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冷鉱泉につかってしまった!(水曜日)

 ――この物語の主人公(しゅじんこう)紺島(こんしま)みどりとは何者か?


 端的(たんてき)に説明すると……「週に一度(いちど)は『しまった』と(くち)にする高校一年生の女の子」となる。


 ゆえに紺島(こんしま)みどりは「今週のしまったちゃん」(りゃく)して「こんしまちゃん」の愛称(あいしょう)で親しまれている……!


 そんなこんしまちゃんだけど、その口癖(くちぐせ)のために心配されることも()()()()()()()


 毎週「しまった」と()うくらいなのだから……「もしかして、こんしまちゃんには心の余裕(よゆう)がないんじゃないか」と気にかけてくれる人もいるだろう。


 まあ実際のこんしまちゃんの心は全然(ぜんぜん)追い()められておらず平穏(へいおん)そのもので、むしろ秘境(ひきょう)()き水くらいには()みきっている……。


 とはいえ、こんしまちゃんは(つか)れを知らない超人(ちょうじん)じゃない。

 がんばりすぎたら(たましい)()け出るし、(あつ)いところに長時間いたらドロリと()ける。


 そこんところは普通(ふつう)の人間となんら(ちが)いない。


 よって――思いきり(はね)()ばしたいなあ~と()()()()()日があっても、だれがこんしまちゃんを()められよう……ッ!


 そんなわけで今回は――こんしまちゃんが、ただのんびりするだけの話だ。


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 長期休暇(きゅうか)の水曜日――。

 こんしまちゃんは、とある場所に向かっていた。


 なお、こんしまちゃんの(かよ)う高校では休暇(きゅうか)のあいだも登校しなきゃいけない日がけっこうあるんだけど……その水曜日はちゃんと休みだった。



 ことの始まりは、一日前(いちにちまえ)にさかのぼる……!


 あまりにも(あつ)くて、(からだ)のみならず(たましい)までもが溶解(ようかい)しかけていたので――。

 こんしまちゃんは「いっそ、もっとドロドロに()けることができればラクになれるのでは……?」と考えた。


 血迷(ちまよ)ったんじゃない……っ!

 暑い日に、あえて熱いものを食べる例の心理に近いだろう。


 このような()()()()()()()()経緯(けいい)により……友達(ともだち)をさそって「日帰(ひがえ)温泉(おんせん)」に()こうと思い立った、こんしまちゃん。


 クラスメイトの菖蒲(しょうぶ)佳代子(かよこ)さんと矢良(やら)みくりさんに連絡(れんらく)()れたところ、二人は「予定ないし、いいよ」と返してくれた。



 そんなわけで今週のこんしまちゃんは、菖蒲(しょうぶ)さん矢良(やら)さんと一緒(いっしょ)にグツグツの温泉(おんせん)に向かっているのだ……ッ!


 ただし現在、こんしまちゃんは車の助手席(じょしゅせき)(すわ)っている。


 友達(ともだち)二人は後部座席(こうぶざせき)(こし)かけている。

 表情が(かみ)(かく)れて分かりにくいほうが菖蒲(しょうぶ)さんで、ポニーテールのほうが矢良(やら)さんである……。


 じゃあ運転しているのは、だれなのか……?


 紺島(こんしま)()()()さんである。


 まふゆさんは……こんしまちゃんこと紺島(こんしま)みどりの、六歳(ろくさい)年上のお(ねえ)さんだ。


 こんしまちゃんの(かみ)はウェーブのかかった()()()なんだけど、まふゆさんの髪も同様の特徴(とくちょう)を持つ……!


 でも妹のこんしまちゃんよりも(かみ)が長く……。

 ウェーブの曲がり具合(ぐあい)一段(いちだん)とすごい。


 さらに決定的な(ちが)いもある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()


 厳密(げんみつ)には「しまった」と発音することはあるけど、それは心の底からの「しまった」とは(ちが)う。


 よって紺島(こんしま)まふゆさんが「今週のしまったちゃん」(りゃく)して「こんしまちゃん」と呼ばれた()()()はない……ッ!


 まふゆさんは、いいお姉さんだ。


 きのう、こんしまちゃんから「電車に乗って友達と日帰(ひがえ)温泉(おんせん)()くつもりだけど、だいじょぶかな……」と相談を受けたので、「だったらわたしが車で運ぶよ」と即座(そくざ)に答えた。


 まふゆさんは、こんしまちゃんの指定する温泉(おんせん)目指(めざ)して絶賛(ぜっさん)安全運転中……!


 一方、助手席のこんしまちゃんが、後ろの二人に話しかける。


「これから()く温泉……()高血圧(こうけつあつ)()くらしいよ……」


 なかなか耳寄(みみよ)りな情報ではある……ッ!

 ()し目がちに、菖蒲(しょうぶ)さんが返答する。


「そ、それは……うれしい効能(こうのう)だね……こんしまちゃん」

「助かるよっ! (かた)こりにも()くかな~」


 矢良(やら)さんも菖蒲(しょうぶ)さんに続いて、なかなか好感触(こうかんしょく)反応(はんのう)を見せる……!


 正直(しょうじき)、まふゆさんは女子高生(じょしこうせい)三人の会話にツッコミを()れたくて()()()()()()()()けれど……冷静に沈黙(ちんもく)を守っていた。


(たとえばわたしが「もっと女子高生らしい会話してよ~」とかツッコんだとする。でもそれって偏見(へんけん)じゃない? 「女子高生は()とも高血圧(こうけつあつ)とも(かた)こりとも無縁(むえん)である」っていうわたしの常識の()しつけだよね。女子高生が()高血圧(こうけつあつ)(かた)こりの話をして、なにかの罪に問われるの? 問われないよね。いやむしろ()の女子高生は()高血圧(こうけつあつ)(かた)こりについて、もっと熱く語ってもいいんじゃないのかな)


 きちんと安全運転を継続(けいぞく)しつつ……まふゆさんは、そう思っていたのだ……ッ!


(にしても、尻込(しりご)みせず()効能(こうのう)について語るとは、さすがみどり……! 友達(ともだち)二人もいい子たちだね。みどりの()うことを聞いても――受け()れて、話に乗ってくれている)


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 まふゆさんの運転する車が、うねった山道(やまみち)をのぼっていく。

 道路のそばの(みどり)()くなり、セミの声が無数に重なる。


 しかし唐突(とうとつ)に、こんしまちゃんがつぶやく……っ!


「しずかさや……いわにしみいる……せみのこえ……」


 なぜこんしまちゃんがこのタイミングでかの有名な『(おく)細道(ほそみち)』の名句(めいく)(くち)ずさんだかは分からぬ。


 たぶんセミの声がこんしまちゃんの全身を(ふる)わせてきたから、(むかし)国語の授業で習ったことが思い出されたんじゃないだろうか……?


 これを聞いて矢良(やら)さんは――


「暑くなる句だねっ」


 と感慨(かんがい)()らした。


 が、左隣(ひだりどなり)後部座席(こうぶざせき)(すわ)菖蒲(しょうぶ)さんは――


「そうなの……? 聞いただけで(すず)しくなる句だとわたしは思うなあ……」


 と正反対の感想を述べる……!

 直後、ハッとして菖蒲(しょうぶ)さんが口元(くちもと)を両手でふさぐ。


 モゴモゴ(あやま)ろうとする菖蒲(しょうぶ)さんに、矢良(やら)さんが屈託(くったく)のない笑顔(えがお)を向ける。


「へえ~、佳代子(かよこ)ちゃんとあたしとで感じ方が(ちが)っていて、おもしろいねっ」

「うん、そうだね……!」


 険悪なムードになることを危惧(きぐ)していた菖蒲(しょうぶ)さんは――矢良(やら)さんの(やさ)しい返しを聞いて、ほっとした。


「じゃあ矢良(やら)さん……風鈴(ふうりん)(おと)は、どうかな……っ! チリリリーン……! って聞いたら暑苦(あつくる)しかったりする?」

「そっちのほうは、ひんやりするねっ」

「……わあっ! そこは、おんなじなんだ……やったよ……わたし、勝負に出てよかったよ……」


 菖蒲(しょうぶ)さんのあごがちょっとだけ上がったので、口元(くちもと)のゆるんだその顔が普段(ふだん)よりも……よく()えた。


 結果、車内の雰囲気(ふんいき)がぐっと明るくなる。


 しかもこんしまちゃんに(いた)っては、矢良(やら)さんと菖蒲(しょうぶ)さんの会話に耳をそばだてながら、腕組(うでぐ)みをしてうなずいているではないか……ッ!

 なんか保護者みたいである。


 まさか、ここまで計算してこんしまちゃんは芭蕉(ばしょう)の名句をつぶやいたのか……?

 が、その真意はこんしまちゃん以外うかがい知ることのできぬ深淵(しんえん)にある……!


 ともあれ、なんか分からんけど幸先(さいさき)がいい。


 きっと、こんしまちゃんご一行(いっこう)さまは――。

 これから温泉(おんせん)で、とろけるくらいにリラックスできるに(ちが)いあるまい。


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 まふゆさんが車をとめたのは、山の中腹(ちゅうふく)よりも少し上にある無料(むりょう)駐車場(ちゅうしゃじょう)だった。


 車のドアをあけると共に、日差(ひざ)しが(はだ)()す。セミの声が大きくなる。むわあっ……とした空気がみんなの全身にまとわりつく。


 こんしまちゃんと菖蒲(しょうぶ)さんと矢良(やら)さんは帽子(ぼうし)をかぶり、まふゆさんは日傘(ひがさ)を差した。


 アスファルト舗装(ほそう)の駐車場を歩いていき、目当(めあ)ての日帰(ひがえ)温泉(おんせん)に向かう……ッ!


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 ――その日帰(ひがえ)温泉(おんせん)施設(しせつ)の外観は、なかなかに味があった。


 赤茶(あかちゃ)けた木造(もくぞう)平屋(ひらや)……っ!

 向かって左から右にすべる片流(かたなが)屋根(やね)を、赤いかわらで()()()()()


 セミの声に()じり――。

 小鳥の優雅(ゆうが)なさえずりが、どこからともなく(ひび)く……!


 よく見ると屋根の頂上で、金色(きんいろ)のカラスの(ぞう)雄々(おお)しく(つばさ)を広げている。


 だが……ッ!


 (おそ)ろしいことに、()()()()()()()()()()()が建物の()(ぐち)の前に用意されていた。


 ――「本日(ほんじつ)休業(きゅうぎょう)」の看板(かんばん)である。


 ちなみに、縦書(たてが)きだ。


 赤茶色(あかちゃいろ)()看板(かんばん)()った白い紙の上に、黒く太い筆致(ひっち)でその漢字四つをしるしているのだ……っ!

 しかも達筆(たっぴつ)で読みやすい。ふりがなも()ってある。


「ひ、ひええ……しまった……っ!」


 そんな(ふる)(ごえ)(はっ)したのは、()うまでもなく――こんしまちゃん。


 こんしまちゃん、まさかの擁護(ようご)できない()()()()……っ!


 紺島(こんしま)みどりは……みずから日帰(ひがえ)温泉(おんせん)企画(きかく)し、友達をさそった。

 事前に温泉施設(しせつ)を指定し、姉のまふゆさんに連れていってもらった。


 当然こんしまちゃんは、(とう)施設の公式サイトをチェックしている。

 ゆえに……そこに()高血圧(こうけつあつ)にも()く温泉があると知っていたわけだ。


 にもかかわらず、きょうが休業日(きゅうぎょうび)(いな)かの確認をおこたった。

 公式サイトをもうちょっと注意(ぶか)く見ていれば、すぐに分かった情報だったのに……。


 猛省(もうせい)するこんしまちゃん……!


 セミの声が、鼓膜(こまく)と全身に()()()()


 よほどショックだったのか――。

 こんしまちゃんは脱帽(だつぼう)した。


「ごめん……みんなをがっかりさせちゃった……」


 帽子(ぼうし)(むね)に当て、しょんぼりする。

 しかし、この場にいるほかの三人がこんしまちゃんを()めることはなかった……。


 あたふたした菖蒲(しょうぶ)さんも、みずから帽子(ぼうし)をとった。


「こ、こんしまちゃんだけが悪いわけじゃないよ……っ! わたしたちだって()くところ知ってたのに、温泉(おんせん)が休業してるか確認してなかったし……」

佳代子(かよこ)ちゃんの()うとおりだね」


 そう(くち)にした矢良(やら)さんが、こんしまちゃんと菖蒲(しょうぶ)さんに続いて脱帽(だつぼう)する。


 かくして、こんしまちゃんと矢良さんと菖蒲さんは――それぞれの帽子を前方に差し出し、(たが)いに()()をふれ合わせた……ッ!


 意図(いと)不明瞭(ふめいりょう)だけど、美しい光景であるのは間違(まちが)いない。


 そんな三人の行動を、日傘(ひがさ)を差した()()()さんがじっと見守っていた。

 (かさ)を持っていないほうの手で、なにやらスマートフォンをあやつりながら……。


 つまり片目(かため)で三人を凝視(ぎょうし)し、もう片方(かたほう)の目でスマートフォンの画面を見るという器用なことをやっていたのだ。


 しかし……まふゆさんは、まったく(どう)じていない。

 もちろん、前もって休業のことを知っていたわけじゃない。



 いいお姉さんだから、こんしまちゃんのことをあったか~く見守っているのか? ……それもある。


 でも、まふゆさんには別の一面(いちめん)(かく)されている。


 まふゆさんには――()()()()()()()()()()()という姉としての根源的(こんげんてき)欲求(よっきゅう)宿(やど)っているのだ……!


 中学生のころ、まふゆさんは小学生のこんしまちゃんに対して……ある悪魔的(あくまてき)な計画を実行したことがある。


 わざと冷蔵庫(れいぞうこ)目立(めだ)つところに自分で買ったプリンを置き、それを賞味(しょうみ)期限(きげん)ぎりぎりまで放置したのである……ッ!


 これぞ、まふゆさんの高度なプリン・トラップ……(半分マッチポンプ)


 妹のこんしまちゃんがうっかりプリンを食べたとき、作戦が発動する……(はずだった)

 その瞬間(しゅんかん)、「あーっ! みどり、わたしのプリン食べたでしょ~」という王道のセリフをはき……さらには、うなだれる妹を無条件(むじょうけん)(ゆる)し、あまつさえ(やさ)しく抱擁(ほうよう)するという……そんなシチュエーションの実現をまふゆさんは妄想(もうそう)していたのだ……っ!


 でも、こんしまちゃんは(わな)にかからなかった。

 都合(つごう)三回、まふゆさんは同じようにプリンを冷蔵庫に仕込(しこ)んだが……ことごとく作戦は失敗に終わった。


 確かにこんしまちゃんは立派(りっぱ)なうっかりガールなんだけど……なんか、きょうだいのプリンを食べるという許されざる大罪(たいざい)(おか)すような……そういうことだけは、しないのである。


 まふゆさんは、そんなこんしまちゃんが(ほこ)らしかった。

 同時に、もっと迷惑(めいわく)をかけてほしいなーとも思っていた。


 さすがに、まふゆさんも……こんしまちゃんに(わな)仕掛(しか)けることは、もうない。

 プリン・トラップは、若気(わかげ)(いた)りの(いち)ページにすぎぬ……。


 それでも……心のどこかで、いや、あちこちで……妹に迷惑(めいわく)をかけられたいという欲望(よくぼう)肥大(ひだい)していたのだ。


 だから、まふゆさんは今回こんしまちゃんが休業日の確認をおこたったことに対して――。

 ()()()()()()()()()()()()()


 妹のこんしまちゃんが()()()()()していることは、確かに悲しい。

 でもそれ以上に、妹のために無駄(むだ)な運転ができたことが……とてもうれしかったのだ。


 もちろん、まふゆさんだって休業日の確認をしなかったのは事実。

 よってこんしまちゃんに一方的(いっぽうてき)に迷惑をかけられたと考えるのは拡大(かくだい)解釈(かいしゃく)()()()


 そんな微妙(びみょう)なシチュエーションも合わせて、まふゆさんは(たの)しんでいた。


 そしてまふゆさんの欲は……まだ完了(かんりょう)していない。

 傷心(しょうしん)の妹を(やさ)しく()やすまで、姉としての欲望は完遂(かんすい)しないのだ……ッ!



「……みんな~」


 (まん)()して、まふゆさんが動く。


「代わりに冷鉱泉(れいこうせん)()かない?」


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


「……れいこうせん?」


 こんしまちゃんと菖蒲(しょうぶ)さんが着帽(ちゃくぼう)しながら、まふゆさんの言葉をくりかえす。


「ま、まさか……」


 それは、こんしまちゃんにとって聞き慣れない言葉だった。

 こんしまちゃんが、言葉の(ひび)きからその正体を思いえがく……。


「……『れいこうせん』って、『(れい)光線(こうせん)』のこと……? つまり冷たい光線。ヒエッヒエのビームを(からだ)に当てて暑さから解放(かいほう)される施設(しせつ)……?」

「ち、(ちが)うんじゃないかな……こんしまちゃん」


 菖蒲(しょうぶ)さんが、やんわりとツッコむ。


「……『れい』とは、英語で(アール)(エー)(ワイ)……すなわち光線。よって『れいこうせん』という言葉は同じ単語が二つ(なら)んで構成されているも同然……っ! その正体は『光線光線(こうせんこうせん)』とわたしは見た……」

「おもしろい解釈(かいしゃく)だねっ! こんしまちゃんに佳代子(かよこ)ちゃんっ」


 矢良(やら)さんも帽子(ぼうし)をかぶりなおし、あたりのセミに負けない声量(せいりょう)を出す。


「まふゆお(ねえ)さんが言った『冷鉱泉(れいこうせん)』っていうのは、二十五度未満(みまん)()き水のことだよっ。漢字で『(つめ)』たい『(こう)(ぶつ)の『(いずみ)』って書くよん」

「へ、へえー」


 菖蒲(しょうぶ)さんがあごを引き、やや上目(うわめ)づかいで矢良(やら)さんを見る。


「じゃ、冷鉱泉(れいこうせん)温泉(おんせん)じゃないんだ?」

「いや冷鉱泉も温泉のうちっ! 特定の物質が(ふく)まれていれば()()()()()()()()()()だよっ」


「……それ、学校のプールくらいの水温(すいおん)じゃないの? あったかくないなら温泉じゃなくない? 温泉って『(あたた)』かい『(いずみ)』って書くし……」

「そこは『温泉法(おんせんほう)』という法律で決まっているから、しょうがないんだ……」

「マジなんかい……極端(きょくたん)なこと言ったら、水温一度(いちど)とかでも特定の物質? ……が(ふく)まれていれば温泉になりそうじゃん……もはや温泉じゃないじゃん。でも法律だから(したが)わざるを()ないじゃん」



 ――なんにせよ。


 いつまでも「本日(ほんじつ)休業(きゅうぎょう)」の看板の前で話しているのもなんか迷惑(めいわく)かもしれないし……暑いし……冷鉱泉(れいこうせん)というのも気になるし……。

 まあ、そういう()()()()の理由によって――。


 こんしまちゃんと矢良(やら)さんと菖蒲(しょうぶ)さんは、まふゆさんと共に車に(もど)った。


「でも矢良(やら)さんが、そこまで温泉に(くわ)しいなんて……」


 助手席に(すわ)ってシートベルトを()めながら、こんしまちゃんが(くち)をひらく。


「温泉ソムリエになれそうだね……?」

「いやいやっ、あたしのはニワカ知識だよっ」


 右側の後部座席(こうぶざせき)矢良(やら)さんが、てへへと笑う。


「きのう、こんしまちゃんが『この日帰り温泉に()く』って知らせてくれたよねっ。だからあたし、なんとなく『周辺にほかの温泉あるのかな~』って調べたんだっ。すると、この温泉がある山の反対側(はんたいがわ)中腹(ちゅうふく)冷鉱泉(れいこうせん)施設(しせつ)があるのを発見したわけ。そういう流れで、冷鉱泉ってなんだろうな~って思って、ちょいとニワカ知識を吸収(きゅうしゅう)した次第(しだい)


 ついで矢良さんが、運転席のまふゆさんに声をかける。


「……まふゆお姉さんがこれから()こうとしている冷鉱泉(れいこうせん)も、ここから反対の中腹にあるやつじゃないでしょうか?」

「……そだよ、矢良(やら)ちゃん」


 全員のシートベルトが()まっていることを確認し、まふゆさんが車を発進させる。


「さっきスマートフォンで確認したけど、この冷鉱泉(れいこうせん)……今からでも入浴(にゅうよく)できるっぽい。もちろん、予約が不要(ふよう)日帰(ひがえ)りオッケー。ちゃんと公的な許可もとってるみたいで安心」


 というわけで無料(むりょう)駐車場(ちゅうしゃじょう)から出て、そっちに向かう。

 まふゆさんがカーブを曲がりながら……だれにともなく、つぶやいた。


「でも(ひと)つの山で冷たい()(みず)(あたた)かい湧き水が出るなんて……なんか心がくすぐられるよね」



 予定していた温泉には(はい)れなかった、ご一行(いっこう)

 まあでも……そんな日だって悪くない。


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 日帰(ひがえ)冷鉱泉(れいこうせん)には、二十分(じゃく)で着いた。


 その施設(しせつ)の近くにも無料(むりょう)駐車場(ちゅうしゃじょう)があったので、まふゆさんは車をそこにとめる。


 こちらの駐車場の表面(ひょうめん)はアスファルトではなく、(すな)だった。

 こんしまちゃんたち四人はセミの元気な鳴き声を聞きつつ、冷鉱泉の施設に向かう。


 ()たして、その外観は――。


 薄茶色(うすちゃいろ)木造(もくぞう)平屋(ひらや)だった。

 谷のように折れ曲がった()()()()()バタフライ屋根の上に、青いかわらが()()められている……!


 さっきの休業(ちゅう)だった温泉施設に比べて、鳥のさえずりは聞こえてこない。

 もっぱらセミの声ばかり。


 ただ、バタフライ屋根のへこんだ部分の中心に、銀色(ぎんいろ)のウサギの(ぞう)(こし)を下ろしている。

 不敵(ふてき)面構(つらがま)えである……ッ!


 ともかく、こっちの建物の()(ぐち)に「本日(ほんじつ)休業(きゅうぎょう)」の看板は見当(みあ)たらない。


 代わりに……入り口のそばにデカデカと横書きの看板が置かれている。

 看板には、「冷鉱泉(れいこうせん)をバズらせろ!」というカラフルな文字列(もじれつ)個性(こせい)(ゆた)かに書かれてあった。


 そして入り口の前で、もっと目を引く光景が展開(てんかい)されている。


 たぶん傘寿(さんじゅ)(むか)えたくらいの女性が、ひしゃくを使って水をまいている。

 水が地面を()らすたび、砂にまだらの模様(もよう)()き出る。


 どうやら女性は()(みず)をして、あたりの気温を下げているらしい。


 藍色(あいいろ)をした薄物(うすもの)和服(わふく)を着こなしている。

 きれいな霜髪(そうはつ)を低い位置に()い、キキョウの(かざ)りのついた()()()()()している。


「すみません……」


 こんしまちゃんが、和服の女性に(はな)しかける。


日帰(ひがえ)冷鉱泉(れいこうせん)につかりたいんですが……」

「そうですか、歓迎(かんげい)いたします」


 ()ち水をやめ、女性がこんしまちゃんにお辞儀(じぎ)をする。

 顔を上げて、えくぼを見せる。


「四名さまですね。どうぞ、お上がりください」


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 お(かね)(はら)って手続きを済ませ、こんしまちゃんたちは和服の女性についていく。


 案内(あんない)された建物のなかは、けっこう(すず)しい。

 薄茶色(うすちゃいろ)廊下(ろうか)をゆっくり歩く、こんしまちゃんと菖蒲(しょうぶ)さんと矢良(やら)さんとまふゆさん……。


 廊下には、ちり(ひと)つ落ちていない。

 でも見たところ……ほかのお客さんの姿はない。


「あのう……」


 菖蒲(しょうぶ)さんが、おずおずと和服の女性にたずねる。


「気になってしかたないんですが、()(ぐち)のそばの『冷鉱泉(れいこうせん)をバズらせろ!』という看板は……いったい、なんだったんですか……?」

文字(もじ)どおりの意味ですよ」


 和服の女性がちらりと菖蒲(しょうぶ)さんに目を向けて、やわらかに()う。


()()()()()()が巻き起これば、ここも繁盛(はんじょう)するかと期待していまして」

「……インフルエンサーや有名な人が紹介(しょうかい)してくれれば、ワンチャンありそうですね……っ!」


「わたくしも冷鉱泉(れいこうせん)をバズらせようと動画(どうが)投稿(とうこう)サイトやティック・タック・テック・トックで活動しているのですが……なかなか効果(こうか)()ず。お(じょう)さんは、ティック・タック・テック・トックをやっていらっしゃいますか」

「いえ、ティック・タック・テック・トックは、やっていません……!」

「そうですか……」


 女性が小さく、えくぼを作る。


「まあ、わたくしのことはお気になさらず、存分(ぞんぶん)(すず)んでくださいな……」


 そして「女湯(おんなゆ)」という「()()()」のかかっている部屋の前でとまる。


()と書いてありますが、湯というよりは水ですのでご安心を。水温は二十四度くらいで、冷鉱泉(れいこうせん)(はじ)めてつかるかたにも、おすすめです。そして成分としては二酸化炭素(にさんかたんそ)(ふく)まれています。ようは炭酸(たんさん)ですね。……さて、ご質問はありますでしょうか」

()にも()きますか……?」


 そう聞いたのは、こんしまちゃん。

 和服の女性はノータイムで返答する。


「少しだけ効果はあります。しかし、ほかの温泉(おんせん)冷鉱泉(れいこうせん)のほうが効果があると思います」

高血圧(こうけつあつ)(かた)こりは、どうです……」

「それらを()やす場合でも、もっといいところがあります。たとえば……この山の反対側の中腹(ちゅうふく)に、人気(にんき)日帰(ひがえ)り温泉が存在(そんざい)しますよ」


 だが。

 こんしまちゃんと女性とのやりとりを聞いて、菖蒲(しょうぶ)さんは思った。


 なんか……「正直すぎる気がする」と。


効能(こうのう)についてウソを()ったらだめなのは当然なんだけど……いちいち、よそと比較(ひかく)していたら、せっかく(おとず)れたお客さんも()()()()するんじゃないのかなあ……)


 とはいえ(はじ)めてここに来た自分がこの気持ちを(くち)に出すのも失礼な気がする――そう考えた結果、菖蒲(しょうぶ)さんは(だま)っているしかなかった。


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 ともあれ女湯(おんなゆ)の「のれん」をくぐり、ついに四人は冷鉱泉(れいこうせん)(はい)る……ッ!


 それは――岩で囲まれた湯船(ゆぶね)を持つ、大きな露天(ろてん)風呂(ぶろ)であった……!

 周囲は薄茶色(うすちゃいろ)(かべ)で囲まれている。


 四方(しほう)を見回すと、一方(いっぽう)には青いかわらを()せたバタフライ屋根の谷が見える。

 それ以外の三方(さんぽう)の壁の上では、(みどり)の葉っぱがそよいでいる。


 昼下(ひるさ)がりの太陽光が、湯船にたたえられた無色透明(とうめい)水面(すいめん)に反射する。


 ()()()()()()()()()えず(ひび)く。


 (いな)……ッ!

 耳を()ましてみると――そのなかに、チリリリーン……! という(おと)もまぎれ()んでいるのが分かるはずだ。



 冷鉱泉(れいこうせん)につかる前に、こんしまちゃん、矢良(やら)さん、菖蒲(しょうぶ)さん、まふゆさんは(あら)()で身を(きよ)める。


 洗い場には、シャワーも取りつけてあった。

 シャワーからは、れっきとしたお()が出た。



 その()、こんしまちゃんが慎重(しんちょう)湯船(ゆぶね)に近づく。

(なお四人のほかにお客さんはいないので、その行動を不審(ふしん)がる者もおらぬ……)


 湯船を囲む岩のなかでも、とくに小さな岩に右手を()え――。

 左手の中指を、そっと水面(すいめん)()()れる。


「ほわああ……」


 その(はじ)めての感覚により……。

 こんしまちゃんの(くち)から、思わず感動の言葉がこぼれてしまったようだ……!


 こごえるほどの冷たさじゃない。

 熱湯(ねっとう)でもなく、ぬるま()でもなく……ほどほどに(すず)しげな感覚が左手の中指からこんしまちゃんの全身を()けめぐった……ッ!


 今や、こんしまちゃんの体内と体表(たいひょう)は「(りょう)」に支配されているのだ。


 こうやって、みずからの(からだ)に水温を教えたあと。

 こんしまちゃんがその足を、ゆっくり湯船(ゆぶね)にひたす。


 のぼってくる「(りょう)」を楽しみつつ、こんしまちゃんが冷鉱泉(れいこうせん)に身を(しず)ませる……!


 お()()けた全身の(あせ)が、さわやかな水にふれるたび……はじけ飛ぶッ!


 そして水底(みなそこ)(こし)を落ち着けてから……。

 こんしまちゃんは(すず)やかな声で、こう口走(くちばし)ったという。


「りょ~」


 まるで草笛(くさぶえ)のように(かろ)やかな(ひび)きであった。


 が、その瞬間(しゅんかん)……こんしまちゃんの左隣(ひだりどなり)にまふゆさんが腰を下ろした。


「みどり~。わたしも冷鉱泉(れいこうせん)つかるの(はじ)めてなんだけどさ~、まさに『(りょう)』って感じで気持ちいいね~」

「……しまった。お姉ちゃん……わたし、(くち)で『りょ~』って言ってなかった……?」

「どうかなあ。セミの声に気を取られていたから、分かんないや」


 (なら)んで(すず)む、こんしまちゃんとまふゆさん。


 えー、日差(ひざ)しのせいで頭とか(かた)とか暑いんじゃないのー? と心配するかたもいるだろうけど……だいじょうぶである。


 きれいな霜髪(そうはつ)を持つ、あの和服の女性が……入浴用(にゅうよくよう)帽子(ぼうし)を貸してくれたからだ。


 つばの広い、()れても問題ない帽子である。

 おかげで、こんしまちゃんもまふゆさんも、帽子の(かげ)のなかで(りょう)()がさずに済んでいるのだ。


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 もちろん、菖蒲(しょうぶ)さんと矢良(やら)さんも……その帽子をかぶっている。


 湯船(ゆぶね)に長い(かみ)をつけないよう、菖蒲さんは髪を()わえたうえで着帽(ちゃくぼう)している。


 そんな菖蒲さんの右隣(みぎどなり)に、ポニーテールの矢良さんがやってきた。

 矢良さんは、しばし無言(むごん)冷鉱泉(れいこうせん)につかっていた。


 菖蒲(しょうぶ)さんは(かた)まで水面下(すいめんか)(しず)ませて、矢良(やら)さんに話しかけた。


「水だよね、これ……。さっぱりしてて、(ほね)(ずい)まで(あら)われるようだけど……『湯船(ゆぶね)』って()うのは違和感(いわかん)ない……? これじゃ、『水船(みずぶね)』だよね?」

「確かにっ。(すず)しいもんね~。……はあ、いわゆる水風呂(みずぶろ)ともまた(ちが)った味わいだよっ」


 ここで、チリリリーン……! という(おと)が二人の耳に(はい)った。


佳代子(かよこ)ちゃんっ。これ、風鈴(ふうりん)が鳴ってるんだよねっ」

「うん……そだね。セミの声にまぎれて聞こえづらいけど……やっぱり、この(ひび)きを(ひろ)っただけで暑さがちょっと飛ぶ」

「セミの(おと)の重なりに、飲まれている感じがするねっ」


 そう言って矢良(やら)さんも、上半身(じょうはんしん)(かた)まで(しず)ませる……。


佳代子(かよこ)ちゃん、あたしさ……ここに向かう途中(とちゅう)で、『しずかさや、いわにしみいる、せみのこえ』は『暑くなる()』だって言ったよね?」

「うん……」

「でも、こうしてセミの声に囲まれながら(すず)しさに()()()()()()()と……なんていうかなっ。心の(ふる)えが静かになっていく」


 水面(すいめん)から立ちのぼる涼風(すずかぜ)が、(はだ)をなでる。

 水中で(からだ)をゆらすと、ほどよく冷たい流れができる。


 皮膚(ひふ)にじんわり「(せい)」がしみ()む。


「この冷たい(せい)が、セミの声の(しず)かさと重なって……(すず)しさの(つら)なりを生んでいるんだよっ! これを思うと……佳代子(かよこ)ちゃんが例の句を聞いて『(すず)しくなる』と言ったのも分かるような気がしてきたんだ~」

「……や、矢良(やら)さん。そこまで考えるんだ……っ」

「……『みくり』でいいよ」


 矢良(やら)さんは横目(よこめ)菖蒲(しょうぶ)さんを見る。


「ほらっ! あたしの(した)の名前、なんか(すず)しげじゃないかなっ。言葉にすると、(すず)しくなれるよ~」

「で……でも、こんしまちゃんも矢良さんのこと矢良さんって呼んでるし、いいのかな……」


「いいんだって。呼び方は人それぞれなんだからっ。ただ、なんとなく……佳代子(かよこ)ちゃんには、あたしを『みくり』って呼んでほしいと思ったんだっ」

「そ、そう……じゃあ」


 帽子(ぼうし)のつばで顔を(かく)しつつ、菖蒲(しょうぶ)さんが小さな声で呼ぶ。


「……み、みくりちゃん」

「わあっ! 思った以上にいい(ひび)きっ! (すず)しくなった?」

相殺(そうさい)されてる……っ」


 どういうことかというと――。

 菖蒲(しょうぶ)さんは()ずかしくなって顔を赤らめてしまったんだけど……でも「みくり」という名前を呼んで(すず)しくもなったので……温度はプラマイゼロに落ち着いたということらしい。


 でも、これに静かなセミの声と、チリリリーン……! という風鈴(ふうりん)と、ほどよく(すず)しい冷鉱泉(れいこうせん)が合わされば……。


 きっと菖蒲(しょうぶ)さんの心は――。

 ちょうどいい(おだ)やかな水温で、()たされるだろう。


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 で、こんしまちゃんとまふゆさん姉妹のほうだけど。


 まふゆさんがこんしまちゃんに、いきなりカミングアウトし始めた……!


「なんか(すず)しいところに……つかっていると、冷たいプリンを思い出すよ。わたし中学のときさ~、(いえ)の冷蔵庫にわざとプリンを置いてたんだよね~。そんで、それをみどりが食べたら、おこったフリするつもりだったんだ。そのあと許すところまでをワンセットで妄想(もうそう)してた。(わか)かったとはいえ、よくなかったな~。ごめんね、みどり」

「……そんなこと、あったかなあ?」


 どうやら……こんしまちゃんの記憶(きおく)には、ないらしい。

 こんしまちゃんは目の前の透明(とうめい)な水を両手で()みつつ、まふゆさんに()う。


「でも、なんでプリン・トラップを……?」

迷惑(めいわく)、かけてほしかったから」


「わたし……ずっと迷惑かけてると思うけど……きょうだって……」

「そうかもね。だから、きょう……みどりと出かけることができて、うれしかったんだよね」


 ついで、まふゆさんが矢良(やら)さんと菖蒲(しょうぶ)さんのほうを見る。

 二人は、やや遠くの岩のそばで首から(した)(しず)めている。


「高校生になった()()()にも、いい友達(ともだち)がいるって分かったし……もう思い残すことはないよ」

「お姉ちゃん……ちょっとは思い残して……」

「……へえー? みどり、お姉ちゃんに(さか)らうんだあ~?」


 冗談(じょうだん)めかしたトーンで、まふゆさんが「ふふっ」と笑う。


「わたしをむっとさせるの……『しまった案件(あんけん)』かもしれないよ~」

「いいや……これは、しまった案件じゃないよ……」


 こんしまちゃんが水面下(すいめんか)から両手を少し持ち上げ、水を()り上げる……ッ!


「わたしのせいでお姉ちゃんに思い残しが生まれたら……それは、わたしがお姉ちゃんに迷惑をかけたことになる……! つまりお姉ちゃんの望みどおりの展開……っ!」

「ふへへ……」


 まふゆさんが、なんか変な笑声(しょうせい)()らす。


「そっかあ……それは、悪くないなあ。まだまだ、わたし……みどりに期待しちゃおっかな~」

「その期待を裏切(うらぎ)る未来までがワンセット……!」

「ふーん。完全にお姉ちゃんに迷惑(めいわく)をかけないようになっちゃうってこと?」


 ここで、まふゆさんが両手でパシャパシャと顔を(あら)った。


「そりゃ最高の大迷惑(だいめいわく)だ」

「……墓穴(ぼけつ)()ったね……お姉ちゃん……!」


 そしてこんしまちゃんも、姉に()られてパシャパシャ洗顔(せんがん)(およ)ぶ。


「お姉ちゃんこそ、『しまった案件』かも――」

「――いや、これは『してやったり』のほう」


 まふゆさんは顔を(あら)うのをやめ、帽子(ぼうし)の向こうの太陽を見た。


「だってわたしは、『紺島(こんしま)まふゆ』であって『こんしまちゃん』じゃないからね」


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 こうして……こんしまちゃん、まふゆさん、矢良(やら)さん、菖蒲(しょうぶ)さんの四人は(はじ)めての冷鉱泉(れいこうせん)を終えたのだった。


 冷鉱泉から上がって女湯(おんなゆ)の「のれん」をくぐったとき……。

 例の傘寿(さんじゅ)(むか)えたとおぼしき和服の女性が、冷たい水を四人に差し出した。


 それは冷えた炭酸水(たんさんすい)だった。

 細かく(あわ)がはじけ、口内(こうない)でほおをたたき、爆発(ばくはつ)しながらのどをすべる。


「かあーッ! うますぎるんだけど!」


 菖蒲(しょうぶ)さんも高校でのキャラを忘れて、炭酸水を胃に流し()む……っ!

 和服の女性が、菖蒲さんに言う。


「これは、ここから()いている冷鉱泉(れいこうせん)の水ですよ。ちょっと冷やしていますけれど」

「……そういえば、二酸化炭素(にさんかたんそ)(ふく)まれているって話でしたね……」


「……今の映像(えいぞう)、ティック・タック・テック・トックに投下(とうか)しません? バズると思いますよ」

「いえ……わたしは……その、ちょっとそういうのは……やるなら、別の方法で」


 カラになったコップを見下(みお)ろし、菖蒲(しょうぶ)さんが和服の女性に視線を向ける。


「ところで……ここ、とっても、いいところだと思います」


 少々うつむき加減に、菖蒲さんが言葉を続ける。


「この季節だと、とくに(すず)しくて……さわやかで……冷たくて……さっぱりしていて(おだ)やかで、心までが静かになるっていうか……もっと()()()べきです、冷鉱泉(れいこうせん)!」

「もったいない言葉です」


 女性は菖蒲(しょうぶ)さんの手から、カラになったコップを預かる。


「でも、気をつかっていただかなくても……だいじょうぶです。みなさん、本当は反対側の中腹にある温泉施設(しせつ)を目指して来たのでしょう? でも休業日だったから、代わりにこちらに()()()()だけ……(ちが)いますか」

「気づいていたんですか……それでも、わたしはもう一度(いちど)ここに来ると思います。そう、らいしゅ……」

「……来年でいいです」


 菖蒲さんが言いきるよりも前に、女性が静かに言葉をかぶせた。


「そしてわたくしが生きていたら……また、おいしそうに水を飲んでくださいませね」

「……はい、約束します。……あと余計(よけい)なお世話(せわ)かもしれませんが……」


「言ってください」

「ここは、ここで()()()()()ところですっ! ……どこかと比べて、こっちのほうが(した)とか……わたしは、まったく思いません。唯一(ゆいいつ)無二(むに)です……もはや代わりじゃありません……だからわたしは……きっかけが偶然(ぐうぜん)だったとしても、ここに来られてよかったと断言します……っ」

「そうですか……それは、大変もったいない――」


 和服の女性はここで声を切り、えくぼを見せて言いなおす。


「いえ。――それは、とてもうれしい言葉です」


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 ともあれ四人は「お風呂(ふろ)炭酸水(たんさんすい)(すず)やかで最高でした! ありがとうございました」と言って冷鉱泉(れいこうせん)を去る。


 当初の予定とは(こと)なり、こんしまちゃんがドロドロに()ける展開はなかったけど……。

 とりあえず、のんびり楽しく過ごせたのだから……よしとしよう。


 もうお金は支払(しはら)っているので、あとは帰るだけだ。


 しかし、こんしまちゃんたちが建物の()(ぐち)から出たところで()り向くと――。

 藍色(あいいろ)をした薄物(うすもの)和服(わふく)を着て、()()にキキョウのかんざしをつけた()()()()が入り口から姿を見せた。


「わああっ! タイムスリップしちゃった!」


 こんしまちゃんが(おどろ)きの声を上げる。

 が、その女性は(あわ)ててこんしまちゃんに謝った。


「ごめんね。わたしがおばあちゃんと同じ格好(かっこう)をしてたから、混乱(こんらん)させちゃったんだよね……」

「しまった……そういうことだったんですか……」

「わたしは、おばあちゃんと一緒(いっしょ)に働いています。それで……ひと(こと)だけでも、みなさんに感謝がしたくて」


 彼女(かのじょ)が事情を説明する。


「実は、おばあちゃん。今年(ことし)冷鉱泉(れいこうせん)をたたむつもりだったんです。でもみなさんがいらっしゃったことが、とてもうれしかったようで……『まあ来年までは続けてみようかな』って言ってくれたんです。だから、ありがとうございます」


 ついで、頭を下げる。

 五秒後、頭を上げる。右手のこぶしをかわいらしく()り上げる。


「でも、そうと決まったら、向こうの中腹にある温泉に負けてられませんっ! よーし、『冷鉱泉(れいこうせん)をバズらせろ!』 おおー!」


 それは入り口のそばの、デカデカとした看板に書いてある文句(もんく)だ……。

 これを目に入れて――。


 なぜか、こんしまちゃんも、まふゆさんも、矢良(やら)さんも、菖蒲(しょうぶ)さんも――。

 右手で天を()いていた……!


「「「「冷鉱泉(れいこうせん)をバズらせろ!」」」」


※ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


☆今週のしまったカウント:三回(累計(るいけい)三十三回)

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