プロローグ
その魔法使いは、偉大でした。
彼女の魔法はこの世界に現れた邪悪な魔塵を払い、
人々は幸せな日常を取り戻しました。
彼女の操る魔法は、人の悲しみを吹き飛ばし、涙を乾かす暖かい風。
魔法使いには、弟子がいました。
偉大な魔法使いには相応しくない、愚かな弟子。
魔法使いは、弟子によって、人々の記憶から存在を消されてしまいます。
親切だった町の人々はもう、彼女に会っても見知らぬ人のように振る舞います。
偉大な魔法使いを知る人はいなくなりました。
彼女にとっての最後の敵は、弟子となりました。
彼女は強い風の魔法で愚かな弟子を懲らしめて、
王国に真の平和をもたらしたのです。
人々の記憶は戻り、彼女はまた偉大な魔法使いとして、
平和な国で皆と幸せに暮らしました。
絵空物語 『風を操る魔法使い』 ムズル著
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ここは魔法使いの国、トルクネリア王国。
その王都は整然としていて美しく、白を基調とした建物が立ち並ぶ。ともすれば無骨にも見える街並みは、街路に植えられた木々や窓に飾られている淡い色の花によって彩られていた。
広場では駆け出しの魔法使いが手のひらの上に水を湧き出して見せている。そうして吹き出す水は花を模った。そうかと思えば刹那の水の花はパシャリと音をたてて散る。陽の光に照らされた水滴はキラキラと煌めき、崩れるその様すらも「綺麗」だと、人々は足を止めていた。
トルクネリア王国、その王都は、隣接する国や地域からは「幸福の街」と呼ばれている。
青空には鯰のような細長い球形をした浮遊船が浮いていた。あれは隣国、マクナダ王国へと人々を乗せて運ぶ船だ。
魔法の力により、人のいう幸せな暮らしをつくる国。
この街を行き交う人々の表情は豊かだ。
しかしそんな王国にも、数年ほど前から得体の知れぬ「災い」が起こり始めた。
突如現れたその黒い靄は、はじめはただそこに浮かんでいた。空中を揺蕩うそれは、どういうわけか人に寄る。そして形あるものに触れると爆しい音と共に弾け、美しい街を破壊し、人も、物も、植物も、壊していった。
人々は恐怖を抱いた。王都では天候すらも魔法で緩やかなものとなったこの国では、久方ぶりの感情であった。
雷雲のような見た目のそれは、人しか持ち得ぬはずの魔力を含み、人を傷つける。
さながら御伽話の邪悪のようなそれを、人々は「魔塵」と呼んだ。
王都の中心部で、空を覆い隠し太陽の光を遮るほどの魔塵が蔓延る。魔法で生み出した水の防壁もその甲斐虚しく破られ、魔塵に触れた貴族の豪奢な邸宅はバチバチと火花をあげて触れたところから燃えていった。
「魔塵掃討部隊を早く呼べ!!」
「先程伝達魔法で救難信号を送りました!」
「誰か私の邸を!」
「遅いわよ!!」
人々は水を作り出し燃えた邸の消化に臨み、魔塵の被害がこれ以上拡大しないように必死に食い止めていた。しかしそれも水の泡のように意味のないものだ。
そこに轟々と音を立てて風が巻き起こる。
街路に植えられた白と桃色の花の花弁が風と一緒に浮き上がり、空の彼方へと消えた。
風は空中に漂う黒い靄を切り裂き、かと思えばそれを巻き込んで、竜巻のように空高く舞い上がる。
雨雲よりももっと黒い、見るだけでその場から逃げ出したくなるような竜巻は、街を飲み込んで暴れるかと思われた。しかしみるみるうちにその規模を収縮し、半分ほどの大きさになると突如炎を出して燃え、後には晴れ渡った空と静寂だけを残す。
王都の中心で起きたその現象は、遠巻きに見物していた町の人々にとって、燃えた邸の主にとって、災害ではなく救いの風である。
邸の外壁は焼けこげたが、魔塵は消え、炎は消火された。
竜巻があった場所の真下には、一人の魔法使いが立っていた。
紺色の布をはためかせ、険しい目つきをするその女性は、その容姿も相まって一見すると男性のように見える。握った手のひらを開いて閉じて、手遊びのようなそれは、しかし何か深刻な不具合を確認する行為のようだ。
「エア。どうかした?」
「いや。なんでもないよ」
魔法使いの元に、少年が駆け寄る。彼女は険しい目元を緩めると、ふわりと浮き上がった。二人は空中を散歩するかのように歩きながら、すぐにどこかの空に見えなくなる。
「さすが、一級魔法使い様だなあ」
「おい馬鹿、特定一級魔法使いだろ」
魔塵が払われるのを傍観していた街人が呟く。
「そうだった。でも貴族様のように威張らねえから、俺は好きだぜ」
「確かにな」
「でも最近、前より威力が弱くなったよな。前はもっと、メチャクチャな魔法で空にでっかい火花をあげたようだったのに」
「天下の魔法使い様も年には勝てないんじゃねえの。何歳か知らねえけど」
「それでも並の魔法使いよりは格段に強いからなあ」
人々は空を見上げて好き勝手に魔法使いの噂を呟いた。
「空気を操る魔法使い、エア・ムズル」と。




