相合い日傘で帰ってしまった!(金曜日)
週に一度は「しまった」と口にする紺島みどりは、今のところ高校一年生。
ゆえに「今週のしまったちゃん」略して「こんしまちゃん」の称号を冠するのだが――そんな彼女は毎日、徒歩で通学している。
だからなに? って思われるかもしれない。
そのとおりである……ッ!
まあ、そんなわけで今回は――こんしまちゃんがテクテク歩いて帰るだけの話だ。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
金曜日。
あと一週間ほどで、こんしまちゃんの高校は文化祭を迎える。
その日の放課後も準備に追われる! ……かと思いきや、なんか学校側が学校そのものをいろいろ点検とかしなくちゃいかんらしく、こんしまちゃんたちは校内から早めに出なければならなかった……ッ!
太陽は、まだ落ちない。
かてて加えて……九月の終わりがせまったというのに、その日は日差しが強かった。
校舎の内から外に続く扉の手前で、こんしまちゃんは日傘を構える……!
その日傘は、黒を基調としたシックなデザイン。
昨年度の三月……高校の合格祝いとして、こんしまちゃんのお姉さんのまふゆさんがプレゼントしてくれたものだ。
これで、激しい日光が襲ってきても、こんしまちゃんは融解せずに済む。
――ただ、校舎の外に出る前にこんしまちゃんに話しかける者があった。
ベリーショートの髪の女の子である。その所作の一つ一つに、気品が感じられる。
「あら、こんしまちゃん。おしゃれな日傘ね」
「ありがとう……久慈さん」
こんしまちゃんは、ベリーショートの女の子――久慈小鮎さんに笑顔を向けた。
久慈さんは、「くじ」が好き。こんしまちゃんのクラスメイトの一人である。
遊びにさそう相手さえ、くじで決める猛者なのだ……っ!
今年の七月、久慈さんは……くじを引いて名前の出たこんしまちゃんをカラオケにさそっている。
そんな久慈さんが、こんしまちゃんの隣で円筒形の物体をシャカシャカ振り始めた……!
「おみくじは、いかがかしら。こんしまちゃん?」
「やる……」
ほかの下校中の生徒のじゃまにならないよう、二人は壁際に寄る。
久慈さんがこんしまちゃんに円筒形の物体を手渡す。
こんしまちゃんは、それをシャカシャカ振り、ひっくり返した……ッ!
するとフタにあいた穴からにゅる~っと棒が一本出てくる。
棒の先端には「大吉」と書かれていた。
「やったあ……!」
思わず相好を崩す、こんしまちゃん。
ほほえみながら久慈さんが、こんしまちゃんから円筒形の物体を返してもらう……。
「よかったわね、こんしまちゃん」
ついで久慈さんも、その円筒形をかたむける。
結果は、「大凶」……っ!
それに気づいて、どう声をかければいいか迷うこんしまちゃんだったが――。
久慈さんは、みじんも動揺しておらぬ。
「こんしまちゃん……心配しなくても、だいじょうぶよ。こういう占いや『くじ』で悪い結果が出ても……わたしはそれを信じるから」
「……え」
不思議に思った、こんしまちゃん。
「いい結果だけを信じて、悪い結果は信じない……って感じじゃないんだ……?」
「わたしは、逆でもいいと思っているわ。『占いのいい結果は信じず、むしろ悪い結果のほうを信じる』のよ。そう考えれば、吉が出たからって油断せずに済むし……凶を告げられても『気をつけよう』って話になるもの」
「な、なるほど……! 目からウロコが落ちそう……」
こんしまちゃんが舌を巻くッ!
「久慈さん……わたしも調子に乗らずに下校するよ……」
手に持った日傘をゆする。
「……そうだ。久慈さん。きょう暑いし、一緒に日傘に入らない……?」
「相合い傘ならぬ相合い日傘かしら? 魅力的な、おさそいね」
久慈さんは、円筒形の物体をカバンにしまう。
「でも、わたし自転車通学なの。だからお礼だけ言わせてちょうだい」
そんなわけで久慈さんは、こんしまちゃんと別れる。
校舎から出て……校内の駐輪場のほうに歩いていった。
おみくじが大凶だったから、こんしまちゃんは少し心配したけれど……。
ヘルメットをつけた久慈さんがさっそうと校門から出ていく姿を見て、そんな気持ちは吹き飛んだ。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
ともあれ、さっさと帰らねばならぬ。
今度こそ校舎の外に出て、こんしまちゃんは日傘を展開……っ!
黒っぽくて落ち着いた布地が、天からの光をシャットアウトする。
しかし門に向かって足を踏み出した瞬間――こんしまちゃんは、また声をかけられた。
「あっ、こんしまちゃん。九月も終わり近いっていうのに……きょう、あっついね!」
「そうだね……水戸目くん」
ここでこんしまちゃんに話しかけたのは、クラスメイトの水戸目永志くん。
文化祭の劇で、脚本を担当している男の子だ。
先週、こんしまちゃんは水戸目くんの頼みに従って、その脚本の初期案についてメタメタにアラ探しをしたばかりである……ッ!
そして水戸目くんは、透きとおるような肌を持っている。
彼の肌を目に入れ――こんしまちゃんは反射的に申し出た。
「よかったら、わたしの日傘に入らない……? 涼しいよ……」
「サンキュ! じゃ、ちょっとだけ」
水戸目くんは、日傘の右側のスペースに入った。
なお、こんしまちゃんは左側のスペースに立ち、右手で日傘をかかげている。
まあ普通なら、「相合い傘だ~。やーい、やーい」とからかわれそうだけど……こんしまちゃんに限って、それはありえぬ。
なんというか……こんしまちゃんはクラスメイトのみんなと分け隔てなく接する一方で……線引きするところはきっちり線引きしているのだ。
たとえば、こんしまちゃんが恋愛的な意味で好きなのは鵜狩慶輔くんという男の子ただ一人。
ほかの人に対して、そういう感情は一ミクロンも発生しえない。
だから相合い日傘と言っても、それは青春の甘酸っぱい一ページ! ……とかじゃなくて、ただ一本の木が日陰を提供しているような――そんなほほえましい光景に近いのだ……ッ!
ともあれ、こんしまちゃんが校門に向かって歩を進める……。
水戸目くんは前方を見つつ、息をはく。
「こんしまちゃん。ぼかあ……あれから脚本の文章量をけずりにけずったよ……。実際に演じるみんなと話し合いながら」
「順調そうだね……」
「まあね~。で、そうするうちに思ったんだけど……脚本って、脚本を書いた人だけのものじゃないっぽいね。もちろん責任者は、ぼくなんだけどさ……よりよくしてくれるのは、関わっているみんなっていうか」
「……結末は、変わったのかな」
「そこは最初から、みとめてもらえたよ。うれしかったな~」
日傘の影のなかでも、水戸目くんの笑顔がはじけた。
こんしまちゃんは、小さくうなずきを返す。
「よかったね……水戸目くん」
でも、こんなことを話しているあいだに……水戸目くんとこんしまちゃんは校門のそばまで来ていた。
水戸目くんが、日傘の下からスルッと抜ける。
「じゃ、ありがとう、こんしまちゃん。ぼかあ、こっちだから」
こんしまちゃんの帰り道とは別の方向に、水戸目くんが歩いていく……。
彼の透きとおるような肌の上を、無数の太陽光がすべった。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
そして校門から出たところで、こんしまちゃんは別のクラスメイトに出くわした。
ほっそりとした、きれいな指を持つ女の子――流石星乃さん。
今月、学力テストの前に、こんしまちゃんに物理の勉強を教えてくれたクラスメイトでもある……!
こんしまちゃんは流石さんにも、日傘に入らないかと言う。
流石さんは歩きながら、けげんそうに視線を返す。
「確かに暑いけど、分からないね。こんしまちゃんのねらいが……!」
さすが人間摩擦係数一・八九の流石さんだ。
人間摩擦係数一・一一を誇るこんしまちゃんを相手にしてなお、容易になびいたりしない……っ!
そこで、こんしまちゃんは流石さんに説明を試みる。
「さっき、くじで大吉が出たの……」
「あ、まさか久慈さんのくじ?」
「うん。だから、わたしは……大吉が出たからといって調子に乗らないことにしたんだ……そのために、この涼しさをみんなとシェアしたくなったの……」
「流れは正直、分からないけど――そういうことなら」
流石さんが、日傘の右側のスペースにスッと入った。
傘の持ち手をにぎる、こんしまちゃんの右手に注目する。
「こんしまちゃん。手、疲れたりしない?」
「だいじょうぶだよ……」
瞬間、こんしまちゃんが左手を持ち上げ、右手の代わりに持ち手をつかんだ……ッ!
「こんなふうに、交替すればいいからね……」
が、現在のこんしまちゃんは日傘の左側のスペースにいながら、真ん中の持ち手を左手でにぎっている。
つまり、左腕を無理に胸の前に持ってきている状態。
必然……上半身が右に向かってツイストする……っ!
「わっ……しまった」
バランスを崩す、こんしまちゃん。
日傘の持ち手を固定したまま、右回転が巻き起こる……!
結果、こんしまちゃんの体が半回転し、進行方向に対して後ろを向いてしまった。
「し、しまった……」
こんしまちゃん、痛恨の追いしまった……ッ!
下校しているほかの生徒が、なんかクスクス笑っている。
でも、このタイミングで――。
流石さんも体を半回転させ、こんしまちゃんと同じほうを向いた。
続いて、こんしまちゃんに言う。
「これで……わたしが日傘の左側で、こんしまちゃんが右側だね」
「流石さん……」
さらに二人は日傘の持ち手を軸にして、体の向きを百八十度転回……っ!
こんしまちゃんは左手に傘を持ったまま、ちょっとトボトボ歩きだす。
「ごめんね……流石さんも恥ずかしかったよね……」
「いいや。むしろ最高だよ」
「どのへんが……?」
「ザ・こんしまちゃんってあたりが」
「ザがついちゃうんだ……!」
「だって普通に生きてたら、傘の下で自然に回転する人を目撃することはないもの。さすが、こんしまちゃん。退屈させないね」
「そっか……安心した……。ありがとね……流石さん」
トボトボ歩きが、通常のテクテク歩きに戻っていく……っ!
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
その流石さんとも別れ、こんしまちゃんは前方にまた別の知り合いを発見した。
男の子が二人で帰っているようだ。
後ろから、こんしまちゃんが声をかける。
「こんにちは……谷高くんに、嫁田くん……」
すると、二人が同時に振り向いてこんしまちゃんと目を合わせた。
眉毛の太い男の子――谷高誠一くんが、いち早くあいさつを返す……。
「こんしまちゃん、こんにちは」
「……こんにちは、だね。こんしまちゃん……」
谷高くんに続いて「こんにちは」と言ったのは、嫁田秀くん。
嫁田くんは八重歯を見せつつ、こんしまちゃんに提案する。
「こんしまちゃんも、途中まで俺らと一緒に帰る?」
「喜んで帰るよ……」
てな感じで、こんしまちゃんは谷高くん・嫁田くんとも同道する……!
「ところで二人とも……ちょっと道すがらゲームしよう……!」
以前、こんしまちゃんは谷高くんと「やったかババ抜き」で戦った。かつ、嫁田くんとは「NGワードゲーム」で激戦をくり広げた。
ようは、二人とはゲームで縁があるのだ……ッ!
それゆえの、提案であろう。
「今、わたしが一番やりたいことがなにか当ててみて……」
「相変わらず、こんしまちゃんは不思議なことを言うね。僕には見当がつかないよ」
太い眉をピクリと動かし、谷高くんが首をひねる。
「じゃ、当てずっぽうに。こんしまちゃんの持ってる、その素敵な日傘の魅力をみんなとシェアしたい……とか?」
「……や、谷高くん。それは――」
「やったか……?」
「大正解」
「やってたんだ!」
谷高くんがマジメに、そんなことを言う隣で……。
嫁田くんが八重歯を隠しつつ、なんか笑いをこらえている。
(これ見よがしに日傘を持っていたから、こんしまちゃんの真意は俺にも読めたけど……誠一が一発で正解するとまでは読めなかったね。にしても、やっぱ誠一、最高だ。「やってたんだ!」とか、誠一から聞いたの初めて……お宝ワードにも、ほどがある)
ともかく、こんしまちゃんは谷高くんと嫁田くんに笑みを向ける……!
「というわけで、わたしの日傘に入らない……? きょうは、クラスメイトのみんなと涼しさを分け合っているんだ……」
「いや、気持ちはありがたいけど」
遠慮がちに谷高くんが応じる。
「さすがに僕と秀が入るスペースはないと思うから、今回は見送るよ」
「あ、しまった。言われてみれば……」
こんしまちゃんが日傘の右側にいるから、左側にしか残りのスペースはない。
せいぜい、あと一人しか入れぬ……ッ!
だけど二人の男の子は、「でもありがとう」と言ってくれた。
それから……こんしまちゃんは谷高くんと嫁田くんから、二人が最近ハマっている最新ゲームの話を聞いた。
こんしまちゃんのほうから聞きにいったのである。
とくに最近は、人狼ゲームっぽいヤツに夢中になっているそうだ。
「――秀は、本当にうまくてね。世界ランキングにも載ってるほどだよ」
「――いやいや、ギリ引っかかってるだけだって。負けたときはストレスたまるし。それよりは誠一みたいに純粋に楽しんでるヤツとやったほうが俺は楽しい」
さらに、こんしまちゃんに向かって嫁田くんは片手を振る。
「あ、別にナメプとかザコ狩りとかじゃないから」
「そうそう」
笑って補足する谷高くん。
「僕が秀とやるときはハンデつけてもらってる」
「どんなハンデ……?」
こんしまちゃんは問うた。
それに対して、嫁田くんが真顔で答える。
「俺が『やったか』って連呼すんの」
「おお……っ」
やってないフラグ乱立で、確かにハンデとしては充分……!
そんなふうに思って、おお……っいに感心したこんしまちゃんであった……っ!
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
さて、嫁田くん・谷高くんともバイバイし――。
なんでか知らんけど……またクラスメイトとこんしまちゃんは鉢合わせした……ッ!
しかもY字路のV部分の左右の先端から、そのクラスメイトとこんしまちゃんは合流しちゃったのである。
こんしまちゃんとバッタリ会ったのは、前髪ぱっつんの女の子。
加布里璃々菜さんだ。
(わ……! うっかりガールのこんしまちゃん……! く~、だれとも帰り道かぶらないようなルートをチョイスしたのに、なんで会うん……?)
……加布里さんは、キャラかぶりを恐れている。
以前久慈さんがさそってくれたカラオケで加布里さんは昭和のアニソンを歌おうとしたんだけど、こんしまちゃんに同じジャンルの曲を先に歌われて焦ったこともある……。
そのあとこんしまちゃんとデュエットしたりして加布里さんは自分と向き合えたりもしたから――別にこんしまちゃんに対しての苦手意識とか、そういうのは持っておらぬ。
だれに対しても加布里さんは……変わらずこんな感じだ。
あらためて、こんしまちゃんの髪型と……あとスカート丈を確かめる。
(こんしまちゃんは、やっぱりウェーブのかかったくせ毛……今のわたしの前髪ぱっつんとは、かぶりなし! スカートの長さも、微妙に違う……うん、かぶってない)
胸をなで下ろした加布里さんは、こんしまちゃんとあいさつを交わした。
ちなみにスカート丈が一緒だったら……適当な理由をつけて逃げるつもりだったのは内緒である……!
んで、こんしまちゃんのさそいに応じ、加布里さんは日傘の下に入れてもらった。
(あ、涼しい……こんしまちゃんから冷気のオーラでも出てるんかな~)
そして、そのまま数分――互いに無言……っ!
(え……? 待った、待った、待ったった。なんでこんしまちゃん、しゃべらないん?)
だけど、そう思ったところで加布里さんは、心のなかでかぶりを振った。
(ダメ……! 相手が話さないからって、わたしのほうが一方的に「気まずい」とか思っちゃダメ……! 話してないのは、わたしもやん。なのに、相手にばかり非があるみたいに、かんちがいしちゃいかん……! いや沈黙はいいんよ。問題は、今のこんしまちゃんとわたし……「口数の少ないキャラ」って属性でかぶってるやん! あ~、こ・れ・が! 耐えがたい)
そこで加布里さんは、手ごろな話題を見つくろう……ッ!
「こんしまちゃん、こんしまちゃんや~い」
「なに……?」
今までむっつりしていたにもかかわらず、こんしまちゃんは即応した。
加布里さんは、日傘の布地におおわれた天をちらりと見る。
「もし……『激突すれば地球崩壊間違いなしの隕石が、あしたふってくるぞ』と言われたら、どうする?」
「砕く……!」
「頼もしすぎだよ、こんしまちゃんっ!」
「しまった」
「……なにが『しまった』なん」
「ボケがすべって玉砕しちゃった……」
「結局玉と砕けるんかい」
こんしまちゃんがボケたせいで、ツッコミ役に回った加布里さんであった。
まあ気を取りなおして、こんしまちゃんが話の流れに乗る。
「じゃあ加布里さんは……隕石が落ちてくるまで、どんな感じではじけるの……?」
「わたしは、はじけない」
「まさか……はっちゃけるの……?」
「はっちゃけもしない。慌てふためいて、はしゃぎたおす人たちを……ボーッと観察する。泰然自若に構える。えらいこっちゃと奇行に走るみなさんをサカナにして、『あ~、空気おいしいなあ~』と深呼吸して、ひとりごつ」
「大物すぎるよ……加布里さん」
なんちゅう発想だと言いたいところだけど、こんしまちゃんは加布里さんの意見についてなんちゅう発想だなんて思わないので、なんちゅう発想だとは言わないでおく。
……ここで二人はT字路に行き当たる。
「あ、加布里さん。T字路だね……」
――とこんしまちゃんがそのまんまを言う。
左隣の加布里さんは、ちょっとアレンジして、くりかえす。
「だね~。丁字路だね」
「てい……?」
こんしまちゃんが、戸惑いを見せる……っ!
加布里さんは左に曲がりながら、さっと説明した。
「T字路を丁字路と呼ぶこともあるみたいだよ」
「へ~」
「それじゃあ左に、左様なら」
「わたしも右へと、うようなら……」
T字路を、右へと折れる、こんしまちゃん。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
さらに、こんしまちゃんは帰り道を突き進む。
でも……きょうは、なんの因果か……エンカウント率が高いようだ。
細い道を歩いていると、またもやクラスメイトの一人とバッタリ会った。
「あ……飯吉くん」
そのクラスメイトは、飯吉庚くん。
だれよりも整ったかたちの耳を持っている。
こんしまちゃんがお弁当を忘れたときに、「こっちのお弁当も、おいしいよ~」と言ってリンゴをくれた男の子でもある。
七月あたりから、飯吉くんは学校を休みがちになっている。
今は九月だけど、もうすぐひらかれる文化祭――その準備にも参加していない。
ともあれ、こんしまちゃんは飯吉くんに微笑を向ける。
「日傘、入らない?」
優しい口調で、そう言った。
それを聞いた飯吉くんが、目をそらして答える。
「いいよ……」
とても絶妙な発音だったため、その「いいよ」は了承の意を持つのか、はたまた拒絶をあらわしているのか――判断できない。
だけどこんしまちゃんは、左手に持った日傘をそっと飯吉くんの頭上にかかげた。
どうやら、そっちの意味の「いいよ」と解釈したらしい。
飯吉くんは周囲を見回して知り合いの姿がないことを確かめたあと、こんしまちゃんの日傘を受け入れた。
何回かこんしまちゃんに視線を送ったあと、飯吉くんの口がひらく。
「こんしまちゃん。きょうの文化祭の準備は?」
「学校の点検があるらしくて……」
いつもの穏やかで落ち着く声を出す、こんしまちゃん。
「きょうは、みんな早く帰らなきゃいけないんだ……」
「そうだったの。油断してた」
……知っていたら、こんしまちゃんとも会わずに済んだんだけどなと飯吉くんは思った。
「……ところで、こんしまちゃん。なんの用なの? 学校来いとか文化祭の準備手伝えとかボクに言おうとしてんの?」
「いいや……」
こんしまちゃんは右と左に首を回し、あらためて飯吉くんと目を合わせる。
「日傘をみんなとシェアしたかった……」
「みんな?」
飯吉くんは、目だけでなく顔全体をそむけた。
「別にこんしまちゃんとボクは友達じゃないじゃん。サボりがちのボクは、もはやクラスメイトと呼べるかどうかも……あやしいし」
「分かってるよ……飯吉くんとは友達じゃないし、それ以上でもない……」
確かにこんしまちゃんと……高校のクラスメイトとの仲はとても良好……。
こんしまちゃん自身も、クラスメイト全員を大切に思っている。
とはいえ、こんしまちゃんは「みんな友達!」と言うようなタイプでもない。
そして「とても良好」というのは、あくまで外から見た評価だ。
みんながみんな心の底から「こんしまちゃん大好き!」なんて思ってるわけないし、そう一律に思っていたら洗脳かホラーを疑うレベルである。
――ただし。
週に一度は「しまった」と口にする紺島みどりこそが「今週のしまったちゃん」縮めて「こんしまちゃん」と呼ばれるにふさわしい――という共通認識だけは、くつがえせない。
ゆえに、飯吉くんにとって紺島みどりは「こんしまちゃん」という一個の生物にすぎないのだ。
前に飯吉くんがこんしまちゃんにリンゴをあげたのは、そのときのクラスの雰囲気に流されたからにほかならない。
そう、彼とこんしまちゃんは友達じゃない。
今年度の四月、たまたま同じ教室に配置されただけ。
それでも、こんしまちゃんは静かにつぶやいた。
「だけど友達じゃなくても……それ以上でなくても……一緒にいて、いろいろ話したりしてもいいと思うんだ……こうして、日傘を共有したりね」
「……あっそ」
飯吉くんは、こんしまちゃんの考えに同調しなかった。
いや……それどころか、なんか怖いと感じた。
「それで迷惑に思う人もいると思うけどね。ボクだって、日傘ことわったつもりだったのに」
「そうだったの……? ごめんね。わたし、てっきり……」
「……こういうときは、『しまった』って言わないんだね」
短く、ため息をつく飯吉くん。
「別にいいよ。あいまいな返事をしたのはボクだし。ちょっと……こんしまちゃんと話すのも悪くないかなとも思ったし」
好きだからじゃない。安心したいからでもない。
今のところ一種の興味だ。
実は、こんしまちゃんは人間じゃなくて……次の瞬間に表面がペロリとはがれ、ちっちゃなスフィンクスみたいなヤツが顔を出すんじゃないか? という意味不明な空想を――飯吉くんは、こんしまちゃんに対していだいていた。
とはいえ、少なくとも……現在のこんしまちゃんにそのような兆候は見当たらぬ。
こんしまちゃんは優雅に日傘を持ったまま、女子高生の形状を保っていた。
皮肉っぽく、飯吉くんが笑みをこぼす。
「相合い傘……いや、相合い日傘はボクにとっても初めてだけど……こんなにときめかないものだとは思わなかったよ。どうせ、こんしまちゃんのことだから――ほかのクラスメイトにも相合い日傘やってるんだろうし」
「とっかえひっかえだよ……」
「そんな言い方したら誤解を招くどころか誤解が向こうから走ってくるよ」
「……しまった。表現には気をつけなきゃね……」
「ホントだよ。ま、こんしまちゃんが誤解されようが、ボクにとっては、どうでもいいよ」
笑顔をラップフィルムみたいに貼りつけながら、飯吉くんが日傘から出る。
「じゃあね、こんしまちゃん。お礼は言わないよ。ありがたいなんて思ってないから」
「飯吉くん……またね」
傘を持っていないほうの右手で、こんしまちゃんはバイバイの仕草をした。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
続いて――こんしまちゃんは、これまでよりも人通りの多い道に出る……!
ちょっと疲れてきたので、左手から右手に日傘を持ち替えた。
刹那、道の横から……キラキラした二つの瞳が飛び出した……っ!
その持ち主は、標葉令太くんという男の子。
やはりやはり、こんしまちゃんのクラスメイトだ……。
二人は、ぶつかりそうになった。
しかし互いに身をひねり、事なきを得た。
ついで、こんしまちゃんがこうべを垂れる……ッ!
「ごめん、標葉くん……」
「いや、こんしまちゃんは悪くないって! オレの不注意だったしね! それよりケガしてねえ?」
「だいじょうぶだよ……標葉くんは……?」
「オレもケガとかないわ。こんしまちゃんが、よけてくれたしね」
「よかった……ところで」
垂れていたこうべを、持ち上げるこんしまちゃん……!
「わたしの傘下に入らない……?」
「……普通に『日傘の下』って言えばよくね?」
「しまった」
なお、この「しまった」は言葉のチョイスをミスったことに対する「しまった」にあらず。
こんしまちゃんは、意図的にボケたのだ……っ!
でも思ったほどウケなかったから、「もっと精進しなきゃ」という意味を込めて「しまった」とこぼしちゃったわけだ。
当の標葉くんは、時間差をつけて少し笑った。
「じゃ、半分だけにするわ。すっぽり影に入るのは照れるしね」
そして標葉くんはこんしまちゃんの右隣に移動し、左半身だけを傘の内側に入れた……ッ!
んで、小さな声に切り替える。
「でも、こんしまちゃんは……もっと警戒心持ったほうがいいと思うよ」
「……だいじょうぶだよ、ちゃんと持ってる」
こんしまちゃんはジト目になり、標葉くんと同じ声量で応じた。
「だてに十年以上、しまったを積み重ねてきたわけじゃないから……」
「こんしまちゃんって、いわゆるドジっ子とも違うよな。向上心があるから、すぐ反省できる。そんで『しまった』って口に出る感じ?」
「そんな捉え方もできるんだ……。勉強になる……」
「……反省って大事だしね。いやオレが偉そうに言えることじゃないけどさ。実際、反省とか考え始めると、よく分からんくなるしね! とくに世界史だとね……オレ、このごろ世界史の教科書をパラパラめくってみてるんだけど、歴史って両極端だと感じるわ。とくに善し悪しね! 『人間ってこんなにすごいことができるんだ!』って思うところと『人間ってこんなにひどいことができるんだ!』って思うところが両方ごちゃまぜで、なにを反省したらいいか脳がバグりそうになるしね」
「たとえば、わたしが日傘を半分貸した結果……少しずつなかに踏み込まれて持ち手を奪われ……ついには追い出される……みたいなことが歴史には多くあるけれど……その出来事について『いい』と言う人も『悪い』と言う人もいるわけだよね」
「それは日傘を奪ったヤツが百パー悪くね? いや、『こんしまちゃんは、そうされても仕方ない極悪人』って情報を流せば逆に……奪ったヤツのほうがヒーローになるのか」
「このパラドックスが歴史のだいご味……!」
「まあ『世界史、実はおもしろいんじゃね?』とオレもこのごろ思い始めたよ。歴史は反省だけじゃないしね。やっぱり人間はすごいしね!」
ジト目のこんしまちゃんに、標葉くんが言葉を続ける。
「これ世界史の先生の受け売りだけど……歴史は反省だけじゃなくて、挑戦の歴史でもあるらしい。――で、こっからはオレの考え。こんしまちゃんの『しまった』も、逃げずになにかに挑戦しないと出てこない。そのうえで、反省しないと出てこない。ある意味、歴史は『しまった』の積み重ねなのかもね。そう考えると、なんかおもしろくてモチベ上がるんだわ~」
「いい感じだね……標葉くん……」
「こないだ、こんしまちゃんが『ですしねゲーム』をやってくれて……吹っ切れた面もあるよ。すごく感謝してる。こんしまちゃんには何回もお礼を言いたいしね!」
日の当たった右目をよりいっそうキラキラさせる標葉くん……っ!
ここで急に冷静になり――キラキラ含有率七十パーセントくらいの左目でこんしまちゃんを見る。
「でもオレら……変じゃね。文化祭が近いってのに、文化祭の話まったくしないしね」
「変でもないよ……」
こんしまちゃんがジト目をやめ、カッと目を見ひらく……ッ!
「学校でさんざんそういう話してるしね」
「ま、無理に話すのも、めんどくさいしね!」
確かに下校のときくらい、リラックスしたいものだ。
学校という世界と家庭という世界――その二つの世界の境界にあって、どちらの世界にも捕らわれない空間が、通学路という道だしね。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
そしてそして……標葉くんとも別れのあいさつを済ませたこんしまちゃんは、ほかにも数人のクラスメイトをみずからの傘下に入れて、とっかえひっかえしたのであった。
気づけばこんしまちゃんは、ねずみ色のシャッターが並ぶアーケード商店街に足を踏み入れていた。
平日の昼間も、ほとんどの店があいていない。
長い、長~い、その道を進もうとしたときだった。
こんしまちゃんは、とある二人を視界の右前方に捉えた……!
やっぱりクラスメイトで、制服を身にまとっておる。
一人は、長い下まつげを持つ女の子――赤金しろみさん。
もう一人は、首の太い男の子――筈井友春くん。
二人は付き合っている。
ちなみに、以前こんしまちゃんは、赤金さんを「君」と呼んでばかりの筈井くんが下の名前を言えるよう、ひと肌脱いだこともあるのだ……っ!
ともかく二人のおじゃま虫にならんよう、こんしまちゃんは抜き足差し足忍び足……。
足音を殺すべく――引き抜くように足をゆっくりと持ち上げ、つま先をなにかに差し込むように静かに下ろす。
これぞ、音の鏖殺である……ッ!
――が、こんしまちゃんは気になってしまった。
(忍び足は、どうすればいいんだろ……? 忍者の鵜狩くんなら、分かるかな……)
その一瞬の気の迷いが、こんしまちゃんの計画にヒビを入れた。
結果、アーケード商店街の道に横たわっていた小枝に気づかず、踏んじゃったのだ……!
「……しまった」
なんか物語だと小枝とか踏んでパキイ……って音がして相手に気づかれるのは定番だけど、まさか現実にこんなことが起こるとは、さしものこんしまちゃんも予想していなかった。
案の定、右前方を歩いていた赤金さんと筈井くんが後ろを向く。
赤金さんが、手を振る。
「……あ、『しまった』って聞こえたと思ったら、やっぱ、こんしまちゃんじゃん! おーい! 一緒に帰ろうよ~」
「うん……」
観念したこんしまちゃんは、二人にテクテク近づいた。
「でも、しろみちゃん、筈井くん……。わたし、おじゃまじゃないかな……?」
「おじゃまじゃないよ」
赤金さんは、こんしまちゃんにほほえんだあと、筈井くんに視線を投げた。
「……ね、友春!」
「そうだね、しろ」
筈井くんは、太い首をゆるやかにひねった。
「こんしまちゃん、気をつかってくれるのはうれしいけれど、遠慮しないでいいんだよ」
「分かった……っ!」
声をはずませる、こんしまちゃん。
「そうだ、しろみちゃんに筈井くん。相合い日傘はどうかな……?」
「え! ただの相合い傘じゃなくて、相合い日傘って……それ、もはや一年じゅう相合い傘可能じゃん!」
天才か……?
「やろやろっ、友春っ」
「悪くないね」
筈井くんも乗り気のようだ。
なかなかの好感触……ッ!
図らずも、こんしまちゃんは、えびす顔。
二人がうまくいっているようでなによりだなあと幸せに感じていたのだ。
「それじゃ……」
こんしまちゃんは、赤金さんと筈井くんの二人が相合い日傘を作れるよう、傘の持ち手を預けようとした。こんしまちゃん自身は、いったん傘から抜け……やや遠くから腕組みをして見物しようともくろんだのだ……!
――がッ!
「……あれ?」
あろうことか、こんしまちゃんが動く前に、すでに赤金さんと筈井くんの行動は完了していた。
筈井くんがこんしまちゃんの背後に、赤金さんがこんしまちゃんのすぐ前に移動していた。
……通常、個人の傘はそのサイズゆえに、多くても二人までしか守れない。
だが、それは横に並ぼうとするからだ。
ならば発想を変えて、縦の列を作ればいい……ッ!
人間は基本的に、肩幅よりも……横から見たときの厚さのほうが小さい。
とすると必然的に、横に並ぶよりも縦に並んだほうが、多くの人を敷き詰められる理屈となろう……っ!
こたびの相合い傘のケースとて、例外じゃない。
それを本能的に見抜いた赤金さんと筈井くんは、こんしまちゃんの前後にポジショニングし……不可能と思われた「三人相合い傘」を実現させたのである……ッ!
こんしまちゃんも驚がくのあまり、ツッコむことすらできぬ。
でも筈井くんが、ぽつりと言う。
「ごめん……なんかハズい。やっぱり君、替わってくれない?」
ここで筈井くんの口にした「君」は、赤金さんのことである。
それを耳にして、愉快そうに赤金さんが返す。
「も~、だから友春。君じゃないよ、しろみだよ!」
不満をにじませた言葉ではない。
親しい人と冗談を飛ばし合うときの口調だ。
筈井くんがこんしまちゃんの真後ろで謝る。
「ごめん、悪かった。……しろ」
「しょうがないなあ~。じゃ、わたしが後ろで友春が前ね」
そしてこんしまちゃんは真ん中固定。
自分をはさんで前後からイチャつかれているんだから、普通だったらブチギレ案件かもしんないけど――こんしまちゃんは、だれかの幸せそうな様子を見て、さらに幸せを増幅させるような女の子なので、まあ三人相合い日傘もいいかな……とのほほんと考えているだけだった!
そんなこんなで、前衛・筈井くん、中衛・こんしまちゃん、後衛・赤金さんの縦隊が完成する……ッ!
「よし……出発するよ……」
号令をかけたのは、こんしまちゃん。
かなめの日傘を掌握しているのは彼女だから、納得の配役である……!
……こんしまちゃんが足を出そうとすると、すぐ前にいる筈井くんに当たってしまった。
「ごめん……筈井くん」
「気にしないで、こんしまちゃん」
しかし筈井くんがこんしまちゃんを許すと同時に、こんしまちゃんのかかとに、コツンとふれるものがあった。
後ろから、赤金さんが謝る。
「ごめんね、こんしまちゃん」
「だいじょうぶだよ……しろみちゃん」
まあ、それからは――後ろの人が前の人に足をちょんと当てる事案が連発した。
こんな調子が続くもんだから、ようやっと三人は気づいたのだ。
「「「歩きづら……ッ!」」」
先頭の筈井くんも日傘の範囲から出ないように歩調を整えねばならんから、そりゃきつい。
さらに――赤金さんがこのタイミングで、より重要なことにふれる……!
「こんしまちゃん……ここ、アーケード商店街なんだよね」
「そうだね……アーケードだから屋根があるね……」
「うん。だけどそもそも屋根があったら――日傘を差す必要なくない?」
「しまった……しろみちゃんの言うとおりだね……」
ここで一行は停止する。
日傘をずらして上を見ると、確かに天井が広がっている。
採光用の天窓はあるんだけど……その窓のおかげで日差しがかなり抑えられているので、日傘の必要性もなさそうだ。
こういうてんまつで、三人相合い日傘の時間は終わりを告げた。
だけどこんしまちゃんは、そのあと……赤金さんと筈井くんから肉まんをおごってもらったのだった。
途中、こんしまちゃんを無視して二人だけでイチャついた感じになっちゃったから、そのおわびらしい。
商店街の肉まん屋さんで買ったものを、道のはしっこのベンチに座ってハフハフする、こんしまちゃんたちであった……!
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
――さて。
赤金さん・筈井くんと別れてから家に帰るまでに、こんしまちゃんが新たに傘下に入れたのは計三人。
商店街を出たところで鉢合わせたのは、クラスメイトにして友達の矢良みくりさん。
いつもポニーテールの女の子である。
こんしまちゃんがさそうと、自然に矢良さんは日傘の下に移った。
「涼しいねっ、こんしまちゃんっ。ありがと~」
「どういたしまして……」
「これぞ――ぬれぬ先の、なんとやらだねっ!」
「……もしかして矢良さん。その先には『傘』があるの……?」
「そだよんっ」
「この日傘……雨傘としても使えるのかな……?」
持ち手を少しだけゆらし、こんしまちゃんが息をついた。
「ところで矢良さん……あらためて調子どんな感じ……?」
「すこぶる絶好調っ!」
「よかった……これからも、だいじょうぶそうだね……」
で、矢良さんのあとにこんしまちゃんが会ったのは――。
少しツリ目で、あごがシュッとしている男の子、鵜狩慶輔くん。
こんしまちゃんは、鵜狩くんが好きだ。
恋愛的な意味で。
だから鵜狩くんを相合い日傘にさそうのはドキドキするし、勇気が要る。
「う、鵜狩くん。よかったら……わたしと日傘で涼まない……?」
しかし意外にも、こんしまちゃんの口から、おさそいの言葉がすーっと出てきた。
(そっか……今までクラスメイトのみんなと相合い日傘したからだ……)
もし、こんしまちゃんが自身の日傘をだれともシェアしていなかったら――こんしまちゃんは恥ずかしくて鵜狩くんを相合い日傘にさそえなかったであろう……ッ!
でもクラスメイトのみんなをさそったという前提があるのなら、同じくクラスメイトの鵜狩くんを相合い日傘に入れないのは不公平……!
よって、こんしまちゃんは照れずに……ごくごく自然に鵜狩くんに日傘を差し出せたというわけだ。
(大吉が出たからといって調子に乗らず……みんなに日傘シェアしてよかった……! ありがとう、久慈さん……)
それで――相合い日傘にさそわれた鵜狩くんの返答は。
「ありがとう、こんしまちゃん。なら、涼をとろうかな」
「いつでも入って……」
「じゃあ右側に失礼するよ」
鵜狩くんの移動にともない、あったかい空気が押し出され、こんしまちゃんをほわ~んとなでた。
まわりに人影がないのが救いだ。
さすがに、こんしまちゃんも……熱で爆発しそうになった。
鵜狩くんの身長に合わせるために、こんしまちゃんが持ち手をにぎった右手を挙げる……っ!
それを目に入れて、鵜狩くんが優しく言う。
「俺が持つよ」
「ありがとう、鵜狩くん……」
こんしまちゃんの右手に、鵜狩くんの左手が微妙に重なる。
「離していいよ、こんしまちゃん……」
「こ、このままがいいの……二人で持ったら、軽くなるから……っ」
いや日傘程度の重量ならその理屈は通じないんじゃないの……? などといった野次を飛ばす者は、この場にはいない。
そういうわけで鵜狩くんは、小さく笑んだ。
「そうだね。それも、いいな」
鵜狩くんは、ちょっと猫背になった。
少し歩いて、こんしまちゃんに話しかける。
「いい日傘だな。涼しくて、上品で……」
「うれしい……鵜狩くんも、そう思うんだ。これ、お姉ちゃんが合格祝いにプレゼントしてくれたものなんだ……」
こんしまちゃんも、鵜狩くんも……普段は、そんなにおしゃべりじゃない。
でも――こんしまちゃんにとって、ぽつりぽつりと小さな雨がふるように交わす会話も、お互いになにも言わず呼吸だけを送り合う時間も……かけがえのない、いとおしいものなのだ。
鵜狩くんにとってもそうならいいなと――こんしまちゃんは思った。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
そして、こんしまちゃんは鵜狩くんに「またね」と伝えたあと、自分の家を目に入れた。
一般的な一軒家である。
日は、まだまだ落ちていない。
こんしまちゃんは日傘を差したまま、歩を運ぶ。
すると後ろから声をかけられた。
「み~どりっ! きょう帰るの早いんだね~」
紺島みどりをこんしまちゃんと呼ばずに「みどり」と言う人間は希少種だ。
だから、こんしまちゃんは――すぐに声のぬしの正体に気づいたのだ……っ!
「お姉ちゃん……」
そう、さっきこんしまちゃんを「みどり」と呼んだのは、こんしまちゃんのお姉さんの紺島まふゆさんだ。
妹よりも長い髪を持ち、すごく曲がったウェーブのくせ毛を有する……っ!
そんなまふゆさんが、さそわれてもいないけど……こんしまちゃんの日傘の下に宿る……ッ!
「入っていい?」
「もちろんだよ……これプレゼントしてくれたの、お姉ちゃんだし……」
「事後承諾だけど?」
「しまった。別にいいけど」
「いや~、わたしとしては『来る者は拒み、去る者は追う』くらいのスタンスで対応されても全然オッケーなんだけどな~」
「すさまじすぎるよ……お姉ちゃん」
ここで、こんしまちゃんは……まふゆさんが、ちょい頭の位置を下げているのを発見した。
日傘の布地が当たっとる。
「あ、ごめんね……ちょっと腕上げるから……」
「いやいや、そのままでいいんだよ、みどり。むしろ気持ちいい」
まふゆさんには、妹に迷惑をかけられたいという姉としての根源的欲求がある。
「ときに、みどりさ~。なんか、きょう機嫌いいね」
「わ、分かっちゃうかな……実はね……」
それでこんしまちゃんは、下校の途中で会ったクラスメイトのみんなと日傘をシェアしたと――まふゆさんに話した。
まふゆさんは、返事をする前に心のなかで考えた。
(ちょっと心配だなあ。みどりのこと……だれかれ構わず「いい顔」しようとする八方美人だとか……人の心にズカズカアッ! と入り込もうとする無神経なヤツだとか思う人いるんじゃないの? じゃあ、それを指摘する? いや、指摘しない。それが、みどりの生き方なわけだ。みどりの幸せそうな顔を見る限り、クラスメイトのみんなから拒絶されているわけじゃなさそうだし……ここは、お姉ちゃんとして……素直な気持ちを伝えよう!)
「みどり。本当に、いい友達に恵まれて……よかったね。お姉ちゃんも、うれしいよ」
「ありがとう……でも、全員が友達というわけじゃないよ……友達じゃなくても大切なの……」
「そう」
「あと……きょうみたいなことができたのは、素敵な日傘をお姉ちゃんが贈ってくれたからだよ……お姉ちゃん、ありがとう……」
「……みどり」
まふゆさんは、ちょっと横を向いて目もとをぬぐう。
それから……。
黒を基調としたシックなデザインの日傘――それに入った二人の影が家のなかに消えるまで、あまり時間は、かからなかった。
※ ※ ※ ※ ♢ ※ ※
☆今週のしまったカウント:九回(累計六十六回)
次回の「今週のしまったちゃん」は十月五日(日)に更新する予定です