脚本のアラを探してしまった!(木曜日)
こんしまちゃん――紺島みどりの通う高校は三年間クラス替えをおこなわない。
最初からこんしまちゃんたちのクラスでは、文系科目を中心にしたカリキュラムが組まれている。
それは生徒自身が、入試の時点で選択していたことだ。
文系だから、みんな小説とかたくさん読むのかな? と思われるかもしれないけど案外そうでもない。
理系クラスよりもラクそう! ……なんていう理由で選んだ人もわりといる。
なお、こんしまちゃんは……二週間に一冊読む程度。
まあ一冊って言っても、ページ数や一ページあたりの字数、改行や漢字の使用頻度によって分量が変わってくるからあんまり参考にならないかもしれない。
それでも――こんしまちゃんの国語の成績は悪くない。
最近は『ドグラ・マグラ』というまあまあ長い小説を読了したばかりである。
言葉を理解する力は、けっこうあるのだと思われる。
さて今回は、そんなこんしまちゃんが人の文章のアラを探しまくる話だ……ッ!
嫌がらせをしているんじゃなくて、そうなったのにも当然ながら理由がある。
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
木曜日、放課後の教室。
こんしまちゃんの右隣の席で、男の子同士の会話が発生していた。
席に座っている少しツリ目の男の子は、鵜狩慶輔くん。
その席のそばに立つ透きとおるような肌を持つ男の子が、水戸目永志くん。
水戸目くんのほうが、鵜狩くんに頼み込んでいるようだ……。
「きょうすけ~。お願いだから、ぼくの脚本読んでメタメタにけなしてよ~」
こんなことを水戸目くんが言うのも……けなされること自体を彼が好むからではない……ッ!
もうすぐおこなわれる文化祭の劇で水戸目くんは脚本を担当することになったんだけど……その出来に不安があるから、改善点をだれかに指摘してほしいのだ……!
鵜狩くんは、休み時間によく紙の本を読んでいる。
しかも本の上下を逆転させたまま、かなりのスピードでページをめくる。
それを承知しているからこそ水戸目くんは、文章を読み慣れている鵜狩くんに脚本を読んでもらいたいと思ったわけだ。
鵜狩くんは水戸目くんに、こう答えた。
「分かった、読むよ。でも料理部のほうにも顔を出さないといけないからフルでは付き合えない」
「ホント? サンキュー、きょうすけっ!」
水戸目くんは、うれしそうにガッツポーズを作った。
「ただ……あと一人だれかに読んでもらえるなら助かるね~」
ここで水戸目くんが、鵜狩くんの左隣の席に視線をやった。
そこに座っているこんしまちゃんと目が合う……!
「……そうだ、こんしまちゃんっ! ぼくの脚本の間違い探ししてみない?」
「ほめてほしいの……?」
「いいや、ぼかあ容赦なく批判されたい」
水戸目くんの透きとおるような肌が、血色を帯びる。
そこにこんしまちゃんは、水戸目くんの本気を感じ取った。
「泣かないでね……」
彼の思いに応えるべく――心を悪鬼羅刹へと変貌させた、こんしまちゃんであった……っ!
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
三つの机をくっつける。
それぞれの席には、水戸目くん・鵜狩くん・こんしまちゃんが一人ずつ……!
水戸目くんの書いた脚本を読んで改善点を指摘するのが、現在の鵜狩くんとこんしまちゃんのミッションである。
「脚本の初期案は、すでに台本にして印刷した。ただ二人とも、読む前に一つ」
仮の台本を鵜狩くんとこんしまちゃんに渡した水戸目くんが、表情を引き締める……ッ!
「くりかえすけど手加減は要らない。『手功より目功』という言葉がある。うまく作る以前に、うまく作れているか見極める目を養えってこと。自分やだれかのそんな目があるから、いろいろ改善もできるわけだね~。だから自力でアラを見つけたら、『ダメだ、自分には才能がないんだ』と落ち込むんじゃなくて、『よくやった。むしろ間違いが分かったのは才能がある証拠』と自分をほめたい。だれかに文句を言われたら、『ありがとう、助かった』って感謝したい」
なかなかの長広舌である……。
「誹謗中傷レベルでもない文句を言われて『だったらおまえがやれよ』と言い返したり『作者への人格批判だ』と曲解したり『こっちだって大変なんだぞ・ここにはこんな意味が込められているんだぞ』とお気持ち表明したりするのは創作では論外って話でもある」
まあ「論外」は過言としても――。
批判されることへの覚悟は、言葉そのものからひしひしと伝わってくる。
「ぼかあ、みとめてほしいわけじゃない。今後成長していくために、きょうすけとこんしまちゃんの目功を求めている……っ!」
……という前置きに相づちを返しつつ、表紙をめくるこんしまちゃんと鵜狩くん。
もちろん鵜狩くんはいつものクセで、台本を上下反対にして読み進める。
その台本は会話文と、状況などを説明するト書きで構成されているようだ。
こんしまちゃんが、おそるおそる冒頭を確認する……。
「えっと……まずは主人公の登場シーンだね」
快晴の空の下、青年が荒野を歩いて現れる。
汗をぬぐい、独白……ッ!
『きょうは、いつもにまして暑いな……』
「ちょ……ちょっと、いいかな……水戸目くん」
こんしまちゃんが早くも動く。
「……『いつもにまして』じゃなくて『いつにもまして』じゃないかな……? もちろん、なにか意図があるなら、いいんだけど……」
「えっ、それ間違いなの?」
水戸目くんは鵜狩くんの顔もうかがう。
鵜狩くんは、次のように述べる……っ!
「俺としては、言葉に『間違い』はないと思ってる。大切なのは、『この主人公がこの言葉を使用する必然性があるかどうか』じゃないか?」
「そりゃ確かに。でも主人公はとくに言い間違いをするようなキャラじゃないから修正しとこ」
自分の台本のセリフに赤線を引き、「いつもに」を「いつにも」に変更する水戸目くん。
「サンキュ、こんしまちゃん! きょうすけ! この調子で楽しみながら――アラ探しとしゃれこもう!」
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
さて脚本は、新たなシーンに差しかかる……ッ!
主人公の青年が、盗賊にからまれている少女を発見したのだ。
銃を構えた盗賊二人が、少女に言う。
『くく……ここが年貢の納め時だぜ。げへへへへ』
『観念して死ぬんだな。おれらの報酬のためによお! ひゃーっはっはっはっは!』
「この場面についてツッコんでいい……?」
こんしまちゃんが真剣な顔で水戸目くんを見つめた。
水戸目くんに促され、こんしまちゃんが指摘する……ッ!
「この盗賊さんたち……なんでこんな悠長にしゃべっているのかな……」
「……ど、どういうこと、こんしまちゃん」
「セリフから、この女の子をころころしたら盗賊さんに報酬が発生するのが分かる……。だったら、こんなだらだらと話すより、すぐにころころするべきなんじゃないの……?」
表情も口調も優しげなんだけど……これ水戸目くん相手じゃないなら心折ってるかもしんない。
今のこんしまちゃんには、そのくらいの圧があった……!
「にもかかわらず盗賊さんたちが悠長に構えているのは、なんで……。主人公に女の子を助ける時間を与えたいっていう脚本の都合のためなの……? 『イベントにタイミングよく出くわす主人公』という状況を作り出したいあまり、盗賊さんたちがただの作者のあやつり人形になっちゃってない……?」
「こ、こんしまちゃん……」
返す声が震えている。
さすがの水戸目くんも精神をやられたか……?
ここで、こんしまちゃんが言葉を切る……っ!
「ししまった。ごめんね、言いすぎちゃって……」
これは、いけない。
そんなこと言ったら逆に傷口をえぐる可能性があるとこんしまちゃんは気づいていない模様……ッ!
でも、水戸目くんは小さく笑む。
「いいんだよ、こんしまちゃん。そういう約束で付き合わせているのは、ぼくなんだし。むしろ、この容赦のない批判が心地いい。みずからまな板に身を横たえるコイの気分さっ! ぼかあ、それを求めてこんしまちゃんときょうすけに脚本を読んでもらっているわけだからね~」
すごいメンタルだ。
水戸目くんは鼻歌まじりに、赤ペンを構える……!
「そんじゃ盗賊たちのセリフはカットかな~」
「あの、水戸目くん……」
こんしまちゃんが脚本を指でなぞりながら、なんか言う。
「わたしの言っていることも間違いかもしれないから……納得できないときは『納得できない』でいいんだよ……」
「だいじょうぶ、ぼかあイエスマンじゃないからね!」
陽気に水戸目くんが見返す。
「ぼくだって、こだわりは当然あるし……すでに推敲もとい『セルフアラ探し』を何回もやってる。明らかに見当外れの指摘をされたら、反論するって」
「そっか……じゃあ安心だね……」
こんしまちゃんも、水戸目くんにほほえみを返した。
当の水戸目くんは盗賊のセリフを大幅にけずる……ッ!
シーンは次のように変更された。
一方の盗賊が少女の腕をつかみ、『よし、今のうちに始末しろ!』と相方にさけぶ。
相方の盗賊は『報酬は山分けな!』と言いながら銃の引き金を引く。
そして絶体絶命の瞬間に主人公が乱入し、盗賊たちを追っ払うのだ。
「おお~」
水戸目くんは、この変更に納得したようだ……っ!
「盗賊二人がちゃんと生きている感じになったし、緊迫感も生まれている。なによりテンポがよくて気持ちいい。おまけに主人公がすばやく動けるってことが分かるし、見ず知らずの女の子のために迷わず行動できるナイスガイって情報も説明ゼリフなしで伝わる」
「え……そんな効果もあったんだ」
「本当にありがとう、こんしまちゃん!」
うれしそうに、水戸目くんが赤ペンを回す。
続いて、黙っている鵜狩くんに視線をやった。
「ところで……きょうすけからは、なんか言うことない?」
「ある。どうして銃なんだ」
確かに脚本のなかで盗賊二人は銃を持っているようだけど……。
それのなにが変なのか、こんしまちゃんは首をかしげた。
鵜狩くんが、さきほどの発言を解説する……!
「銃は世界観に合わない気がする。俺、さっきまで永志とこんしまちゃんが話し合っている隙に、台本の全部に目を通したんだけど……」
「え……すっご。しかも上下逆さまで? きょうすけ、もはや忍者じゃん!」
「忍者要素はないよ。ただの速読」
慌てず騒がず、鵜狩くんが正体をごまかす。
「うっかり初見ではスルーしそうになったけど、この盗賊たちが退場して以降、脚本には一度も銃が出てこない。けっこうバトル描写があるのに、殺傷能力が高くて相手の間合いの外からも攻撃できる銃という武器を盗賊以外が用いないのは不自然なんだ」
「あ~。言われてみれば、練られてなかったね」
水戸目くんが台本をパラパラめくったあと、もとのページをもう一度ひらく。
「修正案としては、あとで銃を登場させるか……いや、それだとほかのところでも『ここ銃でいいじゃん』って場面が多く発生するな~。どうしよ」
「だったら……」
こんしまちゃんが、助け船をぶつける……ッ!
「盗賊さんの武器自体を、銃からナイフに変えればいいんじゃないかな……?」
「あ、それでいこう。こんしまちゃんナイス! そしたら余計な修正箇所も発生しないね」
というわけで水戸目くんがト書きに赤を入れる。
盗賊の引き金を引く動作が、ナイフを振り下ろす動作に差し替えられた。
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
こんな感じで激論を交わしつつ。
鵜狩くんとこんしまちゃんは、水戸目くんに容赦のない批判を浴びせ続けたのだった……!
でも水戸目くんは折れなかった。
むしろ、メタメタにけなす鵜狩くんとこんしまちゃんへの感謝の態度を崩さなかった。
水戸目くんの台本は、赤でいっぱいになっている。
そして台本のページの四分の三ほどを読み終わったあたりで鵜狩くんが立ち上がった。
「じゃ、もう俺は抜けるよ、永志。料理部に行かなきゃいけないから」
「そうだったね~、きょうすけ。きょうは、ありがとう、助かった!」
「どういたしまして。それじゃ、こんしまちゃんも……またあした」
「またね、鵜狩くん……」
こんしまちゃんが小さく手を振る。
鵜狩くんは自分の机をもとの位置に戻してから、台本を水戸目くんに返し……教室から出ていった。
インクの少なくなった赤ペンを陽気に回す水戸目くんをじっと見て、こんしまちゃんが口をひらく。
「どうして折れないの……?」
「……こんしまちゃん?」
なにを言われたのか分かんなかった水戸目くんは、「もしかしてこれのことかな」と推測したうえで答える。
「あ~ね、主人公のこと? 確かに、さんざんな目に遭ってるもんね~。助けた女の子にも裏切られるし。それでも自分の気持ちをつらぬくところが、この脚本の裏テーマなんだ」
「しまった。ちょっと分かりにくかったかな……?」
微妙にあおりゼリフにも聞こえる言葉をこぼす、こんしまちゃん……!
「今は脚本じゃなくて……水戸目くん自身がどうして折れないのかを知りたい……」
「……でもそれ、脚本と無関係――いや」
透きとおるような肌を持つ、自分の顔をそっとなでて……水戸目くんが静かに笑う。
「このままじゃ、こんしまちゃんたちをタダ働きさせたようなものだね。きょうすけには、あとでおごるとして……こんしまちゃんには今支払うよ」
いったん赤いペンを置く。
「ぼかあねえ、小学校のころからずっと休み時間は図書室に入りびたってた」
「読書が好きなんだね……」
「いや違う違う。図書室の机で、本も読まずにボーッとしてたんだよ~」
水戸目くんが、左右のひじを使ってほおづえをつく……。
「別に外に出て遊ぶのが嫌いとか苦手とか、そういうのじゃないんだ……。ただ、気づいたら図書室でボーッとね。でもあるとき、図書室に来ているみんなが集中して本を読んでいることを突然そっくり理解した。脳が大きくなったからかな?」
「なぜか急にいろいろ分かって、『どうして今まで気づかなかったんだろう』って思うことはあるあるだよね……」
「まあね。脚本的には、それもアラなんだろうね~。『最初からやれ』『すぐ分かるだろ』ってツッコまれるタイプの」
「でもこれは現実……」
「そだよね~」
小さく頭を上下させて、水戸目くんは愉快そうに吐息を漏らす。
「ところで、こんしまちゃんは最近なんか本を読んだ?」
「読んだよ。『ドグラ・マグラ』……っ!」
「はあ……? 聞いたことある……!」
なんか水戸目くんが恐れおののいている……ッ!
「ネットで書評を見かけたよ。それメッチャ難解で、最後まで読んだら正気を保っていられないヤツなんだよね」
「え……? 確かに長かったし、いろんな文体が出てくるけど……描写は基本的に理路整然としてるし、なにより全体の構成が神だよ……とても頭のいい人が書いたって分かる……!」
語気に力を込める、こんしまちゃん。
こんしまちゃんは読書量こそそんなに多くないものの――そのぶん一冊一冊に対しての熱量がすさまじいのだ……ッ!
「わたし、『ドグラ・マグラ』読んでてジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』思い出した。こっちも、いろいろヤバいよ……! もう永遠の文学作品だよ……人類の宝だよ」
「……そう。すごいね、こんしまちゃんは」
水戸目くんが、かわいた笑いをこぼす。
「きょうすけも本を逆さまにして、たくさん読んでるし……みんなすごいよ。それにくら――」
おそらく水戸目くんは「それに比べてぼくは」と言おうとしたのだろう。
けれど途中で言葉を切り、首を横に振った。
「みとめないとね。本当は……ぼくは脚本を担当できるようなヤツじゃないんだ」
「……そうなの?」
「学校の図書室でほかのみんながマジメに読書しているのに気づいてから、ぼくは恥ずかしくなった。『ボーッとしてるだけのぼくが席の一つを占領していいのか、それはみとめられないんじゃないか』って感覚かな~」
右のほおづえをやめ、手もとの台本をつつく水戸目くん。
台本越しに机がたたかれ、コツコツと鳴る。
「それで、ぼかあ本を読むことに挑戦してみたんだよ。全部の漢字にルビ振ってるヤツ。字も大きい。挿絵もある。読書感想文はウチの小学校にはなかったから……絵本でもマンガでもない本をまるまる一冊読もうとしたのは初めてだった」
コツコツという音が、とまる……。
「一年かかった」
こんしまちゃんじゃなくて台本を見下ろす。
「一、二行読むだけで眠くなる。ルビの『ば』と『ぱ』の判別にすら五秒必要。挿絵と文が結びつかない。行の下まで読んで『あいつには』の『は』の部分を『ワ』で発音したあとに『あいつにはめられた』って続いたら『ハ?』って思って読むのを投げ出したくなる。そもそも単語の意味が分からなくて一ページごとに何回も辞書を引く。さっき読んだはずの部分をすぐに忘れていちいち前のページに戻ってしまう。『赤くて丸いりんごがある』と文字だけで言われても『赤』も『丸』も『りんご』もイメージできないし、できたとしても『赤』と『丸』と『りんご』がバラバラの概念として脳内に浮かび上がって混乱する。会話文でだれがどのセリフを言っているのかガチでほとんど見分けられない。こういったこと以前に自分とまったく関係ないヤツが成功しようがピンチにおちいろうがどうでもいいという感覚が先行して夢中になれない」
長い言葉だったけど、水戸目くんは引っかからずに言いきった。
「こんな調子で読み終わっても、達成感なんてあると思う? 作者あとがきのあとの奥付にたどり着いても、徒労感しかなかったよ。しかも本の内容、まったく思い出せなかった。登場人物の名前すら、記憶からかき消えていたんだ。ただ、あったのは『こういうところで苦労した』という疲れだけ。そして感じた。『この同じ一年間で、図書室にいるほかのみんなは、どれだけ本を読むことができたんだろう』って」
左のほおづえをも崩し、水戸目くんは五秒だけ天井をあおぐ。
「ぼかあ、そのとき心が折れに折れる音を聞いたよ。『あー、自分はこんなもんなんだ』って。ほかの本でも試してみた。今度は一冊読了するのにどのくらい必要だったか分かるかな~、こんしまちゃん」
「前が一年だったから、八か月くらいに短縮してそう……」
「正解は一年半」
「……なるほどね。その本は総ルビじゃなかったんだ」
「うん。自分の読書能力のなさをみとめたくなかったから背伸びしたんだよ~。挿絵は五十ページごとに入るヤツだけど、全体のページは多いし、字も小さくなってる。相変わらず辞書は何回も引いたし、いちいち前のページを読み返した。でも『一つ』とあったら、『これルビないけど、もしかして「ひとつ」じゃなくて「いちつ」とか読まないよね?』なんていう抜けたことを思って進まない。『十分』って出てきたら『これ「じゅっぷん」「じっぷん」「じゅうぶん」のどれで読むのが正解なんだろう』と考えて一時間以上経過する」
水戸目くんは赤ペンをにぎり、台本のすみに「一つ」「十分」と書いてみせた……。
「そういうわけで読み終えたとき、やっぱり達成感なんてなくて……ただ無力感で心が崩壊した。こんしまちゃんは、ぼく自身がどうして折れないのかを知りたいって言ったけど――それは、すでにぼくの心が一つ残らず折れ曲がっていて、これ以上折れることができないレベルにまで変形しているからだよ」
「……ありがとう、聞かせてくれて」
こんしまちゃんはペコリと頭を下げた。
「だけど、どうして今回は脚本をやろうと思ったのかな……」
「人の文章を読むことは苦手だけど、自分の文章を読むのは楽しいから」
水戸目くんが赤ペンのおしりを、ひらいた台本の上にすべらせる。
「ぼかあ逆ギレしたんだよ。『こんなに読むのに時間がかかるのは、ぼくじゃなくて配慮の足りない作者のせいだ』ってね。実際はそうでもないんだろうけど、そんなふうに自分勝手に思わなきゃ完全に壊れちゃいそうだったから」
「ふーん……」
「だったら自分で書いてやれと思った。でも小説は書けなかった。地の文がイメージできなくて、苦痛だったから。そこでセリフ中心の脚本形式でやってみた。これが楽しくてね~。読み返してみると、スイスイ頭に入ってきてすぐ読めた。人の本は、とても読むのに時間かかるのに。もちろん、かんちがいはしてないよ。ただいろいろ前提とかが分かっていてイメージしやすいから自分の文は読みやすいってだけ。本当の作家たちは、すごすぎて次元が違うんだ……」
「そういうことだったんだね……」
「情けないエピソードだよ~」
「いいや……むしろ水戸目くんはすごいと思った」
こんしまちゃんが、手もとの台本と水戸目くんを交互に見る。
「水戸目くんがちゃんとした脚本を作れるのは……それを受け取るのが苦手な人のこともきちんと考えて書いているからなんだね……」
「ちゃんとした……脚本?」
水戸目くんが、苦笑いになる。
「どこが? こんしまちゃんにも、きょうすけにも……アラを指摘されまくって台本も真っ赤なのに」
「そもそも……ちゃんとした脚本じゃなきゃアラを探すこともできないよ……もし全部がダメダメなら……どこが欠けているか指差せないもん……」
ついで、ウェーブのかかったくせ毛を少し振り、にこ~っとするこんしまちゃん。
「最近、水戸目くんはどんなの読んでる……?」
「……ぼかあ、このごろ江戸川乱歩にハマってる。相変わらず少しずつしか読めないけど……とっても、おもしろいよ。チョイスが古いかな~?」
「そんなことない……色あせないよ……」
「明智小五郎と犯人の対決が最高だよね~」
「へえ~。わたし、乱歩の作品『人間椅子』しか読んだことないから興味がむらむらと湧く……っ!」
「……一作しか読んでないのに『色あせない』って断言したの?」
「う、しまった。わたし……ちょっと知ったかぶっちゃったね……」
ここで、こんしまちゃんも水戸目くんもフフフと笑った。
水戸目くんが手をたたく。
「じゃ、ぼくの話もこのくらいにして」
まるでアイロンをかけるように、机に置いた台本を指でなぞる水戸目くん……っ!
「こんしまちゃん、あと四分の一……残りの脚本のアラ探しも容赦なくやっていこう!」
「おー」
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
もう鵜狩くんはいないけど、こんしまちゃんはズバズバ変わりなく脚本のアラを見つけ出す……ッ!
「ここ、『首を振る』ってト書きにあるけど……縦と横、どっちに振るの……?」
「あ、『でぶ』『はげ』って表現は傷つく人がいるからダメだと思う……これ高校の文化祭の劇だから、最低限の倫理観は守らないと……」
「このあたりの主人公の会話が、オウム返しの連続になっちゃってるよ……」
「前に描写した情報と矛盾してる……その意味もない……」
「本筋に関わらないセリフが長すぎるね……このままだと二時間以上かかっちゃう……」
さすが悪鬼羅刹モードのこんしまちゃん。
まったく忖度しておらぬ……! いや、水戸目くん自身の望んでいることに応えているだけだから、忖度百パーセントとも言えるんだけど。
当の水戸目くんはノリノリで台本に赤を増やしていく……っ!
いや、それどころか自分から「よく考えれば、ここおかしいね」と言うようになった。
しかも間違いを見つけるたびに、顔をほころばせるのである……!
まあ別に不可解なことじゃない。「自力でアラを見つけたら、『間違いが分かったのは才能がある証拠』と自分をほめたい」って水戸目くん自身が最初に言ってたんだから。
そして、ついに――。
水戸目くんとこんしまちゃんは、最後のシーンを読み終えた。
「いいね……水戸目くん……ストーリーおもしろいよ……まさか冒頭の主人公のセリフ『きょうは、いつにもまして暑いな……』が世界の異常な温度上昇の伏線になっていただなんて熱すぎる……っ! しかも助けた女の子が裏切ったことにも、ちゃんと意味があったし……」
水戸目くんの書いた劇の脚本のあらすじは、次のような感じ。
主人公の青年は暑がりで、涼しい場所を求めて旅をしている。
ある日、少女を助けるが……そのあとで裏切られ、火口に落とされそうになった。
少女の正体は「クラウ」という精霊。天上の雲を食らいつくして渇水を起こす、善悪を超越した存在。
少女が盗賊に襲われていたのは、賞金首になっていたから。
青年を裏切ったのは、結局のところ人を信用できなかったから。
しかし青年は死ななかった。刺客に殺されかけている少女を再び助けた。
裏切られたのになんで自分を助けたのと少女が問うと、青年は「きみのそばが涼しいから」と答えた。
それがきっかけで少女は青年に心を許すようになる。
ただし少女が雲を食いつくしたせいで、世界は晴ればかりになり――渇水による水不足と過剰な気温上昇が引き起こされる。
自分をかばう青年が人類から敵視されないよう……食らった雲を世界に返すべく、みずから消滅しようとする少女。
それでも青年は自分の気持ちをつらぬき続け、少女をとめた。
人のぬくもりにふれ、少女は涙する。
とめどない流れが天上に向かって逆巻き、上昇した涙が滂沱として地上にそそいだ。
それから世界には雲が戻った。
むしろ増えすぎたくらいだ。豪雨になりそうなときは、精霊クラウが雲を食らう。
以降、クラウのいのちがねらわれることはなくなった。
以前よりも涼しくなった世界のなかで、主人公の青年は歩いていく。
少女のかたちをした精霊「クラウ」と共に――。
まあ、こんな流れで幕がおりる。
「ただ――」
おもしろいと言っておきながら、こんしまちゃんが不意打ちをかける……ッ!
「最後、ご都合主義じゃない……? 涙だけで世界が戻るのは、ちょっとやりすぎ……。よしんば全世界に雲を返すことに成功しても――それだけ水分を放出したなら女の子もひからびたりするんじゃないの……?」
「あ、たし――」
水戸目くんは「あ、確かにこんしまちゃんの言うとおりだね」と口に出そうとした。
でも、それをやめた。
「……いいや、このオチに関してだけは、これ以外みとめられないね。今回ばかりは、こんしまちゃんの指摘に納得できない」
「ハッピーエンドが好きなの……?」
「作者の趣味の話じゃないよ」
台本を閉じ、赤ペンをその上に置く。
「彼らにそれが可能で、彼らがそれを望むから」
「……しまったなあ」
こんしまちゃんも台本をぱたん……と閉じた。
「最後まで来て、わたし……とうとう見当外れの指摘をしちゃったね……」
でもどこか、スッキリとした表情のこんしまちゃん……!
続いて彼女は、水戸目くんに台本を返す。
水戸目くんが、お礼を言う。
「こんしまちゃん。ありがとう、助かった。これで脚本、よくなるよ~」
「どういたしまして……」
くっつけていた机を戻す。
こんしまちゃんがカバンを持ち上げ、帰ろうとする。
「じゃあね……水戸目くん」
「ホント、きょうはサンキュ、こんしまちゃん! きょうすけにも、あらためてお礼言わなきゃね。あ、教室の鍵は、ぼくがかけとくから」
「ありがとう……ところでさ……」
ふと教室のドアの前で振り返る、こんしまちゃん。
「よかったら『ドグラ・マグラ』貸すよ……?」
「いや、それはまたの機会に」
そのとき水戸目くんの透きとおるような肌が、笑顔で輝いたとか、なんとか……。
※ ※ ※ ♢ ※ ※ ※
☆今週のしまったカウント:四回(累計五十七回)