いだそう。メモには「楽しかった。やっぱりおかしい。疲れる日々。更に超越。回顧と追憶。断絶。痛みの遮断。世界の遮断。悟り編」とだけ残っている。しかし、私には記憶がない。嘘だ。思い出したくない何かの力が働いて、思い出さないだけだ。ほじくり出せば、きっと出てくるのだろう。ぐりぐりとほじくり出せば。嘔吐する時の様に、喉に指を突っ込みたい。
なので、メモから追憶して、この間に何があったか思い出してみよう。少なくとも、何か感情を小説形式にしたいような日々でなかったことは確かだ。これは、自分に酔って、それでも自分の感情を現実の誰にも語れないときに書いた物だから。気持ち悪い。その自覚はある。が、自粛はしない。気持ち悪い。
今、「小説形式」と言ったのは、その間日記は付けていたからだ。日記に書くのと、小説っぽく書くのは違う気がする。そうやって、自惚れていたい。今現在も、恥ずかしさと自己陶酔の心地良さで笑ってしまった。もう嫌だ。小説形式で書けば自分を客観視できるんじゃないかって幼い思考も嫌だ。
では、そもそも「脱皮」の前から見てみようか。あの時は何をしていたっけな。
本当に、本当に、思い出したくないようで。解離でも記憶喪失でもないってわかってるのに思い出さない。消えた。消えてくれ。「消えてくれ」ってそう願ってる。願っている自分がいる。あの時の感情は本当に消えたのか、それとも苦しくて思い出したくなくて、封印したのか。消えた。確かに、確かにいらないのだけど。拒絶するのだけど。ああ、それでも思い出さなくては。だって、それも自分なのだから。それだって自分なのだから。がんばれ。自分がわからないのはとてつもなく不安だ。足元がグラグラするなんてもんじゃない。足元もない暗い霧の空間に変な形をして、足も持たないで浮いている気がする。下を向けば、ずっと深くて遠い黒い霧が続いているだけ。そして、私はずっとその「ない足元」を見ている。
そうそう。最近「離人」って言葉を知りまして。なんでも、現実感がないとか、浮いている気がするとか。なーんだ。「偽浮感」なんて付ける前に、前からあったんじゃん。みんな感じてるんじゃん。現実から浮いている感覚。自分を偽って、浮いている感覚。
ここに書いた自分は、これまでの文章を書いた自分は、確かに自分なんだけど、正直「自分」という気がしない。自分ってなんだ? 自分って、自分って、自分って。今まで何をして、どこにいたんだ?
多分、この独白の目的は自分との対話。でも、酔ってないとできないから気取った文にしてるんだと思う。恥ずかしくないのかって? 恥ずかしいに決まってる。なので、この文章は突然消える可能性があります。
二回目の「では」。では、時間を遡ってみたいと思います。あのときの日記を見返すと、大体「事実」しか書いていない。そして、そのときの感情は奥深くに忘れてしまった。あのとき――私は本当に楽しかった? 嘘。だって、日記にはマイナスの感情の言葉しか書いてないよ。“大体「事実」しか書いてない。”でも、たまに、気持ちが書いてある。その私は、とても辛そうに吐き出している。あのときは、あのときは、初めての経験ばかりで、きっとキラキラした目の前の事象が眩しかったんだな。それで。それで。