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数学の集合で自分を見つめなおしてしまった!(木曜日)

 全人類(ぜんじんるい)が疑問に思っていることがある。

 それは――


「世界には、一週間(いっしゅうかん)一回(いっかい)以上『しまった』と言ってしまう生き物がどれくらい存在するのか……?」


 という永遠(えいえん)のなぞについてだ……!


 少なくとも、そのなかに「こんしまちゃん」という人物が(ふく)まれるのは確実。


 かの人物の本名(ほんみょう)は「紺島(こんしま)みどり」である。

 現在こんしまちゃんは、高校一年生(いちねんせい)


 といっても、こんしまちゃんがどんな生き物なのか調査する必要もありそうだ。

 この人物を分析(ぶんせき)することで、全人類にとっての永遠のなぞをとくヒントが()られるやもしれぬ。


 ――その日、ちょうどこんしまちゃん本人は自己(じこ)分析(ぶんせき)をおこなっていた。


 ()たしてこんしまちゃんは自分の存在についてどのような分析結果を獲得(かくとく)したのか……?


 そんなわけで今週のしまったちゃんは――少しだけ哲学的(てつがくてき)で、数学的な話になる。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 木曜日の午後。

 こんしまちゃんは授業を受け終わったあと、教室に残って勉学(べんがく)(いそ)しんでいた。


 現在こんしまちゃんの通う高校は長期休暇(きゅうか)(はい)っている。

 ただし、その休暇のあいだも一定(いってい)期間は登校して平日の午前(ちゅう)に授業を受けなければならない。


 午後になったら……さっさと帰宅してもいいし教室に残って自主学習に(はげ)んでもいい……ッ!


 この日、教室に残ったのは二人(ふたり)だけだった。


 一人(ひとり)は、こんしまちゃん。

 もう一人は矢良(やら)()()()さんである。


 いつもポニーテールの女の子だ。

 くしくも、こんしまちゃんの(した)の名前「みどり」とは一字(いちじ)(ちが)いの名前を持つ……!


 こんしまちゃんと矢良(やら)さんが(つくえ)を向かい合わせにし、共に勉強している。


 といっても、たまには息抜(いきぬ)きしたほうが(たぶん)効率(こうりつ)は上がる。

 矢良(やら)さんが両腕(りょううで)天井(てんじょう)に向かって()ばすと、こんしまちゃんも矢良さんに呼応(こおう)するように両手をかかげた。


 (たが)いの表情がほぐれる。

 そんなわけで、しばらく休憩(きゅうけい)する流れになった。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 とはいえ……午後に教室が開放(かいほう)されているのは、あくまで勉強のためだ。

 普通(ふつう)にだらけていたら、見回(みまわ)りに来た先生に追い出される可能性がある……っ!


 だからこんしまちゃんと矢良(やら)さんは……ちょっと知的(?)な話題を選択(せんたく)し、雑談(ざつだん)()わすことにした。


 (さき)に切り出したのは、矢良(やら)さんだった。


「――こんしまちゃんっ! 数学(すうがく)に『集合(しゅうごう)』ってあるよねっ」

「あるね……」


 こんしまちゃんは短くあいづちを()ち、矢良さんの次の言葉を待つ――。



 ……「集合(しゅうごう)」というのは、高校数学で習う内容の(ひと)つ。

 ざっくり()うと――そこにどんなグループがあって、そのグループのなかにどんなものが(はい)っているのかを考える……とてもおもしろい作業(さぎょう)のことだ。


(※なお数学的に英訳(えいやく)するなら「集合」のことを「セット」と表現するのが適切)



 ともあれ矢良さんが、天井(てんじょう)を見つめて続ける。


「……『AはBに(ふく)まれる』とかさ~。あたし、この『集合』について(はじ)めて聞いたとき……『これ、数学なんだ?』って不思議(ふしぎ)に思っちゃったな~」

「分かる……」


 こんしまちゃんが同意する。


「数字を書き(なら)べたりもするけど、どっちかというと国語(こくご)っぽい……!」

「そうそうっ。だから『集合』って数学以外でも使える概念(がいねん)なんじゃないかな~って、あたし思うんだっ」


 ここで矢良(やら)さんが天井(てんじょう)から視線を(はず)し、こんしまちゃんと目を合わせる。


「集合は、たくさんの要素(ようそ)で成り立ってる……。たとえば、こんしまちゃんも宇宙っていう大きな集合の(ひと)つの要素……つまり『こんしまちゃんは宇宙に(ぞく)する』わけだねっ!」

「ス、スケールがおっきい……」

「だね……っ。自分で言っててよく分かんなくなってきたから、もうちょっと範囲(はんい)をせばめよっか」


 矢良さんは左右(さゆう)の手を丸め、手の(ひら)同士を近づける。


「こんしまちゃんは地球のなかで生きてる。そして地球も……さまざまな要素(ようそ)を合わせて成り立つ『集合』と言える。だから『こんしまちゃんは地球に属する』と表現することもできる……っ!」

「……このとき『地球は宇宙に(ふく)まれる』から、地球は宇宙の『部分(ぶぶん)集合(しゅうごう)』と言えるね……」


 ()()()()とは、とあるグループのなかに(ふく)まれるグループのこと。

 たとえば「生き物」というグループのなかに(ふく)まれる「動物」や「植物」といったグループも、()()()()()うことができる。


「さらに……」


 こんしまちゃんが、ノートにペンを走らせながら考察を続行する……ッ!


「地球という集合のなかにも……さらに小さな部分(ぶぶん)集合(しゅうごう)が入ってる……『人』という集合も、そうなのかな……『わたしは人に属する』ということだね……いや、もっと小さな部分集合もある……そう、『高校生』という集合が……! 『わたしは高校生に属する』……っ!」


 めずらしく、こんしまちゃんの口数(くちかず)が多い。

 どうやら……数学の「集合」という概念(がいねん)を使って自分を見つめなおす作業(さぎょう)が、想像以上におもしろかったと()える……!


 まあそれを言うなら……矢良(やら)さんの様子も普段(ふだん)(ちが)う感じがする。

 彼女(かのじょ)の明るい一面(いちめん)しか知らない人にとっては、今の矢良さんはちょっと(こわ)いかもしれない。


 もちろんこんしまちゃんは、矢良さんの()()()()()()()()()()()()()()()から戸惑(とまど)っていないけど……。


 興奮(こうふん)の色を(かく)せないこんしまちゃんに、矢良(やら)さんが助言をおこなう。


「別の部分(ぶぶん)集合(しゅうごう)もあるかもよっ?」

「……もっと限定して『わたしは高校()()()に属する』って言えば、さらにわたしをしぼり()めるね……」


「いいねっ! だけど着目(ちゃくもく)すべき部分集合はもう一つ。人には、『女の子』という部分集合が含まれている……。そんなわけで『こんしまちゃんは女の子に属する』と表現するのも正しいよっ」

「しまった、見落としてた……。確かにわたしは……『女の子()()高校生』だね。あれ……? これは……!」


 ノートにこんしまちゃんが、二つの丸をえがく。

 一方の丸に「女の子」と書き、もう一方の丸に「高校生」としるす。


 二つの丸は、一部分(いちぶぶん)だけが重なっている。

 この重なった部分を、こんしまちゃんがペンでぬりつぶす……ッ!


「そっか……。わたしは『女の子』という集合と『高校生』という集合の()()()()()(はい)ってる……。そんなわたしが属するのは――()()()()()()()()共通(きょうつう)部分(ぶぶん)』なんだ……」


 ()()()()とは、二つのグループの重なった部分のことである。

 ……たとえば「女の子」と「高校生」が重なった部分には、「女子(じょし)高生(こうせい)」ができあがる。


 したがって、こんしまちゃんを始めとする女子高生の集合を「女の子と高校生の共通(きょうつう)部分(ぶぶん)」と定義することもできそうだ。


「……この共通部分をさらに分ければ、『わたしは高校一年生の女の子に属する』ことになる……すごい……! もとは宇宙規模(きぼ)だったのに――数学の集合がここまでわたしに近づいてきた……」

「まだ、いけるよっ」


 矢良さんが自身のポニーテールを片手(かたて)でフワサッ……とかき上げる。


「……あたしだって、『あたしは高校一年生の女の子に属する』って言えるからねっ」

「しまった。……確かに今のままじゃ区別がつかないね……」


 万事(ばんじ)(きゅう)すか、こんしまちゃん……ッ!


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


「はたから見たら――」


 矢良(やら)さんが、しんみりした調子で(くち)をひらく。


「あたしと、こんしまちゃんは……同じ高校一年生の女の子でしかないのかもね……」


 ポニーテールの根元(ねもと)髪留(かみど)めをさわりつつ()う。


「たとえば、あたしがこのポニーテールをほどいたら? ()たしが自分のことを『()たし』としか呼ばないようになったら? ――知らない人にとっては、どっちがどっちだか、いよいよ分からなくなる……」


 (くち)を閉じて真剣(しんけん)に聞くこんしまちゃんに、さびしく笑いかける矢良(やら)さん……。


「なにより、こんしまちゃんとあたしの(した)の名前は、一字(いちじ)(ちが)い」


 二人の本名はそれぞれ「紺島(こんしま)みどり」と「矢良(やら)みくり」であり……確かに下の名前だけを見れば()(なか)の「ど」と「く」が(こと)なるのみだ。


「こんしまちゃんは『み、ど、り』という要素を(ふく)む。対するあたしが含む要素を書き(なら)べると『み、く、り』になる……。この場合、二人の共通(きょうつう)部分(ぶぶん)に『み、り』が含まれる。だけど『ど』はこんしまちゃんにしかない。『く』はあたしにだけ属する。これによって――あたしたちは(たが)いが(ちが)う存在であると理解するわけだねっ」

「共通する部分を知っているからこそ、(ちが)う部分も分かるんだね……」


 ノートに「み、く、ど、り」と書いて、こんしまちゃんがやわらかく返す。

 四つのひらがなを目に()れて、矢良(やら)さんは「そうだよっ」と答える。


「だけど……よそから見たとき、こんしまちゃんとあたしの共通部分とそうじゃない部分は理解されないかもしれない。だからとりあえず、『女子高生が二人いる』という輪郭(りんかく)ができる。はっきりと二人は区別されなくて……ひとまず、そこに現れた要素(ようそ)をすべて列挙(れっきょ)する……『その二人』という集合全体を見て『み、く、ど、り』と書き並べる……。それらの要素が、二人のうち()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って感覚かなあ」

「なんか……『和集合(わしゅうごう)』みたい」


 二つ以上のグループを合わせてできるグループのことを和集合(わしゅうごう)()う。


 女の子と高校生の共通部分は、「女の子かつ高校生」である女子高生になるけど――。

 女の子と高校生の()()()は、「女の子()()()高校生」というグループになる。女の子グループと高校生グループをまるごと合わせたグループなので、この和集合には小学生の女の子や高校生の男の子も含まれる。


 和集合は広い範囲(はんい)視野(しや)に収めるものの、集合に属する要素を比較的(ひかくてき)限定しない。


「……『み、く、ど、り』の四つのひらがなが……わたし()矢良(やら)さんに含まれていれば……いいわけだよね。どこか、ぼんやりしてるかも……」

「うん……今こうして……こんしまちゃんとあたしは、ここにいるけれど……」


 そう言って矢良さんが、ほかにだれもいない教室内に視線を走らせる……ッ!


「たぶん、その場面を直接(ちょくせつ)目にして……あたしたちが別々(べつべつ)に生きていることが分かったとしても……『こんしまちゃん』と『矢良(やら)みくり』が明確に一人(ひとり)ずつ認識されるとは限らない」

「どういうこと……矢良さん……」


「教室内に存在する、あたしとこんしまちゃんを『全体集合(ぜんたいしゅうごう)』とする」


 全体集合とは、()()()()()()()()()一番大きな集合のことである。


「じゃあ数学の問題。こんしまちゃん、この全体集合のなかに(ふく)まれる部分(ぶぶん)集合(しゅうごう)をすべて()げてみてっ」

「確か……(ふく)まれる要素(ようそ)(ひと)つでも……『集合』になるんだよね。だから……今の教室に含まれる部分集合は{矢良(やら)みくり、紺島(こんしま)みどり}、{矢良みくり}、{紺島みどり}の三つになる……っ!」


()しい……」


 矢良さんのこの指摘(してき)に、こんしまちゃんは困惑(こんわく)した。

 ほかに集合のグループができるとは思えない。


 ここで矢良さんが答えにふれる。


「あと一つ、『空集合(くうしゅうごう)』もあるよ」

「しまった。ヤツがいた……!」


 要素を持たない集合のことを『空集合(くうしゅうごう)』という。

 人でたとえるなら、「ゼロ(にん)グループ」がこの空集合に当てはまるだろう。


 え? 人数がゼロだったらそもそもグループじゃないじゃん……一人(ひとり)をグループと()なすのはギリギリ許しても、そもそも(だれ)もいないのにグループって変じゃないの? ――と思うけれど、数学的には、なんにもおかしくないのだ。


 しかも空集合は、()()()()()()()()()()()

 すなわち……こんしまちゃんと矢良(やら)さんしかいないこの教室空間にさえ……実は空集合(くうしゅうごう)くんが最初から(ひそ)んでいたのだ……ッ!


「そっか……」


 こんしまちゃんが、虚空(こくう)を見つめる。


「教室にわたしと矢良さんしかいないときでも……人によっては空集合(くうしゅうごう)くんのほうにクギ()けになることもあるんだ」

「そう……そして現在、教室の全体集合のなかには空集合くんも合わせて四つの部分集合が網羅(もうら)される。この教室をのぞいた人は、()たしてどの部分集合に着目すべきか分からなくなる……っ。結果、こんしまちゃんもあたしも、明確に一個人(いちこじん)として認識されるとは限らない……っ」


「この教室に一人しかいなかったとしたら?」

「それでも、本人のそばには空集合(くうしゅうごう)くんが(かく)れている。空集合くんと本人が均等(きんとう)(なら)んだことで……みんなの視線が本人じゃなくて空集合くんにそそがれる可能性がある」


空集合(くうしゅうごう)くんの存在感……! わたしの心のなかにも、空集合くんがいそう」

「個人を要素じゃなくて、一つの『集合』と(とら)えることもできると思う。この場合、あたしのなかにも、こんしまちゃんのなかにも……空集合くんが部分集合として必ず存在するっ!」

(おそ)るべし空集合(くうしゅうごう)くん……!」


 お(たが)いの言葉が、徐々(じょじょ)に熱を()びていく。

 どうやら二人の雑談(ざつだん)も、なかなか()り上がってきたようだ。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


「でも矢良(やら)さんが言ったように、自分を要素(ようそ)じゃなくて集合(しゅうごう)(とら)えるのって、おもしろいかも……」


 こんしまちゃんが腕組(うでぐ)みする。


「たとえば……わたしはいろんな要素を(ふく)む『紺島(こんしま)みどり』という集合なんだよね」


 ()をえがくように、上半身(じょうはんしん)をゆらす。

 ここで矢良さんが付け加える。


「でも同時に、こんしまちゃんは『こんしまちゃん』という集合でもある……」

「……確かに。でもこのとき、わたしは『紺島みどり』と『こんしまちゃん』――どっちの集合になるのかな……。呼び方が(ちが)うだけで、どっちもわたしの要素を過不足(かふそく)なく持つなら……『紺島みどりはこんしまちゃんに(ふく)まれる』とも『こんしまちゃんは紺島みどりに含まれる』とも言える。つまり『紺島みどり』と『こんしまちゃん』は――」


 腕組みをやめ、こんしまちゃんが確信をもって結論づけるッ!


「――()()()


 当たり前の事実だけど、これはなかなか重要な視点である……。

 紺島(こんしま)みどりとこんしまちゃんが等しいと分かったならば、こんしまちゃんは自分を考察するうえで二つの呼び名のあいだを()ったり来たりせずに()むのだ……!


 そのぶん、混乱(こんらん)することなく自分を見つめなおすことが可能になる。


 だが――。


「そもそも『こんしまちゃん』って、いったいどんな集合なんだろう……」


 こんしまちゃん本人が、根本的(こんぽんてき)な疑問に()()む。


 ここまで数学の集合を用いて、こんしまちゃんを分析(ぶんせき)してきたけれど。

 まだ他者(たしゃ)とは(こと)なる「こんしまちゃん」という個体(こたい)特殊性(とくしゅせい)が明らかにされていない。


 このままでは、こんしまちゃんは「こんしまちゃん」として区別されないおそれがある……。


 ここで矢良(やら)さんが、(たす)(ぶね)を出す。


「手は二つあるっ!」


 そう言って矢良さんが右手と左手を軽く()げる。


「一つ目の手は、自分という集合に(ふく)まれる要素を列挙(れっきょ)していくこと」

「……つまり、こんなふうにかな……」


 こんしまちゃんがノートに{こ、ん、し、ま、み、ど、り}と書く。


「これだけでも、わたしを説明することができるかも……」

「自分という集合を分析(ぶんせき)するうえで、このアプローチも間違(まちが)ってない。でも自分のなかに含まれる要素を列挙するやり方には弱点もあるんだ。……すなわち、自分ばかりに注目してしまうっ!」

「はっ……」


 こんしまちゃんがペンを置く。


「わたしがわたしの要素しか見ていなかったら、ほかの人を忘れていることになる……。自分で自分の要素をすべて挙げたと思っても実は別の人とかぶっていて……結局は自分という集合が明確に区別されていない状況(じょうきょう)が続くかもしれないね……」

「そう。自己分析において知らずに()()()()()()()()のだ……っ!」


 ちょっと(おお)げさな口調(くちょう)矢良(やら)さんが言葉を()ぐ。

 ついで挙げていた左手を下ろす。


「というわけで第二の手が有効(ゆうこう)だねっ。自分のなかの要素を書き並べるんじゃなくて――自分が(ふく)まれる共通(きょうつう)部分(ぶぶん)を限りなく小さくしていく」

「共通部分……! わたしだと『高校一年生の女の子』という共通部分に含まれるね……」


「うん。でもこのままじゃ、あたし……矢良みくりも同じ共通部分にいる。よって、あたしとこんしまちゃんの(ちが)いが分からない。そこで、さらに共通部分をせばめるよん」

「そのためには――わたしが含まれる新しい部分(ぶぶん)集合(しゅうごう)を用意すればいい……!」

「だね~。たとえば、こんな部分集合はどうかなっ」


 軽く挙げた右手と上半身をひねり、矢良さんがあらためて教室全体を見回す。


()()()()()()()()()――という集合。この部分集合を『高校一年生の女の子』という共通部分に重ねると……?」

「新しく『今この教室にいる高校一年生の女の子』という……より範囲(はんい)のせまい共通部分が手に(はい)る……」


「ただし、その共通部分には……まだ()()()()()が含まれる。あたしと、こんしまちゃんが……」


 教室を見回すのをやめ、矢良(やら)さんがこんしまちゃんに熱い視線を送る……!


「でも明確に自分というものにたどり着くには、共通部分に含まれる部分集合を『自分』と『空集合』の二つにまで()()落とさなければならない……でないと、あたしがこんしまちゃんかもしれないし、こんしまちゃんがあたしかもしれない……そんな哲学的(てつがくてき)()いに永遠(えいえん)(ほう)()まれる運びとなるかもッ」

「だから最後の仕上(しあ)げとして、矢良さんとわたしをしっかり分けてくれる部分集合を見つけて……それぞれが別の共通部分に含まれるようにしてあげればいいんだね……」


 二人の心と(からだ)が、よりヒートアップする。

 季節的(きせつてき)仕方(しかた)ないかもしれないけど、それだけが理由じゃない。


 自分という存在に接近するという、ある意味冒涜的(ぼうとくてき)挑戦(ちょうせん)が、いよいよ最終段階(だんかい)(はい)ったのだ……。


 そんな状況(じょうきょう)で、正常でいられるだろうか? いや、いられない。

 もはや何人(なんぴと)も、こんしまちゃんと矢良(やら)さんの興奮(こうふん)をとめられぬ……ッ!


 こんしまちゃんが(さき)仕掛(しか)ける!


「わたしと矢良さんを明確に区別するために――ここに、『しまったと言ってしまう人』という部分集合を与える……!」

「ふふっ」


 しかし矢良さんが不気味(ぶきみ)()みを()かべ、反撃(はんげき)()らわせる!


「やらかしたねっ、こんしまちゃんっ! 油断(ゆだん)大敵(たいてき)なんとやらっ!」


 油断大敵は油断大敵という言葉で完成しているのだからそのあとに「なんとやら」を続ける必要はないはずだけど、こんしまちゃんにツッコませる余裕(よゆう)を与えず矢良さんが言葉を続ける。


「ただ『しまった』と()う人なら、たくさんいるよっ! あたしだって、『やらかした』ってたまに言っちゃうけど……これも『しまった』の派生(はせい)みたいなものだっ!」

「ししし、しまった……っ」


「よって、あたしとこんしまちゃんを別々(べつべつ)の存在と認識するには、もっと限定的な部分集合が(よう)される!」

「そ……それは?」

「それは……ッ!」


 少し、もったいぶる矢良さん。

 

「……『一週間(いっしゅうかん)一回(いっかい)以上しまったと言ってしまう生き物』という部分集合」

「ピ、ピンポイントすぎる……」


「さすがのあたしも、この部分集合には含まれない……!」

「その部分集合を新しくわたしに重ねれば」


 こんしまちゃんが、なぜか……うなじに両手を置いた。


「ついに……『今この教室にいる一週間に一回以上しまったと言ってしまう高校一年生の女の子』という共通部分が獲得(かくとく)される。そして、この共通部分に含まれるのは空集合をのぞけば、わたし一人(ひとり)……」


 息を(あら)くする、こんしまちゃん。

 (あせ)をにじませながら、矢良さんもその高揚(こうよう)の空気に乗る……!


「同時にあたしも、『今この教室にいる一週間に一回以上しまったと言うとは限らない高校一年生の女の子』として定義される」

「わああ~」


 数学の集合を使って、ここまで自己(じこ)分析(ぶんせき)できたことに驚嘆(きょうたん)したらしく――。

 こんしまちゃんがイスから落ちそうになった。


 が、持ちこたえる。


 というのも、まだ解決しなければならない問題があったからだ。


「でも矢良さん……たとえわたし一人だけが含まれる共通部分を見つけて、ほかの人とわたしとを明確に区別できたとしても……すべての集合の部分集合になる空集合(くうしゅうごう)くんはどうしよう……」


 確かに個人を(ひと)つの集合と見なすとき、空集合は(つね)に各個人につきまとう。

 もしこの場合において本人ではなく空集合のほうに視線がそそがれるとしたら、それぞれの個体(こたい)は「それ自体」ではなく十把(じっぱ)一絡(ひとから)げの「空集合(くうしゅうごう)」として(あつか)われる危険がある……!


「さすが、こんしまちゃん……!」


 ほおを(つた)(あせ)をぬぐい、矢良(やら)さんがふう~っと深い息をつく。


「そのときこそ、()()()()()()

(さく)があるの……?」


和集合(わしゅうごう)だよっ」

「それは、二つ以上の集合を合わせてできる集合……まさか……っ」


 こんしまちゃんの両手がうなじから(はな)れ、(なな)め上にひらく!


「共通部分を極限(きょくげん)までせばめた、このタイミングで――和集合を発動(はつどう)し、自分へと一挙(いっきょ)に広がりを(あた)える作戦……! 和集合に転じるために必要なのは、共通部分を限定するために今まで使用した部分集合たちだから……これを再利用するだけで無理なく和集合を展開できる。しかも……通常なら和集合は自分自身をぼんやりさせるデメリットを持つけど……共通部分を()()めた今なら、自分が分からなくなったときにいつでも共通部分に帰還(きかん)して自分を明確に見つめなおすことができる。和集合のデメリットを()ち消しつつ、自分に広がりを保障(ほしょう)して――どんな集合にも現れる空集合くんを限りなく(うす)めることが可能になる……っ!」


 ニヤリとする矢良(やら)さんと目を合わせ、こんしまちゃんがさらに論を進める……ッ!


「ここにおいてわたしは――『女の子』()()()『高校一年生』()()()『今この教室にいる人』()()()一週間(いっしゅうかん)一回(いっかい)以上しまったと言ってしまう生き物』という()()()に含まれることにもなる。わわ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……! これだけ広ければ、もう空集合くんも()りを(ひそ)めるしかない……わたしは、わたしとして明確に認識される……」

「そう……和集合は、自分を見失わせる集合とは限らない」


 こんしまちゃんの興奮を受けとめるかのように、矢良さんが言葉を引き取る。


「和集合とは自分が属し、含まれる世界を広げる集合でもある。さらに、この和集合を構成する部分集合を列挙(れっきょ)し、そこで抽出(ちゅうしゅつ)された部分集合をもとにして自分一人だけが含まれる共通部分を明らかにすることもできる。さっき、こんしまちゃんが共通部分を和集合に変換(へんかん)したけど、ようは……その逆をたどればいいんだねっ」


 (ふる)えるこんしまちゃんに、まだ矢良さんが追撃(ついげき)を加える……!


「さて。女の子……高校一年生……今この教室にいる人……このあたりは、だいたい人数(にんずう)が決まっているね。じゃあ、一週間(いっしゅうかん)一回(いっかい)以上しまったと言ってしまう生き物は……どうかなっ。少なくとも、今あたしの目の前に一人いるけど……ほかには、いるかなあ……」

「分からない……!」

「そう、分からないんだよね~」


 矢良さんが(つくえ)に両手をつき、身を乗り出す。


「ここにおいて重要になるのが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という問題だよっ」

「全体集合……()()()()()()()()()一番大きな集合のことだね……」


 こんしまちゃんは復習したうえで、考察を(ふか)める。


「今考えている全体の範囲(はんい)を広げてみよう……っ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()……いや、さらに広げて学校が全体集合かも……? もっと大きくなって地球……太陽系(たいようけい)……銀河系(ぎんがけい)……それどころか宇宙そのものにまで(およ)びかねない……! SF的(エスエフてき)に考えると、別の次元(じげん)時空間(じくうかん)世界線(せかいせん)・パラレルワールドもありうるよ……」

「そう。そして……一週間(いっしゅうかん)一回(いっかい)以上しまったと言ってしまう生き物はこの教室内においては『こんしまちゃん』しか観測(かんそく)されないけど……こんしまちゃんの含まれる全体集合が限りなく膨張(ぼうちょう)していくごとに……『一週間に一回以上しまったと言ってしまう生き物』という集合に属し、それに含まれうる存在が()()()()()()()()()()()()。観測する範囲(はんい)が広がれば、それは当然のこと。逆にこんしまちゃんの属する全体集合が収縮(しゅうしゅく)していくごとに、『一週間に一回以上しまったと言ってしまう生き物』という集合に含まれる存在は減少すると見ていい」


「……! わたしが含まれる全体集合によって、わたしの和集合の大きさは無限に(ふく)らむし、かつ極限(きょくげん)まで(ちぢ)みうる……!」

「そのとおり……っ! だからこの暴力的(ぼうりょくてき)なまでの可変性(かへんせい)に飲まれないように、あたしもこんしまちゃんも結局は共通部分に――()()()()()()()()()()()()帰らなければならないんだ……」


 ここで矢良さんが上体(じょうたい)を後ろに(もど)した。

 両腕(りょううで)()ばすストレッチをおこない、(しん)の最後の仕上(しあ)げにかかる……。


「全体集合の範囲を定めることは、自分を取り巻くものの大きさを決定することでもあるよね、こんしまちゃん」

「……『補集合(ほしゅうごう)』かな」


 補集合(ほしゅうごう)とは、全体集合から任意(にんい)の部分集合を取りのぞいてできる集合のこと。


 たとえば宇宙を全体集合、こんしまちゃんを部分集合としたとき、「こんしまちゃん以外のすべての宇宙」が「こんしまちゃんの補集合(ほしゅうごう)」となる。


全体集合(ぜんたいしゅうごう)範囲(はんい)によっても、わたしの和集合(わしゅうごう)(ぞく)しうる世界)と補集合(ほしゅうごう)(知らない世界)の広さが(こと)なってくる。な、なるほど……っ」


 今度は、こんしまちゃんが矢良さんに向かって身を乗り出す。


「わたしが自分を見つめなおすには……わたしを構成する要素と、わたしを含む部分集合に着目するだけじゃなくて――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()についても考えなくちゃいけないんだね……!」

「なら、こんしまちゃんは()たして、どんな全体集合に(ふく)まれるのかなっ……?」

「今は、学校かな……」


 こんしまちゃんが自発的(じはつてき)(かた)を落とし、深呼吸(しんこきゅう)する。


鵜狩(うかり)くん、ア……菖蒲(しょうぶ)さん、矢良(やら)さん……そしてクラスメイトのみんなが、今のわたしにとっては大切だから……」

「そっか……そのなかでこんしまちゃんは、こんしまちゃんとして存在しているんだね……っ」


矢良(やら)さんも……そうだと思う」

「……ありがとうっ!」


「数学の集合から自分を見つめなおすのも、とってもおもしろかった……」

普通(ふつう)ドン()きされるんだけど、そう言われると……うれしいなっ!」



 木曜日の午後。

 今この教室にいる一週間に一回以上しまったと言ってしまう高校一年生の女の子は、友達との雑談(ざつだん)終了(しゅうりょう)し……再び勉学に(いそ)しみ始めた。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 ところで、こんしまちゃんの自己(じこ)分析(ぶんせき)をとおして――。

 世界には一週間に一回以上「しまった」と言ってしまう生き物がどれくらい存在するのかという()()についてのヒントは得られただろうか。


 数学の集合を用いて、こんしまちゃんという生き物はそれなりに分析(ぶんせき)されたと見ていい。


 ただし……こんしまちゃんレベルで「しまった」を口癖(くちぐせ)とする生き物が世界にどれくらい存在するかについて明確な答えが得られたかは、あやしい。


 そもそもこんしまちゃんたちも言及(げんきゅう)してたけど。

 ()()()()()()()()()()をどのくらいの大きさで考えるかによって、そこに(ふく)まれるこんしまちゃんレベルの生き物の(かず)変動(へんどう)するはずだ。


 おそらく世界が広がり続ければ、その数は理論上(りろんじょう)無限に達する。

 しかしそれでは()てがないので――。


 世界を限りなくコンパクトにして……こんしまちゃんという確実に存在する生き物に着目するのがいいだろう。


 だから今は、このこんしまちゃんの物語を続けることによって、「一週間に一回以上『しまった』と言ってしまう生き物」について詳細(しょうさい)定義(ていぎ)することを優先したい。


 そうすれば……こんしまちゃんに匹敵(ひってき)する存在をあらためて(かぞ)え、書き(なら)べていく(さい)一助(いちじょ)になるはずだ。


 では全人類の疑問が氷解(ひょうかい)する未来を信じて、今回の話をここで(むす)ぼう。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


☆今週のしまったカウント:四回(累計(るいけい)三十回)

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