第三十七週 秘めたる野望を打ち明けてしまった!(木曜日)
ウェーブのかかったくせ毛を持つ女子高生・紺島みどりは今週のしまったちゃん略してこんしまちゃんと呼ばれている。一週間に一度は「しまった」と口にするからだ。
そんなこんしまちゃんも先週誕生日を迎え、十六歳になったわけだけど……。
こんしまちゃんは、これからいったいなにをするつもりなのか……?
恋愛的に好きなクラスメイトの鵜狩慶輔くんと付き合うことになったから、こんしまちゃんの夢の一つは成就したと言っていいが……ッ!
以降はなにを目的にして生きていくのか。
もちろん人生に目的なんてなくていい。
でも果たしたい目的が心のうちに眠っているのなら、それを自覚するに越したことはない。
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
木曜日の昼休み。
こんしまちゃんのクラスメイトの前髪ぱっつんの女の子、加布里璃々菜さんが両のまぶたを閉じて瞑想にふけっていた……!
加布里さんは左の太ももを右の太ももの上に置き、さらに左足の甲を右足首に引っかけている。これは加布里さんの必殺技の二重足組みである……ッ!
おまけに背筋をピンと伸ばし、両腕を背中に回して重ねている。
彼女はだれかとのキャラかぶりを恐れる。
前髪をぱっつんにしているのも昼休みに瞑想にふけっているのも二重に足を組んでいるのも両腕を背中に回しているのも、加布里さんのクラスメイトに同じことをやっている人がいないからだ……!
教室の後ろから見た場合、加布里さんは右から二番目・前から一番目の席にいる。
で……われらがこんしまちゃんは右から二番目・前から四番目の席に座っている。
あいだの席の久慈小鮎さんと見藤幸也くんは現在離席しているので、こんしまちゃんからは加布里さんの後頭部が丸見えだ……っ!
さらにこんしまちゃんは右隣の鵜狩くんと左斜め前の席のアヤメこと菖蒲佳代子さんと……教室の右から六番目・前から二番目の席からやってきた矢良みくりさんと共にお弁当を平らげたところだった……。
そのとき、右から五番目・前から三番目の席からマフラーみたいなボリュームのある「おさげ」を垂らした女の子――間地柚季さんがやってきた。
間地さんは長い前髪を持つアヤメをじっと見る。
「菖蒲さん……和服、着たくない?」
「え……っ」
アヤメは自分が話しかけられたことに驚きながら答えた。
「あ、そういえば間地さん、こないだ豆まき鬼のときに和装が似合うってわたしに言ってくれたっけ……。前にこんしまちゃんに着物を着せてたのも間地さんだったんだよね」
「うん。わたし服飾部だし、部室代わりに使ってる被服室でいろいろ着付けできるよ」
マフラーのような髪をくしけずる間地さん……っ!
対するアヤメは自分の席に座ったまま目を左右に泳がせる。
「そ、それは素敵だけど……わたしみたいな人には似合わないかも……」
「似合うと思うけどな~」
だいぶ残念そうに間地さんが目を細める。
そんな二人の様子を右後ろからこんしまちゃんが観察していた。
ぽつりと言うこんしまちゃん……!
「アヤメちゃん……わたしもアヤメちゃんの着物姿を見たい……」
「あたしも、あたしもっ」
こんしまちゃんの机の左横にイスを置いている矢良さんも話に乗ってきた。
間地さんはまばたきしてアヤメにほほえむ。
「もちろん無理に着ることもないからね。これ、わたしの趣味みたいなもんだし」
「……鵜狩くんは」
アヤメは右へと振り向き、こんしまちゃんの右隣にいる鵜狩くんに声をかけた。
「わたしの和服、見たい?」
「見たい」
鵜狩くんは即答した……っ!
まあもちろん「友達として」興味があるという意味なんだけど……それを分かったうえでアヤメは鵜狩くんのストレートな返答がうれしかった。
というわけでアヤメが顔の向きを戻し、間地さんに微笑を返す。
「じゃ……着付け、頼んじゃおっかな……」
「マジで任せて」
いっさいの逡巡をはさむことなく、間地さんも即座に返事した。
ここでアヤメが首をかしげ、間地さんを見上げる。
「どうして間地さんは和服が好きなの?」
「きれいだから」
やはり間地さんは迷わず答えた。
「ひとめぼれみたいなものだね。わたしの親戚に冷鉱泉……つまり冷たい温泉を経営している人がいるんだけど、小さいころに見たその人の着こなしがあまりにも素敵だったから脳を焼かれたんだと思う。藍色の……薄物っていう夏用の和服を着ててさ、青紫のキキョウのかんざしを挿してたっけ。ふんわりと笑顔を作りながらひざを曲げてわたしと目線の高さを合わせて……炭酸水の入った紙コップを渡してくれたっけ。その所作があまりにも完璧に見えたんだ」
「……あ、その人とわたし、会ったことあるかも」
アヤメがこんしまちゃんと矢良さんにも視線を向ける。
「夏休みに冷鉱泉に行ったとき、みくりちゃんとこんしまちゃんも見てるよね?」
「うん、覚えてる……」
こんしまちゃんがうなずく。矢良さんも「そうだね、きれいな人だったねっ」と言う。
なお鵜狩くんはそのとき一緒じゃなかったのでキョトンとしている。
間地さんは声のトーンを上げる。
「へ~、菖蒲さんたちも知ってるんだ。なんというか世間はせまいね。ともあれわたしはその人のおかげで和服の魅力に気づいて『もっと和服をポピュラーにしたい』という野望をいだくに至ったんだよ」
「野望?」
けげんそうにアヤメが聞く。
「……『夢』じゃなくて『野望』なんだ?」
「まあね。菖蒲さんも冷鉱泉に行ったのなら見たよね、入り口のそばに『冷鉱泉をバズらせろ!』って看板があったはず。あれも野望」
アヤメの机に右の中指を這わせ、間地さんは続ける。
「人はそれぞれ夢を持っていたり持っていなかったりする。でも野望だけは、だれもが等しく心に秘めている。マジで主語デカだけど、これがわたしの持論なんだ」
「いや……わたしはいい考えだと思うな」
感心したようにアヤメが首を縦に振る……!
「そもそも、なんだろ……小学校とかでは夢をかなえることはすばらしい! 夢をかなえたあの有名人は偉大だ! みたいに教育されるけど……実際はみんなが夢をかなえられるわけじゃない。そういうことに気づくたびに『夢』っていうのは希望じゃなくて逆に残酷なものじゃないか? って思わされるよ。おとなは子どもに未来への希望を持ってほしいという善意で夢を持たせようとするけれど、その善意のおかげでかえって夢をかなえられなかった人たちは『自分に希望はなかったんだ』って感じて自尊心を失うわけで。それを一生引きずるかもしれないわけで」
「……マジ分かる」
間地さんがアヤメの机に両手を置く。
アヤメは静かに言葉を継ぐ。
「だからわたし……『夢』って言葉があまり好きじゃない。でも『野望』のほうはいい感じかな……。野望って『自分の身の丈に対して大きすぎる望み』って意味だよね。自分の目的を単に『夢』と言ったときは現在の自分と理想の自分とのあいだにギャップがあるほど苦しい。でも目的を『野望』と呼んだ場合は現在の自分と理想の自分とのあいだにギャップがあるほど燃える」
右手で前髪をつまむアヤメ……っ!
「つまり……果たされない夢が『自分はダメだ』という現実を押しつけてくるのに対して、果たされない野望は『自分は小さい身でありながらここまでの目的を持つことができている。すごいぞ自分、もっとがんばろう』という自尊心につながる。『夢』は想像上のあやふやなポテンシャルに期待するから期待外れが多発するけれど、『野望』は最初からギャップを前提にしているからその目標に向かううえで期待外れがないんだよね。挑戦に失敗しても周囲からさげすまれても、野望の場合はそれも織り込み済みっていうか……」
鵜狩くんと矢良さんとこんしまちゃんの視線も感じながら付け加える。
「あと野望に似た言葉で『大志』という言い方もあるね。ただ、これは人から称賛されることを期待した言葉だから賛同を得られなかったらつらい。そういう意味でも『夢』でも『大志』でもなく……わたしは間地さんの『野望』って言い方が好きなんだと思う」
ここまで言って、アヤメが声を抑える。
「って、ごめん……。わたし自分だけで適当なことを語っちゃって……こんなんだからアヤ……わたし、友達もろくに」
「いやいや菖蒲さん。すごくていねいに言葉にしてくれてスッキリしたよ、わたし」
間地さんが腰を落とし、あごとおさげをアヤメの机にふれさせる……ッ!
「今までなんとなく夢じゃなくて野望って言ってきたけど、なるほど……確かにわたしの和服についての未来図を『夢』って呼んでいたらきっとわたしは『どうせ無理』って結論づけていただろうね。現実とのギャップがあるほど燃える……だから夢というよりは野望。周囲の理解が得られるかも分からないから大志でもなく野望」
左右の手を丸め、机に引っかける間地さん……っ!
「うん、しっくりくるな~。すごいね菖蒲さん、日本語力もあるんだ」
「そ……そんなことないよ」
アヤメは肩を落とし、顔を赤らめた……っ!
そんなアヤメを鵜狩くんも矢良さんもこんしまちゃんも右斜め後ろからえびす顔で見守っている……!
だが間地さんとアヤメの会話に耳をかたむけているのは、その三人だけではない。
一番前の席で瞑想中の加布里さんもさっきまでの話をすべてまるっと聞いていたのだ……っ!
(夢を野望と言い換えるかあ~。そんな発想なかったなー。確かに「将来の夢はなんですか」よりも「将来の野望はなんですか」と言ったほうがおもしろいやん)
加布里さんは背筋を伸ばしたまま思索にふけっている……ッ!
(……いや違う、もっと認識を深めるんだ加布里璃々菜ッ! 「将来の夢」って言い方は合っているけど「将来の野望」って表現は違和感ない? 野望というのは現在進行形なんよね。よって必然的に「将来の夢はなんですか」という問いは「現在の野望はなんですか」という質問にすり替わるんだよな~。いいじゃん、今現在のことならイメージしやすい)
さすがキャラかぶりをさけることにいのちをかけている加布里さん。
だれかの意見をうのみにしたりせず自分なりに再解釈する……ッ!
しかしこの瞬間、こんしまちゃんがその穏やかで落ち着いた声でつぶやく。
「わたし……今のみんなが持っている野望も知りたいな……」
(ぎゃああっ! こんしまちゃんが、現在の野望って点でわたしにかぶせてきたーッ!)
焦った加布里さんの腕と脚に汗がにじむ……!
とくに組んだ左の太ももの裏と右の太ももの前面に汗がたまっているけれど、加布里さんは集中してこんしまちゃんたちの会話の行方を耳で追う。
まずは言い出しっぺのこんしまちゃんがその秘めたる野望を打ち明ける……ッ!
「これはだれにも言ったことなかったけど、わたし……最近、新しい夢ができたんだ……」
ついでハッと気づいて修正する。
「しまった。夢じゃなくて野望だね……。実はこのごろ、カウンセラーになりたいと思い始めたの……」
「おお~、こんしまちゃんにはピッタリだよ」
アヤメの机におさげをふれさせたまま間地さんが反応した。
「わたしとの和装談議にも乗ってくれたし……こんしまちゃんって男女関係なくみんなと分け隔てなく接して話もまじめに聞いてくれるよね。しかも一人一人との距離感をかなり大事にしてるイメージある。ねえ、鵜狩も彼氏としてそう思うよね?」
「ああ、俺はこんしまちゃんのそんなところも好きだ」
間地さんに話しかけられた鵜狩くんは素直にそう答えた。
こんしまちゃんは照れちゃったので、両手をひざに置いてスカートをつまんだ。
ゆる~い調子で矢良さんが質問する。
「確かにあたしもこんしまちゃんはカウンセラー向きだと思うけど~、なんでカウンセラーになりたいって野望をいだいたのかな~っ」
「文化祭の前、学校の点検とかってことで早めに帰らなきゃいけない日があったよね……」
矢良さんのポニーテールを見ながらこんしまちゃんが言葉を続けていく。
「九月の終わりごろなのにその日は暑かった……。わたしはお姉ちゃんからもらった日傘を広げて……みんなと相合い日傘をした……誤解を恐れず言うと……とっかえひっかえしたんだね……そのとき思ったの……わたしは歩く日傘みたいな人になりたいって。別に人の悩みを意地でも解決しようとか……そんなことじゃない。ただ、なんとなく影に入ってそこから出ていく……そういう影を作れたらいいなって思う。これぞわたしの大それた野望……っ!」
「へ、へえ~。こんしまちゃんはカウンセラーになりたいんだ……まあ言われてみれば一番合ってるね」
アヤメが右目をこんしまちゃんに向ける。
「ただ、ひとくちにカウンセラーといってもスクールカウンセラーや企業内カウンセラーとかがあるんだっけ。具体的にどのカウンセラーを目指すの?」
「しまった……そこまではフワッフワのとろとろだった……」
フワッフワはともかく、なにがとろとろなのかは不明だ。
されど、こんしまちゃんは動揺せずに不敵に笑う……ッ!
「いや……一筋縄ではいかないからこそ野望も燃え上がるね……!」
「燃えてる……」
心なしかアヤメも、こんしまちゃん周辺の気温が上昇したような気がした。
ところで加布里さんも目を閉じつつこんしまちゃんの野望を聞いていた。
(相合い日傘でねえ……。わたしもその日のことは覚えてるけど、確かこんしまちゃん……隕石があしたふってくるぞと言われたらどうするっていうわたしの質問に対して『砕く』って答えてたよね。そういう不可能そうなことを堂々と言えちゃうのも一種の野望だからなん?)
加布里さんはあごを引き、自身の笑みを抑える。
(そういえばわたしの夢もとい野望ってなんなんかな~。キャラかぶりをさけて、ほかの人とは違う人になるっていうのが野望ってことになるんだろうけど……少なくとも今のクラスのみんなの野望とはかぶらんように気をつけよっと。とりあえずカウンセラーと和服をポピュラーにするっていうのは、こんしまちゃんと柚季の野望なんでわたしの野望リストからは除外っと。あと伏木くんが小学校の先生を目指していて……舞が特別支援学校で働きたいんだっけ。じゃあ学校関連もやめとこ)
そうして加布里さんが思索を進めたところで――。
今度は鵜狩くんがその野望を語り始める……!
「俺は家業を継ぐ。立派な跡取りになる」
「そうだね……鵜狩くんならかっこよくて素敵なにん……」
こんしまちゃんは言いかけて、ぽろりと出そうな「しまった」さえも飲み込んだ。
「にん……人間になれるよ……!」
「家業ってなにかなっ」
矢良さんが無邪気に聞いた。
冗談めかして鵜狩くんがツリ目を細める。
「家族以外には言えない特別な仕事だよ、矢良」
「むむっ。鵜狩くんが秘密にするとはよほどロマンのある仕事と見たっ」
それ以上矢良さんもせんさくしなかった。
続いて彼女が野望を言う……っ!
「あたしは老衰で死にたいかなっ」
(……え。高校生でそんなこと言う……?)
傾聴している加布里さんがまぶたを閉じたまま眉毛を上げる。
(そういえば矢良さんって明るいように見えてところどころ闇があるような……もちろん悪い意味じゃないけど……。自己紹介のときに病気があるって言ってたっけ。学校もそれなりに休むほうで、病院にも定期的に行ってるっぽいし……みんなにバレないように薬を飲んだりしてるよね。もしかしてヤバいん? し、心配になってきた)
だがこんしまちゃんは声をはずませて返す……!
「ビッグな野望だね……矢良さん……応援するよ……っ」
「人として産まれたからにはマジで大往生したいよね」
間地さんもアヤメの机からあごを離し、矢良さんの野望を受け入れる。
鵜狩くんも「矢良ならきっと達成できるはずだ」と言った。
それらの言葉を聞いて矢良さんは「まあ身に余る大望だけどがんばりますかっ」と口にして笑う。
加布里さんはひたすら驚いていた。
(重い言葉に対してよく適切に返せるなあ。わたしだったらうまく返答できないって。とはいえ「まさか病気そんなにヤバいの?」とか「そういうことじゃなくて、なりたい職業とかないの?」とか言ったらバッドコミュニケーションになるんよね。いやキャラかぶってないってことだから、それでいいんだけど)
心配しつつも姿勢を崩さない加布里さん……っ!
一方アヤメはちょっとためらったのち、矢良さんと目を合わせる。
「みくりちゃん……みくりちゃんは文化祭のマンガ研究部でわたしとこんしまちゃんの似顔絵かいてくれたよね」
矢良さんのそばで無言でうなずくこんしまちゃんをも少しだけ見て、アヤメが言いきる。
「あれ、めっちゃよかった」
「おおっ」
右後ろから矢良さんが、アヤメのイスの背もたれに左手を載せる。
「ほめてくれてありがとっ、佳代子ちゃんっ」
「だからみくりちゃん」
アヤメが矢良さんに右半身を向けて言葉を続ける。
「文化祭のときも言ったけどさ、イラストレーターとかマンガ家とか目指すのもありじゃないかな」
「……そりゃなれるならいいけれど、あたしはヘタの横好きなんとやらだよっ」
矢良さんは笑顔を貼りつけてポニーテールを微動させた。
「みんなが夢をかなえられるわけじゃないって言ったのは……佳代子ちゃんじゃんっ?」
「そうだね、言った。だけどそんな現実はあまり関係ないよ」
「どうして……」
「だって」
自分の顔の右側にかかる髪をアヤメがかき上げる。
「今は夢じゃなくて野望の話をしてるから」
「……佳代子ちゃん」
「なにを望んでもいいと思う。目的も目標も、すでに通り過ぎた場所にない。行きたい場所は、常に道の先にあるから。やりたいことなんて……最初から身の丈に合わない分不相応なものなんだよ」
ついでアヤメが間地さんのほうも見て言う。
「わたしさ……今、十七歳。高一だけど」
「え?」
間地さんにとっても矢良さんにとっても……あとそれを聞いていた加布里さんにとっても初耳だった。
アヤメはこんしまちゃんと鵜狩くんが見守っているのを感じながら続ける。
「中学でいろいろつまずいちゃったからね……本来のわたし、一学年上なんだ。だからもうまともな学校生活は送れないと思ってた。入学してからしばらくのあいだ……わたし、ずっとステルス状態だったのはそのせいで……。だけど小学校からの友達がわたしのことに気づいて今のわたしを受け入れてくれたから……今こうして高校の友達と話せてる」
両手にこぶしを作って胸を押さえる。
「こうやって空気を読まずに自分勝手に話して中学で失敗するのもむべなるかなって感じのわたしが……そんな生活できるなんて夢見たことすらなかったよ……。わたしはみくりちゃんから名前で呼んでほしいと言われたときも、間地さんから絶対和装が似合うって言われたときも……とってもうれしかったんだよ。だから……もしかしたらわたしにとっては大きすぎる望みかもしれないけれど……クラス替えのないこのクラスで」
もじもじしながら……しかしハッキリとアヤメが口にする。
「みんなと一緒に普通の高校生として卒業すること……それが今のわたしの『野望』……。夢って言ったら現実感がないからね。これは一つの勝負でもあるよ。野望を果たすための勝負。わたしは勝負が好きなんだ。みくりちゃんは……この野望をかけた勝負からわたしがおりずに勝ってほしい?」
「当然だよっ」
矢良さんもハキハキと応じる。
アヤメはもじもじをやめ、息をつく。
「ありがとう。そしてわたしだってみくりちゃんには、自分の野望をかけた勝負からおりずに勝ってほしいんだ……」
「老衰で死ぬこととイラストレーターになること……野望が二つになっちゃうけどいいの?」
「いいんじゃないかな」
胸からこぶしを外し、ひざに置く。
「かかえきれないほど大きいから、野望なんだよ」
(あ~っ)
加布里さんが身を震わす……ッ!
(マジか……柚季じゃないけどマジか。なんだろうな~、こういうときってどういう反応が正解なん? 創作物のキャラのパターンでいえば……「さっきからなにを言っているんだ」とマトモ枠を気取ったり「バカなのこいつら」と冷笑したり「すばらしい」と信者ムーブかましたりするわけだけど……わたし加布里璃々菜としては無理に理解できなかったフリをするのもバカにするのも手放しで「いい話だ」と見なすのも……やなんだよな~。分からん。わたしもわたしで自分の在り方について省察を深めんとな。わたしの野望は……いや、よく考えれば「野望」ってわたしの言葉じゃないっての。……ふ~む、キャラかぶり回避の究極とはなんぞや)
だがこの刹那、加布里さんの正面から声が聞こえた……!
「加布里さん……」
「……なん? こんしまちゃん」
答えながら足を組み替え、右の太ももを左の太ももの上に置く。右足の甲を左足首に引っかける。
いつの間にか目の前にウェーブのかかったくせ毛を持つこんしまちゃんがいた。
中腰の状態で加布里さんにささやく。
「加布里さんの野望はなに……? ちなみにわたしはカウンセラー……」
「へ~、いいね。で、わたしの野望は……」
両腕を背中にくっつけて重ねたまま、加布里さんは返答する。
「だれもなしえなかったことをなすことかな」
「さすが加布里さん……」
こんしまちゃんが目をキラキラさせている……っ!
加布里さんはこんしまちゃんのくせ毛に視線をそそぐ。
「あんがと。でも野望……ほかのみんなにも聞くん?」
「聞きたい……」
「とはいえこんしまちゃん。野望となると秘密にしておきたい人も多いんじゃ? たとえば下克上の野望をいだいている人がいるとして……それをだれかに漏らしたら下克上を事前に阻止されるおそれがあると思うんよね」
「しまった……加布里さんの言うとおりだね……無理に聞き出すのはよくないね……」
ウェーブのかかったくせ毛をゆらし、こんしまちゃんが反省する……ッ!
さらにおさげをぶら下げて、間地さんもやってくる。
「……璃々菜も放課後、被服室に来て和服着ない?」
「悪いけど柚季。わたしはひまを持て余すのでいそがしい――」
「わたしオリジナルの、まだだれも着たことのない鵺をイメージした和服があるんだけどな~」
「行ってやろうじゃないかい!」
「璃々菜かわいいな~。その前髪ぱっつんも和風なイメージあっていいわ~」
それから間地さんはトコトコ歩いてアヤメのもとに戻ってきた。
「というわけで菖蒲さん。璃々菜も一緒になるけどいい?」
「いいけど……間地さん」
おずおずとアヤメが見上げる。
「その……わたし、本当は一学年上だったって言ったけど……どうか、このことは」
「だいじょうぶ。言わないし気にしない。璃々菜もわたしたちの会話ずっと聞いてたっぽいけど、同じ気持ちだと思うよ。そんなわけで佳代子も友達」
「う……うんっ! 柚季ちゃん。じゃあ放課後ね……」
「気合い入れて着付けするからね、佳代子」
そう言って間地さんが自分の席に戻っていった。
続いて矢良さんが、こんしまちゃんの席のそばに持ってきていた自分のイスを持ってアヤメに声をかける。
「佳代子ちゃん。ありがとう、あた……わたし、野望をいだき続けるから」
まじめな調子でお礼を述べ、矢良さんが去っていく。
ところでこんしまちゃんは、話を聞きつけた赤金しろみさんからその野望を開示されていた……!
「夢じゃなくて野望っていうなら、こんなことも言っていいよね! わたしは肉まん屋さんを経営したい! そして失敗して商品にできない不細工な肉まんをあっつあつにして友春と一緒に食べるんだ~」
「しろみちゃん……わたしも食べたい……」
「え~、こんしまちゃん。わたしと友春のあいだにはさまったら熱くてドロドロになっちゃうかもよ~」
「しまった」
「いやあ冗談だよー。こんしまちゃんもハフハフしよう……っ!」
「わーい」
楽しそうにこんしまちゃんが話している。
そんなこんしまちゃんを後ろから見るアヤメ……を右斜め後ろから見る鵜狩くん。
アヤメはそのツリ目の視線に気づいた。
「なに……鵜狩くん」
「みんなアヤメと同じクラスになれてよかったと思って」
鵜狩くんが右手でほおづえをつき、静かにほほえむ。
少しさびしそうにアヤメは笑い返す。
「違うよ、わたしがみんなと同じクラスになれてよかったんだよ。それと……みんなには言わなかったけど、アヤメが鵜狩くんと付き合いたいと望んでいたのも……なにより大きな野望だったね」
そして鵜狩くんが答えるよりも前にアヤメが言葉をかぶせる。
「だけどその野望があったから、これからわたしはこんしまちゃんにも鵜狩くんにもあまえずに済むんだと思う」
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
☆今週のしまったカウント:四回(累計百五十七回)
次回「第三十八週 擬似的な標本を作ってしまった!(日曜日)」に続く!(二月二十七日(金)午後七時ごろ更新)
評価やブクマ等も大変励みになります!
それにしても誰かの願いが本人だけでなく別の何かを変えることもあるのかもしれませんね~。




