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⒈ エアとトキ

 


 陽の光の薄く差し込む木立(こだち)のなかを、二つの人影が進む。


「エア。大丈夫?やっぱり調子悪いの?」


 黒髪の少年が横の人影を心配そうに見上げた。


「ううん。研究かな。どれだけ小さくしたら燃えるのか、気になって。でもあれは有効そう」


 この声の持ち主は、女性にしては珍しく、刈り込むほどに短く切った黒髪を手でくしゃりと混ぜながら、言い訳のような理由を溢した。

 少年は心配していた顔から一転、呆れた表情になる。


「そんなんだから、威厳(いげん)のない魔女とか言われるんだよ」


「別に威厳とかいらないよ。強いから」


「ナルシスト」


「本当のことだからいいの」


 二人並んで、木々の間にできた獣道を進むと、小屋のような家に辿り着く。赤土で作ったような色の屋根は、古びていても味わいがあった。


「ただいまー」


「おかえり。トキ。ただいま!」


「………おかえり」


 ふたりで共に帰ったが、互いに帰宅を告げる挨拶とそれを迎えるやりとりを行う。これはこの家の家主であり、トキの魔法の師匠でもあるエアの方針だ。



 エア・ムズル。彼女は国でも屈指の強さを誇る、トルクネリア王国に所属する特定一級魔法使いであった。平民の孤児であった彼女は、膨大な魔力を有していることから国によって「保護」され、今に至るまで王国魔法軍で働いている。


 エアの傍で外用のローブを脱ぎ、黒いエプロンを身につけた子供は、トキと呼ばれている。3年前からエアの元に弟子入りしている、11歳の少年だ。


 トキは綺麗に整理された台所に立ち、手際よく夕食の支度を始める。


「僕が作るから、エアはその散らかった机の上、片付けてよ」


「はあい。でもこの研究書、いいところなのに……」


「なに?」


「今すぐ片付けます」


 エアは指を一振りして机の上の散らかった書類やペンをふわりと浮かせて纏め始めた。


 彼女はいい意味で偉ぶらず、悪い意味で大人としての威厳というものが無い。トキに魔法を教えるときは、それなりに師匠らしい面を覗かせるが、普段の生活に関しては、子供のトキの方が余程しっかりしている。

 反面教師としてのエアは優秀だ。実際、トキが家事をこなすようになったのは、必要に駆られてのことだった。エアに任せていると人としての真っ当な生活が危ぶまれると察したトキが、全くの素人から三年で料理も洗濯も掃除も、それに使う魔法も人並み以上に上達したのだから。



 トキが魔法で小さな炎を生み出し、竈にくべる。野菜を切る風の魔法はトキにはまだ難しい。威力が強すぎて机ごと切ってしまったことがあるのだ。石の台の上で、研いだ黒い石に布で持ち手をつけて、野菜を一口大に切った。鍋を火にくべ、野菜に火を通したあと、()み水を鍋に入れて煮込む。


 魔法でも水は生み出せるが、栄養がないのか、人工的に生み出したものは人体に受け付けないのか、腹を下すため、口に入るものは基本的に自然の恵を使うのだ。


 味付けに塩と、香辛料の屋台で買った調味料をいくつか入れて、湯気の立つ黄金色のスープが出来上がった。


「はい、出来たよ」


 トキは一応片付けられた机の上に布を敷いて、そこに鍋を置いた。これから夕食である。湯気の立つその中身は野菜がたっぷり入ったスープだ。


「やった!トキの作るポトフ大好きー!」


 エアがはしゃいで、それぞれの腕にポトフをよそう。

 トキは次いで、表面が琥珀色に焼かれたバゲットと、メインディッシュを並べた。


「えっ、それはもしかして、焼肉?」


「なに。わるい?」


 トキが出した肉を見て、エアは真顔になる。

 彼は気にせず、肉の上にガーリックソースをかけた。スパイスと玉ねぎの微塵切り、そしてガーリックを油で炒めて、塩などの調味料で味を整えた濃い味付けのソースは、肉にかけると破格の旨味を引き出す。もちろんパンに塗っても美味しいが、彼はこのガーリックソースをかけた焼き肉が大好物だ。


「トキは可愛いからいいけどさあ〜、ガーリック食べると口が臭くて女の子にモテないよ」


 エアは最近トキがこの肉を食べようとすると、こう言うことが増えた。昔はそんなこと言わなかった上に、この味を教えたのはエアなのに、と内心を隠すことなくトキは恨みがましい目を彼女に向けた。


 エアと暮らすまで、薄味の上品な料理しか食べたことのなかったトキに、初めて彼女が作った手料理がこの焼き肉だったのだ。その時の衝撃といったら、それからしばらくトキは何かめでたいことがあっても無くても、エアに何が食べたいかと聞かれてはこの焼肉と答えて、気の長い彼女を呆れさせるほどだった。


 エアは生活力が乏しく、料理も素材を切って焼く、煮る、しかしない。この焼き肉は彼女にとっての一番手の込んだ料理であり、トキが弟子になった際の、思い出の品だ。


「エアにしか会わないから他の人とかどうでもいい」


「私にはにんにく臭いと思われていいの?」


 ムッとしながらトキが答えると、エアがなかなかに痛い切り返しをしてきた。


「………やっぱこれエアが食べる?」


 他の女はどうでもいいが、エアに口が臭いと思われるのは、トキにとってはあまり喜ばしいことではない。彼が不安になってエアにそう譲ると、彼女はおかしそうに笑った。


「あはは!トキ、これ大好きなのに?いらないなら本当に全部貰うよ?」


「…………………」


「うそうそ。トキがにんにく臭くても私はトキ大好きだし。あーん」


「あっ、俺より先に食べるなよ!」


 肉を一切れフォークで刺すと、エアはそのままガーリックソースのたっぷりかかった肉を口に運び、目を輝かせた。


「へっへー。うま!!ね?めちゃくちゃ美味しいよ!この肉!トキも食べよ」


 本人には絶対に言わないが、エアのこういうところが、トキは大好きだった。なんだかんだ優しく、明るく振る舞い、友達のように接してくる。そして頼りない面も見せて自堕落な生活をすることで、トキがエアに世話をかけるだけの弟子で子供なのでなはく、必要とされ役に立っているのだと思わせてくれる。そのどこまでが配慮かはわからないが、初めて訪れたとき、この小屋のような家は足の踏み場もないほど散らかっていたのだから、トキが来て、そう悪いことだけではないだろう。

 今回も先に自分がにんにく臭くなって、トキに食べやすいよう誘導してくれたのだろう。それなら最初から口臭云々言うなと思うが、彼はそれには蓋をした。


「いただきまーす!」


「食べてから言ったんじゃ遅いよ。いただきます」


 何から食べようか迷って、ガーリックソース焼き肉から手をつけた。相変わらず最高に美味しい。


「これでお揃い。二人ともにんにく臭いから、匂いなんてわかんないよ」


 雑な理論だが、確かに互いがいるなら心強い。


「ポトフもうま!」


 エアはそう言いながら、幸せそうに笑顔で料理を食べていく。作ったトキの心も大満足だ。


 食後のデザートにこれまたトキが焼いたデザートが出てきたのを見て、エアが彼に近寄る。


「レモンパイ!?!?えーー!トキ大好き!」


「寄るな!にんにくくさい!」


 エアが好物に口付けせんばかりの勢いで、トキが持っているレモンパイに近寄る。トキは顰めっ面でレモンパイを体ごとのけぞらせて、遠ざける。

 彼は照れ隠しがあまり得意ではなかった。



 翌朝。


「トキ!口の中がにんにくで爆発!」


「うわ、本当だ!どうしよう、今日街で買い物するのに」


 それぞれの部屋から起きて、顔を洗うための水瓶の傍で、二人揃って絶望顔で顔を見合わせる。


「あっ、いいこと思いついた!私の魔法で口の中の空気を外に漏らさないように調整すれば!」


 外出着に着替えてドアの前で、エアがそんな提案をする。


「ずっと吐き出さないようにするってこと?エア天才!」


 トキはたまに、エアと同じ思考回路だ。



 外出先から帰ってきた二人は、またしても揃って、今度は肩を落としていた。


「全然天才じゃなかった!息できなかったじゃん」


「おかげで一気に息吐いて、お店の人たちすっごい顔してたね」


「笑い事じゃないよ……」


 ドアの前で肩を落として、しかし堪えきれなくなったかのようにどちらからともなく吹き出した。


「ふはっ、ばかエア」


「あはは!もっと良い魔法、考えないとね!」


 失敗することもくだらないことも多いが、エアとの暮らしをトキは気に入っていた。


 しかし、彼女との暮らしには期限がある。トキが13歳になるまでの師弟関係の約束であった。

 トキはいま11歳。あと二月もすれば12歳になる。

 二人で笑い合える日々は、なにも特別なことではなくて、当たり前の日々だったが、それをトキも、エアも、得難い幸福だと理解していた。理解していて、ずっとこの暮らしが続けばいいと、そう思っていた。


 ──明日も、明後日も、1年後も。10年後だって、一緒に居たかった。




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