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第二話 余韻

「ねえ、昨日の見た!? 渋谷の第4レイヤーでやってたゲリラバトル!」


「見た見た! あの黒い鳥みたいなARMSアームズでしょ? シュライクだっけ?バトルに現れるたびにバズりすぎて都市OSがログを消して回ってるらしいよ」


 登校中、ヒロの耳には昨日自分が引き起こした狂騒の残響が、絶え間なく飛び込んでくる。

 人々は網膜に張り付いた最新型のARコンタクトレンズを通し、目まぐるしく更新される情報の波を泳いでいた。廊下ですれ違う生徒たちの多くは、視線の焦点が現実の空間には合っていない。彼らの瞳の奥では、検閲を潜り抜けて動画サイトにアップロードされた昨夜の「盗撮ログ」が再生されているのだ。


「あの加速、ヤバくない? 物理エンジン無視してるでしょ」


「公式の競技フィールドと違って、街のオブジェクトを破壊しながら戦ってんのやべーよな!あのアングラ感、超シビれるんだけど!」


 ストリートでの無許可ゲリラバトル。それは、管理されすぎたこの街の若者たちにとって、最も刺激的で、最も「クール」な反社会行為だった。運営がログを削除すればするほど、シュライクの影は「伝説」として肥大化し、閉塞感に満ちた街の空気を、熱に浮かされたような期待感とグラフィティで塗り替えていた。


 だが、その狂騒の渦中にいるはずのヒロだけは、そんなスマートな世界に背を向けるように、前世代の遺物となった「ARグラス」を愛用していた。


 厚みのあるフレームは顔に重みを強いるし、レンズ越しに見る世界には常に物理的な境界線がつきまとう。それでも彼がこの旧式を捨てないのは、彼なりの小さな、しかし切実な世界への反逆心からだった。グラスを外せば、あるいは少しだけ指でずらしてレンズの隙間を覗き込めば、そこには「加工されていない世界」が残っている。それが彼にとっての救いだった。


「塗りつぶされてる」


 校舎裏の広場でグラスを少しだけずらす。レンズの向こう側――加工されていない現実の空は、分厚い雲が重く垂れこめ、光を失った鼠色がどこまでも続いている。だが、グラスを戻せば、世界は瞬時に爽やかなコバルトブルーに塗り替えられる。不快な情報はリアルタイムで検閲され、アスファルトのひび割れは美しい石畳に、雨の音は穏やかなアンビエント・ミュージックへ。


「ヒロ君、またそれやってる。目が腐っちゃうよ? あんまり現実ロウ・エリアなんて見ないほうがいいよ。それより昨夜のシュライク、動画見た? すっごいカッコよかったんだから。あんな風に、退屈な学校をぶっ壊してくれたら最高なのにね」


「……そうだね」


 ヒロは穏やかに微笑んで受け流した。クラスメイトたちが楽しげに校舎へ去っていくのを、薄い笑みを浮かべたまま見送る。


 一人になった瞬間、彼は深く息を吐いた。彼女らにとってシュライクは、退屈しのぎの派手な花火に過ぎない。自分たちが立っているこの「完璧な足場」を崩す覚悟など、誰も持ち合わせてはいないのだ。


(ぶっ壊す、か)


 もし、本当に街が「壊れた」ら、彼女たちはその後に露出する「鼠色の空」に耐えられるのだろうか。美化されたテクスチャもない、冷たく乾いたコンクリートの現実に。


 ヒロは無意識に、右手の指先を小さく動かした。昨夜、機体を通じて感じたあの「質量」が、まだ皮膚の裏側に残っている気がした。情報の繭の中で眠る人々には決して聞こえない、低く重い駆動音の幻聴を聴きながら、彼はゆっくりと歩き出した。


 その時だった。ニ階テラスから、ヒロの思考を力ずくで遮断するような影が飛び込んできたのは。



─────


「ひーろっ! 捕まえたぁ!」


ドサッ、という重い物理的な音と共に、ヒロの背中に確かな衝撃がのしかかった。


「……っ!? フ、フウカ?」


「正解、 相棒の登場よ! 今日のはどう?驚いた? 驚いたでしょ!」


 パーカーを羽織った少女――フウカが、背後から首に腕を回し、ヒロの頬に自分の顔を押し付けるようにして笑っていた。


「ちょっ、危ないだろ!? 普通に階段を降りてこいって……」


「そんなの、この瞬間のスリルに比べたらどうでもいいわよ! それに見てよ、この学校のARセキュリティ。パッチがガバガバよ」


「今の私はシステム上では『ただの落下物』として処理されてるわ。私、天才じゃない?」


 この街では学校間での生徒同士の交流が盛んで、簡単な事務手続きさえすれば、他校の生徒が校内に入り込むのは自然な光景だ。だが、フウカにとってその「正規ルート」は退屈の極致でしかない。


「……いいかい、フウカ。いい加減ゲストとして正式に入る権利を行使すべきだと思うんだよね。 手続きなんて数秒なのに」


「あなた分かってないわね。あんなの、システムに従順な『お利口さん』のやることよ。私は私のハックで、この街のルールをねじ伏せて入りたいの。見つからないように境界線を踏み越える。このゾクゾクする感じが、一番のスパイスなんだから!」


──このスリルジャンキーめ。


 管理された壁に自分だけの穴を穿つことに執着するフウカ。彼女は、灰色の現実に色彩を叩きつけるために機体を必要としていた。そしてヒロは、自分の内側の鼠色を吐き出すために、彼女の作る光の足場を必要としていた。


「さて、世間話はこんなところにして今日も『やる』わよ、シュライクの調整!」


 フウカはヒロの手を強引に引き、まだ生徒の残る校舎内へと突き進んでいった。


─────


 西日の差し込む、放課後の教室。二人の周囲には『自習中の生徒』というステータス偽装のパッチが重ねられていた。通りかかる者には、単に離れて座る平凡な二人が投影されているはずだった。だが、その内側は全くの別世界だ。


「──もう、いいから黙って繋ぎなさいよ。第3関節の出力グラフに僅かな遅延が出てたわ」


 フウカは椅子を極限まで引き、ヒロの鼻先が触れそうな距離まで詰め寄った。ARレンズの視界共有を開始すると、二人の周囲は情報の濁流へと変貌した。言葉を介さないコミュニケーション。それは、互いの演算リソースを共有し、融合させる行為に近い。ヒロにとって、この瞬間だけが孤独から解放される時間だった。


 その時だ。ガラッ、と勢いよく教室のドアが開いた。


 忘れ物を取りに偶然戻ってきたクラスメイト数人が、入り口で石化した。運悪く、データ修正のために偽装パッチの処理が重なった瞬間だった。


 隠蔽用の地味なホログラムがパッと掻き消え、現実の二人の姿が剥き出しになる。そこには、学校一の美少女が、ヒロの腕を抱え込み、吐息がかかるほどの至近距離で顔を見合わせている光景があった。


「——ちょっ、ヒロ君!? 何やってんの!?」


 クラスメイトが驚きの声をあげる。


「あ、いや、これは……」


 ヒロが赤面し気まずく言葉を濁すと、フウカは悪戯っぽく口角を上げた。彼女はヒロの腕を抱きしめるようにさらにぎゅっと絡みつき、満面の笑みを浮かべた。


「わ・た・し、ヒロくんの恋人なの♡ あーバレちゃったね!」


「「「こ、恋人ぉぉぉぉ!?」」」


 教室は一瞬で蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


「違います」


とヒロは弁明するが、フウカは


「昨日の夜はあんなに激しく『共同作業』したじゃない……」


 あぁ言えばこう言う!


 ──もう帰っていいかな、ヒロは呆れて声も出なかった。





 誰かさんのせいで嵐を巻き起こした教室を脱出し、二人は渋谷の地下街にあるARMSショップ『アンダー・レイヤー』へ向かった。地下へ下りるごとに装飾が剥がれ落ち、生々しい現実が露出してくる。


「おやっさーん、シュライクの調整データ、最終調整頼めるー?お代は美女のスマイルで!」


「おや、『もず』の飼い主たちが来たか。昨日『も』派手に暴れたな」


 カウンターの奥で、義眼の老主――「おやっさん」が笑う。ヒロはARの魔法がかかっていない剥き出しのパーツを手に取った。それは、都市OSが「ゴミ」として視界から消し去った歴史の残骸だ。


「じいさん、アップデートのたびにこういう『手触りのあるもの』が消えていくのはどう思う?」



「人々は清潔で安全な世界を望んだ。だがな、お前さんたちのARMSは、その『正義』に対する落書きだ。どんなに塗り固めても、その裏側には必ず、お前さんのような『バグ』が生まれる」


 フウカは古いアナログメーターを宝物のように眺めていた。


「私たちはね、おやっさん。システムに愛される『市民』になりたいわけじゃないの。この嘘くさい世界を、一瞬でもいいから私たちの色で染め上げたいだけ」



「ふふ、抜かしよる。」



─────


 最終調整を済ませ、地下街を出ると、街は「推奨される夕暮れ」に染まっていた。帰り道、ヒロは駅前のコンビニへとフウカを誘った。


「昨日の約束。プレミアム肉まん、奢るよ。二個ね」


「やったぁぁ! ヒロ愛してる!」


──近くの公園のベンチ。ヒロが肉まんを割ると、確かな「熱」を孕んだ湯気が溢れ出した。


「熱っ」


「ふふっ。ARじゃ再現できないのは、この体内を通る『熱量』よね」


 フウカはハフハフと頬張りながら、満足そうに瞳を輝かせる。ヒロはその横顔を見つめながら、とある少女――ARMSの世界に招いてくれた子のことを思い出していた。ある日、少女が忽然と消えた後、一時期、ヒロの世界は色彩を失った。


 だが、目の前のフウカは『彼女』とは違う魅力を持っていた。『彼女』の誘いがヒロ自身の世界の「捉え方」を変えてくれたのだとしたら、フウカは世界をヒロと一緒に遊び倒して変えてやろうという野心に満ちている。


「なによ、そんなに見つめて。一口欲しかった? 特別によ、はい!」


「……いいよ。というかもう一欠片しかないじゃん」


 二人の笑い声が夕暮れに溶けていく。過去の思い出はもうヒロを縛る鎖ではなく、今日を楽しく生きるための小さな隠し味のようになっていた。


─────



 夜の帳が下り、街は「完璧な星空」へと自動更新されると二人は学校の屋上へ戻っていた。警備ロボットをやり過ごし、フウカはヒロの膝の上に頭を乗せた。


「ねえ、ヒロ。いつか、この街のARを全部剥がしてさ。本当の、真っ暗な星空を見てみたいと思わない?」


 ヒロはフウカの柔らかな髪を撫でた。その重みは、演算では再現できない「質量」だった。


「ああ。そのためには、もっと大きなグラフィティを描かないとね」


 フウカの寝息が重なり始める。ヒロは偽物の星空を見上げながら、自分たちの機体――シュライクを思い描く。情報の繭を切り裂き、その向こう側にある鼠色の空を、自分たちの色で塗りつぶす。


 少年の唇に、小さな、確かな微笑みが浮かんだ。

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