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⒎ 過ち



「飯の時間には、まだ早いんじゃない?」


 扉に背を向けていたエアは牢の中で皮肉めいた声と共に振り返り、トキを視界に収めると、目を見開いた。


「トキ……」


 彼女は眉を顰めると、痛ましいものを見るような目つきでトキを見つめる。そしてトキに近寄ると、膝を折ってトキと同じ目線になり、話しかけた。


「トキ。来てくれてありがとう。でも、今すぐ帰りなさい」


 エアは困ったように微笑んで、トキの頭に手を置いた。そして、トキの体を巡る魔力に意識を集中する。トキ自身の暖かく澄んだ魔力の中に、僅かに、しかし確実に混じる歪んだ魔力がある。


「なんて、悪趣味な」


 エアが小声で呟いた独白に、トキの肩が反射的にびくりと震えた。


(トキにかけられているこれは、精神操作魔法……)


 魔法の出どころは、彼の肩にある肩章。魔法をかけられた者の認知力を低下させ、悪意や負の感情を増幅する意図の込められた魔法だ。精神操作魔法はかけられた本人は自身に魔法がかけられているとは気づき難いうえに、今回のトキにかけられたものは強制力が低いため、さらに気づきにくくなっている。

 そして精神操作系の魔法は、解除が大変難しい。解除に失敗すれば魔法をかけられた者の精神、若しくは魔法回路を傷つける。傷ついた魔法回路は、二度と元には戻らない。


 この部屋にはには魔法封じの装置が嵌められている。一週間ほど前のパーティに出席するために掛けた変化の魔法は、そのままであった。


 エアがトキの頭に手を乗せたまま思案していると、トキがエアの手を振り払った。


「トキ?」


「王太子と、結婚するの」


 トキの口から温度のない乾いた声音が響いた。


「玉の輿だね。よかったね。俺のことなんか捨てて、幸せになったらいいじゃん」


「トキ。その話は断ったって……」


「なんで。断ったの」


 エアにはトキが考えていることがわからなかった。


「俺の望みはエアの幸せなんだ。エア。俺、どうしたらいいの?エアを、っ、殺すぐらいなら、俺が死んだ方がマシだ!!エア一人なら、逃げられるでしょう?なんで、逃げないの!」


 瞬間、エアの魔力が膨れ上がった。淡く光る魔力がエアの髪を揺らめかせる。今は見えない左手の甲にある花の形をした黒い痣が、鈍く痛む。


(トキに、なんてことを!)


 エアの腕にある魔法封じの腕輪が魔力に耐えきれずボロボロと崩れ落ちた。


 エアは逃げようと思えばいつでも逃げられたのだ。しかし逃げない理由があった。エアの命は、恐らく残り一年ほどで、消える筈だったから。


 エアの内心は嵐のように荒れていた。トキの悲壮な様子の理由は、殺人を命じられたから。


(それが子供にかける言葉か!違うだろう!?)


 エアを殺すように仕向けるために負の感情を増幅する精神操作魔法をかけられているのに、トキはエアの幸せを願うと言った。確かにいつものトキが発するにしては、直接的で言いそうにない言葉だ。


 エアの目から涙が溢れた。


(ああ。人は、こんなに美しい心を持つこともできるんだね、トキ)


 エアは泣きながら、目の前で泣きそうな顔をしているトキを見つめた。


 己の保身と恐怖のため王太子に無礼な振る舞いをし、牢に入れられるだけなら自業自得だ。しかし自暴自棄になった所為でトキを巻き込むことは、してはならない。


「ねえ、エア。俺は、どうしたらいいの……?」


 エアは立ち上がると、トキを見下ろして、そして告げた。


「ねえ。トキ。私、死ぬなら、あなたがいいよ」


「エア……?いま、なんて」


(これから、残酷なことをする)


 覚悟を決めるために、一度だけ目を瞑る。暗闇が瞼の裏に広がった。


「知ってるんだ。ルトカイ・サリー。あなたが私の監視だと」


 ゆっくりと目を開けたエアの発した台詞に、トキの目が見開かれる。絶望を讃えた瞳が、エアを見つめた。


「いつから、知って……」


「最初から。国が私の監視として送り込んできたのがあなた。知ってて泳がせていたんだよ。きっとルトカイ・サリーという名も偽名でしょう?本当の名前は知らない。興味もない。でもあなたの役目は知っている。媚を売ろうと必死で考えたよ。慣れない凝った料理とかね。ああでも、最初は平民の私が作る料理なんて食べられたものじゃない、って顔してたよね」


 トキの顔から目を逸らして、エアは続ける。今自分が何を言っているのか理解できる程には、エアは冷静だった。


「高位貴族の息子っていっても、こんな子供を監視にするなんて、舐められてるよね。だからあなたには私の方の味方についてもらおうと、必死にいい人を演じたよ。子供なんて、少し優しくすればなんでも信じるんだ。でもあなた、私になついたのに、私の地位は一向に向上しないんだもん。嫌になっちゃったよ」


 誰かが、嘘をつくときは真実を混ぜれば本当らしく言えると言っていたが、そんなのはできそうにない。トキの嫌なところなんてないのだから。


「あなたが私の世話を焼くたびに、鬱陶しかった。魔法の上達も遅くてイライラしたし、その割には小言も多くて態度も馴れ馴れしいし、もううんざりだ」


 あなたなんて丁寧な言葉を使ったことに、今更後悔した。もっと、突き放さなくては。


「お前がきてから、私の人生うまくいかないことばっかり。お前の面倒も見ないといけないから結婚もできないし。お前なんて、大嫌いだよ。私の人生に、お前はいらない」


 口に出す言葉に、こんな言葉しか吐けない自分に、反吐が出る。しかしトキに悟られてはいけない。


「あーあ。やっぱり、こんな人生、死んだ方がマシかな」


(昔はそう思ってたから、これだけは気持ちを込めて言えるなあ。ああ、トキの顔、みたくないなあ)


 きっとトキは、エアを殺さずに帰ったら、殺されてしまう。暗殺を命じられるということは、失敗すれば殺すと言われたも同義だ。トキから情報が出ることを恐れて。


 エアが意を決して見た先には、表情を抜け落としたような、なんの感情も見えないトキがいた。


「………っ」


 自分のしたことに吐き気がする思いが、エアを苛む。こんな顔をさせたかったわけではない。しかし、エアを殺さなければトキが殺されてしまう。


(トキ。お願いだから、私を殺して)


 エアの願いが通じたのか、トキの瞳に暗い光が宿る。そして立ち上がると、全身に魔力を巡らせた。




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