「汚らわしい」と奴隷に売られた私、最強の暗殺者に買われて闇に閉じ込められる
前世と同じくお風呂をキャンセルしてただけなのに、「汚らわしい」と奴隷に売られてしまった私。
価値観が合うご主人様に買い取られて幸せに暮らせることになりました。
◆◆◆
私はとある地方の貴族の娘として暮らしていた。
普通の娘なら年頃にもなれば、着飾って結婚相手を探しに行くものだけど、私は違った。
年頃になる前からずっと部屋にこもって人目を避けて生きてきた。
普通なら教養を身につけるような時間も部屋に引きこもって家族にも会わずにずっと過ごした。
「あの部屋に行くのはもう嫌です……!」
闇の中から目だけが光って見える。
私の部屋に食事を届けるメイドは恐ろしさに泣いて精神を病む。
その度に、慣れたはずのメイドが食事を運ぶ係に戻るが、私の部屋に来るまでに足が震えて進まず、手の震えで料理がトレイに飛び散っていた。
私の部屋の扉は硬く閉まっているの嫌な匂いが漏れ出してメイドの鼻に嫌な記憶を呼び覚ます。
年頃の娘だというのに、風呂にも入らず、
着替えもしない。
教養もなければ言葉を発するかもわからない獣。
それが私だった。
震える手で扉を開く。
部屋の内側に開く扉を盾に、異臭を放ち部屋に半身だけ体を入れる。
身体を腐らせるような匂いに顔をしかめて、息を止める。
トレイを慎重に床に置くと、振り変える速度は早かった。
料理を置いたメイドは、ガチャっと置いたばかりのトレイに手をぶつけて、私の気配を感じる前に扉を勢いよく閉めると逃げて行く。
残ったのはひっくり返った食事だけだった。
メイドが怯えるずっと前から、私はメイドの足音がこっちに向かってくる気配に身体が冷えて震えていた。
私を誘い出して袋に詰めたのは優しい顔をしたメイドだったから。
こんな私が値踏みされるような場所に今更出かけてはいけない。
いつも着たきりの服は汚れて、大きさが合わなくなったボタンは閉めずに着ている。
あまりに酷い状態に、数年に一度は強制的に服を着替えさせられた。
手足を押さえられて無理矢理に服を着せられる。
私は怖くて仕方がない。
暴れて暴れて、力尽きて着替えさせられた。
けれど、自分で着替えれば手足を押さえつけられる屈辱はないんだと知って、自分で着替えるようになる。
「素直になって、お前もわかるようになったな」
屈辱に血が沸騰する。
私は、お前の言いなりになんてならない!
でも、抵抗しても結局はおさえつけられるだけ。
押さえつけられたら怖い。
乾いた手の嫌な感触を、服が身体をすり抜けるのと同時に感じる。
カサカサした手と布が肌を擦ってヒリヒリする傷になる。
ただ、無力だった。
プライドを保つための抵抗。
従う屈辱より何倍も良い。
メイドの運んできた床にこぼれた食事を手づかみで食べる。
誰に見せるわけでもないのに、汚い自分を演出する。
この抵抗の日々が、私にとっての日常。
穏やかな、守られた暮らしだったのだ。
◆
この家の当主が亡くなって、小さな息子が当主になった。
攫われた私を自分の娘として育てた男だ。
死んで良かったと思う。
でも、抵抗した私に残ったものはなんなのか。
その日々を穏やかだと肯定している私がいる。
汚らしい姿で何処にも行けないのに。
息子の後見人の母親は、引きこもっている娘の処分に困っていた。
彼女は私より後から来た後妻で、私の正体など知らない。
私の正体を知っている者たちの闇に通じているような暗い雰囲気が、彼女とは根本的に合わなかった。
彼らを排除していった屋敷で、本当に私は気の触れた厄介者としかみられなくなっていた。
母親は私を見たことがなかった。
それどころか、私の部屋のある二階の東側には近づいた事すらない。
ただメイドたちから漏れ聞く話だけで身の毛がよだった。
いよいよ娘の処遇に困り、執事を連れて部屋を訪ねた。
階段を上がり二階に着くと、いつもとは逆の東側に歩き出す。
ずっと避けていた場所に足を踏み入れると想像したよりも緊張した。
これから自分が目にするであろうものが与える恐怖に戦慄して足が重かった。
じめッとした生暖かい空気と一緒に濡れた布のカビた臭いがした。
一歩一歩、娘の部屋に近づくごとに、まだ馴染みのあるこの嫌な臭いに安心感すら覚えることをまだ知らない。
食べ物の臭った臭いはまだ可愛いもので、娘からする腐った油の匂いには耐えられない。
遠くガタガタと震える娘の怯えた顔が、目だけを光らせて笑う悪魔のように見せた。
どんなに身分が低い相手でも嫌がられるほどに娘は汚れて不気味だった。
奴隷に売るしかない……。
母親は自分が奴隷商と関わることがあるなどとは夢にも思っていなかった。
王国を転覆させた逆賊の妻だったと言うのに……。
◆◆◆
私は檻の中に入れられて奴隷として売られた。
ただ、真っ暗な部屋から連れ出されて、光を浴びるのが嫌だった。
光を浴びた身体は誰かの目に留まって、悪意の中に引き摺り込まれる。
光の中で愛でられていたのに、急に闇の中に落とされる。
光の中で闇に落とされる不安を抱えるよりは、ずっと闇の中がいい。
奴隷商の檻から出た私はどこか立派なお屋敷の中にいた。
光溢れる屋敷の一番暗い場所でも私には眩しかった。
そして——今は、一滴の光も通らない地下道の闇の中にいる。
一体どう言う経緯でここに来たのかわからない。
光の中での私は記憶が曖昧だ。
叫んだり、暴れたり、光が怖くて仕方がない記憶がある。
着替えも風呂にも苦労するような奴隷は、ただ臭いだけの汚物だった。
◆◆◆
闇の中に音が響く。
ネズミの足音。
逃げていくネズミの足音が、ここへの来訪者の存在を知らせてくれる。
それより小さい来訪者——暗殺者の足音。
「奴隷、逃げてないな」
……ご主人様。
私はご主人様にしがみつく。
笑顔だった事を、この暗闇の中でご主人様が気づいたかどうかはわからない。
私に最高の幸せをくれる人。
どこか、わからない、真っ暗闇の地下道の中に私は囚われている。
この真っ暗な場所が私には快適だった。
「逃げたら、探し出して必ず見つける。ここにずっといれば俺が守ってやる」
ご主人様は毎回言うけど、私が逃げることはないのに。
この場所を守って欲しい。
誰も来ない、誰にも見られない、何もしなくていい場所。
そんなこの場所が私の居場所。
ご主人様がパンを食べさせてくれる。
闇の中に食料を置いておけば、ネズミに食べられてしまう。
だから一日一食だけ、ご主人様がいる時しか食べられない。
でも、食べるのは疲れる。
一食でも多いくらい。
メイドがひっくり返した食事を拾って食べていた頃のような執着がなくなった。
この闇の中は快適だから、このまま何もせずに朽ちていけるなら、なんて幸せだろう。
——それもご主人様は逃げとみなす。
無理矢理、口に食べさせられて、でも、ご主人様の膝の上の極上の心地よさに飲み込んでしまう。
飲み物も、ご主人様が口移しで飲ませてくれる。
水は水筒で、会うたびに別の水筒をくれるけど、私が自分で飲むことはない。
私を死なせないために、乾いた身体に必要な水を流し込んでいく。
やっぱり、私は心地良さに飲み込んでしまう。
だから、今日も生きて暗闇を見つめてる。
◆◆◆
地下道を出ると朝日がさしていた。
闇になれた目に光が痛い。
自宅——として借りてる借家に一旦戻る。
服を着替えて王宮に出仕する。
宰相に会う。
「どうだ、この間の“小鳥”はまだ生きているか」
小鳥とは処分に困った奴隷の事だ。
「……暗闇の中で放置していれば、大人しいものです」
「あの匂いに我慢できるならそれは良かった」
宰相は、嫌悪を隠さず言うと足早に去っていく。
なぜ、近くもない書記官の俺に声がかかったのかわからなかったが、宰相は奴隷を買っては持て余して部下に処分させているらしい。
思った通りの下衆な奴だ。
姫はたった一人で自分を守って闇の中で誇り高く生きてきた。
光の中で偽りの自分を演じるしかないお前たちの醜い姿よりずっと美しい。
仕事中、代書人がミスをしたので叱りにいく。
今月は何度目か。
御用商人が門番の無礼な態度に怒って嫌味を言う。
本当に無礼があったのか疑わしいが、ここで機嫌を損ねては王や宰相などに、俺のせいで納品が遅れたと告口される。
ひたすら謝って機嫌を取るしかない。
「真面目だな、君は」
書記官長に呆れられる。
これが、俺の日常の仕事だ。
夕方の鐘が鳴ると仕事は終わる。
真面目な俺が真っ直ぐに家に帰っても、誰も怪しむ者はいない。
夜は暗殺者の仕事の時間だ——。
代書人、御用商人、門番。
俺より身分は下だが、暗殺の仕事では上司になる。
十数年前のクーデターで国王一家が殺された時に、国の勢力図が一気に変わった。
国王派は殺されたり、身分を剥奪された。
しかし、みな諦めていなかった。
水面下で復讐の時を待っていた。
国王の直属の者だけが知っていた俺の家系の職業——暗殺者。
書記官と言う表の顔は中立で、クーデター後も同じ職業を続けている。
依頼があれば、いつでも暗殺者になる。
代書人、御用商人、門番、三人の伝言を合わせると依頼内容が浮かぶ。
いよいよ、今日は宰相の暗殺の命令が下った——。
◆◆◆
俺は子供の頃、将来は書記官になるからと、父親に頻繁に城に連れてこられていた。
それは表向きの理由で、実際は暗殺者になるために城の配置を覚えるためだった。
時折、小さな姫を見かけた。
メイドに連れられて歩く姿が微笑ましくて、俺はあの子を守るために存在するんだと思った。
ある日、中庭に姫がたった一人でたたずんでいた。
俺は中庭にある地下通路の入り口を確認するためにそこにいた。
「ねえ、この木はなんの木? もうすぐお花が咲きそう」
まだ幼いとはいえ、姫に話しかけられるなど畏れ多くて、俺は緊張していた。
「そ、その木は、ア、アーモンドの木です。は、春の花だから、も、もうすぐ、咲くと思います」
どもりながら答えた。
「どんなお花なの?」
聞かれても、花の形まで覚えていなかった。
気にしたこともない。
「……じゃあ、一緒に見ようね」
「……は、はい! 姫」
けれど、アーモンドの花が咲く前にクーデターが起こった。
王と王妃と、国王一家は殺された。
たった一人、幼い姫だけが行方不明だったが、皆が死んだと思っていた。
俺だけは何処かで生きていて欲しいと、生きていると思っていた。
宰相に処分を頼まれた奴隷が、姫だとは最初はわからなかった。
クーデターで奴隷に落とされたものも多く、仲間に後は任せるつもりだった。
けれど、闇の中から出たがらない彼女が気になった。
闇の中でわからなかったが、俺の身体についていた髪の色が姫と同じだった。
年も近い。
奴隷商に何処から連れて来たのか聞いて確信した。
奴隷は姫だった。
クーデターの首謀者の宰相は、王の遠い親戚を傀儡の王にして、十数年間この国を支配して来た。
そして——今日、それは終わった。
俺はアーモンドの木の下の地下通路の入り口に急ぐ。
姫が待っている。
アーモンドの木は、あの日と同じく、もうすぐ咲きそうに蕾を膨らませていた。
◆◆◆
今日もネズミたちの駆ける音からご主人様の来訪を知る。
ご主人様の姿の前に血の匂いがした。
今夜はお仕事をしてきたらしい。
暗殺者だと言うことは最初に聞いた。
だから、逃げるなと、それが脅しになると思っている。
お仕事をしてきた時のご主人様は少しだけいつもと違う。
心が震えているよう。
ご主人様は私のところに来るにも足音を立てない。
闇になれた私にしか分からない、殺意を最小にして油断させる動き。
きっと、完璧に殺してきたのだろう。
それでも、心は震えるの?
苦しいくらいに抱きしめられて、水も飲み込めない。
「……ご主人様は偉いです」
ご主人様が私が話した事に驚く。
今まで、ほとんど話したことがないから。
話せないと思われていた。
ただ、いつも小さくつぶやいていた。
いつか、誰かと話す日が来るかもしれないと思って。
「私は……殺しきれなかったから。……最後までやり切る人を……尊敬します」
「……誰を……殺そうとしたんだ……」
私は答えない。
——前世で殺そうとしたんです。
だけど、殺しきれなかった。
家族だから、誤魔化されて罪には問われなかった。
けれど、虐待があったことが外に知られて、監視の目から暴力はなくなった。
殺そうとした相手に養われる穏やかな日々。
でも、改心したわけじゃない。
また暴力を振るわれる日を待つ恐怖と、殺せなかったことが悔しくて、自分はダメだって思い知らされた。
ダメな自分は外に出れなくなった。
外に出ることが逃れる事だ知っていても、殺そうとしたのに元に戻される。
希望がない。
お風呂も入れなくなって、何も出来なくなって死んだらしい。
姫として大事に育てられていた王宮で、親しいメイドに袋に入れられて連れ去られた。
その時に、前世に記憶を思い出した。
連れられた地方貴族の館で、家族の死とクーデターの成功を知る。
館の主人は、クーデターの仲間だったが、地位は高くなかった。
だから、小さな姫を人質に、自分に不利な状況が来た時の為のコマとして秘匿した。
メイドはわずかな金で私を売ると、帰り道で不慮の死を遂げたらしい。
二回続けて、なんて人生なんだろう。
でも、ご主人様の膝の上で抱かれなが眠る。
これが、一番幸福だから、全てが正しく起こったことなのかもしれない。
「……姫、覚えていますか……」
ご主人様の声が変わる。
姫って……。
私を知ってる人だったの?
「今、外ではクーデターを起こした側が粛正されています」
「もし、あなたが外に出たいなら、戻る場所ができた」
「……」
私は答えない。
「正体を明かす以外にも、俺の家に来ることもできる……」
「ただ、俺はずっと暗殺者のままだ」
私はご主人様の膝の上にいる。
ここだけが失いたくない場所だから——。
でも、あなたとアーモンドの花を一緒に見てみたい。




