⒏ 希望の光<アレス>
「エアは、俺が殺す」
トキは意思表示のようにそう言葉にすると、魔力を右掌に集めていった。
「温情をやる。俺に存在を消されるか、毒を飲むか、いまここで選べ」
初めてエアに使う、厳しい口調で彼は告げた。もうエアの監視だと知られていて、初めから嫌われている。疎ましがられている。そう思ったら、全てがどうでも良くなった。
トキの心の中は、負の感情を増幅する精神操作魔法も手伝って、暗い願いで埋め尽くされていた。
(嫌われてるなら、俺の存在がエアの邪魔なんだったら、俺から解放してあげないと。……だから、最後くらいエアの願いを叶えよう)
エアの幸せを願っていた無価値な己に、引導を。
エアと暮らした幸せな日々の思い出に、開かない鍵を。
魔力を纏わせた右掌をエアの方へと向ける。そして、時を戻す魔法を使った。
『魔法は、イメージだよ』
いつか、エアに言われた言葉をトキは思い出した。
(対象は、エア。生まれる前に戻して、存在を消す)
エアに教えてもらった魔法の使い方で、エアを殺す。なんて馬鹿げているのだろう。
トキのオレンジ色の魔力がエアを包み込む。一見すると暖かみさえ持ったその魔力は、しかしおそろしい魔法を発動させていた。
(トキの魔力、綺麗だなあ)
今から殺されるという場面でエアが抱いた感想は、生への執着ではなく、随分と場違いなものだった。
エアは少しずつ己の体の存在が薄くなって、消えていく感覚を味わっていた。体感と同じように、指の先から少しずつ、少しずつ、消えていっているようだ。
時を戻して身体がどんどん若返っていったらどうしようかと悩んだのは杞憂だったようで、ほっと息を吐いた。大人から子供へ、そして赤ん坊になる様など恐ろしくて見ていられないだろうから。
「………っ」
しかしふと、トキの魔力が揺らいだ。これは魔力の供給が滞った際や、魔法の維持が難しくなった際に現れる兆候だ。
(まずい)
時を操る魔法には、膨大な魔力を要する。トキが今まで戻すことができた時間は僅か数秒ほどだ。さっき割れたコップを元に戻すだとか、それくらいの。エア一人の人生を巻き戻すには、単純に考えても27年分の魔力が必要だ。エアの言葉に傷ついて我を忘れたトキだったが、彼の実力と魔力量では、エアの存在を消すことなど不可能であった。
トキの魔力が揺らいだことは、エアもわかっていた。
このままいけば魔法が成功したとしても良くて数年、悪くて数日ほど若返るか、存在感が薄くなっただけで終わるだろう。
(それじゃあ、駄目なんだよ)
エアはゆっくりとトキに近づくと、その小さな体に腕を回した。
「何を」
トキが眉を顰めてエアの抱擁を解こうと手に力を込めるが、魔法の行使に力を注いでいるいまの彼の力では、エアに対抗することはできない。
エアはトキの体をその腕の中に包み込んだ。暖かさが二人を繋ぐ。
(私の魔力を、トキへ)
エアは腕の中にあるちっぽけなトキの全身に、自身の魔力が染み込むようにと念じて腕に力を少し込めた。
二人の魔力は夕焼けに変じる空のように、若しくは朝日が登る空のように、美しく輝いた。
その瞬間、トキの体を、エアの本当の思いが包み込んだ。
──トキが監視って知ってたのは本当。でも本当の名前は知らない。どこの誰かも、知られたくなさそうだったから、探してない。トキがきてくれて安心した。大人は、怖いから。……いい顔なんて一つもしてない馬鹿の平民の私に、最初から丁寧に接してくれたよね。ご飯だって、困った顔しながら全部食べてくれた。初めてトキのために作った料理を気に入ってくれて、また食べたいとも言ってくれたね。地位なんていらない。師弟は来年までって期限があったけど、それよりも早く私のせいでこんなことになっちゃうなんてな。トキと、ずっと一緒に暮らしたかった。
トキは不思議に思ってエアを見た。エアはトキを抱きしめながら魔力を注いでいるだけで、口も開いていない。
──トキが世話を焼いてくれたから、私は人間らしい生活ができた。魔法の上達が遅いなんて嘘。早すぎてびっくりしてたよ。でも遅くったて、きっと可愛かったんだろうなあ。私みたいな年上と話す時にも、楽しそうにしてくれて嬉しかった。小言を言いながら仕方ないやつって顔するトキが、愛おしかった。
知りたいような、知りたくないような。エアから伝わるこれが本心なのだとしたら。
(さっき、言ってたことと、真逆だ)
エアはトキの魔法の補助もしているため、常なら無駄の多い魔力の使い方をするトキも、今だけは熟練の魔法使いのような効率の良さで魔法を使っている。
エアの魔力は、トキに良く馴染んだようで、トキの魔法の揺らぎはあっという間に消えていた。
──トキがきてから、毎日楽しくて仕方がなかったよ。結婚なんて最初からしたくなかったけど、トキみたいな、優しくて、暖かくて、心の綺麗な人となら、結婚もしてみたいかも、なんて思えるようになった。まあ、そんな人トキ以外にいないってわかってるからしないけど。トキ。私は君が、大好きだよ。私の人生で、トキと過ごせた時間が一番の宝物。
しかし、揺らぎが消えれば、魔法は正常に発動するわけで。
それはつまり、エアがこのままだと消えるということで。
──あなたを傷つける人間を大事にしてはいけない。お願い。トキ。私を、殺して、そして。
「ッ、エア?」
とうとう魔法は正常に発動された。
国一番の魔力量を有するエアだが、その全貌は誰にも測ることはできなかった。人ひとりの時間の全てを動かすほどの魔力が、彼女にはまだ残っていたのだ。
エアの姿が指先と足元から、キラキラと光の粒になって消えていく。
「誰も、恨まないで。トキの魔法は、願いを叶える魔法」
抱きしめていた体を離して、エアが満面の笑みでトキに笑いかけた。
「私を忘れて、幸せに生きて!」
「エア!エア!!待って!行かないでっ!」
トキはエアに手を伸ばしたが、その手は何も掴めずに空をきる。
エアは、トキの目の前から影も形もなくなってた。
トキが『エアを消す』というグリマティオの望んだ目的を達成したため、彼に掛けられていた精神操作魔法が解ける。微かな混乱の中、彼はとりかえしがつかないことは理解していた。
「俺は……、エア?!エア!!」
どこを見ても、呼びかけても、そこにいた筈のひとは、もうどこにもいない。
「あ、ああ、ああああああああああああ!」
トキの体から魔力が迸る。尽き掛けていた筈の魔力は、エアの魔力と合わさったおかげでトキ本来の保有量を上回って彼の体内に馴染んでいた。トキの体からオレンジ色の魔力が溢れ、瞬く間に部屋全体を覆う。それは王宮だけに留まらず、オレンジ色の魔力は刹那のあいだトルクネリア王国全土を包み、優しい光を人々に届けた。
トルクネリア王国の民は、後にこの光をこう呼んだ。
「希望の光」と。
平和で穏やかな日々の中、平和だからこそ些細なことで人々は不満の種を育てていたのだろう。徐々に、しかし確実に腐敗していた王国内部の政治は、この光の一年後からゆっくりと改革を迎える。更にどうしたことか魔塵の出現も格段に減ったため、人々はこの美しい光を吉兆とした。
しかしそれは、ひどい皮肉だ。光はいったい誰を救ったのだろう。誰に希望をもたらしたのだろう。
その光の中心にいるトキは、涙も流せぬ絶望に塗れた瞳で、エアの消えた空を見つめているのに。
トキに、そしてエアにも、もう明日への希望など何もないというのに。
そうして魔力を爆発させて全て使いきったトキは、その場に倒れて意識を失った。
彼が実家の邸で目覚めたのは、それからひと月後のことだ。
「エア……?」
この3年では見慣れなかった自室の天井を瞳に写したトキは、我に帰るとガバリと上体をベッドから起こそうとした。
「う………」
しかしひと月の昏睡はトキの体力も筋力も衰えさせたようで、頭を少し持ち上げただけで気分が悪くなり、再び後頭部を枕に押し付けた。
「坊ちゃん!お目覚めになられたのですね!?」
部屋に様子を見に来た執事が父を呼び、医者に見せられて水を飲まされる。
「ああ、ようございました……!」
執事がほっとした顔でアレストカインが目覚めたことを喜ぶ。
「ああ。心配したぞ」
父がいつも通りの表情で現れる。
(………どの口で)
トキが生かされているということは、エアは消えたのだろう。
今更ながら、トキにもわかる。エアを殺すことに失敗すれば、今度は自分の命が危なかったのだと。
捨て駒同様の扱いを受けていたことに、トキの心は動かなかった。
エアがどうして死を望むように動いたのか。その理由もなんとなく想像できて、トキは胃液が迫り上がってくる感覚にえずいた。
トキの様子を見て、医者が桶を運んでくる。執事に背を撫でられる。
「魔力切れの症状です。恐らく一年ほどは回復にかかるかと……。それまでは魔法をお使いにならないよう、ご自愛ください」
魔力切れは、医者にも修復師にも治せないのだ。魔法回路に於いた医学は未知が多く、傷ついた魔法回路の修復も、失ったぶんの魔力も、他人がもとに戻すことは不可能とされていた。
(……でもエアは、俺に魔力を分けた)
魔力を元の量に戻すことはできないが、他人の魔力は譲受可能なのだろうか。
(もう、どうでもいい)
──エアのいない世界など。
トキはこの日、世界から距離を置いた。
次回から週間での投稿となります。
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