05 街の長老会議にて
07/06 一段落付け足し
街の〈大地人〉たちの朝は早い。
陽が昇り始める時間には起き出し、明るくなった頃にはほとんどの店は開店の準備を終えているし、街の大通りにはたくさんの人が行き交うようになる。
もう一カ月ちかくもこの街で生活していることもあってギルドの仲間たちもそこまでとはいかないまでも、動き出す時間が早くなっている。もう昼も近くなったこの時間ともなれば、屋敷の中に響くのは日々の雑務をこなすメイドちゃんたちの小さな足音だけなんていうことも珍しくはない。
そんな静かな屋敷のホールに続く階段を下りた先に見えるのは、今日もきっちりと燕尾服を着こなすバルトさんと、どこか軍服のような雰囲気のあるローブを身にまとう〈冒険者〉が一人。〈D.D.D〉の教導部隊の隊長であるりっちゃんの姿だ。
「ごめん、待たせちゃったかなあ?」
「いえ、まだ時間にはなってませんわ。私がちょっと早かったんです。それにバルトさんが話し相手をして下さっていましたから」
りっちゃんは懐から取り出した懐中時計の盤面に一瞬目を向けた後、バルトさんと小さく目配せをして笑う。そのバルトさんは私の方に向き直ると優雅に小さく頭を下げる。
〈冒険者〉としてのりっちゃんは長身のきりっとした大人の女性といった姿だけれど、その中身はちょっとおませな高校生だ。二人のそんな仕草は背伸びをした孫をエスコートする老紳士といった風で、思わず私の頬も緩んでしまう。
今日の私のスケジュールは午前の書類仕事ののちに〈長老会〉と呼ばれるテンプルサイドの街の顔役たちの集まる定例会合への出席。その会合の存在は顔役の一人でもあるバルトさんから以前より聞いてはいたのだが、街への影響力が高くなってしまった私にも、とうとう出席するようにとの催促が来てしまったのだ。
そんな場に向かうこの時間になぜりっちゃんまでもが居るのかといえば、私の口からこの〈大地人〉たちの会合の存在を知った彼女が是非私も参加したいと手を挙げたからだ。
もちろん参加可否の決定権は私にはないので、そこはバルトさんと交渉してほしいと言っておいたのだけれど、この様子では色よい返事がもらえたのだろう。
「では参りましょう。まだ時間には少し早いですが、老人というものはせっかちなものですから」
「まあ、若いのにせっかちなのもいるみたいだけどね」
「そんなことないです。櫛先輩がいい加減すぎるんですっ」
口をとがらせるりっちゃんの様子に困ったような笑みを浮かべながら、バルトさんが屋敷の玄関の大きな扉を開ける。一気に明るくなった視界に、私は思わず顔の前に手をかざす。曇りがちではあるけれど、雲間から漏れる陽の光だけでも寝不足気味の私の目をくらませるには十分な明るさなのだ。
私の屋敷のある豪華ではあるが人の住まない建物ばかりが並ぶ区画から二つほど道をまたげば、そこはもうテンプルサイドの街の中心ともいえる大通りだ。
昼前にもなると、街の〈大地人〉たちにとってはもう一仕事終えて休憩中といった時間らしい。広場のある街の入り口へと向かう道には、荷馬車の横に腰を下ろして談笑する人夫たちや、店の軒先で井戸端会議に花を咲かせているご婦人たち、それから走り回る小さな子供たちの姿が見える。街の人たちはバルトさんや、その後ろを歩く私の姿を見ると、笑顔を浮かべて小さく会釈をする。
「櫛先輩はずいぶんと街の方々から好かれているのですね……」
「はい。クシ様たちがこの街にいらっしゃってくれていることで、街の者たちは安心して暮らすことができておりますから」
そんな街の光景に感心するりっちゃんに対して、バルトさんがどこか誇らしげな表情を返す。
「いやあ、あれはバルトさんにでしょ。私なんかはぽっと出てきた若輩者だし。街では一緒にいることも多いから、オマケって感じに思われてるんじゃないかなあ?」
「めっそうもない。クシ様は百年以上も前から活躍なさっている〈冒険者〉だとヤエ様からも聞き及んでおります。それに比べれば本日顔を合わせる私を含めた〈長老会〉の者たちの方こそ、若輩者でございましょう」
「ふふっ、確かに。〈エルダー・テイル〉的にいえば、櫛先輩は伝説級のおばあちゃんですわね」
「ぐぬ、ヤエめえ。またいらんこと言いおってからに……」
ゲームだった時の〈エルダー・テイル〉ではゲーム内の時間の経過は現実の十二倍で流れていた。これは現実世界での二時間の経過が、こちらの世界では一日になるという計算になる。
確かにその計算でいけば、〈エルダー・テイル〉歴が十年の私は百二十歳以上の年寄りということにはなるのだけれど、私だって一応は微妙な年ごろの女子なのだ。バルトさんのようないぶし銀の男性にそんなことを言われてしまうのはちょっとというか、だいぶこたえる。
「いや、申し訳ありません。クシ様は若々しく美しい。私たちヒューマンとエルフでは寿命も違いますし、人生観も異なるのでしょう。それが〈冒険者〉ともなれば、なおさら違う事情もあるのですね」
「うう、お気づかいありがとうございます……」
微妙な感情が顔にも出てしまっていたのだろう。いつも落ち着いた雰囲気を崩さないバルトさんにしては珍しく、すこし慌てた様子でフォローの言葉が入る。とはいえその内容も私からすれば少しずれたものになってしまう。
普段は意識することもそれほどないのだけれど、〈冒険者〉と〈大地人〉のこういった認識のズレというのは少しばかり面倒だ。
この〈セルデシア〉世界は、私たちにとってはゲームが現実化してしまったような異世界だけれど、バルトさんたち〈大地人〉にとっては唯一無二の自分たちの生きる世界だ。それがゲーム由来の人為の介入したものだなどとと言われても、そう簡単に納得できるものではないだろう。
もちろん私たちだって、この世界の成り立ちについて判っていることなど皆無に等しいような状態だ。そういったこともあって、どうしてもこの「認識のズレ」というのには手が出せないでいるというのが現状だ。
「まあ、私がおばあちゃん扱いされるくらいなら、まあいいか。いや、よくはないんだが……」
「櫛先輩、そんなに眉間にしわを寄せてると、本当におばあちゃんになってしまいますよ?」
こめかみに指をあてて悩む私をからかうように、りっちゃんが顔に笑顔をうかべる。
私の横を歩く彼女の足取りはスキップをするかのように軽い。今日は随分と機嫌がいいらしい。
「むー、こっちは今から何を言われるんだかって考えると胃が痛いっていうのに……」
「今日の私はただのオブザーバーですもの。それに一昨日は先輩もうちの会議でうとうとしてましたからね、お返しです」
「ぐぬ。でもそれを言うなら私よりも小豆子をだな……」
「今日は顔合わせ程度のものと考えております。特に込み入った話にはならないでしょう」
「そうですね。そうだといいなあ……」
ご機嫌笑顔なりっちゃん。感情を表に見せぬ隙のないすまし顔のバルトさん。そして眉間にしわをよせて胃のあたりをなでながら歩く私。
とりとめのない会話をしながら三者三様の足取りで進んでいた私たちの足は、そこで同時に止まる。
のどかだった商店街の出口に近いある店の前に、道をふさぐほどの人だかりができているのだ。
「金たりないなあ、これじゃあ防具が揃わないじゃん」
「剣のほうがいいのか? でも槍ってのもアリだよなぁ」
「これちょっとキズついてる。ほらここ! ちょっと安くなんない?」
「おい、早く決めて買っちまえよ。後ろがつかえてるんだって!」
その人混みの中心は昨日までとは違って武器や防具を外し、街の〈大地人〉たちとあまり変わらない格好をした〈D.D.D〉の遠征チームの〈冒険者〉たちだ。その〈冒険者〉たちが武器屋と防具屋の前でああでもない、こうでもないと装備の吟味をしているらしい。
「へえ、昨日はじめたばっかりなのに、随分と賑わってるねえ……」
「ミロードから部隊を預かっているのです。これくらいは当然ですわ!」
思わず口から洩れた私の言葉に、りっちゃんは腰に手をあて自慢げに胸を張る。
その顔にはちょっと生意気目なつんとした笑顔が浮かんでいるけれど、よく見れば目の下にはうっすらとくまが浮いている。きっずっと働き詰めなのだろう。無理をして倒れるとかにならないと良いのだけれど。
「とはいえ、面倒なメンバーはまとめてダルタスさんに丸投げしてしまいましたから。あれは大丈夫だったんでしょうか」
「平気平気。ダル太は一度自分で仕出かしてるからね。だからああいうのには一番向いてるんだ。ミヅホさんもついてるしね。あの二人が揃ってるんなら大丈夫。りっちゃんのところには色々と仕事が集中しちゃってるんだし、人に任せられるところは任せちゃうのがいいと思うよ」
「それは櫛先輩にだけは言われたくない気がします」
「えー」
「それにダル太さんたちのこと、随分と信頼なさっているんですね。それはそれで少し悔しい感じがします」
「えーなんでさー」
一転して不機嫌な顔をするりっちゃんに私は首をかしげる。
ゲームだった頃は歳のわりには随分と大人っぽくて良い子だなあと思っていたのだけれど、ここ数日の彼女は私に対する風当たりが強いというか、なんだか辛辣な気がする。山ちゃんじゃあるまいし、もう少し私に優しくしてくれても良いと思うのだが。
「あ、クシさん。どこかにお出かけです?」
そんな時、目の前の人混みの中から私を呼ぶ声がかかる。
「いやあ、なんか訓練のお手伝いすることになったんですけど、装備をリセットするとかなんとかで」
「でも少額でもお買い物は楽しいですよね。ほら、このローブとか性能と値段は同じでもちょっとデザインとか柄が違うんですよ」
その声の主は〈太陽の軌跡〉のメンバーの二人だ。
ひょろりと細い体型に〈武士〉にしては軽装気味な和風の鎧を装備し、しきりに真新しい打刀の握りを確かめているのが百目君。両手に持った色違いのローブを交互に眺めては、柔らかい笑顔を顔に浮かべるほわっとして胸の大きな女性がスイレンさんだ。
「二人とも、急な話なのにつきあってくれてありがとね」
「いえいえ。思いつきとかで引っ張り回されるのは慣れてますから」
手を合わせて頭を下げる私に、百目君は後ろ頭をかきながら苦笑いをする。
見た目や性格はあまり戦闘などには向いてなさそうに見えるこの大学生コンビなのだけれど、実はうちのギルド内でも〈大災害〉後の戦闘経験量で言えば上位に入る。うちで一番狩りに熱心なヒギーちゃんとミダリーちゃんに付き合わされることが一番多いのがこの二人なのだ。
そのせいもあって特に他のメンバーの行動をフォローするような動きがとても上手いので、今回の手伝いとしてはぴったりな人材だったりもする。
「櫛先輩のギルドの協力者の方たちですね。私からもお礼を言わせてもらいますわ」
「はい? って、えええ!?」
その見た目とは違って経験がそれなりに豊富なはずの二人が、私の横にいたりっちゃんの姿を確認すると、びくりと身体を震わせる。
「クシさん。こ、この人って〈三羽烏〉のリーゼさんなんですよね?」
「ん? まあそだね。そんな呼ばれ方されることもあるねえ……」
なぜか震えるひそひそ声で尋ねるスイレンさんに、私は首をかしげながらも頷く。
「すみません! もっと気を引き締めていきます! 教えるなんてあんまり自信はないんですが全力でやりますんで!」
「あ、あわわ。私もしっかりがんばりますぅ……」
私が頷いた途端、百目君はびしっと背を伸ばして直立する。その顔には緊張からか大量の汗が浮かんでいる。スイレンさんはその彼の背中に隠れて、おびえたチワワのように身体を小さく震わせる。
「えっ? な、なんですの? 私がなにかしましたの!?」
急変した二人の態度に、りっちゃんも目を白黒させる。
もう誰もが平常心を保っていないカオス状態だ。
皆が硬直する中、私はひとつため息をつく。
「あー百目君。なんとなーく原因は分からなくない気もしたりするんだけれど、りっちゃんをそんなに怖がる理由がなんかあったりするのかなあ?」
そして今だ直立姿勢で動かない百目君に、できるだけ普通の口調になるように意識して尋ねる。
「え、えっとですね、〈D.D.D〉は入隊するのにレベル制限とかの条件がなにもないのに、なんでギルドメンバーが増えすぎたりしないんですかって、前に尋ねたことがあったんですよ。ヤエさんに」
やっぱりか。もうこの時点でオチがみえる。
「そうしたら、教導部隊の隊長のリーゼさんという方が見た目からイライザーッ!みたいないかにもな縦ロールでとっても意地悪な〈悪役令嬢〉キャラで、だから新人の大半は一週間もしないうちに耐えられなくなって辞めてしまうんだって。だから〈D.D.D〉の縦ロールを見かけたらとにかく逃げるように。だめだったら死んだフリするようにって言われて……」
百目君にしがみつきながら言葉を続けるスイレンさんはもう涙目だ。
よっぽどあることないことヤエに吹きこまれたのだろう。
「もう! またヤエ先輩ですかっ! こんなとんでもない悪辣なデマをまきちらして……!!」
「ふえぇ、ふええええぇ……」
大きな声で叫んだりっちゃんの声が引き金になってしまったのだろう。
どうにかこらえていたスイレンさんの目から、大粒の涙がこぼれ出す。
この騒ぎに気付いた武器屋前に集まっていた他の〈冒険者〉たちも、何がおきたのかと私たちの周りに集まり出してしまう。
そんな風に起きてしまった混乱をどうにかおさめて、スイレンさんを落ち着かせて泣きやませるために、私たちは十分以上の時間を費やすことになってしまったのだ。
◆
〈大地人〉たちには単に集会所と呼ばれているそれは、街の入口にもなっている『駅前広場』に面した建物の中でも一番目立つ位置にある二階建ての木造の建物だ。他の建物のほとんどは石造りであることもあって、街の有力者が集まる場としてはだいぶ簡素な雰囲気なのだけれど、そのかわりに広場沿いに並ぶ他の建物のどれよりも大きい。まさに人が集まる場所として作られたものなのだろう。
「どうぞ。皆さま既にお集まりでございます」
開け放たれたままの玄関を入ると、そこに立っていた身なりの良い若い男性が、一礼をして私たちを奥の部屋へと促す。
街でも何度か会ったことのある無表情な彼は、長老会のメンバーの一人である商工会長のばあさまの孫だ。
その彼の先導に従って入った奥の部屋は、建物の外観と同じく質素で飾り気はないが、学校の教室ほどはありそうな大きな部屋だ。
部屋の真ん中には一枚板の大きなテーブルが置かれている。私たち以外の参加者は既に席についていて、入ってきた私たちを吟味するかのような視線を向けてくる。
私から向かって右の奥に座る老女は、テンプルサイドの街の商売人のトップに立つ商工会長様だ。彼女の後ろには、私たちを玄関で迎えてくれた彼女の孫がいつの間にかに無言で立っている。
その彼女たちとは少し離れた場所には、また別の一団の姿がある。
柔道着のような厚手の生地で仕立てられた衣装は幾何学模様の刺繍で彩られている。西洋風のデザインが多い〈大地人〉の村や町ではあまり見かけることのない、アジアの民族衣装を思わせるような雰囲気だ。
一団の中心となっているのは一人の大柄な男性。手や顔に深く幾重にも刻まれた皺からすれば、だいぶ高齢の人物なのだろう。しかし身体は服の上からでも判るほどに厚い筋肉で覆われている。老いの衰えなどは微塵もないといった力強さを感じさせる。
一歩下がった後ろには、同じよう衣装の供の者が二人。フードを深くかぶっているために性別もはっきりとはしないけれど、雰囲気からするとたぶん私と同じくらいの年齢なのではないかと思う。
彼らが事前にバルトさんから渡された資料にあった〈街道の守り手〉なのだろう。
「申し訳ありません。少し待たせてしまったようですね」
バルトさんは普段と変わらない落ち着いた口調でそう言うと、空いた席のひとつに静かに座る。どこか緊張感のある場の空気にすこし気押されてしまっていた私も、そのバルトさんを見て慌てて目の前の椅子に腰を下ろす。
りっちゃんの立ち位置は私のすぐ後ろ。私だけ座っていてりっちゃんは立ったままというのはちょっと申し訳ない気分になってしまうのだけれど、この場の雰囲気からすると席に着けるのは名指しで招かれた私だけと考えた方が良いだろう。
「ヒヒッ。もう知らない顔じゃないからね、私からの挨拶は控えさせてもらうよ」
しばしの沈黙の後、最初に言葉を発したのは肩を揺らしながら口を三日月型に歪める妖怪じみたばあさまだ。
派手な色使いとレースの装飾過多なブラウス。首には大きな宝石がぎらぎらと目立つネックレスがかかっている。そんないかにも金持ちという見た目のとおり、彼女はこのテンプルサイドの街の商売人のトップに立つ商工会長様だ。
ちなみに名前はフランソワという。名前の雰囲気と実物との乖離が甚だしい。
その彼女の言葉の通り、私というか特にヤエとって彼女は顔馴染みな相手だ。
ヤエ曰くテンプルサイドの街や近隣の村で金を動かす何かを始めるなら、このばあさまを介すことが必須なのだそうだ。そのせいなのかヤエは彼女の商館に足を運ぶことが多いし、時にはばあさま自ら私の屋敷に乗り込んでくることもある。そして二人は顔をあわせる度に長々と口喧嘩をするのだ。
「あのごうつくババア、中抜きしすぎなのよ。墓に金貨は持っていけないんだから、もう少し若くてカワイイわたしによこせって話よね!」などといつも悪口を言っている。そのわりにはさほど機嫌が悪いといった風ではないあたり、悪くない関係を築いているのだと思う。
「ありゃあエリック坊主の差し金かい?」
そのフランの婆様は外の広場の景色を写す窓にちらりと顔を向けたあと、私の心の中を覗き込かのようにぎょろりと睨む。ヤエほどは彼女の相手に慣れていない私としてはそれだけで身がすくむ思いだ。しかしこの雰囲気にのまれてしまうとどんな言質を取られてしまうかわかったものじゃない。
「エリックさんも、かなあ。この後ろに居るりっちゃんも。それから私もちょっとかもですね」
「ヒヒッ。まあ、そこは誰でもいいんだがね。自分たちだけさっぱり儲からないなんて文句たれてたガキどもにまわす小遣い仕事は減らしても良さそうだねえ」
「すごく誰でもよくなさそうな返答だなあ……」
慎重に返した私の言葉に、フランの婆様は子供の手習いを誉めるかのような笑顔を返す。
あれとはここに来る前に見た武器屋の前の喧騒のことで、武器や防具の需要が増えたことはばあさまや延いては街の利にもなった。この礼は誰に返すべきかっていうのが、この言葉の少ないやりとりの中身になる、のだろう。まあこういうはっきり口にはせずにお互いの意志疎通を図るというのが商人たちの流儀だというのは分からなくもないのだけれど、ヤエでもない私にそれを求めるのは正直勘弁してほしいと思う。会合が始まってるのかいないのかわからないうちから、もう逃げ出したい気分になってしまう。
「フランソワ、他に何か動きはありますか?」
そんな私に助け船を出すかのように、今まで口を閉ざしていたバルトさんが私たちの会話に割って入る。
「シブヤが干上がってるらしいね。見習いの小僧どもが数人逃げ込んできてるよ。それだけならはした金でこき使ってやるだけなんだが、大店まで動き出したりするなら厄介だ」
フランの婆様は、肩肘をつくと不機嫌そうに眉をしかめる。
シブヤは日本サーバーに五つあるプレイヤータウンのうちの一つだ。そこには多くの〈冒険者〉が集い、その〈冒険者〉を相手に商売をする〈大地人〉も集まる。テンプルサイドで知り合った商人たちによれば、〈冒険者〉というのは「売るものの質さえごまかさなければ多少ふっかけても買ってくれるちょろい相手」だったらしいから、きっとシブヤの商人たちは良い思いをしてきたのだろう。しかしそれも〈大災害〉が起きる前までのことだ。
あの〈大災害〉以降、シブヤを拠点としていた〈冒険者〉の殆どはアキバへと移動してしまった。シブヤに取り残されてしまった〈大地人〉の商人たちとしてはたまったものではないだろう。
「へえ。人手が足りないって言ってたし、人や店が増えて街が賑わうなら良いような気がするんだけれど……」
「そんな簡単なもんじゃあないんだよ。うちにゃあうちの都合ってもんがあるんだ。それを無視して割り込んでこようってなら、そりゃあ無理やりにでも退場してもらうしかないねえ」
「うええ、物騒だなあ。そういうものなんです?」
「そういうもんなのさ」
とはいえ、客が居なくなったのならば居る所に移ればいいという風に簡単にはいかないのが、どうやらこの〈セルデシア〉世界の常識らしい。モンスターが跋扈し人が安全に暮らせる土地が少ないこの世界において、村や街というのはただ単に人が集まった場所というわけではない。農地や漁場などによる食糧生産能力と流通路。鍛冶屋や大工、細工師などの専門職人。そしてそれを金銭をもって配分する商人。それらの量や人数が相互にバランスをとって成り立っているのが、この世界の村であり街であるらしいのだ。
だから違う街の大きな店が移転してくるなどという事件がおきれば保たれていたバランスが大きく崩れ、街全体さえも崩壊させてしまいかねないことになる。
今思えば、この〈テンプルサイドの街〉に放り込まれた直後に私やヤエが始めた食材売買の商売モドキも、だいぶ際どいものだったのだろう。それが運良く街の不利益にはならず、運良くバルトさんやフランの婆様のような仲介者に恵まれたから運良く上手くいっただけなのだ。
そんなことを考えている私の心の中を知ってか知らずか、フランの婆様の顔にはニンマリと笑いの皺が深く刻まれる。逆に私は背筋に氷でもあてられたような気分になってしまう。
「ふん、面白くねえな」
剣呑な雰囲気が立ち込め始めた部屋の中に、不意に野太い声が響く。その声に振り向けば、そこには腕を組んで顔をしかめる熊のように大きな老人の姿がある。
「クシ様、あちらが〈街道の守り手〉の長、テジェロです」
戸惑う私を落ち着かせてくれたのは、バルトさんのいつも通りのテノールだ。
バルトさんから紹介を受けて、私は小さく会釈する。どうやらあまり歓迎はされていないようだけれど、ここはオトナの女としての態度で臨むべきところだろう。
それを見た偏屈そうな老人はといえば、ふんと不満の息を吐き、首を横に向ける。
事前にバルトさんから聞いていた話によれば、彼ら〈街道の守り手〉というのは正確にはこの街の住人ではない。先祖代々受け継がれた特殊な能力をもって街や村を繋ぐ街道を守る一族で、旅行く路こそが我らの住処などと自らは語る。
とはいえそんな彼らにも帰る場所は必要だ。子を生むこと、育てること、自らの能力を伝承すること。そのためにこの一族はヤマト地にいくつかの隠れ里をもち、その里の一つはこのテンプルサイドの街の近くにあるのだそうだ。
そういった理由から街と里の間には少ないながらも交流があり、長老会にも彼らのための席がある。
「バルトが褒めるから一度くらいは顔を見てやろうかと来てみたが、全く面白くねえ」
テーブルを挟んで数メートル先に座るテジェロさんは横を向き、私と目は合わせぬまま棘のある言葉を続ける。
「ああえっと、はじめまして。私は……」
「一言も言葉を交わさぬ前から、何が気に入らないというのですか。その態度はあまりにも失礼だと思います。説明を要求しますわ!」
それなりに社会人なんてものをしていれば、こっちのせいではない理由で機嫌の悪いクライアントを相手にするなんていう不条理な状況には少なからず遭遇してしまうものだ。だから私としては困ったなあと苦笑を浮かべながら次の対処へと頭を切り替えようとしたのだけれど、まだ高校生であるりっちゃんにとってはそうもいかなかったらしい。
私の後ろに立っていたりっちゃんは、かつんとブーツのヒールをひとつ鳴らしながら、怒気を孕んだ声をあげる。
「おう、つっかかってくるじゃねえか。なら教えてやろうか」
目尻を吊り上げるりっちゃんをどこか面白がるように、テジェロさんは肩肘をついた手に顎を乗せると身を乗り出す。
「この街は、四十年前の〈魔物の暴走〉からずっと領主の居ない街。ここ一帯は〈自由都市同盟イースタル〉からは見捨てられた地だ」
彼は部屋の中を見渡すように首を小さく横に振る。しかしそのその視点はずっと遠くに向けられているように感じられる。きっとその眼はこの建物や街を超え、広い大地を見ているのだろう。
「オレはあの時まだガキだったがな、あの日のことは全部覚えてる。森の奥にある古代の遺跡から湧き出す無数のモンスターの姿を。街を守るために砦を築き、騎士団に号令をかける当時の領主アスフォード伯を。そして街や街道を守るために戦地に赴く〈街道の守り手〉の大人たちの後ろ姿を」
そう言うとテジェロさんは、広げた自分の手のひらへと視線を落とす。
周囲を見渡すと、バルトさんはそのテジェロさんを見つめたまま、苦渋の表情を顔に浮かべている。フランの婆様の方はというと「またいつもの長話が始まったねえ」などとぼやきながら小さく肩をすくめている。
「四十年前、私たちにとっては三年と少し前。となると〈堕ちた寺院の魔導兵〉の事ですわね」
「あー、あれかあ……」
りっちゃんが私にだけ聞こえるような小さな声で呟く。それを聞いた私は、思わず眉をひそめてしまう。
〈堕ちた寺院の魔導兵〉というのはゲームだった頃に実施された、ゲーム内でのレイドイベント。それも〈F.O.E〉の黒歴史などと呼ばれる失敗イベントの名前だ。
MMORPG〈エルダー・テイル〉には無数のレイドコンテンツが存在していたが、その大半はダンジョンなどの特定のフィールド内で発生するものとして実装されていた。しかし基幹開発を行うアタルヴァ社自らが運営を行っていた北米サーバーや、大規模なPvP、ギルドウォーが盛んだった中国サーバーでは、通常フィールドに大量に出現するモンスターの進軍を多数のプレイヤーで阻止するといった、不定期イベントも盛況を収めていた。
数多くあがっていた「本家のような集団戦闘のイベントを日本サーバーでも!」という声に答えるため、実験的に開催されたのが〈堕ちた寺院の魔導兵〉という〈テンプルサイドの街〉を守ることを目標とするタワーディフェンス要素を持つレイドイベントだった。だったのだが。
「絶望的なモンスターの数だった。救援にかけつけた〈冒険者〉も間に合わなかった。砦はアスフォード伯もろとも一瞬で飲み込まれた。いくらか勢いだけは減じたものの、モンスターは街の中にまでも押し寄せた」
実験的なイベントということもあってなのか、開催のアナウンスからイベント実施までの期間も短かった。おまけに当時は拡張パック〈夢幻の心臓〉の適用直後で、高レベルのプレイヤーは〈新皇の帰還祭〉や〈ラダマンテュスの王座〉などの他のレイドコンテンツに取り掛かっており、〈テンプルサイドの街〉などという初心者から中級者を対象としたゾーンで遊んでいるプレイヤーの数も少なかった。
そのせいで開始直後からイベントに参加できたプレイヤーの数も少なく、最初の守備目標となっていた〈大地人〉貴族の築いた砦は一瞬で陥落。イベントに参加していたプレイヤーのゲーム画面には、そこだけは妙に作り込まれていた〈大地人〉の騎士たちが無念にも倒れていくというイベントムービーだけが無情にも再生されることとなった。
「もう街もおしまいだとオレは思った。だがお前ら〈冒険者〉は諦めなかった。街の中に前触れもなく無数に現れるモンスターや、指先まで石になったかのように動かなくなる呪いに苦しめられ、何度も倒れながらも諦めず戦い続ける〈冒険者〉の姿を、オレは見てたんだ。なあバルト、お前だってそうだったろう?」
当時を思い出しているのだろう。テジェロさんは開いていた拳を強く握ると、強く睨むような視線を私に向ける。
「それってラグの事かなあ……」
「ラグですわね……」
私とりっちゃんも当時のことを思い出して、ため息をつく。
このイベントが〈F.O.E〉の黒歴史などと後々まで語られた理由はそれだけではない。
日本サーバーの各地でそれぞれのレイドコンテンツに参加していたプレイヤーたちは、遅ればせながらレイドイベントの開催に気づくと、こぞって〈テンプルサイドの街〉に押し寄せた。そのせいで〈テンプルサイドの街〉の周辺の処理を担っていたサーバーは処理限界を超えてパンク。プレイヤーに対してリアルタイムではデータを返せなくなり、画面が数秒に一回しか更新されないなどという、いわゆる〈ラグ〉という状況が発生することとなってしまった。
結果として街の周辺フィールドに入った途端にゲーム画面がフリーズ、動いたと思ったら既にモンスターの集中攻撃を浴びて死亡していたなんていう事象が頻発。ゲーム情報やりとりする掲示板は大炎上のお祭り騒ぎ。野次馬めいたプレイヤーは更に集まり、にっちもさっちもいかなくなった〈F.O.E〉は該当サーバーを一時停止。再起動されたときには〈テンプルサイドの街〉の防衛成功というステータスで終了していたなんていう酷い形で〈堕ちた寺院の魔導兵〉というレイドイベントの幕は下ろされたのだ。
「お前ら〈冒険者〉のお陰で〈テンプルサイドの街〉は全滅を免れた。だがな、あんなことが再び起きることを恐れたイースタルの貴族たちは、それ以来この街に近づこうともしねえ。だからそれからもこの街に集って戦い続けてるお前らのことは、互いに言葉を交わすことなんて無くても勝手に戦友だと思ってたんだ。だがな!」
テジェロさんは唐突に立ち上がると、吐いた言葉とともにどすんと腕をテーブルに打ち付ける。いままでも私たちを睨んでいた眼には、より強い怒りの色が浮かぶ。
「今のお前らにはそんな気持ちは抱けねえ。街のなかに閉じこもってばかりで、ろくに戦いもしねえ。出てくるのは金貨が何枚かなんていう言葉ばかりだ。そんな奴らの顔は見たくもねえ。偉そうに出しゃばってくるのもこれっきりにしてもらいたいもんだ」
「ぐぬう……」
「こういう言い方をされると、返しにくいですわ……」
投げつけられた啖呵を受け止めきることができず、私は思わずうめき声を漏らしてしまう。さっきまでは張り合うようにしていたりっちゃんも、テジェロさんの勢いにおされて、言葉が出ない。
ゲームだった頃の私たちはただの一介のプレイヤーで、もちろんゲームの仕様やイベントの結果に対してなにか責任がある立場なんてものではない。なのだけれど、こんな風に〈冒険者〉の敗北したイベントの結果を見せつけられてしまうと返す言葉が無い。罪悪感のような気持ちをどうしても拭い去ることができない。
「いや、でも私たちは……」
けれども、ここで黙ってしまうわけにはいかない。
私に何を言うことができるのか、どんな言葉なら返せるのか。それはまだ少しもわからないけれど、このまま口を閉ざしたままだったら、きっとここで途切れてしまう。もう届かなくなってしまう。
そんなことを考えながら、必死に口を開いたその時、リンとひとつ風鈴のような音が頭の中に響いた。
『クシ、救援要請! 近くの〈大地人〉の集落でモンスターの群れに襲われてるの! レベルはそんなでもないけど数が多くて守りきれない。急いで、オネガイ!!』
それは、いつも人をからかうような喋りかたをするヤエらしからぬ、叫びのような念話の声だったのだ。
◆
「ヤエちょっとまて。集落っていったって、それ何処なのさ!?」
『場所は多分、国分寺あたり! 街道からはそんなに離れてないから――』
そこまででヤエからの念話はぷつりと途切れる。背後から聞こえてきていた音からすると戦闘中で、念話を続けている余裕すらないのだろう。だとすれば、これは本当に緊急事態なのだ。
それならばこちらも急がなくてはならない。現地にいちばん早くたどり着けるのはたぶん私だ。この会議に招待してくれたバルトさんたちには申し訳ないけれど、私が動くのが最善だ。
「たった今〈大地人〉の集落が大量のモンスターに襲われているとの連絡を受けました。現地には私の仲間がいますが、戦力が足りていません。会議中に申し訳ないのですが、席を離れることをお許しください」
だから私はその場で立ち上がり、周囲を見回したあと深く頭を下げる。
そして部屋の入口へと踵を返す。
「櫛先輩、私も同行いたしますわ!」
そんな私に最初に反応したのはりっちゃんだ。
彼女は胸の前でぎゅっとこぶしを握りしめると、背筋を伸ばして力強い視線をこちらに向ける。
「いや、りっちゃんはここに残って。んでもって何かあったらすぐに動けるように、こっちをオネガイ。そのかわりに小豆子を貸して頂戴」
「……了解いたしました。こちらはお任せください」
返事を返したりっちゃんは、一瞬考えるかのように腕を組んだあと、片耳に手をあてながら中空に指を走らせる。メニューウィンドウを開いて念話で誰かに連絡をしているのだろう。
落ち着いてさえいれば彼女は私なんかよりもずっと広い視野で物事を見通すことができる。りっちゃんが後方で目を光らせていてくれれば、私は安心してヤエの救助へと向かうことができる。
「おい、待て〈冒険者〉」
集会所を出ようとした私の背に、こんどは野太い声がかけられる。その声の主はさっきまでよりも一層と眉間の皺を深くしたテジェロさんだ。彼は老人とは思えない身のこなしで会議室のテーブルを飛び越えると、どすんと私のすぐ横に着地する。
「こっちにも連絡が来た。襲われているのはオレたちの里だ。道案内くらいはしてやる。オレも連れて行け」
「ぐ、ぐぬ……」
テジェロさんは私よりも頭ひとつは大きい。上から睨まれる形になった私は思わず一歩あとずさる。さっきまで一方的に捲し立てられていたこともあって、どうにも苦手意識が先立ってしまうのだ。
とはいえ、彼からの提案は私にとっても悪いものではない。大まかな位置情報だけでヤエの居る場所まで行くとなれば、ある程度のタイムロスはまぬがれない。念話での連絡だってこの先どれだけ取れるかはわからない。そう考えれば、これは渡りに船の申し出だ。
加えて目的地は彼らの住む場所だという。〈エルダー・テイル〉がゲームだった頃の事情になるが、テジェロさんたち〈街道の守り手〉のような特別な役割をもつノンプレイヤーキャラクターは、他の普通の村人などに比べると高いレベルを持っていることが多かった。もちろんそれは戦力として〈冒険者〉と比べられる程のものではないけれど、ただの村に比べれば、こちらとすれば守りやすい。
「――わかりました。でも振り落とされないようにして下さい」
「ふん、オレがそんなにヤワに見えるかよ」
一寸考えたのちに答えると、テジェロさんは口の端を吊り上げる。そして私の肩をどすんと叩く。そこまで乱暴な態度に出られると文句の一つくらい言い返したくなってしまうけれど、いまはとにかく時間が惜しい。
だから私はそんな彼の態度を無視して、集会所を出て人の少ない広場の中央まで歩を早める。そして、懐から小鳥のような造形をもつ小さな笛を取り出すと、怪訝な表情を浮かべるてジェロさんを尻目に、その笛を吹き鳴らす。
雲の切れ間へと消えた小鳥の囀りのような笛の音の代わりに上空から落ちてきたのは、重厚な羽音。空気を切り裂くような猛禽の咆哮。そして獅子の身体に鷲の頭部と羽根を持つ幻想種、鷲獅子の姿だ。
グリフォンは私の姿を地上に見つけると、上空でひとつ大きく円を描いたあと、私のすぐ横に、荒々しく着地する。
「こ、これに乗るのか……!?」
「はい。慣れればこれで結構かわいい奴ですよ」
私がグリフォンの背に乗るまで驚きで硬直していたてジェロさんが、緊張の混じった小さな声を上げる。私はそんな彼に向かって手を差し伸べる。恐る恐るといった風に差し出されたテジェロさんの腕を掴み、すこし強引にグリフォンの背へと引き上げる。
私が足でちいさく合図を送ると、グリフォンは大きく翼を広げる。大きな風の動きを肌に受けたその次の瞬間には、もうそこは空の上だ。
「……西だ。とりあえず街道をなぞって西に向かってくれ」
「おっけい、了解」
少し震えるテジェロさんの声をうけて、手綱を操り進路を変える。グリフォンの旋回にあわせて視界の中の白い雲が斜めにスライドし、頬を強い風が叩く。
背後の空にはもう一頭、こちらに向かってくるグリフォンの姿が小さく見える。たぶんあれは小豆子だ。早々にりっちゃんが連絡をいれてくれたのだろう。
「しっかり捕まって下さい。すこし飛ばします。振り落とされないようにして下さいね」
「うむ、了解した……」
さすがのテジェロさんも慣れない空の上では借りてきた猫のように大人しくなってしまっている。ちょっと失礼かとも思うのだけれど、さっきまで散々やりこめられていた身としては、少しやり返したような気分になってしまう。
私の腰にまわされた太い腕に力がこもることを感じながら、私はそんなことを考えてしまっていたのだ。