13 シブヤの街にて(其の2)
もはやいいわけもなにもでない
「んな!?」
宿屋のホールの出口の扉を私が開けようとしたのが先だったのか、それとも外から来たその人物がその同じ扉を引いたのが先だったのだろうか。
扉にかけようとした私の手は、不意に開いたそれに支えられることはなく空を切り、私の体は宿屋のホールの外側へとバランスを崩して倒れかける。
一応私も運動神経が無い方ではないのだ。その崩れたバランスを立て直そうと、咄嗟に足を一歩前に出す。出したのだが。
その足はまさに私とほぼ同じタイミングで外から扉に手をかけた人物が踏み出した足と交差。
いかにもゲームの装備といった感じの相手の和風の足具と、現実の世界ではあまりスカートも履くことも少なくて、足元にひらひらしたものがあることにイマイチ慣れていない私の袴とが不幸にも引っかかり、崩れていた私の体は立ち直すことのできないレベルでバランスを崩す。
(――あ、これは駄目だ)
完全に足を掬われて、相手と一緒にもつれるように倒れこむ形。
私は背中から襲ってくるであろう衝撃を覚悟して、思わず目を閉じる。
すとん。
しかし私のそんな予想とは裏腹、私が感じたのは例えるならまるで抱きかかえられた後に優しくベットにおろされたような、そんな感触。いやそんな経験があるわけではないのだが。
「あ、すみませんっ! 急にだったのでかわすことができなくて。大丈夫ですか?」
転倒に巻き込んでしまった相手の声なのだろう。男性と言うよりは少年といった方がよさそうな、少し中性的な雰囲気をもつ声が、すぐ目の前といった感じの距離から聞こえてくる。
恐る恐る開いた私の眼に映るのは、そんな声から受けるイメージ通りの中性的で美しく、でもそれだけではなく意志の強そうな青年の顔のドアップ映像。少しでも上体を起こしてしまえば接触してしまいそうな、そんな距離である。
「うわ!? って、ソウジ君?」
「え? あ、クシさんです?」
〈西風の旅団〉のギルドマスター、ソウジロウ・セタ。私なんかとは違って〈D.D.D〉のギルドマスターであるクラスティ君とも並ぶヤマトサーバーでも5指に入るであろう有名人。
まあ戦闘系ギルドに所属している同士、レイド競争で顔を合わせる機会も少なくないってことで当然ながらちょっとした知り合いだったりはする。
とはいえ彼と知り合ったのは彼が例の〈放蕩者の茶会〉に所属する以前。〈D.D.D〉の大規模戦闘部隊に外部協力者として参加してくれた時で、近しくはないものの結構古い部類の顔見知りだったりもするのだけれど。
ちなみに当時私の受けた印象はさわやかで優しく、でも適度にやんちゃなんていういかにも女性受けしそうなもので、物語の主人公が現実化してしまったような子だなあなんてものだったり。
その後も着々と多くの女性プレイヤーに慕われ続けて、挙句にはハーレムなんて揶揄されるギルドのマスターを務めているからには、実物もさぞかし整った顔だちをしているのだろうと予想はしていたのだけれど、これは何と言うか想像以上というか納得というか。
しかしさすがに私としては年下は趣味ではないし、彼のギルドの女性陣のようにきゃっきゃするほど若くもないしって事でソウジ君を異性として意識したことはなかったのだけれど、そんな彼の整った顔が目の前になんてこの状況はさすがに非常事態である。
急にこんな事になって驚いたからだと思いたいのだけれど、なんだかさっきから心臓はばくばくと大きな音をたてている。
胸もなんだか手でおさえつけられたかのように何だか苦くて、息がしずらい。
(って、胸? おさえつけられたかのように?)
顔を動かすと変な事故がおきてしまいそうな距離なので、目線だけをそろりと下に移動させる。そこに見えるのは私の胸のあたりを包むように置かれたソウジ君の手のひら。そこに彼の体重が乗せられてボリュームはあんまりないなりにではあるけれど、むにっと変形している私のバストライン。
ああ成程。あんな状態でこんがらがって倒れこんだ結果、私はソウジ君に押し倒されたような状態になっているのだ。
で、胸が苦しいのはそのソウジ君の体重が、その手を介して私の胸を圧迫しているから。
って、ちょっとまて。いやそれってあれ!?
冷静に状況を把握した筈なのに、頭の中がぐるぐると混乱しはじめる。顔に血が上ってのぼせたかのようにくらくらする。
いやまて私。落ち着け私。オトナの女はこんな事では慌てないのだ。
こんな時は以前殺陣教室に通っていた頃についでだからと教えてもらったチカン撃退とかのあれか?
手は握って胸の位置に引き寄せて。そのまま上半身全体を回すように肘を相手の顎めがけて・・・振りぬく!
「ええとクシさん? って、うわ?!」
ソウジ君が驚いたように上体をそらしたのが一瞬早かった。私の肘は寸前まで彼の顔があった場所に空をきる。
「ちっ、外した。じゃあ次は膝を・・・って、うぇ!!」
混乱した頭で追撃しようとした私の目の前には、私の頭を踏みぬこうとする下駄だか草履だかの足裏。それをこちらも間一髪で横に転がり避ける。
「ちょっと! ウチのソウジに何するんだい! っていうかソウジに押し倒されて、今度は押し倒すとかちょっとまてゴラ!!」
そんな声に顔を上げると、そこには妙に胸元やら太ももやらが露出した、もはや巫女装束とも言えない和装束モドキを身にまとい、長い黒髪の頭には〈狐尾族〉の特徴である狐耳を乗っけた背の高めな女性がジト目で私を睨めつける姿。
「げ、その声とその自重しない格好とか、もしかして? っていうか押し倒すとか倒されるとかって・・・ぅげ!!」
気づけばさっきとは逆、ストンピング攻撃を避ける際に体ごと転がったせいで、今度は私がソウジ君の上に跨るような体勢。
「あははは、ボクから言うのも何ですけど、ちょっと退いてもらえると助かります」
「ごごご、ごめん!!」
ソウジ君の声に飛び跳ねるように起き上がり、改めて問答無用で私を踏みぬこうとした、今もなんだが殺気みたいなものを放ってくる人物を確認する。
いや、考えてみればソウジ君が居るのだからこいつが一緒にいてもおかしくはないのだけれど。
そこには数多い〈エルダー・テイル〉内での知り合いの中でも私が最も苦手とする人物、元〈放蕩者の茶会〉のメンバーにして〈西風の旅団〉のサブギルドマスター。そして私と同じく〈神祇官〉でもあるナズナの姿があった。
◆
「ちょっとクシ! いったい何が――」
クシが宿屋のホールから出ていった途端に外から聞こえてきた怒鳴り声や物騒な物音に驚いて、急いで外に飛び出してみれば、そこには何とも対照的な格好をした2人の〈神祇官〉が鍔迫り合いをしながら怒鳴り合っている光景。
「だから、そんなあるかないか分からないようなの触られたくらいでソウジにいきなり肘鉄ってのはどういう了見かって聞いてるんだ、この暴力巫女!」
「うっさい無いとかいうな。それにこんな状況になってもその格好とかありえないだろ。わきまえろ、この万年発情巫女!」
「ソウジを押し倒したアンタが発情とか言うか! っていうかこんなになってから私だってまだそんなにソウジに密着なんてしてないんだぞ、そっちこそわきまえろ!」
「それはそっちが問答無用で攻撃してきたからじゃないか! その口で私に暴力巫女とか普通言うか!?」
「なんだと!?」
「なにを!?」
「クシさん! ちょっと待って下さい! ほらナズナも落ち着いて!!」
「ぐるるるる!!」「がるるるる!!」
クシと同じく長身で黒髪の長髪だけれどボディーラインや衣装が対照的なその女性プレイヤーと、2人の間で仲裁を行なっているまるで某ジャ○ーズアイドルみたいな男の子には見覚えがある。というかこのドタバタ自体がゲームだった頃に〈大規模戦闘〉なんかであっちのギルドと鉢合わせた時に何度か目にしている光景だったりする。
「ああ、何だか不思議な団体だと思ったんだが。成程、君達が絡んでいたのか」
不意に横から話しかけられて声の方向を向けば、灰色のローブに飾り気のない長杖という地味な容姿を持つこれまた女性の姿。友人って程ではないけれど、こっちもやっぱりゲームだった頃から見覚えのあるキャラクターの容姿と一致する。
こんな異世界転移なんて非現実的なものに巻き込まれた状況なのに、このシブヤの街もゲームとの違いがあるとはいえ見慣れた風景。新たに出会うプレイヤーもほぼ知り合いばっかりとか、何だか実に微妙な気分になってしまう。
「んー、えっと確か〈西風の旅団〉の参謀役さんの人だっけ?」
「紫陽花と言う。そっちはキャラは違うようだが、〈D.D.D〉のヤーヴェ君でいいのかい?」
「そそ。といっても今はギルドとは別行動だけどね~」
私達はお互いに会釈すると、宿の前で繰り広げられている騒動の方に視線を戻し、誰に話しかけるでもないような雰囲気で言葉を続ける。
「しかしナズナも普段であれば温和篤厚と言っても良い性格だと思うのだけれどね。どうも彼女が絡むと遠慮近憂になってしまうらしい」
「あの2人昔っからなんだか相性悪いよね~ まあ、多分同族嫌悪って奴よね・・・」
なんとなくその独り言のような言葉に私も相槌を打って、思わずついてしまったため息が隣の彼女とシンクロしてしまう。
私達はお互いに苦笑し合って、でも何だか止めに入るのもバカバカしくなってしまって目の前のドタバタコントただ眺めちゃったりしてしまう。
「あ、ちょっとまてソウジロウ君! それはまず――」
そんな時、不意に隣のアジサイさんが今までとは違った緊迫した表情で声を上げる。
「2人とも落ち着いて下さい!〈柄頭突き〉!」
しかし少しだけその声は遅かったみたいで、ソウジ君が〈武士〉のスキルを発動させる声に遮られてしまう。
同時にソウジ君の両手が一瞬ぶれるかのようにゆらめく。直後、クシとナズナが持っていた刀状の武器は、その手を離れて少し離れた地面に突き刺さる。まるで映画のワンシーンみたいな光景。
〈柄頭突き〉は相手の持つ武器に対して攻撃を行い、武器装備をキャンセルさせる普段はあんまり見ることのないスキル。
使用タイミングがシビアで、なおかつ同レベル帯のプレイヤー同士では成功率もあまり高くないっていう使い所が難しいスキルなのだけれど、それを両手に持つ2本の刀で2人相手に同時に成功させてしまうあたり、その技量は半端ない。
「すごいじゃん。焦る必要なんてなかったんじゃない? 今の成功させるとか、さすがは〈剣聖〉ソウジ君って感じ?」
冷静沈着という噂の〈西風の旅団〉の参謀役にしては、随分と焦ってたみたいじゃない? なんてちょっとイジワルな気持ちで横を振り向くと、そこには依然頭を抱えて「やっちまった・・・」的な顔をしているアジサイさん。
「禁止区域におけるレベル1の戦闘行為、および攻勢スキルの行使を確認しました。規定により12時間の拘束を実施します」
「え!?」
慌てて振り向いた私の眼に入ってきたのは、不意にクシ達の後ろに出現したシブヤの街の衛兵の姿。
そして、ゲームの時のメッセージみたいな言葉を発した途端、その場に転移の魔法陣が描かれ、騒ぎの当事者3人がその場から消える光景だった。
「大規模戦闘系ギルド所属で神祇官で姉御キャラとか属性かぶりすぎなんだよ、この暴力巫女!」
「うっさい書き始めた頃はそんなの判らなかったんだからしょうがないじゃないか! おまけにちょっとあんにゅいでグラマーでケモノミミとかどんだけ! ちくしょう!」
「同族嫌悪っていうか全面降伏よね・・・」