⒊ エアとトキ③
王城に着くと、トキとエアはごくりと唾を飲み込んだ。
「エア。マナーは大丈夫?」
「駄目だね。絶対ボロ出すから、私は壁になるよ」
エアは生まれが孤児だったため、貴族のマナーを覚え出したのは最近だという。煩わしくてパーティにもほとんど出席しないため、付け焼き刃もいいところだった。
「それがいいと思う。じゃあ、行こうか」
トキの声でエアが一歩足を踏み出す。
エスコートを頼んだ相手もいないため、エアは一人で堂々と会場に歩いて行く。トキはまだ社交界デビューしておらず、正式な参加者ではないため、エアの後に続いて歩くだけだ。
エアが会場に足を踏み入れると、すれ違う人々のざわめきが耳に飛び込む。
「あれ、ムズル魔法使いよ」
「あれが……。庶子の出なのに魔法の腕なら一級魔法使いの頂点に立つほどという?」
「この前も、魔塵が王都の近くで発生した時、一瞬で払っているのを見たわ」
「軍で見た時とは違って、着飾ると美しいな……」
トキは聞こえてくる噂話に、内心で誇らしい気持ちになった。エアがすごい魔法使いだと、認められて嬉しい。
「でも、いつも弟子だけ連れて、一人ね」
「魔法の腕は良いが、変わり者らしいぞ。それに、親なしの庶子ではなあ…」
今度はエアを侮辱する言葉が聞こえてきて、トキは反射的に振り向こうとした。しかし、エアに肩を掴まれて止められる。
「トキ。気にしない」
「でも」
エアは少し屈んでトキに目線を合わせると、微笑んだ。
「人間なんて、そんなものだよ」
そう言ったエアはいつも通りの穏やかにも見える瞳をしていて、トキは悲しくなった。
エアは人に対して全く期待しない。いつでも裏切られてかまわないという態度でいることが、トキから見ても危うく、気がかりだった。
「今日の私のドレスの色、何色かわかる?」
エアが内緒話をするように、トキに囁いた。
「? 朝焼け? 綺麗な色だよね」
「ありがとう。でも惜しい。トキの目の色だよ」
エアがそう言ってイタズラが成功したように笑うので、トキは泣きたいような気持ちで、胸が熱くなった。
(一人前になったら、絶対に俺がエアを幸せにするんだ)
エアは今年27歳だと言っていた。トキとは親子のような年齢差がある上に、そろそろ本当に、行き遅れと言われてしまう歳だ。いつ結婚したっておかしくはない。
エアが結婚することを考えると、トキはなぜか胸の辺りが苦しくなる。エアに優しくされると、親に抱く親愛とは本来こういうものかと思う時もあるが、この胸の奥を握られるような感覚はなんなのだろう。トキは胸元のシャツを軽く握りしめた。
主賓の国王以下王族、主要な貴族に挨拶して、あとは壁際で突っ立っているだけにしようと、トキとエアは事前に打ち合わせ、その通りにしている。
王族からの挨拶や、他の一通りの挨拶が終わり、皆がダンスを楽しむ中、エアの方にツカツカと歩いてくる者がいた。
「エア。よく来たわね」
「リシェンナ王女殿下」
カールする美しい黒髪をハーフアップのように結って、豪奢なドレスを着た少女が、エアに声を掛ける。彼女はリシェンナ・ミロ・トルクネリア。13歳になる、トルクネリア王国の第二王女だ。
「王女殿下におかれましては、ご機嫌麗しく」
「それはさっき挨拶したでしょ。来てくれて嬉しいわ。わたくしも今度、魔塵掃討部隊に見学に行く許可が降りたわ。またよろしくね」
「王女殿下は、魔法を使うのがお上手、あいた、ええと、素晴らしい魔法をお使いになりますものね。私も王女殿下がいらっしゃることを楽しみにしております」
「ふふっ、あなたのその格好、似合っているけれど、変ね」
「自分でもわかって……ええと、存じておりますが、お綺麗な殿下に言われると胸にぐさっと来ますね」
くすくすと笑うリシェンナは楽しそうだ。エアも自然な笑顔で会話しているが、如何せんここは腹の探り合いや足の引っ張り合いを得意とする権力者たちが集っている場。トキに小突かれながら、なんとかエアが話し終えると、リシェンナは再び嬉しそうに微笑んで去っていった。
「エアが出席することになった原因は、あの方?」
「そう。風魔法が得意で、うちの軍に興味を持ってくださっているんだ。聡明な方だよ」
エアはリシェンナの背にやさしい眼差しを向けている。
エアが嬉しそうに話すのを、王族に認められて誇らしい反面、なぜか面白くない気持ちでトキは眺めた。
「さて、トキはこのあと、また王都のどこかに寄ってから帰るの?」
「うん。明日の昼頃には帰るから、じゃあ、先に退出するね。くれぐれも!変なことしないでよ」
「あはは。トキも帰り道、気をつけてね。また明日」
「また明日」
そう言ってトキはエアの側から離れ、王城から馬車に乗り、この国の宰相の家へと向かった。馬車が宰相邸に到着すると、執事らしき人物が門を開け、トキは邸の中に足を踏み入れる。
中は広々としたエントランスがひろがっており、そこには大きなシャンデリアや数枚の絵画が飾られていた。
トキは勝手知ったる足取りで一つの部屋の扉の前まで、艶やかに磨かれた石作りの廊下を進む。
繊細な装飾の施された扉をノックし、返事を受けて中へと入る。
「……ただいま帰りました」
「早かったな」
そう言って書類から目を上げてトキを見下ろすのは、この国の宰相、グリマティオ・ド・サルファー。白が混じり始めた黒髪は短く、痩身で、厳格な雰囲気を出している。
「久しいな。アレストカイン。報告を」
「はい。ではまずは最近の魔塵掃討について……」
アレストカインと呼ばれたトキは、感情を載せない声で、魔塵の発生状況とその掃討について、また、魔法軍の状況、そして監視対象の報告を行った。
「エア・ムズルの動きは」
「はい。彼女は軍での勤務時意外、私に魔法を教授してくださるときは…」
「あの女を敬っているのか」
トキはしまった、と心の中で舌打ちをしてから、再び報告を始めた。
「失礼いたしました。近頃の彼女は、日常生活に於いて、以前よりも魔法を使う頻度が減ってきいます。怪しい動きなどは確認しておりません」
「それだけか」
「はい」
「ふん。くれぐれも、己の役目を忘れるでないぞ。あんな下賤な女に誑かされては、身内の恥だ」
「…肝に銘じております」
下がれという言葉で、トキは父であるグリマティオの執務室から退出した。
トキはつかつかと廊下を進んで、3年前にエアの弟子になるよう命じられ、部屋を開けた時から殆ど変わらない自室に飛び込み、鍵をかけた。悔し涙を溜めて、ベッドに飛び込む。
「クソっ。あいつらエアのことをなんだと………!エアは怪しいことなんて何もしない!下賎だとか言われるようなこともしていない!どうしてそれが、わからないんだよ……!!」
アレストカイン・ド・サルファーがルトカイ・サリーと名を偽って、エアの元に監視の名目で送り込まれてから、3年。トキがどんなに、エアが害のない人間か、立派な人か、説得しようとしても、父親は子供の戯言だと聞く耳を持たない。最近ではエアを庇った報告をすることで、逆にエアの信用が下がり、何か実害を被るのではないかと心配したトキは、当たり障りのない事実だけを淡々と報告するに留めている。
エアのような、それ一人で国を脅かす可能性のある強力な魔法使いには、監視がつくと知ったのはいつだったか。
送り込まれた初めのうちは貴族社会の教育のもと、エアのことを国の脅威として警戒し、監視していたトキだったが、彼は彼女の暖かさに救われた。今では国の脅威はエアではなく、自身の父親なのではないかと感じている。
「エアのもとで弟子をしていられるのもあと一年。俺が、出世して、宰相になって、エアが暮らしやすくて正当な評価をされる国を作ってやる……」
トキの夢は壮大だったが、彼は名門貴族、サルファー家の三男だ。兄もいる、優秀な人間はサルファー家の外にもごろごろといる。しかし頑張れば可能かもしれないと、己を奮い立たせた。
「エア……」
彼女は今頃どうしているだろう。もう家には帰っただろうか。あの暖かい家に早く帰りたい、帰ってエアのそばにいたい。トキはそう思った。




