欠陥品
もう自分の声も聴こえない。自分の身体の一部が、確定的に激しい痛みがザクザクとするのはわかっているのに。視えているのに。それが自分のモノとは思えない。私は私を見ている。いや、私でないものを見ていたのか? 私でないものが見ていたのか? もはやその二重性すらふわふわと浮いていた。自分の所在がわからないのです。
感情が消えたように感じました。しかし、それを感じているということは消えていないのでしょう。きっと遠くへ行ってしまったのです。隠れてしまったのです。それとももう一人の私が隠したのでしょうか? 私は天井の白以上に真っ白で、濁った心にゆらゆら浮いていました。ただ茫然と、自分に起こった出来事を脳裏に焼き付けていました。だからどうということはありません。何も感じない、何も感じなかったのです。ああ、きっと感じるのが怖かったのでしょう。感情がいつも以上にどっと押し寄せてきたら、あの時の自分は、今の自分は泣き崩れるなんて醜態じゃ済まないでしょう。
私は欠陥品です。欠陥品になりました。自分の意思でなりました。自分の責任でなりました。欠陥品になろうとしたのだから、元々が不良品だったのでしょう。
欠陥品はついに、歯車の軋みが大きくなって、止まってしまいそうになりました。そして、隣の優しい人間に休ませて欲しいと言いました。優しい人間は早く治して、また一緒に働こうと言ってくれました。
しかし私はその言葉が来るまでびくびくしていました。欠陥品だからです。欠陥品は、不良品は、不要品として捨てられます。
捨てられる。きっと捨てられるでしょう。だって要らない人間なのだから。不要品は、使えないと捨てられる。そういう人生だった。それが世界だった。世界はそういうものだと思っていた。たまたままだ首の繋がった私は、世界からいつ捨てられるのかと。世界から不要宣告をされるのかと、まだ怖がっている。もう諦めてしまえばいいのに。自分が不要品だと。世界はいつだって理論的に利益で回ってきたと。
なのになぜ私を引き留める人間がいるのですか。