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下の名前で呼んでしまった!(土・日曜日)

 こんしまちゃんこと紺島(こんしま)みどりは高校一年生の女の子。

 一週間に一回は「しまった」と(くち)にする彼女は、現在高校生活を満喫(まんきつ)している。


 でも学校が休みの日、こんしまちゃんは、なにをしているのか……?


 (そと)に出ることもあれば、(いえ)にずっと()もっていることもある。

 アウトドアもインドアも、両方いけるクチなのだ……ッ!


 その日のこんしまちゃんの服装(ふくそう)は、ダボダボのシャツと(なが)ズボン。

 気の()けた格好(かっこう)で、なんとなく町をぶらぶらしていた……。


 気の向くまま散歩を楽しんでいた、こんしまちゃん。

 今回は、その途中(とちゅう)でクラスメイトの一人(ひとり)(はち)()わせするところから始まる――。


※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢


 土曜日の午後、こんしまちゃんは歩いていた。


 (なが)い、(なが)~いアーケード商店街(しょうてんがい)を一人で無目的(むもくてき)に進んでいた……。


 休日なのに、ほとんど店はあいていない。

 ねずみ色をしたシャッターが、通りの左右に連なっている。


「……あ」


 どうやら、こんしまちゃんがなにか発見したようだ……。

 右前方(みぎぜんぽう)に「(にく)まん()さん」の看板(かんばん)がある。

 シャッターは、おりていない……ッ!


 こんしまちゃんが当の肉まん屋さんに目を向けていると、なかから女の子が出てきた。

 バッグを(かた)にかけた、ロングスカートの女の子である。


「あ、こんしまちゃんじゃん」


 そう言って彼女が、こんしまちゃんのほうに歩いてくる。

 長い(した)まつげを持つその女の子は、こんしまちゃんのクラスメイトの一人。


 名前は、赤金(あかがね)しろみ。

 肉まん屋さんの紙袋(かみぶくろ)をかかえている。


「しろみちゃん……こんにちは」


 ダボダボのシャツをゆらし、こんしまちゃんがあいさつする。

 そのまま、まっすぐ進み――、赤金(あかがね)さんのそばを()()ろうとする……!


「まま待って、こんしまちゃん! 時間あるなら、ちょっと話、聞いてくれない……?」

「いいよ」


 ひまだったので、こんしまちゃんは即答(そくとう)した。


※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢


 赤金(あかがね)さんとこんしまちゃんは、商店街(しょうてんがい)の道のはしっこに設置されているベンチに(すわ)った。

 (かた)にかけていたバッグをひざに置き、赤金さんがたずねる。


「こんしまちゃんって『ララララ・ララララ・ララライン』やってる?」

「いや……『ララララ・ララララ・ララライン』は、やってないかな……」

「そっか。じゃあ――今、話すね。あ、これ、よかったら」


 かかえていた紙袋(かみぶくろ)から肉まんの一つを取り出し、こんしまちゃんに(わた)赤金(あかがね)さん。

 ありがとうと返してハフハフ肉まんをほおばるこんしまちゃんに、赤金(あかがね)さんが本題を切り出す。


「こんしまちゃんは、いつも『こんしまちゃん』って名字(みょうじ)で呼ばれてるよね。……でも自分のことを(した)の名前で呼んでほしいと思ったことはある?」

「とくに……ないかな。わたしを『みどり』って呼ぶの、家族くらいだし」

「そう」


 赤金(あかがね)さんが、ちょっと(だま)る。

 一方、こんしまちゃんは……四月の自己(じこ)紹介(しょうかい)のときの赤金さんを思い出していた。


(わたしは、赤金(あかがね)しろみです。できれば、(した)の名前で呼んでください!)


 だから、こんしまちゃんも赤金(あかがね)さんのことを「しろみちゃん」と呼んでいるのだ……!


(友達になってから下の名前を呼ぶんじゃなくて、下の名前を呼びながら友達になっていくっていうのも、ありだと思うんです)


 自己紹介において、赤金(あかがね)さんはそんなことも言っていた。

 そのため、クラスメイトの大半(たいはん)が赤金さんを下の名前で呼んでいる。


 ここで、こんしまちゃんは妄想(もうそう)(うつ)る……ッ!


 こんしまちゃんは鵜狩(うかり)くんというツリ目のクラスメイトが好きなんだけど、そういえば鵜狩くんのことを下の名前で呼んだことないなあと今ごろ気づいたこんしまちゃん。

 もし、言うとしたら……。


慶輔(きょうすけ)くん……」


 そんな鵜狩くんの下の名前を(くち)にすると共にこんしまちゃんの(くちびる)(ふる)え、顔から耳までが一気に赤くなった。


「や、やっぱり無理……」


 肉まんから立ちのぼる湯気(ゆげ)が、こんしまちゃんの体温をさらに上昇(じょうしょう)させる……。

 しかもこんしまちゃんは、(となり)赤金(あかがね)さんからジト目で見られていることに気づいた。


「しまった。わたし、話を聞くはずだったのに……」


 肉まんをほおばるのをいったん中断し、(あわ)てふためく。


「ごめんね、しろみちゃん。さっきの『無理』は、しろみちゃんの話が無理って意味じゃなくて……」

「だいじょうぶ、分かってる」


 赤金(あかがね)さんが、ジト目を徐々(じょじょ)にひらいていく。


「照れちゃうから人を(した)の名前で呼ぶのが難しい……って意味だよね」

「うん。もしかして、しろみちゃんも……だれかを下の名前で呼びたいの……?」


 再び肉まんをハフハフする、こんしまちゃん。

 ここで、赤金(あかがね)さんも紙袋(かみぶくろ)から肉まんを取り出した。

 がぶりっ! とかじりつく。

 一瞬(いっしゅん)で半分以上をかんで()()み、赤金さんがため息をつく。


「わたしが、呼ばれたいの」

「しろみちゃんは、だいたいのみんなから下の名前で呼ばれていると思うけど……」

(かれ)が、わたしのことを『しろみ』って呼んでくれないんだ……っ!」


 赤金(あかがね)さんが言う「彼」とは、そのまんま彼氏(かれし)のことである。

 こんしまちゃんも知っている。――赤金さんは、クラスメイトの筈井(はずい)くんと付き合っているのだ。


 とはいえ、まさか筈井(はずい)くんが赤金さんのことを下の名前で呼ばないとは初耳(はつみみ)だ。

 思い返してみれば、筈井(はずい)くんが赤金さんを「しろみ」と呼んでいた記憶(きおく)もない……。


 付き合っていることをみんなに(かく)しているわけでもないし、筈井(はずい)くんは赤金(あかがね)さん一途(いちず)の男の子だし、赤金さんだって下の名前で呼ばれることを望んでいる。

 なのに、どうして筈井(はずい)くんは赤金さんをしろみちゃんと呼ばないのか……?


友春(ともはる)は――」


 肉まんの残された部分も(たい)らげ、赤金(あかがね)さんが筈井(はずい)くんの下の名前を(くち)にする。


「――いつも、わたしのことを『(きみ)』って呼ぶの。二人だけでいるときも……。そのたびにわたし、『(きみ)じゃないよ、しろみだよ!』ってツッコむんだけど……効果がなくて」


 さらに赤金(あかがね)さんが紙袋(かみぶくろ)から(あら)たな肉まんを()()く。

 それをこんしまちゃんのひざに置く。


(べつ)に、このことでケンカになったりするわけじゃないよ。友春(ともはる)一緒(いっしょ)にいると(しあわ)せだもん。勉強を教え合ったり、部活のことで(はげ)まし合ったり、いろいろ相談し合ったり……いやあ~、毎日、楽しいんだよ~」


 ……ちょっと自慢(じまん)っぽくなってきた。

 と思ったら、急に赤金(あかがね)さんが(かた)を落としてシュンとなる。


「それなのに……『しろみ』とだけは言ってくれない。(くち)だけじゃなくて、ララララ・ララララ・ラララインのメッセージとかでも『(きみ)』呼びなんだよ……! 『しろみ』と呼んでって友春(ともはる)に直接(たの)もうとしても、そのときだけ笑ってごまかされるし……。こんしまちゃん、下の名前を呼んでもらうために、わたしは……なにをしたらいいと思う?」


 おそらく赤金(あかがね)さんは、こんしまちゃん以外の友達にもすでにアドバイスを求めたのだろう。

 しかし、それらのアドバイスは……うまく、いかなかったようだ。

 このことに赤金さんが言及(げんきゅう)しないのは、自分のためにアドバイスをくれた友達のことを悪く言ったらだめと自制(じせい)したからだと思われる……。


 ここで、こんしまちゃんが一個目の肉まんを食べ終わった。

 さっき赤金(あかがね)さんがひざに置いてくれた肉まんに(くち)をつける。


「これも、ありがとう……。ところで、しろみちゃん。あした、筈井(はずい)くんと会う予定はある……?」


 どうやら、こんしまちゃん……なにかを思いついた模様(もよう)……ッ!


※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢


 一夜(いちや)が明けて、日曜日を(むか)える。

 その昼下がり……とある公園に、ウェーブのかかった()()()を持つ人影(ひとかげ)が現れた。


 ダボダボのシャツと(なが)ズボン……という格好(かっこう)だ。

 このなぞの人物の正体は、紺島(こんしま)みどり――通称(つうしょう)こんしまちゃんである。


 こんしまちゃんは公園のベンチの一つに(すわ)った。

 ()もたれのないベンチだ。しかも後ろに大きな木がある。


 元々(もともと)、このベンチは……赤金(あかがね)さんと筈井(はずい)くんのデートの待ち合わせ場所。

 しかもこんしまちゃんは、二人が約束していた時間の三十分前にここに来た。


 目的はデートを邪魔(じゃま)することにあらず……。

 筈井(はずい)くんに赤金(あかがね)さんを下の名前で呼んでもらうことが、こんしまちゃんのきょうのミッションである!


 筈井(はずい)くんは、いつも赤金(あかがね)さんのことを「(きみ)」という二人称(ににんしょう)で呼ぶ。

 でも赤金さんは「しろみ」という名前で呼ばれたいと思っているのだ……。


 赤金(あかがね)さんから作戦実行の許可は、すでに得ている。

 というか赤金さんは、すでにこんしまちゃんの後ろの木のかげに(ひそ)んでいる。


 こんしまちゃんの作戦は、こうだ。


 まず赤金(あかがね)さんとこんしまちゃんが、約束よりも早い時間に待ち合わせ場所で合流する。


 次に、こんしまちゃんが赤金(あかがね)さんの代わりに待ち合わせ場所のベンチで待機する。

 一方の赤金さんはベンチの後ろにある木のかげに(かく)れる。


 そして筈井(はずい)くんがやって来るのを待つ。

 筈井くんは待ち合わせ場所のベンチに赤金(あかがね)さんじゃなくてこんしまちゃんがいることを疑問に思うだろう。


 ここで(かれ)はあたりを見回したのち、こう(くち)にするはずだ。「……あれ? こんしまちゃん、()()()を見なかった?」と。

 筈井(はずい)くんの用いる「(きみ)」という二人称の弱点は、呼びかける人物がその場にいないと使えないこと……!


 よって赤金さんのいないシチュエーションにおいて、筈井くんは「君」呼びを(ふう)じられたも同然。

 名前を直接、言うしかなくなる。

 二人の仲を考えると名字(みょうじ)呼びは、よそよそしい。

 結果、自然に「しろみ」という下の名前が出てくると予想できる。


 このタイミングで、ベンチの後ろの木に隠れていた赤金(あかがね)さんが動く。

 ちょうど筈井(はずい)くんが「しろみ」と発音する瞬間(しゅんかん)に、こんしまちゃんと()()わって赤金さんがベンチに座るのだ。


 少々強引(ごういん)だけど――こうすれば筈井くんが赤金さんを下の名前で呼んだという既成(きせい)事実(じじつ)が成立する。

 一回呼んでしまえば、以降の「しろみ」呼びのハードルは格段に低くなるはず。


 かくして、筈井(はずい)くんが赤金(あかがね)さんを「しろみ」という下の名前で呼ぶきっかけができあがり、ミッションコンプリート……!


 完全(かんぜん)無欠(むけつ)の作戦である。たぶん。


※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢


 筈井(はずい)くんが公園のベンチにやって来たのは、約束の時間の十五分前だった。


 待ち合わせ場所のベンチには、なぜかこんしまちゃんが(すわ)っている。


「あれ? こんしまちゃん、こんにちは」


 さわやかな顔で、筈井(はずい)くんはあいさつした。

 こんしまちゃんは筈井くんの太い首を見ながら、あいさつを返した。


 案の(じょう)、筈井くんが周囲を見回す。

 ベンチの後ろの大きな木を(ふく)む、公園全体に目を向ける。


 しかし……待ち合わせている赤金(あかがね)さんの姿はない。


「……筈井(はずい)くん、だれか探してるの……?」


 ここで、こんしまちゃんが先手(せんて)()つ。

 まだ待ち合わせ時間ジャストでないため、筈井(はずい)くんがこんしまちゃんに赤金(あかがね)さんのことを聞かずにここを(はな)れる可能性がある。


 だからこんしまちゃんは筈井くんを()がさないよう、このタイミングで仕掛(しか)けたのだ……!


 筈井(はずい)くんは太い首を左右に動かしつつ、答える。


「うん。きょうはデートの約束があるから……。まだ時間より早いけど、もう来てるかもしれないし……」

「ふーん……ちなみに、だれを探してるのかな……」


彼女(かのじょ)

「……だ、だろうね」


 こんしまちゃんは(あせ)った。


 なぜか――「()()()を見なかった?」と筈井(はずい)くんが(くち)にしてくれない。


 今回の作戦立案(さくせんりつあん)には、こんしまちゃんよりも筈井くんのことを知っている赤金(あかがね)さんも参加していたが……、赤金さんもさすがに筈井くんがここまで自分の下の名前を呼んでくれないとは思っていなかったのだ。


 そこで、こんしまちゃんは強攻策(きょうこうさく)に出る。


「そういえば筈井(はずい)くんの彼女って、赤金(あかがね)さんだよね……」

「うん」


「赤金さん、自己紹介のとき、みんなに『下の名前で呼んで』って言ってたよね。だけど、わたし……赤金さんのフルネームをど忘れしちゃった……なんだったっけ、筈井くん……」

「……あ、フルネームね」


 少し動揺(どうよう)の色を見せ、筈井(はずい)くんが言葉を続けようとする。


「彼女のフルネームは、あかがね――」


 筈井(はずい)くんのこの言葉が(はっ)されると同時に、こんしまちゃんがベンチから立ち上がる。

 後ろの大きな木のかげに隠れていた赤金(あかがね)さんも姿を見せ、ベンチに向かって地面を()る。


 筈井くんが「しろみ」と言うタイミング――ここで二人は入れ替わる手はずだった。

 ――が。


 (あわ)てて動こうとしたために、こんしまちゃんがダボダボの(なが)ズボンのすそを()んでしまった。


「しまった……!」


 リハーサルは何回かやったけど、想定外の事態が起こったため……こんしまちゃんは冷静に動くことができなかったのだ。


 ズボンのすそを踏んだこんしまちゃんは……よろめいて、再びベンチに(こし)を下ろすしかなかった。

 そこに赤金(あかがね)さんが()()み、こんしまちゃんのひざの上に座るかたちとなった……。


 しかも、こんしまちゃんでは赤金さんをささえきれず、後ろに(たお)れる。

 ベンチには背もたれがないので、危ない――!


「「わああっ!」」


 そうして倒れようとする二人の(からだ)を――。


 ――二つの手が、そっとかかえるように受けとめた。

 しかも受けとめかたが上手(じょうず)なのか……衝撃(しょうげき)はほとんど発生してない。


 見ると、間近(まぢか)に太い首がある。


「二人とも、痛いところはない?」


 そう(おだ)やかに言って筈井(はずい)くんが、赤金(あかがね)さんとこんしまちゃんの上半身をゆっくり起こした。


※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢


「「――ごめんなさい」」


 例のベンチに(すわ)りなおして、赤金(あかがね)さんとこんしまちゃんが、筈井(はずい)くんに頭を下げた。


 向かって左にいる、ウェーブのかかったくせ毛を持つ女の子が、こんしまちゃん。

 真ん中の、下まつげが長いロングスカートの女の子が、赤金(あかがね)しろみさん。

 右に腰かけている首の太い男の子が、筈井(はずい)友春(ともはる)くんである。


 赤金さんが、さらに謝る。


「ごめん、友春(ともはる)……わたし、どうしても下の名前で呼んでほしくて……。なにより、こんしまちゃんに謝らなきゃいけない……。本当にごめんね……こんしまちゃんに、ウソをつかせちゃった。最後の入れ替わりのときも、わたしが()()んだせいで……」

「しろみちゃん、筈井(はずい)くん」


 こんしまちゃんも、謝罪(しゃざい)する。


「わたしからも、ごめん……この入れ替わり作戦を思いついたの、わたしだから……」

「……(ぼく)も、悪かった」


 ――筈井(はずい)くんまでもが、頭を下げる。


「僕は、ずっと()の下の名前を呼ぼうとしなかった。()がそうしてほしいと分かっていたのに。それで、こんしまちゃんも巻き込んでしまった……」

「だから友春(ともはる)……(きみ)じゃないよ、しろみだよ」


 赤金さんが、筈井くんの(かた)にふれる。


「……いや、そもそも人の呼びかたを強制(きょうせい)したらだめだね。よく考えたら無理に下の名前で呼ばせようとするなんて、ただのハラスメントじゃん……。わたし、友春(ともはる)に申し訳ないよ……『下の名前を呼んでもらうにはどうしたらいい』って相談したみんなにも、こんしまちゃんにも……。協力させておいて、今さら、こんなこと言うのもずるいよね……」

「しろみちゃん……」


 こんしまちゃんは、どうすればいいか分からなかった。

 赤金(あかがね)さんの体が、不安定にゆれる……。


 ここで筈井(はずい)くんが、赤金さんの肩をささえ返した。


「し……しろ……!」


 どうやら筈井くんは、今回の件の責任を感じて……赤金さんを「しろみ」という下の名前で呼ぼうとしているようだ。


「しろ――」


 何度も何度も、言おうとした。

 でも、言いきることはできなかった。


 筈井(はずい)くんの顔も耳も――太い首も、()()になっていた。


「ごめん。やっぱり、ハズい……好きなのに、好きだから……(きみ)を君としか言えない」

友春(ともはる)……! もう、いいよ。……わたし、もう無理させない。友春も無理しなくていい……。友春から(きみ)って呼ばれるのだって、充分(じゅうぶん)に幸せだから……だから、もういいんだよ……」


 こんな二人のやりとりを横目で見ながら、こんしまちゃんは――なにかできることはないかと思考をめぐらしていた。


 この場から(はな)れる? ……いや、それは、まだ。

 だから提案してみた。


「あの……筈井(はずい)くん、まずはララララ・ララララ・ラララインのメッセージから始めてみるのは、どうかな……今までも難しかったと思うけど……やっぱり(くち)で言うよりはハードルが低いはずだから」

「……ありがとう、こんしまちゃん。やってみる」


 そういうわけで、筈井(はずい)くんと赤金(あかがね)さんはスマートフォンを取り出し、ララララ・ララララ・ラララインのアプリをひらいた。


 しかし――。


 文字で下の名前を入力しようとしても、筈井(はずい)くんは「しろ」の時点で指をとめてしまう……。

 なお普段の筈井くんは堂々としているし、自信にも満ちており、なにかをためらったりするような人じゃない。……だからこれは、性格がどうとかいう問題でもない。


 ただ、好きな人相手であるほど照れてしまって、名前を呼べなくなるという……そういう話なのだ。


 ……まわりが「その程度で」と思っても、本人にとっては全然、「その程度」なんかじゃないのだ……。


「あ……」


 思わずこんしまちゃんの(くち)から、吐息(といき)()れる。


 筈井(はずい)くんは一生(いっしょう)懸命(けんめい)赤金(あかがね)さんの下の名前を()()もうとしている。

 けれど、太い首もますます赤くなり、(くる)しそうだ。


 でもここで、「しろ」という未完成(みかんせい)のメッセージを見て、赤金さんがぽつりと言った。


「完全じゃなくてもいいよ、友春(ともはる)……。そのまま、送って」


 これを聞いて筈井(はずい)くんはなにか言おうとしたけれど、赤金(あかがね)さんの真剣(しんけん)な目に気づいて……だまって送信アイコンをタップした。


 結果、赤金さんのララララ・ララララ・ラララインに筈井くんの「しろ」というメッセージが送信された。


 とはいえ、これだけじゃなんのこっちゃさっぱり分からんので……筈井(はずい)くんは続けて別のメッセージを入力し、送信した。


 すると赤金(あかがね)さんの画面に、「しろ、君が好き」と表示された。

 赤金さんは、これを見て……顔を赤らめつつ、「ちょっと……声に出して読んでみてよ」と少し意地悪(いじわる)なことを言うのだった。


 そして筈井くんは、赤金さんを見つめ、やわらかく微笑(びしょう)して――。


「しろ、(きみ)が好き」


 ――とはっきり(くち)にした。


 それを聞いた赤金(あかがね)さんは顔をもっと紅潮(こうちょう)させ、「わたしも、やっぱり友春(ともはる)が好き」という返事をララララ・ララララ・ラララインで送った。

 ついで赤金さんもそのメッセージを声に出して、筈井(はずい)くんに伝えた。


 それから赤金さんと筈井くんはスマートフォンをしまって、短い会話を交わす。


「しろ……ありがとう。まだ不完全だけど、君の名前に近づけた。しろ……」

「うれしい……友春(ともはる)


 二人の言葉を耳にしながら……。

 こんしまちゃんはベンチのすみで、うれしい気持ちになっていた。


 まだ筈井(はずい)くんは赤金(あかがね)さんの下の名前を全部言えたわけじゃないけど……これからも「(きみ)」とも呼び続けるんだろうけど……。


 これで、よかったんだと思った。


 こんしまちゃんは沈黙(ちんもく)したままベンチから立ち上がり、公園から去ろうとした。


 当然、こんしまちゃんは忘れていなかったのだ。本来、二人はデートの待ち合わせをしていたのだ。

 だからこれ以上、二人のそばにいるのは野暮(やぼ)というもの……!


 颯爽(さっそう)と去るこんしまちゃんの背中(せなか)に、筈井くんと赤金さんの言葉が届く。


「こんしまちゃん! (ぼく)()()()()と呼べたのは……こんしまちゃんのおかげでもあるよ……あらためて、ありがとう!」

「わたしからも……! 今度は肉まん、もっとおごるよ、こんしまちゃん……!」


 なんか持ち上げすぎでは……? と思わないでもないけど、二人とも、このままこんしまちゃんを(だま)って立ち去らせるような人たちじゃないのである……。


 だからこんしまちゃんは()(かえ)り、右手でピースサインを作った。


「肉まん二個ぶんの借りは返せたかな……」


 (しあわ)せな二人を見たのがうれしくて――。

 思わずちょっとキザなことを言ってしまった、こんしまちゃんであった。


※ ※ ※ ※ ※ ♢ ♢


☆今週のしまったカウント:二回(累計(るいけい)十九回)

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