第二十四週 適度な距離を保ってしまった!(火曜日)
紺島みどり――こんしまちゃんには好きな人がいるわけだけど、直接その気持ちを相手に伝えたことはない。
ことわられるのが怖いとか、そういうことじゃなくて……自分には相手に告白する資格があるのかという話だ。
自分はその人のことが好きだ。でも自分自身はその人のためになにかしたのか、努力したのか、なにを差し出せるのか? そんな自問が頭に飛び交う……!
※ ♢ ※ ※ ※ ※ ※
火曜日の昼休み。
こんしまちゃんはクラスメイトの菖蒲佳代子さん――アヤメと一緒に学校の中庭のベンチに座っていた。
「――えっ、こんしまちゃん。このあいだの土曜日に鵜狩くんの家に行ったの……?」
アヤメが、右隣のこんしまちゃんに顔を近づける。
いつもは前髪に隠れて見えづらい表情が、こんしまちゃんの視界をおおう……ッ!
「わたしはメチャクチャ聞きたい。こんしまちゃんが鵜狩くんの家を訪れることになった経緯とか、鵜狩くんちがどこにあるのかとか。……でも聞かない」
「アヤメちゃん……」
「そういうの、鵜狩くん本人のあずかり知らないところで聞くべきじゃないと思うから」
アヤメはつぶやき、こんしまちゃんから顔を離す。
「ただ、一つだけ知りたい。こんしまちゃんは鵜狩くんと付き合うことになったの? 家に行ったんだったら、そのくらいの関係性になっていてもおかしくないと思うけど」
「いいや……」
こんしまちゃんが、ゆっくりとかぶりを振る。
「家におじゃましたのは本当。でも付き合うことにはなってないよ……」
「そ、そうなんだ」
目を泳がせて、アヤメが続ける。
「ところで……ライバルのわたしが言っていいのか分からないんだけど、こんしまちゃんって鵜狩くんに告白とかしないの?」
「まだ、できない」
ちょっと背中を後ろにかたむける、こんしまちゃん……っ!
「今、言うと……鵜狩くんが困っちゃうと思うから……」
「鵜狩くんは、嫌がらないんじゃない?」
「うん……。といってもわたし、鵜狩くんになにか特別なことをしてあげたことがあるのかな……って考えちゃう」
ウェーブのかかったくせ毛を、小さくかき上げる。
「わたしは……転んでばかりだった小学生のわたしをずっと真剣に受けとめてくれた鵜狩くんが大好き……。高校生になってまた会えたあとも優しくて……忍者みたいに頼りになる人で……一緒にいて安心する……。料理が上手なところも……少しツリ目であごがシュッとしているところも素敵だよ……」
「だったらコクればいいんじゃ?」
「そう……わたしには鵜狩くんを好きになる理由がある……。だけど、鵜狩くんにはわたしを好きになる理由があるのかな……」
こんしまちゃんが両手をひざに置き、うつむく。
「わたしは鵜狩くんのために、なにかしてあげたい。でも今は、なにもできてない……。それなのに『好きだから付き合って』って言うのは……あまりに一方的じゃないかなあ……」
「……分かる。こんしまちゃん、アヤメにも分かるよ」
思わずアヤメが昔の一人称を使いながら、しんみりとした声を出す。
「アヤメも小四のころ、鵜狩くんがきっかけでこんしまちゃんとも友達になれた……。今、思うと……わたし、すでにそのころからクラスで浮き始めていたような気がする。だから余計に、鵜狩くんのことを意識するようになったと思う。わたしも鵜狩くんのすべてが好き」
アヤメが両手で、長い髪をくしけずる。
「でもやっぱり鵜狩くんには、わたしを恋愛的に好きになる理由がない。一緒に遊んでいたわけだから友達としては意識される。だけどそれ以上の感情をいだく必然性がないんだよ……。困っている鵜狩くんを助けたとか、そういうエピソードの一つもないんだから。それなのに告白したり『好意を察して』とか思ったりするのは……自分勝手なのかもね」
ここで、ふうと軽くため息をつくアヤメ……。
さびしく、こんしまちゃんに笑いかける。
「鵜狩くんって、弱みがないよね。悩みとか困っていることとか――そういうのを解決して距離を縮めるっていうのが恋愛の王道なんだろうけどさ。きっかけがないと、ずっと友達として適度な距離感を保つばかり」
「……かも、しれないね。アヤメちゃん……」
「どうせなら鵜狩くんがもっと悩める男の子だったらなあって、そんなイヤなことを願っちゃうよ」
「だったら……」
うつむくのをやめ、こんしまちゃんが上目づかいでアヤメを見る。
「本人に直接、聞いてみよう……」
※ ♢ ※ ※ ※ ※ ※
というわけで、放課後。
こんしまちゃんとアヤメは、鵜狩くんを中庭のベンチまで連れてきた……!
「今から話したいことがあるの……いいかな」
――と二人が言うと、鵜狩くんは「うん。きょうは部活も休みだし、構わないよ」と優しく返した。
中庭のベンチには三人まで腰かけることができる。
こんしまちゃんがベンチの右に、アヤメが左に座る。二人は真ん中をあけて、おずおずと言う。
「ここ、座って……」
「分かった」
鵜狩くんは、ツリ目を細めて腰を下ろした。
「二人とも、きょうはどうしたんだ」
「あ、あの……」
こんしまちゃんが自分の指をからませながら、チラチラ鵜狩くんを見上げる。
「よかったら……鵜狩くんの弱いところ、教えてほしいな……」
「眼球かな」
「そ、そうだね……目は守らなきゃね……」
まばたきをくりかえして、こんしまちゃんが口元をほころばす……っ!
ここでアヤメが口をひらく。
「鵜狩くんには悩みごとや困りごとってある?」
「あるよ」
「たとえば、どんなこと?」
「家のこと」
鵜狩くんが、少しくもった空を見る。
「俺は家業を継ぐつもりだけど、『今のままだとまだ立派な跡取りになれない』って毎日反省してる」
「そう……」
アヤメも鵜狩くんに合わせて空を見上げた。
「鵜狩くんちのことで、わたしやこんしまちゃんが協力できることってないかな」
「……気持ちだけで、うれしい」
首を左右に動かして、左隣のアヤメと右隣のこんしまちゃんに視線をやる鵜狩くん。
「これは俺一人で超えなきゃいけないことだから」
鵜狩くんのツリ目が、再び上空に向かう。
こんしまちゃんが、そのシュッとしたあごをじ~っと見つめる……ッ!
「実はアヤメちゃんもわたしも……鵜狩くんの役に立ちたいと思ってるの……」
さらに間髪いれずに言葉を継ぐ。
「だって鵜狩くんはわたしたちに優しくしてくれるけど……わたしたちは鵜狩くんに優しくできていないような気がするから……」
「そう、わたしも同じ気持ち」
アヤメがこんしまちゃんに同調する。
「もっと頼ってほしい」
でも、ここでアヤメとこんしまちゃんの胸がチクリと痛んだ。「優しくしたい」とか「頼ってほしい」とか――そういった表面上きれいな言葉を使っても、それには裏がある。
相手の悩みごととかを解決して、あわよくば距離感を縮めてやろうという……言ってしまえば下心が隠れている。
鵜狩くんのことを思っているのは本当だけど、純粋に相手のためだけにがんばろうとしているわけじゃない。
だからアヤメは、恥ずかしくなって黙ってしまった。
そしてこんしまちゃんは――。
「ごめんなさい……鵜狩くん……」
――謝った。
「本音を言うとわたしたち……鵜狩くんにもっと近づきたいって思ってる……」
こんしまちゃんが背筋を伸ばす。
「鵜狩くんの役に立ちたいのは……百パーセント、心の底から鵜狩くんのことを思っているからじゃないの……。鵜狩くんともっと仲よくなりたいっていう……下心のためなんだ……」
「下心か」
鵜狩くんが、短く返事した。
「アヤメも、そうなのか」
「うん」
「……そう。だけど下心なら、俺にもある」
「え。鵜狩くんの心はきれいだよ」
迷わずアヤメが言葉をかぶせた。
こんしまちゃんも、首を縦に振っている……!
そんな二人を順に見て、鵜狩くんがひざの上で両手を重ねた。
「俺も精神の修業はしてるけど……それでも」
ちょっとためらって、恥ずかしそうに言う。
「同年代の女子二人に左右からはさまれて平然としていられるほど、修練を積んでいない」
ついで鵜狩くんが、「ごめん」と謝る。
「いつもはそういう状況になっても、平気そうなフリをしているだけなんだ」
鵜狩くんは、前方に視線を投げた。その先には、中庭に面する校舎の壁しかない。
「小学生のころ俺がアヤメとこんしまちゃんとよく遊んでいたのは、一緒にいて楽しいからでもあった。でも心のどこかに下心もあった。異性と友達のように接することができたら、この先異性に惑わされることのない強い心が手に入るとも期待していた」
自嘲気味に笑いをこぼす。
「でも結局、心はそんな簡単なものじゃなかった。中学では女子にあまり近づこうとは思えなかった。そして高校生になった今も……まだ、いろいろ未熟なままだ」
そのまま壁を凝視して、言いきる。
「俺はきれいな人間じゃない」
「そうだったんだね……」
アヤメとこんしまちゃんが、同時にあいづちをうった。
また胸がチクリと痛む。本来、鵜狩くんは自分のことをペラペラ話す人じゃない。だから今回は、無理やり言わせてしまった感がある。
なら謝る? いや、いろいろ言わせといて、それはかえって無責任だ。
だったら鵜狩くんの秘めていた感情を、まるごと受けとめるまでだろう。
(わたしたちは鵜狩くんの外側ばかりを見て、「自分にとって都合がいい素敵な人」という理想を押しつけていたのかもしれない……。だけど鵜狩くんはわたしたちと同じ高校一年生……。たとえどんなに優しくても、すごい料理を作れるにしても、忍者みたいに動けるとしても……普通の、男の子なんだ……)
「だいじょうぶだよ……」
こんしまちゃんが、鵜狩くんの右手にふれた。
「わたしも、きれいじゃない……。下心があるのはもちろんだけど……わたし、鵜狩くんの優しさにつけこんで、高校生になってからも鵜狩くんの前でわざと転んで受けとめてもらおうと考えたこと、わりとあるから……」
「こんしまちゃん……」
鵜狩くんは前方の壁から目を離し、右に首をかたむける。
ウェーブのかかったくせ毛の女の子が、真剣な表情で手をにぎっている。
「だから……鵜狩くんにも下心とかがあると分かって……わたしはもっと鵜狩くんに近づきたいと思ったんだ……」
「こ、こんしまちゃんだけじゃないから」
今度は鵜狩くんの左手を、アヤメがそっとつかむ。
「アヤメも、鵜狩くんのことをもっと知りたい」
顔を赤らめ、目をつぶって言う。
「手始めに、こないだの土曜日にこんしまちゃんがおじゃましたっていう……鵜狩くんちのことを聞きたいな……っ!」
「……うん、いいよ」
鵜狩くんが、シュッとしたあごを引く。
「ただ、その前にアヤメ、こんしまちゃん」
アヤメ以上に顔を赤くし、気まずそうにつぶやく。
「手を離してほしいんだけど……」
鵜狩くんの手も熱い。指から、トクントクンと脈が伝わる。
こんしまちゃんもアヤメも慌てて、すっと手を引いた。
「しまった……ごめんね、鵜狩くん……」
「ホントにごめん。また困らせちゃって……」
「い、いいんだって」
どこか鵜狩くんも、ドギマギしている。
「じゃ、俺んちのこと、話そうか。……こんしまちゃんも、それでいい?」
「当然……」
こんしまちゃんが手を胸に当て、うなずく。
鵜狩くんはうなずきを返したのち、アヤメのほうに顔を向ける。
「えっと……そもそもこんしまちゃんが俺んちに来ることになったのは、町外れで弟が世話になったからで――」
その話を聞きながらアヤメは「へえー、鵜狩くんって弟いたんだ」とか「ウグイス張りに地下通路とか、ホントの忍者屋敷みたい!」とか返していた。
一方、こんしまちゃんは幸せそうに、ゆる~い顔で二人の様子を見守っていた。
三人は、あたりが暗くなるまで一緒のベンチに座って話した……。
※ ♢ ※ ※ ※ ※ ※
ともあれ今回の一件で鵜狩くんも、こんしまちゃんとアヤメが自分に恋愛的な好意を向けていると明確に理解した。
こうなったからには、いつまでもあいまいな関係のままではいられない。
今までは友達としての関係性が三人の適度な距離を保障していたが、これからはその距離感も新たなものに更新される。
きょうは、相互に距離を縮め合った。
最終的には、今とは別の関係が求められるのかもしれない。
こんしまちゃんやアヤメだけでなく、鵜狩くん自身も答えを出す必要がある。
果たして鵜狩慶輔くんと菖蒲佳代子さんと紺島みどりの「適度な距離」は、どう変化するのだろう。
その代償として、だれかが悲しみのどん底に突き落とされるのか。
――いや、そんなことはない。
この物語は、「絶対にだれも不幸にしないうっかりコメディ」だからね。
※ ♢ ※ ※ ※ ※ ※
☆今週のしまったカウント:一回(累計百一回)
※ ♢ ※ ※ ※ ※ ※
(こっからは鵜狩くんやアヤメの恋愛とは関係ないので読み飛ばしてもいいかも)
――同時刻。火曜日の放課後の教室にて。
ショートボブの女の子が席に座って、先生と一対一で向かい合っていた。
彼女の名前は、委文知砂さん。
こんしまちゃんのクラスメイトの一人だ。
委文さんと対面するのは、立合広夢先生。
こんしまちゃんたちのクラス担任である……ッ!
一台の机をあいだにはさんで、先生は委文さんと目を合わせた。
まず委文さんが先生に頭を下げる。
「きょうは私のために時間を割いていただき、ありがとうございます」
「いえいえ」
立合先生は物腰やわらかに笑顔を作る。
「担任として当然です。それで委文さん……きょうは愚痴を聞いてほしいとのことでしたね」
「はい。ほかのだれにも話す気になれませんので」
「分かりました。わたしも秘密を守ります」
それから先生は、言葉を切った。
委文さんが、両手を机の上に置く。
「先生。人って人とそんなに仲よくしなくちゃいけないんですかね」
「仕事や社会通念上必要な場合は、仲よくすることも義務ですよ」
「まあ、そうですよね。文化祭のときも私はみんなに協力しましたし」
指先で机を音なくたたく、委文さん。
「ただ、私は人が苦手です。立合先生も例外じゃないですよ。イヤとかじゃなくて、怖いんです。こんな性格だったら人生詰みますかね」
「だいじょうぶですよ。その程度で詰みになるほど人生はぬるくありません」
「私は普通に学んで普通に働いて普通に死にたいだけです。イタいですかねえ、こういうの」
「いえ、マジメに考えているようで感心します」
「ありがとうございます」
言葉とは裏腹に、委文さんはあまりうれしそうじゃなかった。
「勉強もけっこうがんばってるつもりなんですけどねー、いやあクラス内の成績はずっと二位。一位をキープしている流石さんはすごいですよね~」
「すごいのは委文さんもですよ。先生なんて高校生のときは中の下くらいの成績でした」
「意外ですね」
ここで委文さんは、ちょっと目を丸くした。
「でもなんていうか、変ですよね。結局、人ってだれかと比べられて立場を決められるというか。ほかのみんなが私よりも頭が悪かったら、私は努力せずに偉人になるわけです」
身を乗り出し、前傾姿勢をとる。
「だからだれかと仲よくする義務でもない限り、一人がいいんですね。基本的に人は、私をおとしめる怖い敵にしか見えません。そして私自身も他人から見れば敵でしかないんでしょう。私の名字が委文っていうのは……まあ関係ありませんけれど」
「わたしは――先生は委文さんを敵とは思っていませんし、委文さんの敵でもないですよ。むしろ味方です」
「理解しています。義務ですもんね、それが」
「はい、義務です。たとえ嫌がられても先生は生徒の味方なんです」
「だったら先生。私に友達作れとか言わないんですか」
「言いませんが。作るか作らないかは、委文さんの勝手でしょう」
「なんか安心しました。とくに『自由』じゃなくて『勝手』って表現するところが信用できます」
少し身を引き、委文さんは姿勢を戻す。
「小学校でも中学校でも、私はかわいそうな目で見られていました。『本当はさびしいんだろう?』とか『友達がほしいんだろう?』とか――そんなふうにみんなが視線を向けてきました。別に私は友達と仲よく生きている人たちをバカにしちゃあいませんよ。そういう人たちはそういう人たちで勝手に盛り上がっていればいいわけです。ただ、私はなるだけ一人でいたい」
沈黙する先生をじっと見て、続ける。
「いわば自分自身と結婚して、貞操をつらぬいているんです。そして今の時代、異性だけでなく同性も恋愛対象にできますよね? よって私は浮気しないよう、同性とも異性ともその他の性のかたがたとも絶対に仲よくしません。仕事などでどうしても必要でない限り。それが私の距離感なんです」
「そうですか」
肯定も否定もせず、立合先生はつぶやく。
「委文さんがきょうわたしと話そうと思ったのも、必要だったからですか」
「はい。率直に聞きますけど」
委文さんは数秒だけ間を置いて、無感情に言う。
「私みたいな人間、いないほうがいいんですかね」
「わたしはもちろん『そんなことない』と言いますが、委文さんがほしいのは別の言葉ですよね」
「本当に察しがいいですね、先生って」
「とはいえ具体的にどんな言葉をかけるべきかは分かりません」
「ある意味それで正解ですよ。ここで知ったような言葉を投げられるほうがイヤです。友達と仲よくするとか……今しかできないキラキラした思い出を作るとか……みんな優しい世界とか……まあ大変けっこうですけれど、私はそういうの耐えられません。だって怖いじゃないですか。みんなと交ざり合おうとしない人間の末路は二つに一つ。集団から追い出されるか、集団になじむように洗脳されて『みんな最高!』と言い始めるかですよ。そう考えると仲のいいクラスとかアットホームな職場とか円満な家庭とか平和な世界とか、とってもウソくさくて暴力的なもののように思えてきません? もちろん仲の悪いクラスや労働環境最悪な職場やギスギスした家庭や戦争真っ最中の世界よりは、はるかにいいですけど……」
「まあ、それも真理ですね」
「……確かに生きていくうえでつながりは大切です。ただ、人との最低限のつながりを確保したうえでそれ以上他人とどう付き合うかについては、完全に個人の勝手だと思います」
「そのとおりですね」
立合先生は、さっきから素直にうなずいている。
「だれかと仲よくしたいなら仲よくすればいいですし、みんなと距離を置きたいなら距離を置けばいいんです。どちらも人として尊重されるべきスタンスです。むしろいろんな立場の人がいて、それぞれを大切にするのが正常なクラスですよ」
「模範解答ありがとうございます」
「といっても委文さん」
先生はうなずくのをやめ、目の前の机に視線を落とす。
「一人でいる人は二人以上でいる人よりも絶対的に弱い――これもまた真実です。プライベートだろうが、そうでなかろうが」
「……分かっていますよ」
委文さんも、少しうつむき気味になる。
「だから一人になるのは勝手だけど、その責任は自分でとれ……って言いたいんですよね」
「いや違いますけど」
ひょうひょうと先生は言って、視線を委文さんのほうに向けなおした。
「今まで一人でいたのだとしても、困ったときは遠慮なく人を頼っていいって言いたかったんです」
「はあ……?」
眉をひそめながら、委文さんも顔を上げる。
「それ、ずうずうしいですよ。普段、人になにも与えていなかった人間が助けてもらえるわけないじゃないですか。こっちはそういうのも覚悟して一人でいるんです」
「でしたらもう一つ覚悟してください」
委文さんの言葉を予想していたかのように、立合先生は即座に言葉を返した。
「一人でいると決めた人間は、二つの覚悟を持つべきです。一つは、困ったときにだれも助けてくれない現実と向き合う覚悟」
「さっき私が言ったヤツですね」
「はい。そしてもう一つは、困ったときにだれかに助けてもらう覚悟です」
「……矛盾してますよ」
「してません。一人でいる人間は、ほかの人たちに『自分が困っているときも、どうか助けないでください』って頼んでいますか? 頼んでいませんよね。そんな根回しをしていなかった以上、いざというときに助けられても文句を言える立場じゃありませんよ」
「う……」
「もちろん一人でいる人が困っていても大抵の人間は見捨てます。それは彼らが悪いからじゃなくて自分の生活で精いっぱいだからです。しかし、なかには手を差し伸べる人もいる。そのときに相手の手を握り返す覚悟がありますか?」
「……その手を振り払う覚悟なら。相手が善人って保証もありませんしね」
「なるほど。しかし困窮しているときは手に力が入らず、うまく振りほどけないかもしれませんよ」
「だから、そうならないように」
小さく鼻を鳴らして、委文さんはイスを後ろに引く。
「私は一人をがんばるんです」
「そうですか、がんばってください」
先生も、机に近づけていたイスを少し動かす。
「いざというときは、わたしがいます。いえ、わたしだけじゃないかもしれません。だから安心して一人でいてください」
「……先生」
委文さんが立ち上がる。
「きょうは貴重な時間を割いて私の愚痴に付き合っていただき、本当にありがとうございました」
「仕事ですからね。では、さようなら」
「はい、またあした……」
* *
カバンを持ち、教室から出る委文さん。
そのとき廊下で、ウェーブのかかったくせ毛の女の子とバッタリ会った。
(こんしまちゃんか。……苦手だなあ、この子。週に一回は絶対に声をかけてくるし)
そして委文さんは、心のなかで願った。
(しまったと言えしまったと言えしまったと言えしまったと言え……)
今さっき先生とガッツリ話したせいで、一人でいることのプライドを手放したような気もしていた委文さんだったのだが……。
(ここでこんしまちゃんに拒絶されれば、一人としての感覚をすぐに取り戻せる。「しまった。こんな空気を乱すようなヤツと会ってしまった」――そんなニュアンスをふんだんに込めた「しまった」を聞かせろ……)
しかし、こんしまちゃんは微笑して話しかけてきた。
「今、帰りなんだね……委文さん……。わたし、ノートを忘れちゃってたから取りに来たんだ……じゃあ、またあしたね……」
こんしまちゃんはそれだけ言って、さっさと教室に入ってしまった。
委文さんは「ああ、うん、じゃ……」とあいまいに返事をしたあと、廊下を歩く。
(なんでこういうときに限って「しまった」と言わないんだあの子は)
でも自分が望んで一人でいる以上、文句を言うのは筋違いだ。
(まあ苦手だけど、しつこくからんでこないだけマシか)
窓の外に目をやると、すでに暗くなっている空が見えた。
(ああ、こういう距離がいい。仲がよくも悪くもない――そんな関係こそ良好だ)
この気持ちを、委文さんはだれにも伝えない。
自分はまわりの人に対して、なにも与えていない。だからいきなり思いを投げても、相手を戸惑わせるだけだ。
(せいぜい私以外の人は、私のあずかり知らないところで勝手に幸せに生きていればいい)
とても明るくそう考えて、委文さんは校舎の外へと出ていった。
お読みいただき、ありがとうございました。評価やブックマークも大変励みになります。
次回は十一月二十八日(金)午後七時ごろ更新です。
サブタイトルは「第二十五週 歴史の沼に沈んでしまった!(日曜日)」になるかと思います。




