第二十七週 水平観覧車が回ってしまった!(日曜日)
人生は観覧車だとだれかが言った。
もっとも低い位置でゴンドラに乗り、その後はゆるやかに上昇。横に投げ出されることなく弧をえがき、もっとも高い場所に着く。
あとは、だんだん下降するだけ。やはりゴンドラは別のところに転がっていくことなく、その軌道を湾曲させてもとの一番低い場所に戻ってくる。そこでゴンドラからおりる。
おりてから「ああ、いい景色だったね」と言う。ただし観覧車の窓は静止しているのではない。
斜めに上がったり下がったりする風景、内部にいる人の動きに合わせてゆれるゴンドラ――それらの思い出をも合わせて、窓枠に切り取られた眺望を懐かしむ。
ある意味ゴンドラは牢獄でもある。途中で外に出ることができない。おりるまで、同乗した者と一緒にいなければならない。
ある人と別のある人との違いは、どんな観覧車にだれと乗るかという条件の違いにすぎない。
観覧車には独自のスピードがある。速いものも遅いものもある。その立地次第で、見える風景も異なる。
自分と同じゴンドラに乗る人がだれかによって、観覧車の旅が楽しいものにもつらいものにもなるのは言うまでもない。
そして観覧車から途中でおりることが許されないのなら、その旅の大略は最初にゴンドラに乗った時点ですでに決まっていると言えないだろうか。
せめて、どの観覧車に乗るか最初に選べるとすれば――。
ぜいたくは言わないから水平観覧車に乗せてくれと別のだれかが言った。
水平観覧車とは、水平に回転する観覧車のことだ。
通常の観覧車がハムスターの滑車のように縦に回る一方で、水平観覧車はメリーゴーラウンドのように横に回る。
その最大の特徴は、上下の動きがないことにある。
高度を一定に保ちつつ、全方位の風景をひととおり見られる。
人生における上昇とは、のちに下降することを考えれば一種のぬか喜びにすぎない。
一般的な観覧車における最高到達点は、ゆるやかな没落の始まるターニングポイントでもある。
穏やかな旅を望むのであれば、縦回転の観覧車よりも横回転の観覧車を求めたくならないだろうか。
立地・スピード・一緒に乗る人が選べなくても、せめて観覧車を水平に倒してくれと……世界中の何人が願うのだろう。ぬか喜びをさせるなと……下がっていく景色を見せるなと……この世に生きてきた人間の何パーセントがうったえようとしたのだろう。
とある日曜日、こんしまちゃんに聞いてみた。
どうして人は水平観覧車に乗れなかったのかと。
こんしまちゃんは答えた。
「最初から人生は、水平観覧車なんじゃないかな……」と。
「遊園地によくあるハムスターの滑車みたいな観覧車は、本当の人生の景色じゃないんだと思う……。いったん上がってそのあと下がる……この動きって人生をあらわしているようで実は見当外れだよ……だって人生は、ゴンドラに乗ってそれからおりるまで……ずっとリアルに輝いているはずだから……」
ちゃかすことなく、こんしまちゃんは続けた。
「生まれてから死ぬまで、人は上がったり下がったりしない……そう思い込んだり、そういう考えを押しつけたりするだけ……本当はゴンドラに乗っているあいだ、ずっと高度は同じなの……見える窓外の景色は変わっていくけれど……人生のどのタイミングを切り取っても、人は同じ高い場所から自分だけの眺望を心に焼きつけている……スタートに近い場所にいても、もっとも遠い場所に離れても、もう一度始まりに戻ってきても……時間とその景色は平等に高みにあるんだ……」
そしてこんしまちゃんは締めくくる。
「だからわたしたち人間は、縦に回転する観覧車じゃなくて、横に巡回する『水平観覧車』に始めから乗っているんだよ……。乗り換える必要なんてない……ゴンドラの下降を心配することもない……観覧車に乗ったことを後悔しなくていい……。ただ、ぬか喜びと凋落というイメージで固められたウソの人生観覧車を、そっと水平に倒して……そちらが本物の人生観覧車であると気づけばいいだけなんだ……。人生観の観覧車……略して人生観覧車……っ!」
でも、そのあとハッとして付け加える。
「しまった。えらそうなことを言っちゃったね……き、気にしないで……わたしも自分が言ったことが本当なのかまだ分からない……だって、まだわたしの観覧車……回りきっていないから……実際に人生が水平観覧車なのか確かめるためには……これからもゴンドラに乗り続けて窓の外の景色を観察しないといけないね……」
そう、えらそうだ。なにさまのつもりだって感じのセリフを口にした。
それでも自分は水平観覧車に乗っていると自覚して……水平観覧車が回るのを受け入れて……そうして救われるかもしれない人間が、どれほどゴンドラに閉じ込められているのだろう。あるいはこの話で逆上する人間が、どのくらいの数存在するのか……。
だれかが思った。
言ってほしかった。だから――。
人生は水平観覧車だとだれかが言ったことにした。
そして水平観覧車は――。
きょうもだれかをゴンドラに乗せ、同じ高度で回り続ける。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ♢
☆今週のしまったカウント:一回(累計百八回)
※ ※ ※ ※ ※ ※ ♢
日曜日の午前、天気は晴れ。
アヤメこと菖蒲佳代子さんは、とある遊園地に来ていた。
ジェットコースターやメリーゴーラウンドなどを楽しめる一般的な遊園地だ。ただし、その遊園地には一つだけめずらしいアトラクションがある。
それは「水平観覧車」と呼ばれている。
水平に倒れた観覧車の真円の軌道を二十四基のスケルトンタイプのゴンドラがすべっていくのだ。ゴンドラのかたちは横から見ると正五角形であり、一基につき二人が乗れる。一周するのに十五分を要する。
遊園地の中心に、車輪の直径三十二メートル・ゴンドラの高度四十八メートルの水平観覧車が設置されている。
塔のような銀色の垂直軸を中心にして、上から見て時計回りに車輪が動く。
十五度の間隔をあけて取り付けられた各ゴンドラは車輪の外側に固定されると共に、中心の塔から延びたフレームによって斜め下からもささえられている。
直径三十二メートルに円周率三・一四をかけて求められる車輪の円周の長さは百・四八メートル。
一周する時間は十五分であるので、この水平観覧車は分速約六・七メートルの速さで回転していることになる。
つまり時速約四百二メートルにして秒速約十一センチメートル。かなりゆったりとしたスピードだ。
水平観覧車は、遊園地のどこからでも見上げることができる。
全体的なかたちを別のものにたとえるとすれば、逆三角のカクテルグラスがもっとも近いと言えるだろう。
そんな水平観覧車に視線を向けたあと、アヤメは右隣の男の子を見た。
あごがシュッとしているツリ目のクラスメイトだ。名前は鵜狩慶輔くん。
鵜狩くんは厚手のズボンとコートを着ている。また、リュックサックを背負っている。色はどれも黒である。
一方アヤメはひざ丈のチェック柄スカートにタイツ。アウターは白のダウンジャケットだ。首には赤いマフラーを巻いている。紫の髪飾りでまとめられたツインテールの二つのふさが、胸に向かって垂れている。
現在アヤメは、鵜狩くんと二人きりで遊園地に来ている。
十二月初頭の期末テストの結果が出てから、鵜狩くんをさそったのである。
その前にアヤメは高校で、恋のライバルのこんしまちゃんに「鵜狩くんと一緒に遊園地に行っていいかな」と聞いた。
こんしまちゃんは「わたしの許可は必要ないよ……アヤメちゃん……楽しんできてね……」と返した。とても恋のライバルの言葉とは思えない。しかもこれはこんしまちゃんが余裕ぶっているからじゃなくて、本気でアヤメのことを考えているから出た言葉である。それでいてこんしまちゃん本人は恋愛において負けるつもりがないのだから恐ろしい。
ともあれアヤメのさそいを鵜狩くんも受けてくれた。
ただしその事実は「鵜狩くんもアヤメのことが恋愛的に好き」という証拠にはならない。鵜狩くんにとって少なくともアヤメは小学校のころからの友達だ。中学では別々になったけど、それでも鵜狩くんはアヤメのことを友達としてずっと忘れていなかった。
だからこのたび鵜狩くんがアヤメと共に遊園地を訪れたのは、アヤメを恋愛対象として意識しているからではなく、あくまで友達と一緒に遊びたいからなのかもしれない。
あるいは――。
自分の気持ちがどちらであるのか見極めるために、ここに来たのか。
そんな鵜狩くんをアヤメは責めない。
アヤメだって自分たちの関係性をぼかしたまま、友達かそうでないかの境界をあいまいにした状態で、この水平観覧車のある遊園地に足を踏み入れたのだから。
二人は遊園地のなかで待ち合わせた。
場所は、入り口を通過した先にある広場。日曜日なので、ほかのお客さんも多い。
アヤメは約束の時間の五分前に来た。鵜狩くんはアヤメよりも早く来ていた。
鵜狩くんはアヤメのツインテールをほめた。文化祭のときは「忍者みたいで、かっこいい」と言っていたが、今日は「かわいいな」と口にした。
うれしすぎてアヤメは、巻いていたマフラーを持ち上げた。赤らんだ顔をごまかした。
目をそらしたあと、また視線を戻して耳元に近づき「鵜狩くんもいつもどおりかっこいい」とささやいた。
まずどのアトラクションに乗ろうかと鵜狩くんが聞く。コーヒーカップがいいとアヤメは答える。
広場のすぐ近くでコーヒーカップ型の乗り物が複数回っていた。そのゆかは十五度かたむいているらしい。薄緑の制服を着たスタッフさんの案内に従い、荷物を預ける。ついで、いったんとまったコーヒーカップの座席に鵜狩くんとアヤメが腰を下ろす。シートベルトを締める。
ほかのお客さんがそれぞれ別のコーヒーカップでシートベルトを着用し終わったところで、コーヒーカップとそれを載せるゆかが回転を始める。
コーヒーカップはどれも白かった。回転は遅めである。
かたむいた場所に置いたカップの中身がこぼれそうになるけれど結局ギリギリこぼれない――そんな光景をアヤメは連想した。
カップが回ると共に、アヤメと鵜狩くんの位置が入れ替わる。同じ高さにいるかと思えば、アヤメが高い位置に、鵜狩くんが低い位置に移動する。そのときうつむき加減のアヤメと鵜狩くんの目が合う。前傾したアヤメのツインテールが鵜狩くんのツリ目を指す。
逆に鵜狩くんが高いところに、アヤメが低いところに移る瞬間もある。アヤメはドキドキしながら上目づかいで対面の彼を見る。鵜狩くんは瞳を輝かせている。
それでいてカップ自体の高度が微妙に変化していく。
坂のようなゆかの一番高い位置に来たときアヤメは鵜狩くんと妙な高揚感を共有している気になった。もっとも低い場所に落ちたときはどこか危うさを覚えつつも背徳的な解放感を味わっていた。
カップの回転は五分弱で終わった。
シートベルトを外し、座席から立ち上がる。
預けていた荷物を受け取る。十五度かたむくゆかをあとにする。そして新しいお客さんがやってくる。元気な声でスタッフさんが同じ案内をくりかえす。
アヤメはドキドキをごまかすために鵜狩くんのコートの左そでを引っ張る。
「水平じゃないコーヒーカップは初めてだったけど、なんか新鮮でおもしろかったね!」
「うん……」
鵜狩くんが、アヤメのいる左へと優しいまなざしを向ける。
「まるで自分がこぼれかかったコーヒーになったようで、楽しかった」
「あ、それわたしも同じこと思っちゃった。えへへ……」
「へえ、アヤメもそうだったのか」
声をはずませ、白い息をはく。
「俺、学校のイベント以外で友達と遊園地に来たことがなかったから……こんなに楽しいなんて思ってなかった。アヤメ、あらためてきょうはさそってくれてありがとう」
「う、鵜狩くん……っ」
自分の胸に左手を当てて、アヤメがのどを震わせる。
「わたしだって楽しいんだよ。初めてなんだよ……。ちょっとコーヒーカップに乗ったくらいで浮かれちゃうくらいにさ。お礼を言いたいのはアヤメだよ……っ」
ここでアヤメは思い出した。
こんしまちゃんと二人で文化祭を回った日のことを。
あの日も日曜日だった。スタンプラリーを終えたあと、アヤメはこんなことを言った。
(アヤメ……中学でうまくいかなくて……高校も一年遅れちゃって……それなのに友達と……こんな、こんな楽しい文化祭過ごせるなんて……思わなかったよ……)
もしかしてアヤメが今回鵜狩くんを遊園地にさそえたのは、こんしまちゃんのおかげだったのだろうか。
同じように自分もだれかに初めての楽しさを与えたいとか自分もだれかと楽しんでいいとか、そんなことをアヤメは思ったのだろうか。
そうかもしれない。事実アヤメはこんしまちゃんを大切な友達と思っているし感謝もしている。
けれど同時に、このタイミングで心のなかに浮かび上がってきたこんしまちゃんを――。
うっとうしいとも思った。
意中の人と二人きりでいる時間に自分の心を領したこんしまちゃんを。
仮に鵜狩くんをさそえたのがすべてこんしまちゃんのおかげだとすれば、感謝よりも先に悲しさが湧いてくる。まるで自分が自分の意思で動いていないような気がするから。
アヤメは理解している。こんしまちゃん本人は自分のことなんか気にしなくていいと言うだろう。鵜狩くんをさそったのはアヤメ自身だと断言するだろう。
そもそも今、こんしまちゃんがアヤメの心に浮かんだからといってこんしまちゃんは悪くない。それはアヤメ自身の心の運動の結果にすぎない。
(い、嫌なヤツ……わたし本当に最低。なのに好きな人の前ではいい子ぶっちゃって……)
鵜狩くんの左隣を歩きながら、アヤメは彼の左腕にしがみつこうかとも考えた。
どうせ自分が嫌なヤツならそれに徹したほうが気がラクになると思ったから。
アヤメが友達かそうでないか現在鵜狩くんが見極めようとしているのなら、その心に踏み込んで荒らしてやりたくなる。
(それで鵜狩くんがわたしに振り向いてくれたなら、わたしはこんしまちゃんに振り回されることもなくなる……)
だけど結局、厚手のコート越しの腕さえアヤメにはつかめなかった。
(ダメ……急に腕にだきついたりしたら鵜狩くんを困らせちゃう……。そうしてだんだん、アヤメと鵜狩くんは友達じゃないものになっていくんだ。同時にわたし自身がわたしを許せなくなって、こんしまちゃんやみくりちゃん……かけがえのない友達まで少しずつ手放していくことになる……)
右ひじを曲げて彼の左そでをつまむことだけが、アヤメの精いっぱいだった。
アヤメは、か細い声で言う。
「鵜狩くん……しばらく、こうしていていい……?」
「うん……いいんだよ」
アヤメに合わせ、鵜狩くんが歩調をゆるめる。
ゆっくり地面を蹴る音が、アヤメの鼓動をかき乱す。
* *
鵜狩くんとアヤメはコーヒーカップのアトラクションに乗ったあと、反時計回りに遊園地内を進むことにした。
遊園地の中心には銀色のカクテルグラスに似た水平観覧車がある。どこからでも見えるそれを目印にすれば、迷う心配はない。
人の歩く速さよりもよほど遅く動いている水平観覧車は、遠くからだととまっているようにも感じる。時計回りにゴンドラを移動させているはずだけど、アヤメや鵜狩くんに対して逆方向に進もうとしている気配すらない。
「ジェットコースターに乗らないか」
鵜狩くんが提案する。
右前方にその乗り場が見える。アヤメは彼の左そでをつまむのをやめ、「乗ろう」と短く首肯した。
十分ほど行列に並んだのち、二人の番が回ってくる。
コーヒーカップのときと同じくスタッフさんに荷物を預ける。赤い車体の一番前の席に座り、シートベルトや安全バーで体を固定する。
「アヤメ。勝負しよう」
コースターの発車前、右隣の席で鵜狩くんが言った。
「ルールはウカリオリジナル。声を上げたほうが負けってことで」
「いいけど」
遠慮がちにアヤメがツッコむ。
「それ絶叫マシンでの定番の勝負だし、オリジナルとは言いがたいのでは?」
「……確かに」
鵜狩くんが恥ずかしそうにうつむく。
「うっかりしてた」
「ふふ……鵜狩くん。ときどき抜けちゃうとこも、かわいいっ」
静かにアヤメがほほえむ。つられて鵜狩くんも顔を上げ、笑顔を返す。
コースターが発進する。
その遊園地のジェットコースターは真っ赤である。
一回につき二十人が乗れる。今は十七人が席に座っている。銀色のレールを走る。
序盤のレールは谷と山のくりかえし。
だんだん下がったあと高度が上がり、間もなくして急峻な下り坂に入る。ついで右にカーブする。
中盤では、らせん状のレールを一気に上昇していく。時計回りで四回転半したあと高度五十メートルまで上がったところで、再び下り坂をすべる。ここでレールは反時計回りに切り替わり、斜めにかたむきながら円を三度えがく。円の下方に行くときコースターは速くなるものの、上方に達した刹那にはスピードダウンして少し鈍重になる。
アヤメにとってはコースターが速いときよりも遅くなったときのほうが怖かった。このまま時間が凍りついてしまうんじゃないかと思ったからだ。
スローモーになった視界のなかで右の鵜狩くんを見ると、口を閉じたまましっかりと笑っていた。
そして終盤、へこむような坂をすべりおりる。途中で車体の先を真下に向け、ほとんど垂直に落ちる。その際アヤメたちの頭の向きが三百六十度回転した。
「ひゃわわ……っ」
レールが地面に激突しそうになった瞬間、アヤメはわずかにさけんでしまった。
でもレールはほぼ直角に折れ、ちょっと浮き上がり、スピードをダウンさせていく。
そうしてもとの乗り場に戻ってきた。およそ八分の体験であった。
コースターが停止してから安全バーやシートベルトを外す。荷物を受け取り、乗り場を去る。
ちょっと離れたところにある白いベンチで休む。
再びレールを走り始めたコースターを見上げつつ、アヤメが口をひらく。
「鵜狩くん、聞いてたかな。わたし、最後のほうで声を上げちゃった」
「そうだね、聞こえてた」
リュックサックをひざに置き、右隣の鵜狩くんがうなずいた。
左隣のアヤメは、ひざ丈のスカートのすそをいじる。
「そ、それでさ……勝負に負けたのアヤメだから、鵜狩くん……わたしになんでもお願いしていいよ」
「え。そんな約束してたか」
「してないっ! し、してないけど……わたしがお願いされたいんだよ」
(ぎゃああああ! なにバカなこと言ってるんだわたしは)
と思いながら顔を真っ赤にしてアヤメは自分のスカートのチェック柄をただただ見つめた。
そんなアヤメの様子を目に入れ、鵜狩くんが小さく笑う。
「なら、やりたかったことがあるんだ」
リュックサックのふたをあけ、青色の巾着袋を二つ取り出す。
鵜狩くんが袋のヒモをゆるめる。
すると、なかから透明な容器で作られたお弁当箱が出てきた。
同じサイズの二つのお弁当箱には、白いパンを長方形に切ったサンドイッチが詰まっているようだ。
「そろそろお昼だからな。よかったらアヤメに食べてほしい」
「あれ?」
きょとんとしてアヤメが聞く。
「そんなことでいいの」
「……いいや、そんなことじゃないよ。アヤメと二人で遊びに行くってことで俺も作りすぎたからね。切り出すタイミングをずっとはかってたんだ」
ちなみにこの遊園地ではお弁当を持ち込んで食べても問題ない。そういうルールであることは鵜狩くんも事前に確認済みである。
アヤメはお弁当箱を受け取る。
「そういうことなら……ありがとう! 鵜狩くん」
作りすぎるくらい楽しみにしてくれたんだと思うと、アヤメもうれしかった。
お弁当箱のふたをあける。キュポンという音がする。
透明の箱にサンドイッチが七つ入っている。
黄色のたまご、焦げ茶の肉、薄茶のツナ、赤いトマト、緑のレタス、ピンクのハム……カットしたオレンジとイチゴとキウイとバナナをはさんだカラフルなものまである。
棚に並んだ本を取り出すように、アヤメは一枚ずつサンドイッチを箱から抜く。
たまごはとろけるようだった。肉はジューシーだった。ツナはほどよくからかった。トマトはさわやかだった。レタスはシャキシャキしていた。ハムは弾力を持っていた。フルーツはあまずっぱかった。しっとりとした白いパンがそれぞれの味を優しくつつんでいた。
「鵜狩くん……おいしいよ、サンドイッチ」
「よかった。ありがとう。それと、はいアヤメ」
ここで鵜狩くんはリュックから銀色の細長い水筒を出し、アヤメに渡す。
「なかにあたたかい緑茶が入ってる。ふたが容器になってるヤツだな。でも苦手なら近くの自販機で別のを買うから」
「に、苦手じゃないよ。飲み物までありがと!」
アヤメは水筒をかたむけ、ふたをお茶で満たした。わずかに湯気が立つ。
それをごくりと飲むと、くちびるも舌ものども胃もぽかぽかとあったまった。時間差で手先や足先の体温も上がった気がする。
緑茶の苦みが口内に溶け込む。優しげな口当たりのパンによってゆるんでいた口腔が数秒程度で引き締まる。
隣の鵜狩くんも水筒をもう一本取り出し、緑茶を飲む。サンドイッチをそしゃくし、ごくんと飲み込む。鵜狩くんのサンドイッチも七つであり、具材はアヤメの食べたものと同じだった。
(……鵜狩くんって、いつも大きなお弁当箱を学校に持ってきてるよね。わたしと同じ量で足りるの?)
とアヤメは心のなかで思ったけれど、口には出さない。
鵜狩くんが自分にペースを合わせてくれているのだとアヤメは気づいている。
そして食後お弁当箱と水筒をリュックに戻してから鵜狩くんは、市販のおしぼりをアヤメに手渡した。
白くてふわふわした、あたたかみのあるおしぼりだった。アヤメはそれを使って指の先まで入念に手を拭いた。
* *
午後になり、太陽が少し下がってきた。
アヤメと鵜狩くんは遊園地を反時計回りに進み、次々とアトラクションを楽しんだ。ドロップタワーで垂直落下したり、ゴーカートを豪快に走らせたりした。
そのあとは迷路のアトラクションに入った。
建物内の壁が鏡でできている。その壁がグニャグニャと複雑に曲がっている。
次の通路に進むための扉まで鏡だった。
「見て、アヤメ」
扉をあけ、鵜狩くんがはしゃいでいる。そんなにオーバーな動きをしているわけじゃないけど、声に興奮がにじみ出ている。
「隠し通路みたいでワクワクするな……」
「だよねっ」
アヤメも鵜狩くんと同じ気持ちになっていた。
ささっと歩き、鵜狩くんのそばに寄る。鏡に映った自分たちの姿を見ながら扉を抜け、次の通路に移る。
迷路に行き止まりはなかった。途中に分かれ道はあるものの、最終的にすべての道が一つに合流する構造のようだった。これなら引き返したり立ち止まったりしない限り、だれも迷子にならずに済む。
* *
迷路をクリアしてさらに遊園地内を反時計回りに進む。
鵜狩くんが満足げに右腕を天に伸ばす。
「だいぶ遊んだな」
「うん……」
アヤメは微笑した。
このとき。
メリーゴーラウンドが視界の右手に映った。
白い馬、黒い馬、赤い馬、焦げ茶色の馬――さまざまな馬のかたちがゆるやかに上下運動をしながら、あずまやの下を走っている。
馬は二列に並んでおり、内側の列の馬は時計回りで、外側の馬は反時計回りで動いている。
それぞれの馬の背中には一人しか乗れないようだ。現在は、子どもの利用客が多い。保護者のかたがたが、あずまやのまわりから彼らを見守っている。
鵜狩くんが、左隣を歩くアヤメにささやく。
「メリーゴーラウンドはどうしようか」
「今は、いいかな……」
耳元で響く声にドキドキしながらアヤメが答える。
「子どもたちのじゃましちゃ悪いし」
「そうだね。だったら次は」
そして鵜狩くんは左手のほうを指差す。
横長の白い立て看板がそこにあった。黒く太いフォントで「水平観覧車乗り場はこの先!」と書かれている。左方向を指す赤い矢印が文字列の下に添えられている。
「観覧車に乗ろう。水平って変わってるよな。まあ軸で言えば垂直軸ってことになるからややこしいけど」
「わたしも乗りたい」
アヤメが勢いよく首を縦に振る。
「あのカクテルグラスみたいな観覧車には、この遊園地に入ったときから見下ろされてきた。だから同じ高度に上がらないと気が済まないよ」
「じゃ、決まりだな」
鵜狩くんとアヤメは左に曲がる。
銀色の塔を軸に持つ水平観覧車に向かって突き進む。
近づくごとに、そのゴンドラが時計回りに動いているのが確認できた。
観覧車乗り場の全形も見えてきた。
高い位置のゴンドラに乗るために、乗り場が塔になっている。
エレベーターによってアヤメと鵜狩くんは高度四十八メートルまで上昇する。
そこで待っていたスタッフさん二人の案内に従い、秒速十一センチメートルほどでやってきたゴンドラに乗る。
外側から扉が閉められる。
横から見ると正五角形の、スケルトンタイプのゴンドラだ。一基につき二人までしか乗れない。アヤメと鵜狩くんは、向かい合うイスの上にそれぞれ座った。
天井もゆかも壁も透明である。なおガラス製ではない。強度や安全性に問題はない。
ゆかの下では、中心の塔から延びた銀色のフレームが目立っている。天井の上には穏やかな空が広がる。
水平観覧車の内側に視線をやると、車輪の円周をすべっていくほかのゴンドラが見える。二十四基のゴンドラのうち半分以上にお客さんが乗っている。ただし一人で利用している人もいる。
アヤメは右に、鵜狩くんは左に顔を向け、車輪の外側の景色を見つめた。
ついさっきスルーしたメリーゴーラウンドのあずまやが眼下に映る。
車輪が時計回りであるため、アヤメの座っている席は後ろに吸い込まれるように動いている。
「きょう、楽しかったね」
アヤメは自分の左右の太ももをしっかりくっつけた。ひざに両手を載せてつぶやく。
「鵜狩くんと来られて、よかった」
「俺もだよ。アヤメと来られてよかった。楽しかった」
リュックを足元に置き、両腕を腹部に密着させた状態で鵜狩くんが答えた。
ついで背筋を伸ばす。
「……アヤメ。伝えなきゃいけないことがある」
「待って」
前傾姿勢のアヤメが鵜狩くんを見上げる。
「勝負しようか」
いったん口を閉じる鵜狩くんから目を離さずに続ける。
「鵜狩くんが伝えようとしていることと同じことをわたしも伝えようとしているんだけど――これは本当だと思う?」
「……思う」
「分かった。それが当たったら鵜狩くんの勝ちね。でも悪いけど、その前にわたしからいろいろ話させてくれるかな」
アヤメは外側の景色に視線を戻した。鵜狩くんも、そうした。
迷路のアトラクションの建物が斜め下に見える。
「まず前提として、鵜狩くんはもうわたしの気持ちに気づいてるよね? わたしが鵜狩くんのことを恋愛的に好きってことに」
「うん」
「で、鵜狩くんはわたしに対する自分の気持ちを見極めるためにわたしのさそいを受けてこの遊園地まで来たんだよね」
「そうだよ」
小さいゴーカート乗り場を見下ろしつつ、鵜狩くんが言う。
「アヤメと一緒に遊園地に行けるのが単純に楽しみでもあったけれど、そういう下心もあった」
「……ありがとう。鵜狩くん。わたしをちゃんと、女の子として見ようとしてくれて」
アヤメは外のドロップタワーを見た。高度だけなら、水平観覧車よりも上だ。
「どうだった? わたしは結局、友達だった?」
「アヤメといると楽しい。昔からそうだった。アヤメが俺の手裏剣を拾って勝負をしかけてくれたころから」
ここで鵜狩くんは、外に目をやっているアヤメを真剣に見た。
「かけがえのない友達だ」
「……そう。アヤメもそう思う」
ちょっと息をはくようにアヤメが笑う。ゴンドラのなかはあたたかいので、息は白くならない。
「鵜狩くん、先月さあ……こんしまちゃんとわたしに学校のベンチではさまれているときに『同年代の女子二人に左右からはさまれて平然としていられるほど、修練を積んでいない』とか言ってたよね」
「言ってた」
「あれ聞いて、アヤメうれしかったんだよね。本来一学年上のわたしを同年代って言ってくれたこともそうだけど……鵜狩くんがわたしのことも恋愛的に意識してくれているんじゃないかと思えたから」
静かにアヤメが続ける。
「だけど本当は、鵜狩くんが意識していたのはこんしまちゃんのほうだったんだね」
視界にジェットコースターのレールが映り始める。
「こうして密室でわたしと二人きりでいても、平然としているんだから」
赤いコースターが視界のはしを走り抜ける。
そろそろ水平観覧車も折り返し地点に達する。
でも水平面をすべっているので下降することはない。かえって残酷だなとアヤメは思った。最初からゴンドラは上昇すらしていない。
「あ、アヤメさあっ!」
後ろに動いていくゴンドラのなかで、小さくさけぶ。
「ずっと鵜狩くんのことが好きだった! それこそ出会ったころから! 鵜狩くんが小学校でわたしの勝負を受けてくれたときから! 自分では気づかないだけでアヤメはそのころからクラスで浮いてた! そんなアヤメに優しくしてくれた……本当に好き……顔もなにもかも好き……下心に至るまで愛してる……」
「……ありがとう。俺のことをそこまで思ってくれて。だけど」
「分かってるよ」
徐々にゴンドラが、スタート地点に戻りだす。
「鵜狩くんが恋愛的に好きなのは、こんしまちゃんなんだ。わたしがそこに入り込むことはできないんだ」
「そうだと思う」
「でもそんなこんしまちゃんのこと、アヤメは嫌いだったよ。小学生のころ鵜狩くんとずっと一緒のクラスで、しかもありのままに生きているのにみんなに受け入れられてて……ずるいって思ってた」
ああ言っちゃったとアヤメは思った。こんしまちゃんにはすでに伝えているけれど、鵜狩くんには隠していた自分の心を。
(でもここで嫌われれば、ラクになれるのかな)
対する鵜狩くんが問う。
「今は、どうなんだ」
「友達だよ。かけがえのない」
「……アヤメ」
地上のコーヒーカップではなくアヤメにしっかり目を向けて、鵜狩くんが静かに言葉を継ぐ。
「アヤメがなにを言っても、俺はアヤメを嫌いにならない」
「え……」
「そのこんしまちゃんへの『嫌い』にしてもヘイトじゃなくてディスライクのレベルだったんじゃないのか」
「ま、まあね」
アヤメが鵜狩くんをはすに見返す。
「それで保留にしていた勝負なんだけど……『鵜狩くんが伝えようとしていることと同じことをわたしも伝えようとしている』――これが本当だと鵜狩くんは予想したよね」
「ああ」
「当たったら鵜狩くんの勝ちだよ」
「俺の予想が外れたらアヤメが勝ったことになるわけか」
「そう。でも勝ったとしても、なにもない」
背筋を伸ばし、あごを引くアヤメ。
「だって二人の言葉が一致するほうがめずらしいんだから。最初からこれ、フェアな勝負じゃないんだよ」
「じゃあ同時に言おうか。そろそろ水平観覧車の時間も終わるし」
その鵜狩くんの言葉にアヤメはうなずく。
二人で息を吸って「せーの」と言ったのち――。
「これからも友達でいてほしい」
――とそんなことを一緒に口にした。
アヤメは、ふふっと笑う。
「まいったなあ。まさか完全一致だなんて。勝負も鵜狩くんの勝ち」
「うん……」
「お互い、とんだ告白だったね」
ここで、アヤメの目にも水平観覧車の乗り場がはっきりと映った。
「ま、そういうわけでこのあとも時間の許す限り遊園地を楽しもう……ね、鵜狩くん」
「そうだな」
不思議と二人のあいだに気まずさはなかった。
アヤメは今でも鵜狩くんのことが恋愛的に好きだ。別に身を引いたとか、自分がちゃんとフラれない限りこんしまちゃんと鵜狩くんはこれ以上先に進めないと思ったとか……そういうことじゃない。
ただ、スッキリしたかった。鵜狩くんの気持ちをハッキリと聞きたかった。
言葉のうえでは友達と言ったけれど、アヤメは感じていた。
たぶん自分と鵜狩くんは……本当は「友達」ではなく「菖蒲佳代子と鵜狩慶輔」という世界で一つだけの関係なのだと。
ギリギリふれられそうで、ギリギリふれられない、そういう関係。
きっとこれだけは、こんしまちゃんすら侵せない。
ゆっくりとゴンドラの扉がひらく。
スタッフさんの手を借りながら鵜狩くんとアヤメはゴンドラからおりる。
そしてエレベーターで下降しつつ、鵜狩くんが右隣のアヤメにぽつりと言う。
「やっぱりメリーゴーラウンド、乗ろうか。アヤメ」
「うん。鵜狩くん……アヤメもそうしたいと思ってた」
外に出て、地上から二人は水平観覧車を見上げた。
ゆっくり、ゆっくり空をすべっていくそれを。
上がりも下がりもせず、違う景色を同じ高度から見せ続けるそれを――。
一瞬だけ見て、二人は背を向けた。
それでも水平観覧車は高みから、鵜狩くんとアヤメのことをずっとずっとずっと……永遠に見下ろそうとしていた。見守ろうとしていた。
次回「第二十八週 読み聞かせをしてしまった!(火曜日)」に続く!(更新は十二月十九日(金)午後七時ごろ)
「今週のしまったちゃん」の初回を投稿したのが六月九日なので、今回で本作も半年連載したことになります。週一更新と決めていますが一週も休まず投稿できたのは、読んでくださっている皆様のおかげです。あらためて感謝を申し上げます。
それと不定期更新ですが「今週のしまったちゃん異世界ば~じょん」の投稿も小説家になろうで始めてみました。ジャンルはハイファンタジーです。機会がありましたら、そちらものぞいてみてください。




