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脚本のアラを探してしまった!(木曜日)

 こんしまちゃん――紺島(こんしま)みどりの通う高校は三年間クラス()えをおこなわない。


 最初からこんしまちゃんたちのクラスでは、文系科目を中心にしたカリキュラムが組まれている。

 それは生徒自身が、入試の時点で選択(せんたく)していたことだ。


 文系だから、みんな小説とかたくさん読むのかな? と思われるかもしれないけど案外そうでもない。

 理系クラスよりもラクそう! ……なんていう理由で選んだ人もわりといる。


 なお、こんしまちゃんは……二週間に一冊(いっさつ)読む程度。


 まあ一冊(いっさつ)って言っても、ページ(すう)(いち)ページあたりの字数、改行や漢字の使用頻度(ひんど)によって分量が変わってくるからあんまり参考にならないかもしれない。


 それでも――こんしまちゃんの国語の成績は悪くない。

 最近は『ドグラ・マグラ』というまあまあ長い小説を読了(どくりょう)したばかりである。

 言葉を理解する(ちから)は、けっこうあるのだと思われる。


 さて今回は、そんなこんしまちゃんが()()()()()()()()()()()()()話だ……ッ!

 (いや)がらせをしているんじゃなくて、そうなったのにも当然ながら理由がある。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 木曜日、放課後の教室。

 こんしまちゃんの右隣(みぎどなり)の席で、男の子同士の会話が発生していた。


 席に(すわ)っている少しツリ目の男の子は、鵜狩(うかり)慶輔(きょうすけ)くん。

 その席のそばに立つ()きとおるような(はだ)を持つ男の子が、水戸目みとめ永志ながしくん。


 水戸目(みとめ)くんのほうが、鵜狩(うかり)くんに(たの)()んでいるようだ……。


「きょうすけ~。お願いだから、ぼくの脚本(きゃくほん)読んでメタメタにけなしてよ~」


 こんなことを水戸目(みとめ)くんが言うのも……けなされること自体を(かれ)が好むからではない……ッ!

 もうすぐおこなわれる文化祭の劇で水戸目くんは脚本を担当することになったんだけど……その出来(でき)に不安があるから、改善点をだれかに指摘(してき)してほしいのだ……!


 鵜狩(うかり)くんは、休み時間によく紙の本を読んでいる。

 しかも本の上下(じょうげ)を逆転させたまま、かなりのスピードでページをめくる。


 それを承知しているからこそ水戸目(みとめ)くんは、文章を読み慣れている鵜狩(うかり)くんに脚本(きゃくほん)を読んでもらいたいと思ったわけだ。


 鵜狩くんは水戸目くんに、こう答えた。


「分かった、読むよ。でも料理部のほうにも顔を出さないといけないからフルでは付き合えない」

「ホント? サンキュー、きょうすけっ!」


 水戸目(みとめ)くんは、うれしそうにガッツポーズを作った。


「ただ……あと一人(ひとり)だれかに読んでもらえるなら助かるね~」


 ここで水戸目くんが、鵜狩(うかり)くんの左隣(ひだりどなり)の席に視線をやった。

 そこに(すわ)っているこんしまちゃんと目が合う……!


「……そうだ、こんしまちゃんっ! ぼくの脚本の間違(まちが)い探ししてみない?」

「ほめてほしいの……?」

「いいや、()()()容赦(ようしゃ)なく批判されたい」


 水戸目(みとめ)くんの()きとおるような(はだ)が、血色(けっしょく)を帯びる。


 そこにこんしまちゃんは、水戸目くんの本気を感じ取った。


()()()()()()……」


 (かれ)の思いに(こた)えるべく――心を悪鬼羅刹(あっきらせつ)へと変貌(へんぼう)させた、こんしまちゃんであった……っ!


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 三つの(つくえ)をくっつける。

 それぞれの席には、水戸目(みとめ)くん・鵜狩(うかり)くん・こんしまちゃんが一人(ひとり)ずつ……!


 水戸目くんの書いた脚本(きゃくほん)を読んで改善点を指摘(してき)するのが、現在の鵜狩くんとこんしまちゃんのミッションである。


「脚本の初期案は、すでに台本にして印刷した。ただ二人とも、読む前に(ひと)つ」


 (かり)の台本を鵜狩くんとこんしまちゃんに(わた)した水戸目(みとめ)くんが、表情を引き()める……ッ!


「くりかえすけど手加減は()らない。『手功(てこう)より目功(めこう)』という言葉がある。うまく作る以前に、うまく作れているか見極(みきわ)める目を(やしな)えってこと。自分やだれかのそんな目があるから、いろいろ改善もできるわけだね~。だから自力でアラを見つけたら、『ダメだ、自分には才能がないんだ』と落ち()むんじゃなくて、『よくやった。むしろ間違いが分かったのは才能がある証拠(しょうこ)』と自分をほめたい。だれかに文句を言われたら、『ありがとう、助かった』って感謝したい」


 なかなかの長広舌(ちょうこうぜつ)である……。


誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)レベルでもない文句を言われて『だったらおまえがやれよ』と言い返したり『作者への人格批判(ひはん)だ』と曲解したり『こっちだって大変なんだぞ・ここにはこんな意味が込められているんだぞ』とお気持ち表明したりするのは創作では論外って話でもある」


 まあ「論外」は過言(かごん)としても――。

 批判されることへの覚悟(かくご)は、言葉そのものから()()()()()伝わってくる。


「ぼかあ、()()()()()()()()()()()()()。今後成長していくために、きょうすけとこんしまちゃんの目功(めこう)を求めている……っ!」


 ……という前置きに(あい)づちを返しつつ、表紙をめくるこんしまちゃんと鵜狩(うかり)くん。

 もちろん鵜狩くんはいつものクセで、台本を上下(じょうげ)反対にして読み進める。


 その台本は会話文と、状況(じょうきょう)などを説明するト書(とが)きで構成されているようだ。


 こんしまちゃんが、おそるおそる冒頭(ぼうとう)を確認する……。


「えっと……まずは主人公の登場シーンだね」



 快晴の(そら)(した)、青年が荒野(こうや)を歩いて現れる。

 (あせ)をぬぐい、独白……ッ!


『きょうは、いつもにまして暑いな……』



「ちょ……ちょっと、いいかな……水戸目(みとめ)くん」


 こんしまちゃんが早くも動く。


「……『いつ()()まして』じゃなくて『いつ()()まして』じゃないかな……? もちろん、なにか意図があるなら、いいんだけど……」

「えっ、それ間違(まちが)いなの?」


 水戸目(みとめ)くんは鵜狩(うかり)くんの顔もうかがう。

 鵜狩くんは、次のように述べる……っ!


(おれ)としては、言葉に『間違い』はないと思ってる。大切なのは、『この主人公がこの言葉を使用する必然性があるかどうか』じゃないか?」

「そりゃ確かに。でも主人公はとくに言い間違いをするようなキャラじゃないから修正しとこ」


 自分の台本のセリフに赤線を引き、「いつ()()」を「いつ()()」に変更(へんこう)する水戸目(みとめ)くん。


「サンキュ、こんしまちゃん! きょうすけ! この調子で(たの)しみながら――アラ探しと()()()()()()!」


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 さて脚本(きゃくほん)は、新たなシーンに差しかかる……ッ!



 主人公の青年が、盗賊(とうぞく)にからまれている少女(しょうじょ)を発見したのだ。

 (じゅう)を構えた盗賊二人が、少女に言う。


『くく……ここが年貢(ねんぐ)(おさ)(どき)だぜ。げへへへへ』

観念(かんねん)して死ぬんだな。おれらの報酬(ほうしゅう)のためによお! ひゃーっはっはっはっは!』



「この場面についてツッコんでいい……?」


 こんしまちゃんが真剣(しんけん)な顔で水戸目(みとめ)くんを見つめた。

 水戸目くんに(うなが)され、こんしまちゃんが指摘(してき)する……ッ!


「この盗賊さんたち……なんでこんな悠長(ゆうちょう)にしゃべっているのかな……」

「……ど、どういうこと、こんしまちゃん」

「セリフから、この女の子を()()()()()()()盗賊さんに報酬が発生するのが分かる……。だったら、こんなだらだらと話すより、すぐに()()()()()()()()なんじゃないの……?」


 表情も口調(くちょう)も優しげなんだけど……これ水戸目(みとめ)くん相手じゃないなら心()ってるかもしんない。

 今のこんしまちゃんには、そのくらいの(あつ)があった……!


「にもかかわらず盗賊さんたちが悠長に構えているのは、なんで……。主人公に女の子を助ける時間を(あた)えたいっていう脚本の都合のためなの……? 『イベントにタイミングよく出くわす主人公』という状況(じょうきょう)を作り出したいあまり、盗賊さんたちがただの作者のあやつり人形(にんぎょう)になっちゃってない……?」

「こ、こんしまちゃん……」


 返す声が(ふる)えている。

 さすがの水戸目(みとめ)くんも精神をやられたか……?


 ここで、こんしまちゃんが言葉を切る……っ!


「ししまった。ごめんね、言いすぎちゃって……」


 これは、いけない。

 そんなこと言ったら逆に傷口(きずぐち)をえぐる可能性があるとこんしまちゃんは気づいていない模様(もよう)……ッ!


 でも、水戸目くんは小さく()む。


「いいんだよ、こんしまちゃん。()()()()()()()付き合わせているのは、()()なんだし。むしろ、この容赦(ようしゃ)のない批判が心地(ここち)いい。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()さっ! ぼかあ、それを求めてこんしまちゃんときょうすけに脚本を読んでもらっているわけだからね~」


 すごいメンタルだ。

 水戸目くんは鼻歌まじりに、赤ペンを構える……!


「そんじゃ盗賊たちのセリフはカットかな~」

「あの、水戸目くん……」


 こんしまちゃんが脚本を指でなぞりながら、なんか言う。


「わたしの言っていることも間違いかもしれないから……納得(なっとく)できないときは『納得できない』でいいんだよ……」

「だいじょうぶ、ぼかあイエスマンじゃないからね!」


 陽気に水戸目くんが見返す。


「ぼくだって、こだわりは当然あるし……すでに推敲(すいこう)もとい『セルフアラ探し』を何回も()()()()。明らかに見当(けんとう)外れの指摘(してき)をされたら、反論するって」

「そっか……じゃあ安心だね……」


 こんしまちゃんも、水戸目(みとめ)くんにほほえみを返した。


 当の水戸目くんは盗賊のセリフを大幅(おおはば)にけずる……ッ!

 シーンは次のように変更(へんこう)された。



 一方の盗賊が少女の(うで)をつかみ、『よし、今のうちに始末しろ!』と相方(あいかた)にさけぶ。

 相方の盗賊は『報酬(ほうしゅう)は山分けな!』と言いながら銃の引き(がね)を引く。

 そして絶体絶命の瞬間(しゅんかん)に主人公が乱入し、盗賊たちを()(ぱら)うのだ。



「おお~」


 水戸目(みとめ)くんは、この変更に納得したようだ……っ!


「盗賊二人がちゃんと生きている感じになったし、緊迫感(きんぱくかん)も生まれている。なによりテンポがよくて気持ちいい。おまけに主人公がすばやく動けるってことが分かるし、見ず知らずの女の子のために迷わず行動できるナイスガイって情報も説明ゼリフなしで伝わる」

「え……そんな効果もあったんだ」

「本当にありがとう、こんしまちゃん!」


 うれしそうに、水戸目くんが赤ペンを回す。

 続いて、(だま)っている鵜狩(うかり)くんに視線をやった。


「ところで……きょうすけからは、なんか言うことない?」

「ある。()()()()()()()()


 確かに脚本のなかで盗賊二人は銃を持っているようだけど……。

 それのなにが変なのか、こんしまちゃんは首をかしげた。


 鵜狩くんが、さきほどの発言を解説する……!


()()()()()()()()()()気がする。(おれ)、さっきまで永志(ながし)とこんしまちゃんが(はな)し合っている(すき)に、台本の全部に目を通したんだけど……」

「え……すっご。しかも上下(じょうげ)逆さまで? きょうすけ、もはや忍者(にんじゃ)じゃん!」

「忍者要素はないよ。ただの速読」


 (あわ)てず(さわ)がず、鵜狩くんが正体をごまかす。


「うっかり初見ではスルーしそうになったけど、この盗賊たちが退場して以降、脚本には一度(いちど)も銃が出てこない。けっこうバトル描写(びょうしゃ)があるのに、殺傷(さっしょう)能力が高くて相手の間合いの(そと)からも攻撃(こうげき)できる銃という武器を盗賊以外が(もち)いないのは不自然なんだ」

「あ~。言われてみれば、練られてなかったね」


 水戸目(みとめ)くんが台本をパラパラめくったあと、もとのページをもう一度(いちど)ひらく。


「修正案としては、あとで銃を登場させるか……いや、それだとほかのところでも『ここ(じゅう)でいいじゃん』って場面が多く発生するな~。どうしよ」

「だったら……」


 こんしまちゃんが、助け船をぶつける……ッ!


「盗賊さんの武器自体を、銃からナイフに変えればいいんじゃないかな……?」

「あ、それでいこう。こんしまちゃんナイス! そしたら余計な修正箇所(かしょ)も発生しないね」


 というわけで水戸目(みとめ)くんがト書(とが)きに赤を()れる。

 盗賊の引き金を引く動作が、ナイフを()り下ろす動作に差し()えられた。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 こんな感じで激論(げきろん)()わしつつ。

 鵜狩(うかり)くんとこんしまちゃんは、水戸目(みとめ)くんに容赦(ようしゃ)のない批判(ひはん)()びせ続けたのだった……!


 でも水戸目くんは折れなかった。

 むしろ、メタメタにけなす鵜狩くんとこんしまちゃんへの感謝の態度を(くず)さなかった。


 水戸目くんの台本は、赤でいっぱいになっている。


 そして台本のページの四分の三ほどを読み終わったあたりで鵜狩くんが立ち上がった。


「じゃ、もう(おれ)()けるよ、永志(ながし)。料理部に()かなきゃいけないから」

「そうだったね~、きょうすけ。きょうは、ありがとう、助かった!」

「どういたしまして。それじゃ、こんしまちゃんも……またあした」


「またね、鵜狩くん……」


 こんしまちゃんが小さく手を()る。


 鵜狩(うかり)くんは自分の(つくえ)をもとの位置に(もど)してから、台本を水戸目(みとめ)くんに返し……教室から出ていった。


 インクの少なくなった赤ペンを陽気に回す水戸目くんをじっと見て、こんしまちゃんが(くち)をひらく。


()()()()()()()()()……?」

「……こんしまちゃん?」


 なにを言われたのか分かんなかった水戸目くんは、「もしかしてこれのことかな」と推測したうえで答える。


「あ~ね、主人公のこと? 確かに、さんざんな目に()ってるもんね~。助けた女の子にも裏切られるし。それでも自分の気持ちをつらぬくところが、この脚本の裏テーマなんだ」

「しまった。ちょっと分かりにくかったかな……?」


 微妙(びみょう)にあおりゼリフにも聞こえる言葉をこぼす、こんしまちゃん……!


「今は脚本じゃなくて……水戸目くん自身がどうして折れないのかを知りたい……」

「……でもそれ、脚本と無関係――いや」


 ()きとおるような(はだ)を持つ、自分の顔をそっとなでて……水戸目(みとめ)くんが静かに笑う。


「このままじゃ、こんしまちゃんたちをタダ(ばたら)きさせたようなものだね。きょうすけには、あとで()()()として……こんしまちゃんには今支払(しはら)うよ」


 いったん赤いペンを置く。


「ぼかあねえ、小学校のころからずっと休み時間は図書室に()りびたってた」

「読書が好きなんだね……」

「いや(ちが)う違う。図書室の(つくえ)で、本も読まずにボーッとしてたんだよ~」


 水戸目くんが、左右のひじを使ってほおづえをつく……。


「別に(そと)に出て遊ぶのが(きら)いとか苦手とか、そういうのじゃないんだ……。ただ、気づいたら図書室でボーッとね。でもあるとき、図書室に来ているみんなが集中して本を読んでいることを突然(とつぜん)そっくり理解した。脳が大きくなったからかな?」

「なぜか急にいろいろ分かって、『どうして今まで気づかなかったんだろう』って思うことは()()()()だよね……」


「まあね。脚本的には、それもアラなんだろうね~。『最初からやれ』『すぐ分かるだろ』ってツッコまれるタイプの」

「でもこれは現実……」

「そだよね~」


 小さく頭を上下(じょうげ)させて、水戸目(みとめ)くんは愉快(ゆかい)そうに吐息(といき)()らす。


「ところで、こんしまちゃんは最近なんか本を読んだ?」

「読んだよ。『ドグラ・マグラ』……っ!」

「はあ……? 聞いたことある……!」


 なんか水戸目くんが(おそ)れおののいている……ッ!


「ネットで書評を見かけたよ。それメッチャ難解で、最後まで読んだら正気を(たも)っていられないヤツなんだよね」

「え……? 確かに長かったし、いろんな文体が出てくるけど……描写(びょうしゃ)は基本的に理路(りろ)整然(せいぜん)としてるし、なにより全体の構成が神だよ……とても頭のいい人が書いたって分かる……!」


 語気(ごき)(ちから)()める、こんしまちゃん。


 こんしまちゃんは読書量こそ()()()()多くないものの――そのぶん一冊(いっさつ)一冊に対しての熱量がすさまじいのだ……ッ!


「わたし、『ドグラ・マグラ』読んでてジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』思い出した。こっちも、いろいろヤバいよ……! もう永遠の文学作品だよ……人類の宝だよ」

「……そう。すごいね、こんしまちゃんは」


 水戸目(みとめ)くんが、かわいた笑いをこぼす。


「きょうすけも本を逆さまにして、たくさん読んでるし……みんなすごいよ。それにくら――」


 おそらく水戸目くんは「それに比べてぼくは」と言おうとしたのだろう。

 けれど途中(とちゅう)で言葉を切り、首を横に()った。


()()()()()()()。本当は……ぼくは脚本(きゃくほん)を担当できるようなヤツじゃないんだ」

「……そうなの?」

「学校の図書室でほかのみんながマジメに読書しているのに気づいてから、ぼくは()ずかしくなった。『ボーッとしてるだけのぼくが席の(ひと)つを占領(せんりょう)していいのか、それは()()()()()()()んじゃないか』って感覚かな~」


 右のほおづえをやめ、手もとの台本をつつく水戸目くん。

 台本()しに(つくえ)がたたかれ、コツコツと鳴る。


「それで、ぼかあ本を読むことに挑戦(ちょうせん)してみたんだよ。全部の漢字にルビ()ってるヤツ。字も大きい。挿絵(さしえ)もある。読書感想文はウチの小学校には()()()()から……絵本でもマンガでもない本をまるまる一冊(いっさつ)読もうとしたのは初めてだった」


 コツコツという(おと)が、とまる……。


一年(いちねん)かかった」


 こんしまちゃんじゃなくて台本を見下(みお)ろす。


「一、二行読むだけで(ねむ)くなる。ルビの『ば』と『ぱ』の判別にすら五秒必要。挿絵と文が結びつかない。(ぎょう)(した)まで読んで『あいつには』の『は』の部分を『ワ』で発音したあとに『あいつに()()()()()』って続いたら『ハ?』って思って読むのを投げ出したくなる。そもそも単語の意味が分からなくて(いち)ページごとに何回も辞書を引く。さっき読んだはずの部分をすぐに忘れていちいち前のページに(もど)ってしまう。『赤くて丸いりんごがある』と文字だけで言われても『赤』も『丸』も『りんご』もイメージできないし、できたとしても『赤』と『丸』と『りんご』がバラバラの概念(がいねん)として脳内に()かび上がって混乱する。会話文でだれがどのセリフを言っているのかガチでほとんど見分けられない。こういったこと以前に自分とまったく関係ないヤツが成功しようがピンチにおちいろうが()()()()()()という感覚が先行して夢中になれない」


 長い言葉だったけど、水戸目(みとめ)くんは引っかからずに言いきった。


「こんな調子で読み終わっても、達成感なんてあると思う? 作者あとがきのあとの奥付(おくづけ)にたどり着いても、徒労感(とろうかん)しかなかったよ。しかも本の内容、まったく思い出せなかった。登場人物の名前すら、記憶(きおく)からかき消えていたんだ。ただ、あったのは『こういうところで苦労した』という(つか)れだけ。そして感じた。『この同じ一年間で、図書室にいるほかのみんなは、どれだけ本を読むことができたんだろう』って」


 左のほおづえをも(くず)し、水戸目くんは五秒だけ天井(てんじょう)をあおぐ。


「ぼかあ、そのとき心が折れに折れる(おと)を聞いたよ。『あー、自分はこんなもんなんだ』って。ほかの本でも(ため)してみた。今度は一冊読了(どくりょう)するのにどのくらい必要だったか分かるかな~、こんしまちゃん」

「前が一年だったから、八か月くらいに短縮してそう……」


「正解は一年半」

「……なるほどね。その本は(そう)ルビじゃなかったんだ」


「うん。自分の読書能力のなさをみとめたくなかったから背伸(せの)びしたんだよ~。挿絵(さしえ)は五十ページごとに(はい)るヤツだけど、全体のページは多いし、字も小さくなってる。相変わらず辞書は何回も引いたし、いちいち前のページを読み返した。でも『一つ』とあったら、『これルビないけど、もしかして「ひとつ」じゃなくて「いちつ」とか読まないよね?』なんていう()けたことを思って進まない。『十分』って出てきたら『これ「じゅっぷん」「じっぷん」「じゅうぶん」のどれで読むのが正解なんだろう』と考えて一時間(いちじかん)以上経過する」


 水戸目くんは赤ペンをにぎり、台本のすみに「一つ」「十分」と書いてみせた……。


「そういうわけで読み終えたとき、やっぱり達成感なんてなくて……ただ無力感(むりょくかん)で心が崩壊(ほうかい)した。こんしまちゃんは、ぼく自身がどうして折れないのかを知りたいって言ったけど――それは、すでにぼくの心が(ひと)つ残らず折れ曲がっていて、これ以上折れることができないレベルにまで変形しているからだよ」

「……ありがとう、聞かせてくれて」


 こんしまちゃんはペコリと頭を下げた。


「だけど、どうして今回は脚本をやろうと思ったのかな……」

「人の文章を読むことは苦手だけど、自分の文章を読むのは(たの)しいから」


 水戸目(みとめ)くんが赤ペンのおしりを、ひらいた台本の上にすべらせる。


「ぼかあ逆ギレしたんだよ。『こんなに読むのに時間がかかるのは、ぼくじゃなくて配慮(はいりょ)の足りない作者のせいだ』ってね。実際はそうでもないんだろうけど、そんなふうに自分勝手に思わなきゃ完全に(こわ)れちゃいそうだったから」

「ふーん……」


「だったら自分で書いてやれと思った。でも小説は書けなかった。()の文がイメージできなくて、苦痛だったから。そこでセリフ中心の脚本形式でやってみた。これが(たの)しくてね~。読み返してみると、スイスイ頭に入ってきてすぐ読めた。人の本は、とても読むのに時間かかるのに。もちろん、()()()()()はしてないよ。ただいろいろ前提とかが分かっていてイメージしやすいから自分の文は読みやすいってだけ。本当の作家たちは、すごすぎて次元(じげん)(ちが)うんだ……」

「そういうことだったんだね……」


「情けないエピソードだよ~」

「いいや……()()()()()()()()()()()()()()()()


 こんしまちゃんが、手もとの台本と水戸目くんを交互(こうご)に見る。


「水戸目くんがちゃんとした脚本を作れるのは……それを受け取るのが苦手な人のこともきちんと考えて書いているからなんだね……」

「ちゃんとした……脚本?」


 水戸目くんが、苦笑いになる。


「どこが? こんしまちゃんにも、きょうすけにも……アラを指摘(してき)されまくって台本も()()なのに」

「そもそも……ちゃんとした脚本じゃなきゃアラを探すこともできないよ……もし全部がダメダメなら……どこが欠けているか指差(ゆびさ)せないもん……」


 ついで、ウェーブのかかったくせ()を少し()り、にこ~っとするこんしまちゃん。


「最近、水戸目(みとめ)くんはどんなの読んでる……?」

「……ぼかあ、このごろ江戸川(えどがわ)乱歩(らんぽ)にハマってる。相変わらず少しずつしか読めないけど……とっても、おもしろいよ。チョイスが古いかな~?」


「そんなことない……色あせないよ……」

明智(あけち)小五郎(こごろう)と犯人の対決が最高だよね~」


「へえ~。わたし、乱歩(らんぽ)の作品『人間(にんげん)椅子(いす)』しか読んだことないから興味がむらむらと()く……っ!」

「……一作しか読んでないのに『色あせない』って断言したの?」

「う、しまった。わたし……ちょっと知ったかぶっちゃったね……」


 ここで、こんしまちゃんも水戸目(みとめ)くんもフフフと笑った。

 水戸目くんが手をたたく。


「じゃ、ぼくの話もこのくらいにして」


 まるでアイロンをかけるように、(つくえ)に置いた台本を指でなぞる水戸目くん……っ!


「こんしまちゃん、あと四分(よんぶん)(いち)……残りの脚本のアラ探しも容赦(ようしゃ)なくやっていこう!」

「おー」


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


 もう鵜狩(うかり)くんはいないけど、こんしまちゃんはズバズバ変わりなく脚本のアラを見つけ出す……ッ!


「ここ、『首を()る』ってト書(とが)きにあるけど……(たて)と横、どっちに振るの……?」


「あ、『でぶ』『はげ』って表現は傷つく人がいるからダメだと思う……これ高校の文化祭の劇だから、最低限の倫理観(りんりかん)は守らないと……」


「このあたりの主人公の会話が、オウム(がえ)しの連続になっちゃってるよ……」


「前に描写(びょうしゃ)した情報と矛盾(むじゅん)してる……その意味もない……」


本筋(ほんすじ)(かか)わらないセリフが長すぎるね……このままだと二時間以上かかっちゃう……」


 さすが悪鬼羅刹(あっきらせつ)モードのこんしまちゃん。

 まったく忖度(そんたく)しておらぬ……! いや、水戸目(みとめ)くん自身の望んでいることに(こた)えているだけだから、忖度(そんたく)百パーセントとも言えるんだけど。


 当の水戸目くんはノリノリで台本に赤を増やしていく……っ!

 いや、それどころか自分から「よく考えれば、ここおかしいね」と言うようになった。


 しかも間違(まちが)いを見つけるたびに、顔をほころばせるのである……!

 まあ別に不可解なことじゃない。「自力でアラを見つけたら、『間違いが分かったのは才能がある証拠(しょうこ)』と自分をほめたい」って水戸目くん自身が最初に言ってたんだから。


 そして、ついに――。

 水戸目(みとめ)くんとこんしまちゃんは、最後のシーンを読み終えた。


「いいね……水戸目くん……ストーリーおもしろいよ……まさか冒頭(ぼうとう)の主人公のセリフ『きょうは、()()()()まして暑いな……』が世界の異常な温度上昇(じょうしょう)伏線(ふくせん)になっていただなんて熱すぎる……っ! しかも助けた女の子が裏切ったことにも、ちゃんと意味があったし……」


 水戸目くんの書いた劇の脚本のあらすじは、次のような感じ。



 主人公の青年は(あつ)がりで、(すず)しい場所を求めて旅をしている。

 ある日、少女を助けるが……そのあとで裏切られ、火口(かこう)に落とされそうになった。


 少女の正体は「クラウ」という精霊(せいれい)。天上の雲を()らいつくして渇水(かっすい)を起こす、善悪を超越(ちょうえつ)した存在。


 少女が盗賊(とうぞく)(おそ)われていたのは、賞金首になっていたから。

 青年を裏切ったのは、結局のところ人を信用できなかったから。


 しかし青年は死ななかった。刺客(しかく)に殺されかけている少女を再び助けた。

 裏切られたのになんで自分を助けたのと少女が問うと、青年は「きみのそばが涼しいから」と答えた。


 それがきっかけで少女は青年に心を許すようになる。

 ただし少女が雲を食いつくしたせいで、世界は晴ればかりになり――渇水(かっすい)による水不足(みずぶそく)過剰(かじょう)な気温上昇(じょうしょう)が引き起こされる。


 自分をかばう青年が人類から敵視されないよう……食らった雲を世界に返すべく、みずから消滅(しょうめつ)しようとする少女。

 それでも青年は自分の気持ちをつらぬき続け、少女をとめた。


 人のぬくもりにふれ、少女は(なみだ)する。

 とめどない流れが天上に向かって逆巻(さかま)き、上昇(じょうしょう)した涙が滂沱(ぼうだ)として地上にそそいだ。


 それから世界には雲が(もど)った。

 むしろ増えすぎたくらいだ。豪雨(ごうう)になりそうなときは、精霊クラウが雲を食らう。


 以降、クラウの()()()()ねらわれることは()()()()()


 以前よりも涼しくなった世界のなかで、主人公の青年は歩いていく。

 少女のかたちをした精霊「クラウ」と共に――。



 まあ、こんな流れで幕がおりる。


「ただ――」


 おもしろいと言っておきながら、こんしまちゃんが不意打(ふいう)ちをかける……ッ!


「最後、()()()()()()()()()……? 涙だけで世界が(もど)るのは、ちょっとやりすぎ……。よしんば全世界に雲を返すことに成功しても――それだけ水分を放出したなら女の子も()()()()()()するんじゃないの……?」

「あ、たし――」


 水戸目(みとめ)くんは「あ、確かにこんしまちゃんの言うとおりだね」と(くち)に出そうとした。

 でも、それをやめた。


「……いいや、このオチに(かん)してだけは、これ以外みとめられないね。今回ばかりは、こんしまちゃんの指摘(してき)納得(なっとく)できない」

「ハッピーエンドが好きなの……?」

「作者の趣味(しゅみ)の話じゃないよ」


 台本を閉じ、赤ペンをその上に置く。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……しまったなあ」


 こんしまちゃんも台本をぱたん……と閉じた。


「最後まで来て、わたし……とうとう見当(けんとう)外れの指摘をしちゃったね……」


 でもどこか、スッキリとした表情のこんしまちゃん……!

 続いて彼女(かのじょ)は、水戸目(みとめ)くんに台本を返す。


 水戸目くんが、お礼を言う。


「こんしまちゃん。ありがとう、助かった。これで脚本、よくなるよ~」

「どういたしまして……」


 くっつけていた(つくえ)(もど)す。

 こんしまちゃんがカバンを持ち上げ、帰ろうとする。


「じゃあね……水戸目くん」

「ホント、きょうはサンキュ、こんしまちゃん! きょうすけにも、あらためてお(れい)言わなきゃね。あ、教室の(かぎ)は、ぼくが()()()()から」

「ありがとう……ところでさ……」


 ふと教室のドアの前で()り返る、こんしまちゃん。


「よかったら『ドグラ・マグラ』貸すよ……?」

「いや、それはまたの機会に」


 そのとき水戸目(みとめ)くんの()きとおるような(はだ)が、笑顔(えがお)(かがや)いたとか、なんとか……。


※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※


☆今週のしまったカウント:四回(累計(るいけい)五十七回)

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