03 深夜、街外れの学校跡にて
17.09.06 再始動のため書き直したり構成しなおしたり
街の中では確保できなかった〈D.D.D〉の遠征チームの居留地として私が選んだのは、街の北西に隣接する学校跡の廃墟だ。
この廃墟はテンプルサイドの街では数少ない私たちの元いた世界の面影を残す建造物となっていて、いくつかの校舎は一部が崩れたり樹木に侵食されたりはしているものの、利用することのできる教室も多く残っている。
とはいえ窓ガラスまではさすがには残っているところも少なく、夜風を凌ぐという意味ではいささか心もとない。遠征チームのメンバーたちは、とりあえずは教室の中や廊下にテントを張るといった手段で居住スペースを確保したらしい。
らしい、というのは実際には私がそれを見てはいないから。
テンプルサイドの街の屋敷に戻ったあと、待っていた街の商人やら鍛冶屋の棟梁やらの相談相手をして、無造作に積み上げられた倉庫の食材やらの整理を指示して、たった一日の不在の間に山となってしまった書類に目を通して、やっと落ち着いたと思った夜半に、りっちゃんの念話に呼び出されたのだ。
その念話の直後に屋敷へと現れた小豆子に拉致されて、一直線に遠征チームの指令室が設置された生徒会室っぽい教室に引きずられるかのように連れてこられた私には、そんな遠征チームの状況を観察する余裕なんてあるわけがなかったのだ。
「――といった状況です。ですので特に戦闘経験のない二つのパーティーには、ユタとダルタスさんにリーダーと盾役を兼ねる形でまずは入ってもらおうと思っています」
遠征チームのリーダであるりっちゃんが、片手にあらかじめ要点をまとめてあったっぽい紙の束を持ちつつ明日以降のスケジュールを説明していく。
原型をとどめている教室机を並べて作った即席の会議テーブルを囲むのは、そのりっちゃんと副官であるユタ、それにゴザルと小豆子という〈D.D.D〉のコアメンバーに加えて、私とダル太のテンプルサイド組、それから街との商売の窓口となる〈大地人〉の行商人のエリックさんという面々だ。
議題はたぶん明日以降の訓練の内容についてだと思うのだけれど、キャパシティーオーバーで半ば以上麻痺した今の私の頭には、その内容は全くといっていいほど入ってこない。
正直いってこの面子が揃っているのであれば私を呼び出す必要なんてなかったと思うのだ。
「何にせよ懸念は新規加入メンバーのモチベーションの低さです。以上なのですが櫛先輩、指摘点などあるでしょうか?」
「ほえっ、私?」
そんな風に朦朧としていた中、唐突に私の名前を呼ぶ声が聞こえる。慌てて焦点を戻した私の目に飛び込んできたのは、いつの間にかに一通りの説明を終えたらしいりっちゃんの姿だ。
いやまて、ちょっとまて。そんな急にこっちにボールを投げられても困る。だって私ほとんど聞いてなかったし。
「……うーん、とりあえずダル太がさん付けで呼ばれてるのが一番ひっかかるかなあ。ダル太のくせに」
「そうッスよねえ。っていうかオレみたいなのがこんな〈D.D.D〉の重要っぽい会議とか出てて良いんッスかねえ?」
とぎれとぎれな記憶をたどり、この場をきりぬけようと咄嗟に出した私の言葉に、ダル太が後ろ頭をかきながらおどけて笑う。
ダル太もこういった真面目な会議が得意なようにはどこから見ても思えないから、どうにかして抜け出す機会を伺っていたのかもしれない。
「だよねー」
「ッスよねえ」
「あはははは」
「はははは……はっ?」
そんな私たちの乾いた笑いを停止させたのは、テーブルをとんと叩くあまり大きくはない音。それから殺気のようなものさえ感じさせる、刺さるかのような冷たい視線だ。
「……櫛先輩?」
恐る恐るその視線と小さく呟かれた声の来る方向をたどれば、そこにはなにか黒くてドロドロした出てきちゃいけないモノを背後に出現させそうなりっちゃんの姿。その肩は小刻みに震えていて、いまにも爆発寸前といった様相だ。
「ほほほ、ほら! ダルタス氏は現在進行形で姉御の直弟子でゴザルし? だったら拙者たちの弟弟子みたいなものでゴザろう?」
「そそ、そうだよな! 歳だって俺たちと変わんないしさ。だからここに居てもなんの問題もないっていうか。そうだな、さん付けとか他人行儀はよくないよな! 俺もこれからダルタスって呼ぶからよろしくたのむぜ!」
「そうっスね! でもオレもうダル太としか呼ばれてねえッスから、ダル太で頼むっスよ!」
張り詰めた空気の中、果敢にも行動を起こしたのは、ゴザル、ユタ、ダル太の中身が高校生男子トリオだった。
関節に油のさされていないロボットのようなぎくしゃくとした手ぶりと、台本を棒読みしたみたいな不自然なセリフではあるものの、この窮地を脱するための勇気ある行動だ。
「……ごめんなさい! 聞いてませんでした!」
後輩たちのが決死の思いで作り出してくれたこのタイミングを逃がすわけにはいかない。
私はすかさず両手をあわせ、深々と頭を下げる。
「……櫛先輩は急いでこちらに目を通してください」
りっちゃんは諦めたかのように小さく息を吐くと、手に持っていた紙の束をすっと私に差しだす。どうやらぎりぎりのところで許してもらえたらしい。
とはいえ次に変な事を言えば大爆発は必至だ。私は手渡されたメモに急いで目を走らせる。
その内容の前半は遠征メンバーのメイン職業やレベル、装備などの詳細な情報や、〈D.D.D〉加入前の所属ギルドや能力をふまえてどのようなパーティーに振り分けるかといった編成案だ。
そして後半にはテンプルサイド周辺の狩り場に出現するモンスターの種類やドロップアイテムの情報などが、一カ月ほどここを拠点としている私でも知らなかったような内容まで事細かに記載されている。
卓越した記憶力と頭の回転の早さから、ゲームだった頃から情報サイトいらずと言われていた彼女の能力には改めて驚かされる。
「ほほう、見習い騎士団みたいなものだって聞いちゃあいたが、オレからしたら貴族様の正騎士以上の精鋭としか見えないぜ。まあ、あっちと違って見た目は統一感なくてバラバラっぽいけどなあ」
顎に手をあてながら感心するかのような声をあげるのは、いつの間にかに私の手にあるメモを横から覗き込んでいたエリックさんだ。
その後にも続く独り言に耳をすませば、一人当たりの装備を揃えるのには幾らかかるかなんてことをぶつぶつと呟いている。行商人である彼としては、そういった遠征メンバーの武器や防具なんてものが随分と気になるらしい。
改めてメモを見直すと、確かに遠征メンバーの装備は同レベル帯の〈太陽の軌跡〉のメンバーのものよりも一回りか二回りほど良いもののように見えるし、種類のバリエーションも広い。
とはいえども、所詮は〈魔法級〉どまりで装備レベルも五〇以下といったものばかりだ。
基本的に高レベルの〈大規模戦闘〉を主な活動とする〈D.D.D〉では、中レベル以下のこういったアイテムにはあまり需要がなく、資材管理部の倉庫に大量に積み上がっていた覚えがある。多分そんな持て余していた装備の在庫を格安で提供するなりしたのだろう。
「うーん、拙者ちょっと失念していたのでゴザルが……」
私がメモを読み終わるのを待つように沈黙が続く中、エリックさんの反対側から同じく私の手元のメモを覗き込んでいたゴザルが手をあげる。
「武器や防具の種類が思った以上にばらばらでゴザル。まあ特別良いものがあるわけではないのでゴザルが、修理用の素材アイテムが一部、この街では手に入らなそうなのでゴザルよね」
「ああ、確かに。一週間ほどだったらまあどうにかなりそうだけれど、それ以上になるとちょっと厳しいかもしれないねえ」
眉間にしわを寄せながらゴザルが指さすいくつかの装備品の名前を見て、私も相槌を返す。どれもグレードは低いながら、特定のダンジョンのみで手に入るレア度が比較的高い装備品だ。
いまゴザルが口にした「修理用の素材アイテム」というのは、その名の通り、武器や防具を修理するために必要となるアイテムのことだ。
〈エルダー・テイル〉において武器や防具などの装備品には耐久度というパラメーターが設定されていた。そしてこの異世界においても耐久度は機能していることがすでに確認されている。
装備品の耐久度は戦闘などでアイテムを使用することによって少しずつ低下していく。そして耐久度がある一定の数値にまで下がってしまうと、その該当アイテムの性能が落ちたり使用すること自体が不可能となったりしてしまう。
それを防ぐためには武器屋や防具屋などで定期的に修理をする必要があるのだけれど、その修理のためにはある程度の金貨に加えて専用の素材アイテムが必要になるのだ。
とはいえ〈秘宝級〉や〈幻想級〉などではないこのレベルの装備であれば、必要となる素材アイテムもさほど入手が困難というわけでもない。適切な狩場で数十分も狩りをすれば必要数はすぐに揃うし、それさえ面倒であればプレイヤー同士でアイテムの売り買いを行うマーケットに出品される余剰品を購入することもできる。
ただ、これは〈エルダー・テイル〉がゲームだった頃までの事情だ。
「テンプルサイド周辺で簡単に手に入るものだとレザー、鉄鋼、強化糸あたりまでですわ。それ以上となるとレイドエリアの寺院でしか入手できません。それに補強板や研磨剤、コークスはこの狩場ではドロップしない筈です」
目を閉じて少しの間、自分の記憶をたどるようにしていたりっちゃんが口を開く。
まず〈大災害〉後のこの異世界においては目的のアイテムをドロップするモンスターや狩場の情報を攻略サイトなどのWEBで調べることができない。こんな情報がすらすらと出てくること自体、記憶力に優れた彼女以外ではまずありえないことなのだ。
しかしその情報があったとしても、適切な狩場へは簡単に行くこともできない。
「アキバのマーケットもあんな状態だし、望み薄だよな」
「実際うちもマーケットにはものを出さなくなっているし、文句は言えないでゴザルけどなあ……」
ユタとゴザルがため息まじりの声をあげる。
私や〈D.D.D〉のコアメンバーたちだけであれば、アキバ程度の距離なら鷲獅子を使えばさほど時間もかからず行くこともできる。定期的にアキバへと飛んで、マーケットからアイテムを購入することも可能だろう。
ただ、大手のギルド同士が牽制しあってギスギスしている現在、ほとんどのプレイヤーはマーケットからそういったアイテム引き上げてしまっている。流通しているアイテムの種類も在庫もゲームだった頃に比べて驚くほど少ないというのが現状だ。
「資材管理部の在庫でどうにかはなりませんの?」
「もともとギルドで確保している素材は高レベルのものが殆どでゴザルからなあ。〈大災害〉以降、そっちも不足気味だし、低レベル帯までは手が回ってない状況でゴザルよ」
資材管理部所属のゴザルが、申し訳なさそうな表情を顔に浮かべながらりっちゃんに答える。
とはいえゴザルばかりを責めるのも酷だろう。
ゲームの頃であれば各自の装備のメンテナンスなどは自分でどうにかするのが当たり前。資材管理部が管理していたのだって、修理用の素材の確保にすら〈大規模戦闘〉を必要とする〈幻想級〉のものがほとんどだった筈だ。
「櫛先輩たちはどうなさってるんですか?」
「うーん、うちのメンバーはこれより装備のレベルがちょい低いから。テンプルサイドの街で買ったのとか、ここらの狩場でドロップしたのとか使ってるんじゃないかな。だからだと思うんだけど、修理素材で困ったとかあんまり聞かないんだよねえ」
テンプルサイドは、もともとがあまりゲームをする時間のない初心者が中級レベルまで上げる場として設計されていた街だ。そしてこの設計というのは随分と徹底してなされていたらしい。
街の武器屋や防具屋には二〇から六〇レベルくらいまでの各種装備が、他の同じくらいの規模の街よりも豊富に並んでいるし、主要なサブ職業へ転職するための施設やクエストなども一通り揃っている。
全く自覚はしてなかったのだけれど、普通に街のまわりでレベル上げを行っているだけで修理用の素材を含めて大抵のことは賄えてしまっているのだ。
「じゃあ姉御はどうしてるんでゴザル?」
「私? 私も普段は街で買った〈魔法級〉のを使ってる。何度かクラスティ君に呼び出された時には〈幻想級〉も引っ張り出したりはしたけど、それ以外ではお蔵入りって感じかなあ」
そしてそれは私も例外ではなかったりする。〈D.D.D〉を抜けてしまった私には〈大規模戦闘〉に参加する機会は当分ありそうにないし、事務仕事の合間にときどき出る狩りだってレベルのあまり高くない相手ばかり。おまけにその狩りだって〈師範システム〉でレベルを下げて行うことが前提だ。そうなると過剰な性能を持つ装備というのは逆に邪魔となってしまう。
維持費用に金ばかりかかる〈秘宝級〉や〈幻想級〉なんていう装備をわざわざ使う理由自体がなかったりするのだ。
「なんかずるいです。全然参考にならないじゃないですか……」
残念ながら私の答えはあまり役には立たなかったらしい。
解決策をみつけることができないりっちゃんが、がっくりと肩を落とす。
「しかし驚きでゴザるなあ。ギルマスが時々夜中に抜け出してたのは知ってござったが、まさか姉御との逢引きだったとは!」
そんなしんみりとした空気の中、ゴザルがどこかわざとらしい身振りでおおげさに声をあげる。
その目は何かいたずらを思いついた子供のようにきらきらとしている。少し真面目すぎる今の空気を茶化そうとする気まんまんといったところだろう。
「あー、そういえばボスが朝帰りだとかなんとか、双子が騒いでたことがあったッスねえ」
その演技がかったゴザルに素で反応するのがダル太。
こっそりと戻ってきたつもりだったのだけれど、まさかあの双子に見つかっていたとは思わなかった。っていうかそんな噂とかされてたのなんて私は知らないんだが。
「あ、あ、あ、逢引! それに朝帰りって、どういうことなんですか先輩!?」
そして、ある意味わかりやすく予想通りの反応をしてしまうのがりっちゃんだ。
いつの間にかに短杖を構えたその手は小刻みに震えている。目はぐるぐると焦点が合っていない。
「ちょっと待て! 違う! あれはぜんぜんそんなのじゃないぞ!」
私は慌てて両手をふり、りっちゃんを止めにかかる。
この状況のりっちゃんはやばい。ひとつ対応を間違えたら瞬時に攻撃魔法とかが飛んでくるのだ。
「唐突に念話が飛んできて、何事かとかけつけてみたら、自主トレだとか何とか言って高レベルのダンジョンに付き合わされたとかそんなだぞ。おまけに無茶なところまで突っ込んでいって死に戻りだし! だからりっちゃんが思うようなそういうのじゃ全然ないから!!」
事実だけを並べるのであれば、確かに夜中にクラスティ君に街の外に呼び出されて二人っきりになったことはある。その後、屋敷に戻ったのも夜が明ける直前とかそんな時間だったのも確かだ。
でもその実態といえば、あれやこれやと私が断れない理由を並べたてた後に、無理やりレベル九〇とはいえ二人では無茶すぎる狩場に連れていかれ、〈狂戦士〉モードの奴の突撃の巻き添えをくらって緊急帰還する間もなく死亡。その後、アキバの大神殿でほとんど言葉もなく解散とかそういうやつなのだ。
「でも私、ミロードとペアで狩りなんて、したことないです……」
私の必死の弁明の甲斐があってか、りっちゃんの瞳に少しずつ焦点が戻ってくる。
正直言えば、こんなのでも羨ましいんだったら喜んで替わってあげたいのだが、こればっかりはメイン職業の相性もあって難しい。
少人数で長時間狩りをするとなると、高い防御力と回復能力というのはとても有利な条件となる。
そう言う意味では〈戦士職〉と〈回復職〉、〈守護戦士〉と〈神祇官〉という組み合わせはペア狩りにはとても有利な組み合わせだ。
もちろん〈守護戦士〉と〈妖術師〉というのもナシではないのだが、この組み合わせの場合には〈妖術師〉の魔法攻撃を主役にして〈守護戦士〉が敵の攻撃から〈妖術師〉を守り切るという短期決戦型になってしまう。なにより前線に立って自分勝手に暴れたいクラスティ君の望む形にはならないというのが一番の問題だ。要するに奴が必要としてるのは頑丈で目減りしにくい回復担当というわけなのだ。
というかそう思い返すと、ずいぶんと便利に使われてるような気がして、段々と腹立たしくなってくるのだが。
「まあそんな事だろうと思ってましたけど。それにしたって死に戻りはきついなあ」
「ギルマスと姉御の間で少しでもなにか色めいたことが起こるだなんて思った拙者が間違ってゴザッた」
「まあボスに色気のある話とかって似合わないッスしねえ」
りっちゃん以外のメンバーは、そもそも最初から私とクラスティ君の間に特別なナニカがあるなんて思っていなかったのだろう。
誤解がないのは私としては有り難いことなはずなのだが、こうも淡々とした反応をされるというのも、どこか釈然としない気分になってしまう。
あと、終始にやにやしていたゴザルとダル太はあとで泣かす。
「あー、ちょっといいか?」
頃合いを見計らっていたのだろう。ちょうど話がとぎれたタイミングで声を上げたのは、ずっと私の手元のメモに書かれた装備などの内容を自分の手帳に移し書きしていたエリックさんだ。
「〈大地人〉のオレには今までの話は半分も判らねえんだが、武器も防具もこの街で買い直せばいいんじゃねえか? 街の鍛冶屋連中も、ここのところ売れ行きが悪いなんてボヤいてたし、ちょっとくらいの割引交渉だったらオレがしてもいいぜ?」
エリックさんの言うとおり、最近ときどき街の中を歩いていると鍛冶屋の親方などから愚痴を言われることがある。うちのギルドのメンバーの活動範囲はこのテンプルサイドの街近辺であることがほとんどではあるけれど、その人数は二十人ほどでしかない。これはゲームだった頃にこの街で活動していた〈冒険者〉の人数に比べると十分の一にも満たない数だ。
これだけ商売相手が減ってしまえば、もちろん街の商店の売上は下がってしまう。私たちも可能なものはできるだけ街で購入するようにはしているけれど、それでもゲームだった頃ほどには届かない。
もちろんエリックさんとしては、そういった事情に加えて自分が絡むことができるチャンスがありそうだという目論見もあるのだとは思うけれど。
「それも悪くない案でゴザルが、さすがに五十人分の武器防具を全て買い直しとなると資金が少々厳しいでゴザルかなあ……」
メニュー画面に表示された何かの数値を眺めて計算しているのだろう。中空に視線を流しながら、ゴザルが口を歪めて渋い顔をする。
武器、防具というのは〈エルダー・テイル〉の中では他に比べて価格が高いアイテムだ。装備レベルが低いものであればその分価格も低くはなるものの、中級レベル五十人分の装備をすべて買い直そうとすれば、それなりの金額になってしまう。
「うーん、別にそこまで手取り足取りじゃなくてもいいんじゃないかな?」
しかしそれは、レベル相応の装備を揃えようとした場合だ。
「それこそ一人金貨350枚くらい渡してさ、それで最低限の装備からスタートとかでもいいんじゃないかと思うんだよね。どうせ最初は自分より十以上低いレベルのモンスター相手から始めるんだろうし、それでも十分通用するでしょ」
私たち〈太陽の軌跡〉のメンバーがテンプルサイドで購入した装備で困っていないのであれば、遠征チームもうちのギルドのメンバーたちと同じようにすればいい。エリックさんの提案はそういう事だ。
そして〈大災害〉直後の時点では、遠征チームよりも平均レベルがもっと低かったうちのギルドのメンバーたちは、それこそ最初は街のショップで売られている一番安い武器なんかから始めて、今日まで少しずつレベルも装備のグレードも上げてきたのだ。
「装備が良いと力押しだけでどうにかなっちゃうからな。確かに訓練って意味ではアリだな」
「それで自分で稼いだ分で装備を少しずつ買い直していくってわけでゴザルね。それなら予算的にも問題ないでゴザルなあ」
ユタとゴザルが関心するように頷く。
実際、テンプルサイド近辺の狩場のレベルは、遠征メンバーの平均レベルに比べると低めな場所がほとんどどだ。力押しだけでも対処できてしまうだろう。〈大災害〉以降に戦闘経験がないプレイヤーであればそれでも十分訓練の意味はあるとは思うけれど、「この世界での戦闘に慣れる」以上の経験を積もうと思った場合には少し物足りない相手となってしまう。
しかし装備のレベルが低く、攻撃力や防御力が低い状態であれば、いやでも攻撃のタイミングやプレイヤー同士の連携などを意識せざるを得ない。もちろん段々とレベルや装備の質が上がっていけば戦闘は楽になっていくだろうけれど、こういったコツのようなものは最初に気づくまでが肝心なのだ。
「でも、それだと想定していた以上にレベル上げに時間がかかってしまうんじゃないでしょうか? あまり長くアキバを離れているのは私としては……」
しかし、りっちゃんだけは険しい表情を変えることなく首を横に振る。
「……今のアキバはあまり良い状態ではないと私は思います。だから〈D.D.D〉も有力ギルドの一つとして、これから先どういった行動を取るべきなのか考える大事な時期だと思うんです。そんな時期なのに、私を含めて未成年のメンバーばかりが集められて、こうやってアキバから隔離するみたいな任務だなんて、なんだか一人前扱いされてないように私には思えてしまうんです。だから私としては少しでも早くアキバに戻れるようにしたいんです。だから……」
少し言いよどむようにした後にりっちゃんの口からこぼれ落ちてきたのは、彼女の抱えている複雑な気持ちだ。
それは生真面目な彼女ならではの責任感かもしれないし、この異世界での拠り所である〈D.D.D〉というギルド内での居場所が無くなってしまいそうな不安かもしれない。
いや、きっとそんな色々な感情がまぜこぜになった焦りなのだろう。
「確かになあ。おれもなんか隔離されてるっぽい気分にはなったな」
「左遷ぽいなあとは拙者も思ったでゴザルしなあ……」
りっちゃんと同じような気持ちは少なからず抱えていたのだろう。ユタとゴザルも頭を下げて、ぽつりぽつりと呟く。
途端に暗くなった場の雰囲気に困惑するダル太は、何か言おうと口をぱくぱくはしたものの、何をいったらよいか分からないといった風にしょんぼりと肩を落とすばかりだ。
「あー、そういうこと……」
そんな皆の表情を眺めた後、私はところどころに蔦の伸びる部屋の天井を見上げて、ひとつため息をつく。
このところ随分とりっちゃんの言動が余裕がなくておかしいとは思っていたのだけれど、そういうことか。
クラスティ君は頭が良すぎるせいで、自分の中では当たり前になってしまった途中経過を飛ばして結論だけを口にすることがとても多い。だからいつだってこういう風に言葉が足りないのだ。
「今のアキバ、確かに雰囲気悪いからね。仲違いしてるギルドも多いみたいだし。そういうのをあんまり見せたくないって気持ちは、まあ全くないとは言いきれないんだけれど……」
とはいえ私だってクラスティ君の思考を全部読めるわけじゃない。
だから、なんとなく感じる奴の意図のようなものを口に出しながら頭のなかで整理する。
「多分なんだけれど、今回の遠征の目的は、新規加入メンバーのレベル上げだけじゃないと思う。クラスティ君が得ようとしてるのは、アキバから離れた場所に拠点を構築して、長期間そこでの活動を維持するための経験とノウハウだよ」
〈大災害〉以降も〈D.D.D〉はいくつかのレイドゾーンにレイド師団を派遣している。
そのレイドゾーンは今のところ拡張パック〈ノウスフィアの開梱〉以前からあるクリア方法が確立されたものばかりではあるけれど、その再攻略には思った以上に手を焼いていると山ちゃんからも聞いている。
その原因は、ゲームだった時とは違って自らの身体を動かさなくてはならないといった戦闘方法の変化や、時間を正確に計る外部ツールの有無など多義におよぶけれど、その中でも一番大きな問題になっているのはレイドゾーンという極限環境で長時間を過ごさなくてはならないという精神面の問題らしい。
ダンジョンという閉塞空間に、息をつく間もなく次々と出現するレイドランクのモンスター。一応はセーフゾーンも設定はされているものの、そこもアキバの街のような安心できる環境とは程遠い場所だ。
そんな環境に数週間も閉じ込められっぱなしというのは、〈D.D.D〉のハイエンドプレイヤーたちであっても厳しいらしい。
だからアキバのようなホームタウン以外の場所、たとえばレイドゾーン近くの〈大地人〉の街や村などに近隣した場所にレイド攻略のための前線基地を構築して、そこに簡易ながらも生活の場をつくるといった経験がいま〈D.D.D〉には必要なのだと思う。
「本当にそうなんでしょうか……」
一通り説明した私の顔を、りっちゃんが疑わしげな上目づかいで睨む。
とはいえその顔に浮かんだ表情は、さっきまでの青ざめたものではなく、すこし拗ねたような年相応の女の子のものだ。
「うん。だからここにりっちゃんが居なくても大丈夫な仕組みをぱっぱと作っちゃってさ、いつでも飛び出せるようにしとけばいいんじゃないかな。まありっちゃんとかはアキバで何かが起きれば、すぐに呼び戻されると私は思うけど」
そのりっちゃんに私は力強く頷く。
正直クラスティ君が何を考えてるかなんかは私にだって全部は判りはしないのだけれど、りっちゃんの存在が〈D.D.D〉にとってすごく重要なのだということは自信を持って言う事ができる。
人の能力を見る目だけは私がいままで知り合った中で誰よりも持っているクラスティ君が、数多く居るギルドの新人メンバーの中から今の役職に抜擢したのがりっちゃんなのだ。そして彼女がちょっと迷うことはあってもとても優秀な後輩であることは、長く一緒に遊んでいた私だってよく知っている。
「……思い悩むばかりじゃ、少しも先には進めませんわね」
自分に言い聞かせるかのような言葉とともに、りっちゃんの目に力が戻る。
そして彼女は丸まっていた背をぴんと立て、ちょっと生意気にも見えるきりっとした表情をその顔に取り戻す。
「わかりました、了解です。今は櫛先輩に騙されておきます。まずは目の前のことを片づけてしまいましょう」
りっちゃんの声に、他のメンバーも姿勢を正す。
こうなってしまえば、もう彼女の独壇場だ。
「櫛先輩の案、採用させて頂きます。資材管理部から配給された武器、防具はいったん凍結。遠征メンバーには最低限の装備が揃う金額を配布して、テンプルサイドの街で各自調達しなおしてもらいます。タダでもらった装備なんて身につきませんから。自分で稼いで自らの力で手に入れるのがゲームだった頃と変わらない〈エルダー・テイル〉のルールですわ」
私が差し戻したメモの束を受け取りながら、りっちゃんは次々とプランの修正を行っていく。
卓越した記憶力、それからその膨大な知識を元にした綿密な計画能力。時おり若さから来る危うさが顔を覗かせるものの、それを軽々と上回るだけのものをりっちゃんは持っている。これが本来の彼女の能力なのだ。
「とはいえこれで当面、遠征メンバーの戦力は想定よりも低下します。戦闘の難易度が一段上がり、教導する人員が足りなくなることが予想されます。ダル太さん以外にも櫛先輩のギルドから人を出して頂くことは可能でしょうか」
「ほいな、声かけてみるよ。何人かは協力してくれると思うよ」
そんな彼女の要請に答えながら、私は数人のギルドメンバーの顔を思い浮かべる。
うちのギルドのメンバーだって、ここにいる仲間にも負けないくらい気のいい奴らだ。今の一生懸命なりっちゃんにだったら喜んで協力してくれるだろう。
「ではこの場は一旦解散といたします。パーティー構成を組み直しますから、ユタは手伝ってください」
「へいへい、お嬢の仰せのままに。こりゃあ今日は徹夜だなあ」
口では悪態をつきながらも、そう言うユタの顔は笑いを隠し切れていない。
本人たちに言えば決まって否定の言葉が返っては来るが、小さいころからお隣どうしの幼馴染なだけあって、なんやかんや言いながらこの二人は息の合ったコンビなのだ。
「拙者ももう一度、アイテムの在庫確認をしておくでゴザルかなあ。ああ、それからエリック殿、さっき少し話のあった割引の交渉ってあたりの話を詳しく聞きたいのでゴザルが……」
「おお、いいぜ。しかし〈冒険者〉様に付き合ってると夜が遅いのが困りものだよなあ」
大きな欠伸をしながら椅子に座り直し、改めて相談をし始めるのはゴザルとエリックさんだ。
システムメニューに時刻が表示されなくなって正確な時刻を知ることはできないけれど、たぶんもう夜の十時は過ぎているくらいの時間だろう。
「ボス! ミヅホ姉と百目の兄貴、それからアキオミさんからOKもらったッスよ!」
そんな時間だと言うのにダル太は〈太陽の軌跡〉の他のメンバーに念話を飛ばしていたらしい。
随分なハイテンションで喜んではいるが、これはあとで説教コースだ。
そこでふと、誰かの反応が足りない気がして、私は首をかしげる。
「そういえばさ、小豆子が随分と静かだけれど、今日はどうしたんだ?」
そうだ。こういった場であればいつもあれやこれやと口をはさんでは私の上げ足を取って喜ぶ小豆子が、会議が始まって以来、一言も言葉を発していない。
改めて部屋の中を見渡せば、会議机の端の椅子に仰々しく腕と足を組んで座る小豆子の姿はある。
しかし、俯いた顔は深々とかぶったシルクハットのつばに隠れていて、その表情を読み取ることはできない。
恐る恐る近づいても反応は無し。怪訝に思いつつ顔を近づけてみても、聞こえてくるのは規則正しい、ゆっくりとした呼吸音のみだ。
思い切ってシルクハットに手をかけて持ちあげると、両目は完全に閉じている。
その後も眺めていれば、ときおり力が抜けたかのようにがくりと身体を揺らす。
「こ、こいつ……、寝てやがる……」
そう。多分この会議が始まってからずっと、小豆子はいかにも真面目に聞いているかの風を装いながら、ぐっすりと眠っていたのだ。