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手に取るように分かってしまった!(月・水曜日)

 紺島(こんしま)みどりは、言わずと知れた「今週のしまったちゃん」である。

 (ちぢ)めて「こんしまちゃん」と呼ばれる高校一年生(いちねんせい)だけど……彼女(かのじょ)の成績はどのくらいなのだろう。


 ペーパーテストの点数だけを参考にすると……クラスメイト二十八人のなかで十番目くらい。


 こんしまちゃんがこの成績に満足しているかは分からない。

 ただ……九月上旬(じょうじゅん)学力(がくりょく)テストがあるそうだ。


 そこでがんばってみたいなあと思ったこんしまちゃんは、クラスで一番(いちばん)テストの点数がいい女の子に勉強を教わることにした。


♢ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 月曜日の放課後、こんしまちゃんは校内の自習室に足を()み入れた。


 (つくえ)やイスが複数設置されている、やや大きめの部屋だ。

 小さい声でなら話してもいいことになっているので、だれかと勉強するのにうってつけの場所である。


 約束していた女の子はすでに来て勉強を始めていた。

 こんしまちゃんは小さくあいさつする。


「きょうは、ありがとう……流石(さすが)さん」

「こんしまちゃん。じゃ、さっそく席に(すわ)って」

「うん……」


 薄茶色(うすちゃいろ)(つくえ)をはさんで、こんしまちゃんが流石(さすが)さんの対面に着席する。


 流石さんのフルネームは、流石(さすが)星乃(ほしの)

 こんしまちゃんがお弁当を忘れたときにミートボールをくれた女の子だ。

 ほっそりとした、きれいな指を持っている。


 こんしまちゃんは紙のノートと教科書を広げた。

 一方(いっぽう)、流石さんはタブレットとキーボードを机に置いて操作する。


「えっと……こんしまちゃんが分からないのって物理だっけ」

「そうなの……とくに摩擦(まさつ)係数(けいすう)が理解できなくて。大きいほうが、すべりやすいんだよね……?」


「逆。摩擦係数が大きいほど、すべりにくくなるよ」

「しまった。そうだったんだ……」

「式を書けば分かりやすいかも――」


 そう言って流石さんが、両手でキーボードをたたく。

 キーボードからはカシャカシャといった(おと)がしない……。


 ともあれ、そんな調子で――。

 こんしまちゃんは流石(さすが)さんから勉強をしばらく教わった。


 紙のノートと教科書をかたづけながら、こんしまちゃんが頭を下げる。


「きょうはありがとう、流石さん……テストが終わったらお礼するね……なにか()()()()()こと、ある……?」

「……なら、こんしまちゃん」


 いったんタブレットから、流石さんが目を(はな)す。


「あさっての放課後、うちに()て」

()く……」


 流石さんの(いえ)の場所も知らないのに、こんしまちゃんは即答(そくとう)した……ッ!

 ついで流石さんが付け加える。


(いきおい)さんも一緒(いっしょ)でいい?」

「もちろん……」


 こんしまちゃんは、流石(さすが)さんにうなずきを返す。


 ……勢さんのフルネームは、(いきおい)さくら。

 彼女(かのじょ)もクラスメイトの一人(ひとり)である。

 頭頂部のアホ()が目立つ女の子だ。


 おそらく流石さんは勢さんにも勉強を教え……そのあとで遊びに来てと伝えたのだろう。


「じゃあ、こんしまちゃんも来るって――わたしのほうで勢さんに連絡(れんらく)しとくから」


 そう言って流石さんは、(おと)なくキーボードをたたいた。


♢ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 一日(いちにち)飛んで水曜日。

 学力テストがあったけど、こんしまちゃんたちは乗り切った。


 こんしまちゃんはシャープペンシルを紙にすべらせ――。

 流石(さすが)星乃(ほしの)さんはタブレットに解答を入力していた。


 放課後、こんしまちゃんは流石(さすが)さんに声をかけた。


流石(さすが)さんのおかげで、物理のテストもとけたよ……手に取るように分かっちゃったよ……」

「よかった」

「本当にありがとね……」


 こんしまちゃんはお礼を言い、続ける。


「それで、このあと約束どおり流石さんのおうちに()()()()しようと思うんだけど……」

遠慮(えんりょ)しないでいいよ。今から()こっか」


 流石さんはイスから立ち上がり、自分のカバンを持つ。


(いきおい)さんは少し部活してから来るんだって。しばらくは、こんしまちゃんと二人きりかな」


♢ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 流石(さすが)さんの(いえ)は、学校のすぐ近くにあった。

 正門から出て五分で着いた。


 二階()ての一軒家(いっけんや)だ。

 今は、だれもいないらしい。流石さんは(かぎ)を使って玄関(げんかん)のドアをあけた。


 そしてこんしまちゃんは、二階の部屋に通される。

 意外だったのは、そこにあった本棚(ほんだな)だ。

 五段(ごだん)(たな)のすべては、マンガでうめつくされている。


 クラスでトップの学力を持つ流石さんの本棚だから、参考書や図鑑(ずかん)でいっぱいなのかなあとこんしまちゃんは思っていたのだ……!


「マンガばっかなのが気になる? わたし、基本的に本は電子で済ますんだけどさ……マンガだけは紙が一番(いちばん)なんだよね。見ひらきのページの迫力(はくりょく)(ちが)うから」


 室内の小さなテーブルに、流石(さすが)さんがお茶を置く。

 やわらかい()()()()()も出してくれたので、こんしまちゃんは()()もかじる……っ!


「あ、しまった。本来、勉強を教わったわたしのほうがお返ししなきゃいけないのに……」

「無理にやることないって。代わりに、ちょっと(はな)そうよ。ついでに相談にも乗ってくれる?」


 流石さんも、おせんべいに手を()ばす。

 ちなみに()()おせんべいは、いくら(ざつ)にかじってもポロポロ破片(はへん)がこぼれない革新的なおせんべいである……ッ!

 あと個包装(こほうそう)なので手をよごさずに食べることも可能だ。


 透明(とうめい)包装(ほうそう)を、びりりと破る流石さん。


「こんしまちゃんって前に、お弁当のおかずのお礼として大きな重箱におにぎりとか野菜(いた)めとか()れて、みんなに()()ってたよね」

「あのときは作りすぎちゃって」

「お返ししようって心は別にいいけど……あれ見て、わたしはこんしまちゃんのこと心配になった」


 両手でささえつつ、流石さんがおせんべいを少しかじる。


「たとえ本人に無理をしている自覚がなくても――みんなに(こた)えようとすればするほど、人はいつの()にか(こわ)れていくよ」

(きも)(めい)じる……!」

「……そう」


 おせんべいを半分ほどかじる、流石さん。


「ところでこんしまちゃんには、なにかしらの劣等感(れっとうかん)――コンプレックスはある?」

人並(ひとな)みには……」


「わたしのコンプレックスも聞いてくれるかな?」

「それでお礼になるのなら」

「ありがとう」


 流石さんは一気(いっき)に一枚のおせんべいを食べ終わり、自分のぶんのお茶をすする。


「こんしまちゃんは、ペーパーテストのときわたしがタブレットに答えを入力(にゅうりょく)しているの()()()()()()?」


 クラスメイトのなかで唯一(ゆいいつ)流石(さすが)さんはペンを使わない。

 今までのテストも、特別にタブレットでの解答がみとめられていたのだ。

 また授業中でもノートにペンを走らせることなく、流石さんは(おと)の鳴らないキーボードをたたく。


 こんしまちゃんは流石さんのきれいな指を目に入れつつ、はっきり答える。


「いいや……ずるいとは思わない……」

「なんで」


「たとえばわたしのまわりにレーザーで紙に印字(いんじ)する人ばかりがいたら……わたしは一人(ひとり)でシャープペンシルを使わなきゃならないもの……」

「ふふっ」


 流石さんは、ほほえんだ。


「おもしろい()()()だね」

「しまった。わたし、説明がへたっぴだったんじゃ……?」

「分かるよ、()()()()()()()一人(ひとり)だけ(ちが)うからって自分のできないことを無理に要求されても、たまったもんじゃないって話」


 テーブルのふちをなぞる。


「で、わたしのコンプレックスというのは――『()き手がない』ってこと」


 ……こんしまちゃんは知っていた。流石さんが右利(みぎき)きでも左利(ひだりき)きでも両利(りょうき)きでもないことを。

 四月の自己紹介(しょうかい)のとき、流石さん自身が言っていたからだ。

 クラス担任の立合(たちあい)先生からも、ちゃんと説明があった……。


 流石さんの場合だと、右手でも左手でも(はし)が持てず、ペンで字を上手(じょうず)に書くこともできない感じらしい。

 だから流石さんはスプーンとフォークを使ってお弁当を食べる。

 テストや授業のときも紙に字を書かず、キーボードを使用してタブレットに文字列を()()む。


「まあコンプレックスに思う必要はないって言ってくれる人はいるけど……わたし、どうもトラウマになっちゃってるんだよね……ひらがなの書き取りができなかったり小学校の給食をこぼしまくったりしたことがさ」


 流石さんは、ひょうひょうとした様子で語る。

 ……こんしまちゃんは(だま)って聞いていた。


小一(しょういち)のとき、お母さん泣いちゃって。その一年後になって……ようやく利き手を一生(いっしょう)持てないことが判明したわけ。だから給食ではスプーンとフォークを毎回用意してもらえるようになった。もっぱらタブレットを使って授業やテストを受けることも許された」


 テーブルにひじをつく、流石さん。


「安心した反面、『ずるい』って言われることに()()()()おびえた」

「だれかに、なにかを言われたの……?」

「いいや。これまで生きてきて、わたしに悪口(わるぐち)()びせる人は、一人(ひとり)もいなかった。だから『ずるい』とわたしに言い続けたのは、わたしの想像上の人間。エアエネミーだね」


 ここで流石さんが立ち上がり、本棚(ほんだな)からマンガの一冊(いっさつ)()き取る。


「わたし、こういうシーンに(あこが)れてる」


 こんしまちゃんのそばに寄り、ページをひらいてコマを指差す。



 ガラの悪い男性複数人に女の子が()め寄られる。

 (かれ)らが、その女の子のコンプレックスである特徴的(とくちょうてき)(かみ)をばかにする。


 そこにイケメンの男の子がさっそうと現れてガラの悪いやつらに立ち向かう。

 途中(とちゅう)、女の子の髪をばかにする発言が再び相手から出てくるけれど、男の子はそれに激怒(げきど)する。


 なんとか撃退(げきたい)に成功したものの、ボロボロになって(たお)れる男の子。

 女の子は手当てをして……目覚めた男の子にお礼を言う。


 ページの見ひらきに大きくえがかれた、女の子が(なみだ)を流しながら「ありがとう」と伝える一枚絵(いちまいえ)は――構図にも筆致(ひっち)にも確かに(かみ)を宿している。



 思わず、こんしまちゃんも落涙(らくるい)……ッ!


「し、しまった……でも、よすぎるよ……!」


 紙のマンガをよごさないよう、こんしまちゃんは顔をそむける。

 手の(こう)目元(めもと)をぬぐう。


 こんしまちゃんのウェーブのかかったくせ()を見て流石(さすが)さんは(くち)を動かしかけたが……結局はそれを飲み込み、マンガを本棚に(もど)した。


 対面に(すわ)り、またテーブルにひじを――いや、ほおづえをつく流石さん。


「たとえばわたしは妄想(もうそう)する。こんしまちゃんと(いえ)に向かう途中で不良グループにからまれる。不良のみなさんがわたしの両手をけなす発言をする。そこでこんしまちゃんがブチギレ。みごと不良グループをボッコボコにして、『わたしは流石さんの手、きれいで素敵(すてき)だと思うよ』って伝えてくれる――筋書(すじが)きは、こんな感じかな?」


 涙を(はら)ったこんしまちゃんと目を合わせる。


「でも実際、そういうことって起こんないんだよね。だから相談という名目で無理に(はな)すしかない……。別にこんしまちゃんにコンプレックスを解消してもらおうなんて思ってないよ。ただ、聞いてほしかっただけ。本当にありがとう」


♢ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 ここで、階下(かいか)のほうからペンポーン! という(おと)がした。


「うちのインターホンが鳴ったっぽい」


 いったん流石(さすが)さんは部屋から出ていく。

 そして、アホ()の女の子を連れてきた。


 (いきおい)さくらさんである。


「おじゃましま~す。あっ、こんしまちゃんも()()()()()()


 ぺこりと頭を下げるこんしまちゃんに笑いかけて、勢さんが小さなテーブルの前に(こし)を下ろす。


「ウチは世界史を流石(さすが)に教えてもらったんだ。そんでテストもノリと勢いで、なんとかなったわ~。マジ()()()()()()っしょ~」

「わたしは物理を教えてもらったよ……摩擦(まさつ)係数(けいすう)とか」


「そう……摩擦係数。これが大きいほど、すべりにくくなる」


 流石さんもテーブルの前に(すわ)りなおし、(いきおい)さんとこんしまちゃんを順に見る。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 言いつつ、お茶とおせんべいを勢さんに(わた)す。

 ……「うまうま~」という感想を()らす勢さんに、流石さんは(やさ)しげな()()()()を送る……!


「いわば『人間(にんげん)摩擦(まさつ)係数(けいすう)』ってやつかな……? この数値が大きいほど、人に流されにくいわけだ」


 おせんべいの体積を少しずつ減らすこんしまちゃんに目を移す流石さん。


「たとえば、こんしまちゃんは今の自分の摩擦係数をどのくらいと見る?」

「百万?」

「そんな……戦闘力(せんとうりょく)じゃないんだから……」

「しまった」


「あはは~。流石とこんしまちゃんの会話、おもろすぎ~」


 (いきおい)さんが、ゆるゆるの声でまぶしく笑う。

 ――と思ったら、いきなりクールなイケボに切り()わる……ッ!


「人間摩擦係数の数値は()からゼロのあいだ。……そんで、小数第二位まで示すことにしたら? なんとなく」

「……それが、いいかも」


 流石さんは意外そうに、勢さんを見返した。


「ちなみに(いきおい)さんの摩擦係数は、いくらかな」

「ウチ? ウチは~」


 また、声がゆるゆるになる。


〇・一八(れいてんいちはち)くらいだろね。ノリと(いきお)いで生きてるからッ!」

「でもゼロじゃないんだ?」


「摩擦係数がゼロだったら立つこともできないからね~」

「……さすが(いきおい)さん。ブレないところは、ブレないと」


 しばし流石さんは首をひねり、「わたしはどうかな」と自問する。

 そのあいだに、こんしまちゃんが自身の係数を訂正(ていせい)した……っ!


「やっぱり百万は(つよ)すぎた……()がマックスなら、わたしの人間(にんげん)摩擦(まさつ)係数(けいすう)はズバリ――」


 おせんべいをパキンと割り、断言……ッ!


「――一・一一(いってんいちいち)

「ぞろ()なんだね~」


 (いきおい)さんが、こんしまちゃんのほうに()()()()


「数値がウチと(いち)くらい(ちが)うけど、なぜに~?」

「わたしは、()()流されにくい性格だと思うから……。(いち)が標準だとすれば……ほどほどに流される人がその数値に収まるはず。わたしも基本的には、そんな感じ。だけどある程度みんなに影響(えいきょう)されながら、相変(あいか)わらず心のどこかに意固地(いこじ)なところがある気がするの……」


 こんしまちゃんは、迷ったら自分の気持ちを優先するタイプだ。


 お弁当のおかずのお礼として重箱を持ってきたときも。

 転校してきた鵜狩(うかり)くんに「こんしまちゃん」と呼んでと言ったときも。

 菖蒲(しょうぶ)さん(アヤメ)に気づいて一対一(いったいいち)で話したときも。


 谷高(やたか)くんに「やったかババ()き」を持ちかけたときも。

 筈井(はずい)くんに(した)の名前で呼んでほしいと望む赤金(あかがね)さんに協力したときも。

 鵜狩くんの前でわざと転ぶのを自制したときも。


 加布里(かぶり)さんとカラオケでデュエットしたときも。

 矢良(やら)さんと数学の集合の話で()り上がったときも。

 姉のまふゆさんも加えたメンバーと共に冷鉱泉(れいこうせん)(たず)ねたときも。


 インタラクティブ映画で二択(にたく)を十回選んだときも。

 NG(エヌジー)ワードゲームで嫁田(よめた)くんに勝とうとしたときも。

 鵜狩くんの料理についてアヤメと(しょく)レポ・ポエムを披露(ひろう)し合ったときも。


 確かにこんしまちゃんは、まわりに合わせてほどほどに動いていた。

 同時に……最終的には()()()()()()()()()()()


 そのぶんが加算された結果、「一・一一(いってんいちいち)」というキリがいいんだか悪いんだか分からない人間摩擦係数がたたき出されたのでは()()()()()……ッ!


♢ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


 堂々とその数字を(くち)にしたこんしまちゃんを凝視(ぎょうし)して、流石(さすが)さんは羨望(せんぼう)の感を味わっていた。


 (いな)。羨望とはちょっと(ちが)うかもしれぬ。

 うらやましいんじゃなくて、「自分の持たないものを相手が持っている」という事実に対したときのスッキリ感とでも言えばいいのだろうか。


 後悔(こうかい)嫉妬(しっと)厭悪(えんお)軽蔑(けいべつ)や失望を(ふく)まない――「ただ尊敬のみを基盤(きばん)とする諦観(ていかん)」だ。

 そういう、すがすがしい()()()()なのだ。


 ノリで流されるものの自分を見失うことがない(いきおい)さんにも、流石さんはリスペクトを覚えていた。


 といっても卑屈(ひくつ)になっているわけじゃない。

 たとえば流石さんが()き手の欠落をコンプレックスとしてあつかうのは、今の自分がそれを()じているからじゃなくて……小さいころの記憶(きおく)がエアエネミーとして、()()()()まわっているからだ。


 自分はペンや(はし)をうまく使えない。

 人と比べてどうだとか(ろん)ずるつもりはない。


 ただ……それは流石(さすが)星乃(ほしの)という人間をかたちづくる(かぎ)でもある。


(わたしは流されないよ、リアルの(やさ)しさとか……信じられないから)


 ほっそりとした、左の指と右の指を重ねてみる。


(でも別に、人と摩擦(まさつ)係数(けいすう)(ちが)っていてもいいじゃないか。一定(いってい)以上の(ちから)を加えれば動くことに変わりないし……)


 少しだけ()()()()()かのように、ほおをゆるめる。


(みんながツルツルとすべってばかりだと世の中メチャクチャ。かといって全然すべらなければ、よどんでしまう。あらゆる人の持つ係数にばらつきが生じるからこそ、世の中バランスがとれるわけだ)


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、あらためて流石さんは考えた。


(いや……人との「ふれ合い」って言うけどさ。わたしにとっては人との「()()()()()」と表現したほうが、しっくりくる。人と人は、(やさ)しく(たが)いをさわれるものじゃない。自分で自分に対するときでさえ、摩擦(まさつ)は必ず発生する)


 いつしか心は(こす)れ、気持ちも()れる。

 声さえ(かす)れる。


 でもだれにも責任を(なす)り付けることができない。

 だからせめて……痛いところを(さす)るのだ。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……。


「……わたしの人間(にんげん)摩擦(まさつ)係数(けいすう)は、(いきおい)さんの〇・一八(れいてんいちはち)とも、こんしまちゃんの一・一一(いってんいちいち)とも(はな)れるかな」


 いったんお茶を(ふく)んで落ち着いてから、流石さんが言う。


「二を係数のマックスとした場合、たぶん一・八(いってんはち)(きゅう)。だって、わたしは流されないから。簡単にすべったりしないから。頑固(がんこ)とも言えるね」


 二から〇・一一(れいてんいちいち)を引いたのはなんで? とこんしまちゃんと(いきおい)さんが聞くと、流石さんは微笑(びしょう)して本棚(ほんだな)を指した。


「最低限の社会のルールに流れるように(したが)っていることと、マンガにだけは心を動かされることを考慮(こうりょ)して……係数(けいすう)はマックスに(たっ)さなかったんだよ」

「ほへ~。やっぱ流石(さすが)って頭いいんだ~」


 おせんべいを飲み()んで、(いきおい)さんがゆるふわっぽい笑顔(えがお)を見せる。


「にしても、紙のマンガめっちゃ集めてんだね。圧倒(あっとう)されるわ~」

「なんか読む? 二人とも……」


「読む~」


 ……と勢さんもこんしまちゃんも答える。

 ついで、「あらためて、勉強を教えてくれてありがとう。きょうは(いえ)(まね)いてくれてありがとう」と二人は流石さんに伝えるのだった。


 おすすめのマンガを引っ張り出しつつ、流石さんが(おう)じる。


(いきおい)さんとこんしまちゃんこそ、来てくれて……(はな)してくれてありがとう」


 それぞれ性格も、かかえていることも、摩擦係数だって違う。

 ここにいない、ほかのクラスメイトやその(そと)に生きる人にしても……そうだろう。


 でもそれで()()()()()()()()()()と思えたことが、流石さんにとって()()()()ことだった。


 世界には、いろんな数字の()()()がある。

 ときには、それさえ()()こともある。


 カラにした左右の手の(ひら)をもう一度(いちど)見つめた。


 わたしの手からは()()()()()()()がこぼれ落ちていて、どんなものが残っているんだろうと……流石さんは考える。


流石(さすが)。この作品、おもしろいね~」

「しまった……。なんか話が唐突(とうとつ)と思ったら、二巻だった。ごめん、流石さん……本棚(ほんだな)、さわっていい……?」


 部屋に招いた二人に声をかけられたとき、思わず両手を閉じた。

 そのとき、(みょう)(ちから)()もった。


 なぜか、すがすがしい。


 心地(ここち)よさを感じつつ、二人にまとめて返答する。


「いいよ――ねっ!」


 分かりにくいけど、理解できない言葉でもない。



 窓から赤みがかった光が差してくるまで、三人はマンガを読みふけったという。


「しまった。そろそろ帰らなきゃ」



 そんな声が、こだまするまで――。


♢ ※ ♢ ※ ※ ※ ※


☆今週のしまったカウント:七回(累計(るいけい)四十九回)

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