12 シブヤの街にて(其の1)
やっと足踏み脱出。
西風むずいー
シブヤの街は日本サーバー管轄内にある5つのプレイヤータウンの中では一番新しい街であると共に特殊な街だ。
元々がアキバの街に集中しすぎたプレイヤーを分散させる目的のために作られた街で、プレイヤーが死亡した際の復活ポイントとなる神殿こそ設置されているものの、他のプレイヤータウンが持つ銀行などの施設がないという、言ってみればプレイヤータウン未満の街。
それでもゲームであった時には、シブヤの街にも大きな存在意義があったのだ。
アキバでは既に所持することの困難になってしまっていたギルドハウスや、ギルドキャッスルの獲得。膨大な数のアイテムが出品され、把握が困難になってしまっていたマーケットの分散。なによりもアキバの街という1つのゾーンに数万人のプレイヤーが同時にアクセスすることによって発生するサーバー負荷上昇によるラグの問題から、シブヤを行動の拠点とするプレイヤーというのは結構な数が存在していたと記憶している。
しかしそれも、一瞬でプレイヤータウン間を行き来することのできる〈トランスポート・ゲート〉の存在が前提となっての話だ。
念話で聞いた話によると、この数日でシブヤに居た〈冒険者〉の殆どがアキバの街へと移動。レベルが低くモンスターの出現するゾーンを自力で突破することの難しい冒険者のために〈D.D.D〉からも護衛を数回派遣したなどという話も山ちゃんから聞いている。
その結果、現在のシブヤの街は主役であった筈のプレイヤーの姿が消え、その〈冒険者〉の相手をしていた筈の〈大地人〉だけが取り残された歪な街という所だろうか。
そのシブヤの街の中心からは外れた、〈大地人〉の交易商人たちを客とする宿屋。
上部が崩れたビルの低階層をどうにか改築して運営しているという風な物なのだが、この街で交易商人を相手にしているというだけあってとにかくその敷地面積だけは広い。建物の内部には客室などという区切りはなく、かろうじて男女に分かれての雑魚寝部屋。食事は1階のスペースの1/3程を占める酒場兼食堂で各自で調達という、現実世界で言うユースホステルのような適当さではあるのだが、同業者が多く集まるというのは行商人にとっては大きなメリットとなるらしい。もちろん交易商人御用達というだけあって、建物の周辺には何台もの荷馬車を係留する事ができるように広いスペースも確保されている。
予定していたよりも早い時間、太陽がはるか遠く西の山並みにその姿を隠す前にシブヤの街に到着することのできた私達は、同行した〈大地人〉の行商人のリーダー、エリックさんが常用しているという此処を今晩の宿と定める事となった。
先程まで皆で協力して行なっていた荷馬車の係留や積荷のチェックも一段落し、食堂というよりはファンタジー世界の酒場といった雰囲気のこの宿のホールにて、今回のキャラバンのメンバーたちは大地人、冒険者の分け隔てなく思うままにテーブルに座って、話題に花を咲かせている。どのテーブルでもお互いのことを質問し合う声や、たわいない会話、楽しげな笑い声が上がっていて随分と賑やかだ。
テンプルサイドの街では当たり前になりつつあるそんな光景なのではあるのだけれど、この街の〈大地人〉にとってはそうではないのだろう。給仕を行なっている女性達は、そんな風景を見てずいぶんと驚いた顔をしている。
そんな中、私とヤエ、それから行商人のエリックさんは、そんなみんなの姿を眺めながら、一歩離れたカウンターの席に並んで座っている。
私達は一応リーダーっぽい立場にあるわけで、明日以降のスケジュールについての確認というか意識合わせのようなものも必要になってきてしまうのだ。
「本当は急ぎたい所だが、一応少ないながらもこの街で下ろす荷も見ておきたい相場もあるからな。予定通り明日1日はこの街に滞在、明後日の朝にアキバに向けて出発しようと思っているが、姉ちゃん達はそれで良いか?」
最初に声を上げたのはエリックさん。
普段は気さくなおっちゃんというような雰囲気をもつこの人には珍しく、何故か焦るような悔しいようなそんな顔をしている。
「ふふ、本当はすぐにでもアキバに飛んでって〈冒険者〉相手の商売にチャレンジしたいって感じ?」
「ああ、商売なんてもんは水物だからな。乗り遅れちまえばあっという間に美味しいところなんてのは誰かに持って行かれちまう。元々〈冒険者〉達ってえのは懐が膨れてて尚且つモノが良ければ値切らず金を払ってくれる行儀の良い連中だからな。そいつらがこっちの範疇まで降りてきてくれるって言うし、姉ちゃん達っていう伝も出来た。こんな話を放っておこうなんて奴はそりゃあ商人じゃないぜ」
確かに〈大地人〉の商人さん達には早いうちにアキバとの貿易とか始めてもらえると良いよね、なんて話はしてたと思うけど、なんでいつの間にかにエリックさんがこんなにもやる気になっちゃってるんだろうか。ヤエ、エリックさんに何を吹き込んだ!?
「え~、ヤエは普通に私達の積荷の話しただけだし~」
ヤエはそんな言葉を返すが、その目線はあさっての方向を向いている。
「おう、それだそれ! それが俺達にとっちゃあそれが大事な訳だ。何せよ、ちょっと程度の良い日常品なんてものは今までだったらお貴族様くらいしか買い手のない品だったんだがよ、奴らはがめつくていけねえ。すぐにこっちの足元みてギリギリまで値切ってきやがる。それに比べて〈冒険者〉ってえのは物さえ確かなら気前良いったらねえだろ。商売人としちゃあこれほどちょろ・・・いや、気持ちのよい客なんて他にいねえぜ!」
そしてエリックさんはさらにヒートアップ気味。まあ私も一応、元の世界では世の経済活動の一端を担う社会人のはしくれだから、その気持ちは判らなくもないのだけれど。
「しかしここまで来ちまっちゃあ俺としても打てる手がほとんどねえ。仕入れるとしたらマイハマまで足を伸ばすか、物によっちゃあアサクサか。全くテンプルサイドに居た時に気づいていりゃまだやりようがあったんだがなあ・・・」
エリックさんが恨みがましそうな眼で私をみながらそんなことを言う。
商売関係の話はほとんどヤエとしてるくせにこんな事だけ私にふるのはズルイ。
「ぅえ、いや申し訳ないとは思うけど、私たちのコレだって結構な博打ですし、ちょっとは成功率を上げたいというか・・・」
「ははっ、冗談だ。真に受けないでくれ。しかしテンプルサイドではあまり感じなかったが、このシブヤの雰囲気を見ちまうと何かが変わり始めてるってのを受け入れないわけにはいかねえわなあ。こんな閑散としたシブヤなんて初めて見たぜ」
エリックさんの言うとおり、足を踏み入れたこのシブヤの街の雰囲気はゲームだった時のそれとは大きく違っていた。
アキバほどではないにしろ、結構な数のプレイヤーの姿がみられていた中心街にはほとんどプレイヤーの姿がなく、〈冒険者〉を商売相手としていた街の〈大地人〉達にも活気がない。エリックさんの話によればこの宿だって普段であれば多くの行商人で溢れていたらしいのだけれど、今このホールには私たち以外に人影は見えない。
「まあねえ、みんな殆どアキバに逃げ帰っちゃってるって感じみたいだしね~。そのアキバも雰囲気悪いし。おっちゃんも何か始めるならもうちょっと後の方が良いかも」
「まあそれにしたって準備は必要だろ。そこで頼みたいんだがよ、ちっこい嬢ちゃん。〈冒険者〉相手の商品について助言が欲しい。相談に乗ってくれねえか?」
「む、ちっこいは余計なの。でもヤエは安い女じゃないからね。ヤエにはどんな値をつけてくれるのかな~」
「おう、もちろんタダなんて言わねえぜ。そこはこれからご相談だ」
そんな事を言うと、ヤエとエリックさんは2人でなんだか話し込み始めてしまう。なんというかもうエリックさんの独断場だ。私はもう別に居なくても良いんじゃあないだろうか。
「あーヤエ、後はまかせた。私はまだ日があるうちにちょいと街の中散策してくる」
今日やらなくてはいけない事はもう終わっているし、明日は自由行動という事もみんなには伝えている。
時計がないので正確な時間は分らないけれど、ゴールデンウィークも開けて間もないこの時期の日没まではまだ時間が結構あるはずだ。
私はヤエに一言声をかけ、ホールの出口にあるまるで西部劇の酒場のような扉に手をかけたのだ。
◆
〈西風の旅団〉。ハーレムマスターなどと揶揄されるソウジロウ・セタをギルドマスターとし、実質その構成員の9割以上が女性からなるヤマトサーバーでもっとも華やかな、しかしその団結力からか実績でも五指に入ると言われる戦闘系ギルド。
その中でも特に戦闘に特化したスキルを持った中核メンバーで編成された2つのパーティーが〈ロッポンギ・ニブルヴァレー〉での探索を終え、本日の集合場所として予定されていたシブヤの街を構成するゾーンへと足を踏み入れる。
しかしその面々の表情は、ゲームであった時のような華やいだ雰囲気は影を潜め、一様に疲労を隠せないものとなってしまっている。
いくら〈西風の旅団〉がヤマトサーバーでも歴戦の戦闘系ギルドであるとはいえ、その構成員は現実の世界であればごく普通のうら若き女性達。ゲームであった時とは様変わりしてしまった、あまりにもリアルなこの世界での戦闘行為の連続の後でも普段のように元気に振る舞えというのも酷な話なのだろう。
(まあ、こんな状況じゃあ、それもちょうがないとは思うけどね)
ギルドの古参メンバー、ナズナがため息を着く。
彼女自身も今日の連戦で精神的な疲労が溜まっている状態ではあるのだが、サブギルドマスターのような地位と目されている立場上、他のメンバーのようにここでへたれこんでしまうわけにはいかない。
「ほら、もう少し。オリーブが今日の宿になる場所も手配してくれてるからね、倒れこむのはそこに着いてからだよ。ほら動いた動いた!」
その場で座り込んでしまいそうなギルドの面々を言葉で叱咤しながら、ナズナはギルドマスターであるソウジロウの表情を窺う。
ナズナが覗き込むソウジロウの中性的な美しい顔に浮かぶのは、いつも通りの春の日差しのような、少年のような笑顔。しかしその笑顔の中に浮かぶ陰りのようなものが透けて見えるようにナズナには感じられてならない。
今ソウジロウを動かしているのは多分焦りだ。
発生から数日経った現在でも、その原因や解決策は一向に見えてはこない〈ノウアスフィアの開墾〉が適用されたタイミングでログインしていたプレイヤー達を襲った、この〈大災害〉と呼ばれ始めた集団異世界転移。
誰もが何をすれば良いのか解らないこの状況で、解りやすく行動を始めたのは大手戦闘系ギルドだろう。
アキバでも最大規模を誇ると言われている〈D.D.D〉は独自に周囲のフィールドの調査を開始するような動きを見せているし、〈黒剣騎士団〉や〈シルバーソード〉もいち早くレベル91を達成すべく行動を開始したという噂が流れている。
そんな中、ソウジロウ達〈西風の旅団〉が取った手段もまた、近隣のフィールドにおいての戦闘経験の蓄積という手段だった。
しかしこの選択が正しいのかどうかの確証が持てない。
思い出すのはアキバの街の殺伐とした雰囲気とプレイヤー達の焦燥しきった表情。そんな状況がゲームであった時のように戦闘行為だけで解決できるのか。他に優先してしなくてはいけない事があるのではないか。
ソウジロウやナズナ、そして今は此処には居ない沙姫と共にかつて所属していた〈放蕩者の茶会〉のメンバー達であれば、どうしたであろうか。
ムードメーカーにして調整役であったカズ彦だったら、腹黒い参謀役のシロエであったら、そして自分達を振りまわし、そして引っ張りまわしていたあの奔放な彼女であったなら・・・
(まあ、無い物ねだりだって事はわかっちゃいるんだけどねえ)
片手を腰に当て、もう片方の手で頭を掻きながら、ナズナは答えの出ない思考を中断する。
「ソウジはどうする? とりあえず確保したっていう住居フィールドに向かうかい?」
「うーん、そうだなあ。まだ日暮れまではちょっと時間がありますし、紫陽花さんの報告にあった外から来たっていうプレイヤー達に会いに行ってみましょうか。イサミさんはみんなを連れて先に行ってて下さい。ナズナはボクと一緒に来てもらってもいいかな」
「りょ、了解いたしたしたした、局長!」
「あー、イサミちゃん噛んでるしー」
「ぶー、イサミちゃんだけ何だか任せられてるみたいでズルイっす!」
「な・・・ッ! 不謹慎だぞ、貴様ら! 今はそんな浮かれてる状況じゃないんだぞ!」
ソウジロウの一言で、焦燥しきっていたメンバー達にいつもに比べればささやかではあるが、華やかさが戻る。
今のこの仲間達だって、昔のあのメンバーに比べて劣るものでは絶対にない。この明るさというか姦しさというか、どんな状況でも吹き飛ばしてしまいそうなこの乙女パワーも、今の私達の持つ立派な武器なのかもしれない。
そんな自分ながらちょっと斜め45度ほどずれているんじゃないかと思ってしまう感想に思わず苦笑しながら、一旦その仲間達とは別れ、ナズナはソウジロウと共に、アジサイの報告にあったシブヤの街の外れにあるその場所へ足を向けたのだ。