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思わぬ再会を果たしてしまった!(木曜日)

 高校一年生の紺島(こんしま)みどりは、一週間に一回は「しまった」と言ってしまう女の子。

 みんなからは「今週のしまったちゃん」(りゃく)して「こんしまちゃん」と呼ばれている。


 この「こんしまちゃん」というあだ名(?)は、小さいころからのもので……。

 高校のクラスメイトの鵜狩(うかり)慶輔(きょうすけ)くんにしても、七年前から、こんしまちゃんをこんしまちゃんと呼んでいるのだ。


 ……そして、こんしまちゃんのことを昔から知っているのは、鵜狩くんだけじゃない。


 今回は、そんな昔なじみの一人とこんしまちゃんが、ふとしたきっかけで再接近(さいせっきん)する話――。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 その日は、木曜日だった。

 授業が終わったあと、こんしまちゃんは教室でクラスメイトにノートを配っていた。


「みんな……帰るのは、ちょっと待ってね……」


 ノートは、先生が成績をつけるために集めていたもの。

 こんしまちゃんは先生から、その返却(へんきゃく)(たの)まれたのだ。

 でも、クラスメイトのみんなのほうが自分から取りに来てくれたので、すぐにノートはなくなった。


 ――ただ一冊(いっさつ)(のぞ)いて。


「どうしたんだ、こんしまちゃん」


 ツリ目の男の子の鵜狩(うかり)くんが、自分のノートをカバンに入れながら、たずねる。

 こんしまちゃんは一冊のノートを教卓(きょうたく)に置き、それと、にらめっこしている……!


「しまった、(わた)しそびれちゃったかも……。鵜狩くん……。菖蒲(しょうぶ)さんは、もう帰ったのかな」


 ノートの表紙には、「菖蒲(しょうぶ)佳代子(かよこ)」という名前が書かれてあった。

 菖蒲(しょうぶ)さんは、ほとんど話さず、だれとも目を合わそうとしない女の子。


 このあいだ、こんしまちゃんは五段重ねの重箱にお弁当を作って学校に持ってきたけれど――、そのとき、「菖蒲(しょうぶ)さんも、どうかな……」と彼女に話しかけていた。


 でも菖蒲(しょうぶ)さんは、「ありがとう、だけど遠慮(えんりょ)する……」と言って顔をそむけたのだった……。


 菖蒲(しょうぶ)さんの(かみ)は、全体的に長かった。結んでもいない。

 その髪にはばまれ、表情も容姿もまともに見ることができなかった。


 ともあれ、鵜狩(うかり)くんがツリ目を細める。


「こんしまちゃんがノートを配り始める前に、菖蒲(しょうぶ)が教室から出ていくところを見た」


「――たぶん、お花を()みに()ったんじゃないかなっ」


 鵜狩くんとこんしまちゃんのそばに、ポニーテールの女の子が近寄(ちかよ)る。

 彼女の名前は、矢良(やら)みくり。


「ほらっ、まだ(つくえ)にカバン置いてあるしっ」


 矢良(やら)さんが、菖蒲(しょうぶ)さんの机に目を向ける。

 そこには、黒いスクールバッグが置かれたままだった……。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 しばらくして、菖蒲(しょうぶ)さんが教室に(もど)ってきた。

 スクールバッグを(かた)にかけようとする菖蒲さんに近づき、こんしまちゃんがノートを差し出す。


菖蒲(しょうぶ)さん……これ、ノート。わたしが先生から返却(へんきゃく)を頼まれてたの……」

「……え、あっ」


 (おどろ)いたのか、菖蒲さんは(からだ)をビクッと(ふる)わせて、ノートにふれた。

 結果、ノートが教室のゆかに落ちた。


 こんしまちゃんが即座(そくざ)に、しゃがむ。


「ごめん、菖蒲(しょうぶ)さん。びっくりさせちゃって――」


 そのとき、こんしまちゃんは菖蒲さんの顔を間近(まぢか)で見た。

 ノートを(ひろ)うべく、菖蒲さんも同時にしゃがみ、左手を()ばしていたからだ。


 菖蒲(しょうぶ)さんは、こんしまちゃんよりも(さき)にノートを拾った。

 それをカバンにつっこみ、さっさと教室から出ていく……。


「じゃ、こんしまちゃんっ。ノートも全部返せたところで、あたしと(かえ)ろっ!」


 いつの()にか矢良(やら)さんが、こんしまちゃんの背後(はいご)に立ち、その右肩(みぎかた)をたたく。

 が、なにを思ったのか――こんしまちゃんは真剣(しんけん)な表情で答える。


「ごめんね、矢良さん……。今からわたし、ア……菖蒲(しょうぶ)さんと話さなきゃ……」

「……そっか。分かったよん」


 なんの事情も聞かず矢良さんは、こんしまちゃんに笑顔(えがお)を向ける。


「こんしまちゃんたちにとって、大事(だいじ)なことなんだよね……! だったら、思い立ったが、なんとやらっ!」

「ありがと……」


 こんしまちゃんは、自分のカバンを肩にかけた。

 鵜狩(うかり)くんたちにもサヨナラを言って、すぐ教室から出ていった。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 ――こんしまちゃんは、廊下(ろうか)()き進んでいた。

 もちろん走っては、いない……! 校則で許される最大限のスピードを維持(いじ)している。


 無意識のうちに、ひとりごとを()らす、こんしまちゃん。


「しまった……。わたし、ずっと気づかなかった。(あやま)らないと……。菖蒲(しょうぶ)さんに、いや――」


 廊下を()け、(あぶ)なくない程度のスピードで階段をおりる。

 そのまま校舎の(そと)に出る。


 ちなみに、こんしまちゃんの通う高校は土足オーケー。

 よって外に出る(さい)(くつ)()()える必要はない。


 果たして、前方――校門の手前に、菖蒲(しょうぶ)さんの後ろ姿があった……!


菖蒲(しょうぶ)さん……! 待って……」


 こんしまちゃんは、精いっぱいの声を上げた。

 といっても、そんなに大きなものじゃない。


 だけど菖蒲(しょうぶ)さんは、声に気づいてくれた。

 おずおずと……こんしまちゃんのそばに寄る。


「どどど、どうしたの……。ノート以外に、なにか……」

「時間、ある……? 菖蒲(しょうぶ)さん……よかったら、みんなのいないところで話さない……?」


 そのあいだも、こんしまちゃんと菖蒲さんの(となり)を、生徒のみんなが()ぎていく。

 さらに、こんしまちゃんが――。

 とても心配そうな顔で、菖蒲さんと目を合わそうとしていた……。


 菖蒲(しょうぶ)さんは目をそらし、「あ、いや」と言ったあと、ゴクリと(つば)を飲み込んだ。


「……じゃあ、そうする……。ひまだから」


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 こんしまちゃんと菖蒲(しょうぶ)さんは、校舎に再び入った。

 (だま)って菖蒲さんが廊下(ろうか)を進む。こんしまちゃんが、(くち)を閉じてついていく。


 菖蒲(しょうぶ)さんがとまったのは、校舎一階のはしっこにある、階段の裏側にあいたスペース。

 物置(ものおき)(とびら)があるけれど、その(かぎ)は閉まっている。


「ここ、だれも来ないから……」


 菖蒲さんが、扉に寄りかかる。


「それで、わたしに(はなし)って、なに……」

(あやま)りたかったの」


 こんしまちゃんが菖蒲(しょうぶ)さんの真正面(ましょうめん)に立ち、頭を下げる。


「入学して同じクラスになってたのに、ずっと気づかなくて、ごめんね……アヤメちゃん」

「あ……う……」


 ……それを聞いた菖蒲さんは、言葉にならない息を出した。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 アヤメちゃんとは――、こんしまちゃんと小学校が同じだった女の子。

 こんしまちゃんの一つ上の学年の子だった。


 当時はツインテールで、(むらさき)髪飾(かみかざ)りを付けていた。

 一人称(いちにんしょう)は「アヤメ」……。

 とても明るく、ノリのいい子だった。


 こんしまちゃんは鵜狩(うかり)くんが転校してきた七年前……小学三年生のときにアヤメと知り合った。

 アヤメが卒業するまで、鵜狩くんと三人でよく遊んだものだ。


 なにかにつけてアヤメは「勝負」を持ちかけてきた。

 (はじ)めて会ったときは、おりがみの手裏剣を投げ合う勝負をした……。


 こんしまちゃんは、アヤメのことが大好きだった。

 でもアヤメが中学に()ってからは、会っていない……。連絡先(れんらくさき)も知らなかった。


 いや、本当は……会っていなかったんじゃなくて……。

 こんしまちゃんが、気づいていなかっただけのようだ。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 菖蒲(しょうぶ)さん……アヤメは、深呼吸して、息を(ととの)える。


「は……はは……、こんしまちゃんに、ばれちゃったか……。そりゃそうだよね、さっきノートを拾うとき、至近距離(しきんきょり)で顔を見られちゃったし……」


 かわいた笑いを()らしつつ、スクールバッグをゆかに置く。


「こんしまちゃんは、わたしの名前……『アヤメ』と思ってたよね。小学校のときの一人称(いちにんしょう)が『アヤメ』だったから」

「うん……」


 こんしまちゃんも、自分のカバンをゆかに置いた……。

 アヤメは声の(ふる)えを(おさ)えて続ける。


「でも実は、菖蒲(しょうぶ)佳代子(かよこ)本名(ほんみょう)なの。菖蒲って、アヤメとも読めるし……」

「わたしにとって、アヤメちゃんはアヤメちゃんだよ……」

「……もうわたし、アヤメだなんて言ってない」


 物置(ものおき)(とびら)()を押しつけたまま、アヤメの上半身がずり落ちる。


「中学に入ってから、わたしのこと……だれも相手にしてくれなくなったから」


 ひざを曲げ、お(しり)をゆかにつける。


「いじめられたわけじゃない。露骨(ろこつ)に無視されたわけでもない。でも……『勝負』ってくりかえすところとか、自分のことをアヤメって言うところとか……そういうのに、みんなが()いちゃってるのが分かった」


 左右のひざを、両腕(りょううで)でかかえるアヤメ……。


「それで……なんかさ、(こわ)くなって。本当はみんなから見たら、わたしって……みっともないんじゃないかって。だからツインテールをほどいた。髪飾(かみかざ)りも(はず)した。人に顔を見せないようにした」

「アヤメちゃん。中学校は、どこだったの……」

「こんしまちゃんと、同じ」


 そしてアヤメは、その中学校の名前を(くち)にした。

 ここで、こんしまちゃんが(こし)を落とし……正座(せいざ)になる。


「そうだったんだ……。わたし、てっきりアヤメちゃんは別の中学校に()ったかと思ってた……」

「実は、何度もすれ(ちが)ってる……。でも小学校のときとは雰囲気(ふんいき)が全然違ってたし、わたしのほうが、こんしまちゃんに今の自分を知られたくなくて、ばれないように顔をそむけたりしてたから……」


 ついでアヤメの声が自嘲(じちょう)気味(ぎみ)に高くなる。


「同じ高校のクラスになったのは偶然(ぐうぜん)だけど……今じゃ、なおさら気づかないはずだよね……! だってわたし、本来だったら高二(こうに)だもん……っ!」

「なにが、あったの」

「受験の日に、わたし……受ける高校の前で、中一のときに同じクラスだった子たちを見つけちゃって……。それで、なぜか足が動かなくなって……気づいたら、試験会場にも入らず引き返してた。めちゃくちゃだよね……。あの子たち、わたしをいじめていたわけじゃないのに……。結局、一年間なにもできなくて、志望校(しぼうこう)も変えてさ……本当に、わたし……最低……」


 アヤメは、左右のひざに顔をうずめた。


「こんしまちゃんはわたしに謝ったけど……こんしまちゃんは、悪くないからね。わたしは、こんしまちゃんも、鵜狩(うかり)くんのことも、入学したときから気づいてた。ウェーブのくせ毛も、鵜狩くんのツリ目も、あのときのままだったから。……なのにわたしは、知らないフリしてた……ごめん、ごめんね、こんしまちゃん……」


 数秒ごとに全身をビクッと上下(じょうげ)させ、(おと)もなく(なみだ)を流す。


「わたしが泣いているのも、こんしまちゃんのせいじゃない……。むしろ、スッキリした……。人間、落ちるところまで落ちたら、もっと落ちたくなるものなんだよ。だから今までさけていたくせに、正体がばれた瞬間(しゅんかん)、わたしのよどんだ心を話したの。これで、こんしまちゃんはわたしのこと、見捨(みす)ててくれるよね……。こんしまちゃんと遊んでいたアヤメなんて、もういないんだから……」

「アヤメちゃん……」


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 こんしまちゃんの右手が、そっとアヤメのほおをなでる。

 涙を()き取るかのように――。


「わたし、アヤメちゃんのこと、今でも大好きだよ……。それだけじゃなくて、菖蒲(しょうぶ)佳代子(かよこ)さんのことも……菖蒲(しょうぶ)ちゃんのことも、わたしは大切にしたい」


 ゆっくり、小さな、吐息(といき)()じったような声で、こんしまちゃんが言う。


 全然、(あつ)はない。

 だけど、こんしまちゃんの感情は、残らず言葉に乗っていた。


「だから、勝負しようよ」

「……負けたら、なにするの」

「なにもないよ……。()っても負けても、なにもない……」


 そう(くち)にして、こんしまちゃんは制服のポケットからハンカチとティッシュを取り出した。

 少し落ち着いたアヤメが、顔を上げる。


「それを勝負に使うんだ?」

「いや、これは関係ないよ……! アヤメちゃん、よかったら……」

「……そゆこと。ありがと。本当は、自分のぶんもあるけどね」


 ハンカチとティッシュを受け取ったアヤメは、涙とか、いろいろなものを顔から()き取る……。

 こんしまちゃんが、そのあいだにルール説明をおこなう。


「ルールは、()()()()()()()()()()()()……!」

「……ちょっと。それ、アヤメの()()()()()()()()のパクリじゃん……っ」

「小学校のころのアヤメちゃん……会ったときからずっと、わたしと鵜狩(うかり)くんに、これ言ってたからね……」


 なおこのとき、こんしまちゃんはアヤメがかつての一人称を使ったことに気づいたけれど、あえて指摘(してき)せずにスルーした……!


「勝負は、しりとり。それも、形容詞(けいようし)しか使えない地獄(じごく)のルール……っ!」

「……じゃ、アヤ……じゃなくて、わたしから。『りりしい』……」

「いちじるしい」


 こんしまちゃんが、ノータイムで応じる。

 しばらく、二人の攻防(こうぼう)が続く……ッ!


(ちょっと分かりにくいけど、次の段落の各行(かくぎょう)は「アヤメの言葉」「こんしまちゃんの言葉」の順番で配列されている……!)


「いきぐるしい」「いじらしい」

「いまいましい」「いとおしい」

「いぎたない」「いさましい」

「いやしい」「いそがしい」

「いまわしい」「いさぎよい」

「いたましい」「いとしい」

「いやらしい」「いまめかしい」

「いかがわしい」「いろっぽい」

「いたい」「いたい」


「……というかさ、形容詞って、ほぼ全部『い』で終わるんだから、しりとりとして成立してないじゃん」


 アヤメが、今さららしいことを言う。


「それに、こんしまちゃん……さっき、わたしの『いたい』をくりかえしたよね?」

同音(どうおん)異義語(いぎご)だよ。わたしの『いたい』は、ずっと一緒(いっしょ)に『いたい』の『いたい』……」


「……それって、形容詞じゃないよ? 動詞『いる』の連用形(れんようけい)に希望の助動詞(じょどうし)『たい』がついたやつだからね?」

「しまった……さすがアヤメちゃん……!」


()()って、それで。国語のテストじゃないんだから。……でも、これ以上わたし、思いつかないから勝負は、こんしまちゃんの勝ち――」

(ちが)う。アヤメちゃんの勝利。今、『いい』って言った。わたしの言葉も()きちゃった」

「え? アヤメが()ったの? やったー!」


 (すわ)ったままガッツポーズをとるアヤメ。

 が、すぐに正気を取り戻し、顔を赤くする。

 ついでハンカチをこんしまちゃんに返す。ちなみにティッシュは、すべて使いきったようだ。


「なんか、(ひさ)しぶりに(たの)しかった」

「わたしも……高校生になってアヤメちゃんと勝負できて、(しあわ)せ」

「こんしまちゃん……」


 アヤメは、そう(ちから)なく言って、こんしまちゃんと同じ正座の姿勢をとった。

 こんしまちゃんと、しっかり目を合わせようとする。

 ときどき、(ちが)うところを見たりもするけど……。


(やさ)しいね……それなのに、わたし……アヤメ、小学校のときから、こんしまちゃんのこと、ちょっと(きら)いだった」

「そう。どのくらい」

「ヘイトじゃなくてディスライク」


 自分のスクールバッグを目の前に引き寄せ、そこにアヤメは両手を()せる。


「友達だとは思ってる。だけど、あなたは鵜狩(うかり)くんとずっと一緒(いっしょ)のクラスだった。それが、うらやましかった……っ」


 声に(ちから)()もる。肩が(ふる)える。

 両手をけいれんさせながら、いくつものシワをバッグに作る――。


「なにより、こんしまちゃんは自分をありのままに見せても、みんなから受け入れられてた……。小学校のときも、中学校のときも……今の高校でだって。……だから、どうしても『ずるい』って思っちゃうんだよ……。もちろん分かってる……こんしまちゃんは、ずるくない……。一生懸命(けんめい)で、意外と積極的で、みんなに(やさ)しくて、自分で自分を()じてない……こんしまちゃんは素敵(すてき)だよ」


 そしてアヤメの両目から、今度は大粒(おおつぶ)(なみだ)がこぼれ――。

 バッグと手の(こう)に当たって、ポタッ……ポタッと(おと)を立てた。


「きっと鵜狩(うかり)くんも……嫉妬(しっと)からこんなグダグダ言うアヤメより、こんしまちゃんのことが好きなんだ……っ」


 ここで突然(とつぜん)、アヤメが立ち上がった。

 カバンを肩にかけ、階段裏(かいだんうら)のスペースから()ろうとする。


「じゃあね、こんしまちゃん……」


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 ――が、この瞬間(しゅんかん)


 こんしまちゃんも正座(せいざ)をやめ、一気に立ち上がった。

 カバンは、ゆかに置いたままだけど……。

 アヤメの進行ルートをふさぐように、彼女の前に立ちはだかる。


 無言でアヤメは右によけようとするも、その動きに合わせ、こんしまちゃんも同じ方向にスライドする。

 右に()っても、左に寄っても――こんしまちゃんが同じだけ移動し、目の前に立ちふさがるのだ。


 むっとしたアヤメは、しばらく静止(せいし)したのちに――。

 突如(とつじょ)として、体を右に動かした。


 しかし、それはアヤメのフェイント。

 (しん)のねらいは、右に()くと見せかけて左からこんしまちゃんのディフェンスを突破(とっぱ)することにある……!


 結果、アヤメは左に飛び出し――。

 みごとに、こんしまちゃんと正面(しょうめん)衝突(しょうとつ)した。


「読んでたんだ……こんしまちゃん」


 バランスを(くず)したアヤメは後ろに(たお)れ、(しり)もちをついた。


「もう……っ。こんな強引(ごういん)()()めて……! こんしまちゃんが友達じゃなかったら、先生たちに相談しているところ……」


 ところがアヤメの言葉は、途中(とちゅう)で切れた。

 目の前のこんしまちゃんもアヤメとぶつかったことでバランスを(くず)し、尻もちをついてしまったからだ。


「し、しまった……。アヤメちゃん、()かないで」


 (あせ)って体勢を立てなおそうとする、こんしまちゃん。

 そんな姿を目にしたアヤメは、思わず、ふふっと笑うのだった――。


相変(あいか)わらず、こんしまちゃんは、こんしまちゃんなんだから……っ」


 右手の(こう)で、目元(めもと)をゴシゴシぬぐう。


「アヤメの負けだよ」


 一瞬(いっしゅん)だけ、天井(てんじょう)を見上げる。

 そこでは階段の裏側が、(なな)めにせり出している。


 いったん目を閉じ、十秒くらい経過して、まぶたをひらくアヤメ。


「……こんしまちゃんは、まだ話したいこと、あるんだよね」

「さっきアヤメちゃんは、わたしのことをうらやましいとか、ずるいとか言ったけど」


 (たが)いに(しり)もちをついたまま、こんしまちゃんが続ける。


「本当はわたしも、アヤメちゃんがうらやましかった。(あこが)れてた。ずるいとも、思ってたかもしれない」

「なんで……」


「だってアヤメちゃん、堂々(どうどう)として、元気で、自信いっぱいで、勝負の勝ち負けよりも人の幸せを考えてた……。小学校で(はじ)めて会って、鵜狩(うかり)くんとわたしとで手裏剣(しゅりけん)投げをしたときも……アヤメちゃんと遊びたいって言ったわたしのことを拒絶(きょぜつ)しなかったし、鵜狩くんも楽しめるように途中でルール変更もしてくれた。確かにわたしと鵜狩くんは同学年だったけど……アヤメちゃんと遊ぶ鵜狩くんは、とても楽しそうだったよ……。わたしも、やっぱり楽しかった。今思えば、そこが、ずるいなって……」

「だから……そんなわたしは、もう――」

「――わたしには、アヤメちゃんがどのくらい変わったのか分からない。だから(ひと)つだけ、聞いてもいいかな……」


 こんしまちゃんが()つん()いになって、アヤメに顔を近づける。


「今でも、アヤメちゃんは鵜狩(うかり)くんのことが好きなの……?」

「……うん」


 アヤメは、ゆっくり、うなずいた。


「高校生になった鵜狩(うかり)くん、もっと、かっこよくなったよね。あのツリ目も、シュッとしたあごも。今は料理部なんだよね……大きなお弁当箱を持ってきて、たくさん食べるんだよね……。いや、初めて会ったときから好きになってた……。知らないわたしとの勝負を、おもしろそうって言って受けてくれたもん……。おりがみでかっこいい手裏剣(しゅりけん)を作れるところも、それをスタイリッシュに投げるところも……好き。勝負に負けたわたしにその手裏剣をくれたことも、うれしかった……」

「そっか……好きが言葉にあふれてる……わたしもアヤメちゃんみたいに、素直(すなお)になりたいな……」


 こんしまちゃんも、小さくうなずく。


「わたしも、鵜狩くんが好き……そしてお互いに、お互いのことをうらやましいと思ってる……。だから今のアヤメちゃんもわたしも、小学校で遊んでいたときと……同じだね」

「そう……かな……」

「アヤメちゃん。わたしたち、すでに友達だけど――」


 ()つん()いをやめ、こんしまちゃんが正座に戻る。

 

「わたしはもう一度(いちど)、アヤメちゃんと……菖蒲(しょうぶ)佳代子(かよこ)ちゃんと、友達になりたい」

「いいの……?」


「わたしが、一緒(いっしょ)にいたいんだよ……」

「それは……わたしの……」


 今度はアヤメが四つん這いになり、こんしまちゃんに目を近づける。


「それはアヤメのセリフだよ……。本当は、アヤメも……わたしも、こんしまちゃんと前みたいに……友達でいたいよ……。まだ希望があるなら、同じ男の子を好きでいたいよ……!」

「じゃあ、あらためて友達だね……」

「うれしいね……!」


 ちょっとだけアヤメが笑った。

 こんしまちゃんも、それに()られて笑顔になった……。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 それからアヤメとこんしまちゃんは、物置(ものおき)(とびら)に寄りかかって話した。

 お(しり)をゆかにつけたまま……。


「それにしても、こんしまちゃんって……ほんと、大胆(だいたん)なところがあるよね。普通(ふつう)、昔の友達に気づいても……さけられている感じがしたら、『話しかけていいのかな』って思って、結局、知らないフリしない?」

「しまった……。わたし、まったく考えてなかった……」

「……いいんだよ。こんしまちゃんは、それで」


 アヤメは両ひざを(うで)でかかえ、静かに言う。


「こんしまちゃん」

「なに……」


鵜狩(うかり)くんには、菖蒲(しょうぶ)佳代子(かよこ)がアヤメだってこと、秘密(ひみつ)にしてくれるかな……。今はまだ無理だけど――鵜狩くんには、いつか……自分の(くち)で伝えたいから」

「分かった」


「二人きりじゃないときは、アヤメじゃなくて菖蒲(しょうぶ)って呼んでね……」

「……うん」


「……さっきから、わたし、一方的だね。こんしまちゃんは、アヤメにしてほしいこと、ある?」

「アヤメちゃんが、アヤメちゃんの望むアヤメちゃんでいてくれるのが、一番だよ……」

「そう……努力してみる」


 アヤメは長い髪をゆらし、すっくと立ち上がる。


「わたしに、アヤメに気づいてくれて、ありがとう。こんしまちゃん」


 そして、階段裏のスペースから去っていくアヤメ……。

 もう、こんしまちゃんは彼女を引き()めなかった。


 ただ「また話せて、うれしかった」と――その後ろ姿に声をかけた。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 次の日の昼休み、高校の教室――。


 こんしまちゃんは矢良(やら)さんと一緒(いっしょ)に、お弁当を食べようとしていた。

 でもその前に、こんしまちゃんはアヤメ……菖蒲(しょうぶ)さんのいる席に向かおうとした。


 さっきカバンからお弁当を取り出すところを見たのだ。

 いつも菖蒲(しょうぶ)さんは教室内で昼食をとっていないようだったが……、きょうは違うみたいだ。


 だから、こんしまちゃんは菖蒲さんに「一緒に食べよ……」と言うつもりだったけれど……。

 こんしまちゃんが動く前に、菖蒲さんのほうが二人のもとに、やってきた。

 なお、めずらしく鵜狩(うかり)くんは学食に()ったらしく、現在教室にいない。


 うつむきつつも、チラチラと目を合わせる菖蒲(しょうぶ)さん。


「あの……こんしまちゃんに、矢良さん。よかったら、一緒にお弁当、食べてもいいかな……」

「もちろんだよっ! 佳代子(かよこ)ちゃんっ」


 少しの迷いもなく、矢良さんが菖蒲(しょうぶ)さんの下の名前を呼ぶ。

 かたや、こんしまちゃんは……うれしげに首を上下させている……!


「わたし、本当はこんしまちゃんと小学校からの友達なんだ――」


 お弁当を食べる合間(あいま)に、ちょっとずつ……菖蒲(しょうぶ)さんが矢良(やら)さんと話す。

 矢良さんは、うなずきつつ、笑顔で聞いている。


 その光景を見ながら、こんしまちゃんは――。


 ただ、ほほえんでいたという……。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


☆今週のしまったカウント:五回(累計(るいけい)十二回)

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